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2025年11月27日 (木)

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』@『労働新聞』書評

91rqz5vqixl_ac_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評、今回は斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(集英社文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/209527/

「東日流(つがる)外三郡史」とは、青森県五所川原市の和田喜八郎という炭焼き農家の屋根裏から落ちてきた行李2つに詰められたという古文書である。そこには、古代の大和王権から迫害された民が津軽に繁栄していた歴史が書かれていた。
旧市浦村から『市浦村史資料編』として刊行されたこの「古文書」は、1980年代の古代史ブームの中で注目され、多くの関連書が刊行されるとともに、高橋克彦の東北史関係の伝奇小説にも取り上げられ、多くの人がこれを半ば歴史的真実だと信じるようになった。
地元紙東奥日報でサツ回り記者をしていた著者は、たまたま和田に対する盗作民事訴訟の取材から、この「古文書」をめぐる奇奇怪怪の人間模様に巻き込まれていく。素直に奇妙なことを奇妙と思い、その周辺を地道に取材して記事を書くと、猛烈な反発を受けるようになる。和田の口車に乗って、東北各地の自治体が根拠のない資料や遺物を買い取らされたり、立派な施設を作ったりしていたのだ。しかし、その肝心の「古文書」はおかしなことだらけだった。
たとえば、東日流外三郡誌を執筆したのは江戸時代の秋田孝季ということになっているけれども、その中には明治時代以降、いや戦後になってから作られた言葉すら頻出していた。
その極めつけは「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」という名文句が登場することだ。いやそれは福沢諭吉の言葉だと批判されると、和田は曾祖父和田末吉宛の福沢諭吉の手紙なるものを出してくる。ところがこれは、福沢が自著を「学文之進め」と表記し、(門外不出のはずの)古文書を見せてもらった中にあった台詞を引用させてもらったと謝意を示すものだった。これをめぐって、当時慶應義塾福沢研究センター長を務めていた労働経済学者の西川俊作まで振り回された。
和田はその膨大な古文書の原本を絶対に見せようとしなかった。しかし、そのコピーをみれば、字体や誤字の癖などすべてが、和田喜八郎自身の書いた字とそっくりだった。
筆跡鑑定からすれば、秋田孝季とは和田喜八郎自身以外の何者でもなかった。さらに古文書と言いながら、戦後生産された版画用の和紙が使われ、墨を塗りつけて古めかしくしていた。
こうした事実を一つひとつ積み上げて、著者は多くの記事を書いていき、和田やその擁護者から憎まれていく。その代表が、昭和薬科大学教授の古田武彦だった。そして著者と二人三脚で真実を明らかにしていったのは、古田の下で助手をしていたが、偽書に固執する師匠に決別した原田実だった。
多くの主流の歴史学者があえて言及を避け続けるなかで、大衆文化の中で異様に繁殖していき、地域興しのネタに飢えた自治体が次々に引っ掛かっていくという悲喜劇に対して真正面から取り組んだのは、心ある在野の歴史研究者と地元紙の新聞記者だけだったのだ。

2025年11月27日 (木) 書評 | 固定リンク

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コメント

和田喜八郎さんも随分と御努力された(苦笑)ようですが、さすがに偽作者の没後、21世紀に至るまで著名な研究者を含む、多くの人々を騙しおおせていた椿井政隆(1770年〜1837年)先輩には及ばなかったようですね。
こちらの方は『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中公新書 2584)をでご確認ください。著者の馬部隆弘先生のインタビューもネットで拝見できます
( https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/113747.html )。

投稿: SATO | 2025年11月27日 (木) 10時41分

「東日流外三郡誌」!懐かしい。
平成初頭の「トンデモ本」ブームの中で大いに話題になりました。
インターネット開闢の頃、歴史系のサイトで批判記事をしばしば目にしたものです。

その時の印象から見ますと、「東日流外三郡誌」は「竹内文書」などのいわゆる日本超古代史を書いたとされる「古史古伝:」にノリが近かったようですね。

また、「東日流外三郡誌」を支持した古田武彦氏は古代、九州に大和朝廷とは別に王朝があったとする「九州王朝説」を唱え、反天皇制的な市民運動家から相当な支持を集めていました。
しかし、「東日流外三郡誌」を支持した事でさすがに多くの運動家が失望して離れたようです。
そしてそれは市民運動の退潮にも繋がったようです。
戦後の市民運動なるものの底の浅さを物語るエピソードと言えましょう。

投稿: balthazar | 2025年11月27日 (木) 21時19分

実は、私は少年時代に古田武彦の「邪馬台国はなかった」や「失われた九州王朝」を読んで熱中していた口なので、彼が東日流外三郡誌にイカれていき、トンデモな言動を繰り返すようになっていくのを、悲しみの気持ちを以て見つめていたのです。

投稿: hamachan | 2025年11月28日 (金) 09時25分

hamachan先生もそう言う「若さゆえのあやまち」がおありだったのですね。
私も五島勉大先生の「ノストラダムスの大予言」にハマった口です(^^;
人間は若いうちに一度ぐらいはそう言うトンデモにハマってそれを克服していく過程を経た方がむしろ人間的に成長できるのかもしれないですね。

投稿: balthazar | 2025年11月28日 (金) 20時57分

いやいや、私の黒歴史の頂点は、言葉通りの中二時代に八切止夫に嵌まっていたことにとどめを刺します

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-b498ba.html

>要するに、「ボクちゃんだけが真実を知ってる症候群」なんだけど、クラスの半分くらいが不良や不良予備軍みたいな公立中学校の大したことのない目立たぬ二年生のぼうやが、なぜかほかの生徒や教師も読んでなさそうな八切止夫の歴史モノに嵌まってしまい、『信長殺し、光秀ではない』とか『上杉謙信は女だった』とか『徳川家康は替え玉だった』とか、もう何十冊も読みふけって、これこそほかの馬鹿どもが知らない歴史の真実だ!!と思い込んでしまったわけです。で、挙げ句の果てに、その公立中学校で社会科の教師をしている可哀そうな先生に、「あなたの教えているのはうそばっかりだ、歴史の真実はここに書いてあるから勉強するように」などと、めんどくさいことを言ってたんだから、まあ恥ずかしい話です。わが黒歴史。

投稿: hamachan | 2025年11月28日 (金) 21時08分

hamachan先生。
ご自身の黒歴史の開示、誠に恐縮の至りです。
しかしご自身で黒歴史と位置づけ、自戒されているのであればそれは大変良い事であろうかと思います。

と言いますのは私の家族にまるで正反対の困った方がいて、こちらは大変苦労しているからなのです。
その人は中堅証券会社を経てある企業グループの有力企業に勤務。
ところが40代後半から何を間違えたのか渡部昇一センセイの南京大虐殺否定論、あるいは西尾幹二センセイの「国民の歴史」などの極右、ヘイト本を熱心に読み、周囲におかしな言説をまき散らすようになりました(^^;
年齢を重ねるごとにますます堕落の道をまっしぐら(^^;

そして数年前、驚きの事実に思い当たりました。
「あ〜っ、この人井手英策さんと同じ大学同じ学部の大先輩じゃん!(^^;」

面識はないそうですが、西部邁さんの同期だそうです(^^;
どうも「管理職の戦後史」の道を歩いていたのですが、大学同期よりも出世レースに遅れてしまい、自尊感情を傷つけられたのが良くなかったのかな、と考察しております。

今度会った時本棚にますます極右、ヘイト本が積み重なっているであろうことを目にすることを想像すると思いっきりダークな気分になるのです(^^;
こういう人は意外と多そうです。

私の家族にこんな人がいます、なんて井手英策さんに言えないです(^^;
誰か助けて(^^;

投稿: balthazar | 2025年11月29日 (土) 06時21分

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