| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
« リバタリアンの発想法 | トップページ | 金子良事さんの『戦前期、富士瓦斯紡績における労務管理制度の形成過程』 »
「労働法の立法学」第19回の標記論文をアップします。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/fujoworkfare.html
生活保護制度というふつうは労働政策の対象外の世界の歴史に、ワークフェア的関心からアプローチしてみました。
私として強調したかった点は、現行生活保護法制定時の小山進次郎名著があまりにも福祉至上主義的に理解されすぎてきたのではないかという点です。
>ここで登場した「自立助長」について、小山は「「人をして人たるに値する存在」たらしめるには単にその最低生活を維持させるというだけでは十分でない。凡そ人はすべてその中に何等かの自主独立の意味において可能性を包蔵している。この内容的可能性を発見し、これを助長育成し、而して、その人をしてその能力に相応しい状態において社会生活に適応させることこそ、真実の意味において生存権を保障する所以である。社会保障の制度であると共に、社会福祉の制度である生活保護制度としては、当然此処迄を目的とすべきであるとする考えに出でるものである。従って、兎角誤解され易いように惰民防止ということは、この制度がその目的に従って最も効果的に運用された結果として起こることであらうが、少なくとも「自立の助長」という表現で第一義的に意図されているところではない。自立の助長を目的に謳った趣旨は、そのような調子の低いものではないのである。」と述べています。この最後の一節は、社会保障研究者が好んで引用するところですが、後ろの方の記述からも判るように、受給者に対する就労の促進という意味でのワークフェア的思想を否定したものではないと考えるべきでしょう*8。
>「惰民養成の防止という意味で法第4条第1項と相応する規定」*9が第60条です。「被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、その他生活の維持、向上に努めなければならない。」と、明確に「勤労に励」むことを求めています。
小山は、「生活保護制度の運営について最も注意すべき点の一つは、保護に馴れて能力あるにもかかわらず無為徒食する者、所謂惰民を醸成せず、額に汗して孜々営々として業に励む一般大衆の勤労意欲を低下させないようにすることであるが、これは仲々困難であって、英国救貧法の歴史に徴しても明らかな如く、社会法永遠の宿題というべきものである」と述べ、本法は「単に惰民防止という見地からではなく、自立助長という見地からも権利の享有に対応する義務の履行を身につけさせることが必要である」とその趣旨を説明しています。もっとも、「病者、不具者、老人、児童等の如く、勤労能力のない者、働きたくても就職、就労の口を見出し得ない者又は家庭の事情により就労する時間的余裕のない者にに対してまでも収益を上げる勤労をすることを求めるものではない」とことわっています。
旧法第2条と比較して、「保護の開始前の問題を捉えて本法の適用の有無を決定するのは、機会均等、無差別平等という生活保護制度の根本趣旨に反し、特に生活保障の立法として努むべきことを始めから放棄して了うことになるので、新法においてはこれまで保護の対象外においた絶対的欠格者をも生活困窮の状況にあるならば、一応先ず保護の対象とし、そこに生じた法律関係を基として種々の措置を講ずるものとした」と述べている点が極めて重要でしょう。労働能力のある者に対しては、先ず生活保護を適用した上で、きちんとワークフェア的な措置をとるべきことが、制定当時から法の大原則であったのです。この点は、小山名著の第1条の最後の部分の記述があたかもワークフェア的思想を「調子の低いもの」と否定したかのように誤って受け取られてきた嫌いがあるのではないかと思われます。
2009年6月25日 (木) | 固定リンク
« リバタリアンの発想法 | トップページ | 金子良事さんの『戦前期、富士瓦斯紡績における労務管理制度の形成過程』 »
この記事へのトラックバック一覧です: 公的扶助とワークフェアの法政策:
« リバタリアンの発想法 | トップページ | 金子良事さんの『戦前期、富士瓦斯紡績における労務管理制度の形成過程』 »