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いろいろと世の中では騒ぎになっているようですが、教育学だの精神医学だのという狭い範囲だけでなく、一番参考になるのは、実はこういう歴史の実例だったりしませんかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B3%E8%AB%96%E4%BA%89(ルイセンコ論争)
ルイセンコの学説は1934年に発表され、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものだ」とされ、メンデルの遺伝学はブルジョア理論として否定された。
ルイセンコは低温処理によって春まき小麦が秋まきに、秋まき小麦が春まきに変わることを発見したとされている。これはいわゆる春化処理であるが、ルイセンコはこれを遺伝的性質がこのような操作によって変化するものと見なし、これまでのメンデル遺伝学や自然選択説を否定した。後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論であり、スターリンは強く支持した。
当時のソ連の生物学会ではルイセンコの学説に反対する生物学者は処刑されたり、強制収容所に送られるなど粛清されていた。日本の学界にも1947年に導入されルイセンコの学説を擁護する学者があらわれ、ルイセンコの提唱した低温処理を利用するヤロビ農法が寒冷地の農家に広まった。また中国でも毛沢東が大躍進政策の中でルイセンコの学説を採用し、数多くの餓死者を出した。朝鮮民主主義人民共和国でも、金日成の指導の下にルイセンコ学説を利用した主体農法が実施されたが、土地の急速な栄養不足におちいり、これに天候不良が重なることで1990年代の食糧不足につながった。スターリンの死後はスターリン批判に伴いルイセンコも批判され論争で得た地位を一旦は失ったものの、フルシチョフの知遇を得たルイセンコ派は再び巻き返すことに成功する。この結果、ソ連の農業生産は著しいダメージを受けることになる。
(参考)
[フレーム]2012年5月 3日 (木) | 固定リンク
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