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ついでに、その国家鮟鱇さんのところからリンクされた
http://www.baiko.ac.jp/ars/heike/heike_25.html(時忠の傍流意識)
が、万古不変の人間の思考行動様式を示していてとても興味深い。
たとえ桓武平氏であろうと、また閨閥で六波羅平氏と結ばれていようと、直系には太刀打ちできない。傍系であることの限界を、時忠は身にしみて感じたことだろう。しかし、だからといって、六波羅平家から離反することは立場上出来ない。多少の不満はあっても、隠忍自重する方が得策でもある。時忠はきざしてきた傍流意識を封印し、試練に耐えることにした。すべては打算だ。
「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」と時忠が言い放ったのは、この時期だ。
この発言はふつう、平家の奢りの象徴として取りあげられる。それはそれでよいのだが、発言の裏側に秘められている、時忠の屈折した思いを見落としてはなるまい。自分は「一門」の中に丸ごと含まれているわけではないとの、忸怩たる思いを包み込んだ、いわば、ほろ苦発言なのだ。平家内部での立場の弱さの悲哀を紛れさせるために、外に向けて発した虚勢の趣がここにはある。
ああ、この感覚、現代日本のここにもあそこにもいっぱいその例があるわ・・・。
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