September 23, 2005
管理教育と愛について
長崎の中学・高校に通う学生たちが自殺するという報道が相次いでいる。この一ヶ月の間に、5人もの犠牲者がでた。
教育改革が叫ばれ、「心の教育」を文部科学省が推進し始めてから、「学校」という制度をめぐる問題が深刻化してきているように思えてならない。戦後の教育制度を支えてきた家庭と学校と地域社会という三角形が崩壊するなかで、まるでそれを石膏で固めて保存しようとするかのように、人と人との関係を縛り上げる体制が出来上がりつつある。「心の教育」とは、地域社会と学校と家庭の、子どもたちを取巻く全てを動員しながら、縛り続けるイデオロギーなのではないか?
長崎は管理教育や競争教育を子どもに駆り立てる空気を持ち続けてきた地域だったという。長崎で教員をしている友人が、会うと必ず愚痴をこぼすのを聞く。子どもたちは過密授業で競争を駆り立てられ、道徳教育の推進は全国でも有数の県になっている。「不登校」すら許さない空気が、子どもたちの行き場のない違和感や苦しみを、抑え続けてきた。ばかばかしいほどの規律と訓育の強制が、子どもたちを追い詰めていると想像するのは、それほど困難ではないだろう。
死んだ5人の心を読み解くことは決してできない。遺書すらなく、死へと自らの身体を遺棄した子どもたちの、その葛藤や挫折を、簡単な言葉で語ることはできないだろう。だけど、今、残された私たちが出来ることは、死んだ5人の置かれた学校という場所を考え続けることなのではないかと思う。
僕の高校時代、近所の高校で、教師が学生の喫煙行為を見つけ、3階の窓から逆さ吊りにするという事件が起きた。その教師は「体罰は愛だ」と、お決まりの言葉を繰り返したという。暴力を愛と呼ぶロマンティシズムは、決して過去のものではない。
教育の場を地域社会や家庭から奪い取ることで成立した近代の学校制度は、「愛」を過剰なほどに語り続けてきた。家父長が「愛の鞭」を振るうのと同じように、教師は学生に「愛の鞭」を振るう。「先生が叱るのは私のことを思っているからにちがいない」。そこでは暴力を行使する主体の意思(教師の理想)に、暴力を被る主体(学生)が同一化する。教育が再生産するのは、強者へのルサンチマンに囚われた主体なのである。
そしてその「愛」はいつも、「愛の共同体」としての国家社会へとスライドされる。「心の教育」が「親の愛情」を「愛国心」と等置しようとすることも、そうした観点から考えてみなければいけない。
長崎の5人は、「愛」の空疎さに人よりもほんの少し自覚的だったのに過ぎないのかもしれない。死へと遺棄されたいくつもの身体のうえに織り成された学校という権力の、その網目をもう一度解いてみること。その布地に分け入って、「愛」と呼ばれた管理のイデオロギーを引き剥がすこと。そのことが今、問われている。
※(注記) 本文では一般的に「生徒」と名指しされる子どもたちを、あえて「学生」と呼んだ。それは、かれらが自律的存在として認知される必要性があるという観点による。古い話になるが、戦後京都の学校現場では、「生徒」の自主性を尊重する名目で、高校や中学で「学生自治会」が存在していた時期がある。現在のような教員主導の「生徒会」からは考えられない時代に思える。
※(注記) あほらしさついでに、立命館が建設している小学校のあほらしさも指摘しておきたい。来年度開学予定の立命館小学校は、百マス計算の創始者を向かえ、子どもたちの給食にはホテルから調理されたものが用意されるという。全国紙にも、立命のプロパガンダかと疑うくらいの記事で取り上げられている。経営拡大を重ねてきている立命館だが、同志社が関西の先鞭をきって小学校設置に乗り出すと聞いて、焦ったようだ。だから学校の理念も方針も、実はかなり適当。小学校問題の本質は、「教育の自律性」という「学問の自由」の構成要件を、他校との「サービスの差異化」に求めたところにあるだろう。長期的視野のない学園理事会のやりそうなことである。
金持ちの子弟しか入れない、金持ちのための小学校。これが立命館小学校の現実である。あほらしい。
by zappatista
教育改革が叫ばれ、「心の教育」を文部科学省が推進し始めてから、「学校」という制度をめぐる問題が深刻化してきているように思えてならない。戦後の教育制度を支えてきた家庭と学校と地域社会という三角形が崩壊するなかで、まるでそれを石膏で固めて保存しようとするかのように、人と人との関係を縛り上げる体制が出来上がりつつある。「心の教育」とは、地域社会と学校と家庭の、子どもたちを取巻く全てを動員しながら、縛り続けるイデオロギーなのではないか?
長崎は管理教育や競争教育を子どもに駆り立てる空気を持ち続けてきた地域だったという。長崎で教員をしている友人が、会うと必ず愚痴をこぼすのを聞く。子どもたちは過密授業で競争を駆り立てられ、道徳教育の推進は全国でも有数の県になっている。「不登校」すら許さない空気が、子どもたちの行き場のない違和感や苦しみを、抑え続けてきた。ばかばかしいほどの規律と訓育の強制が、子どもたちを追い詰めていると想像するのは、それほど困難ではないだろう。
死んだ5人の心を読み解くことは決してできない。遺書すらなく、死へと自らの身体を遺棄した子どもたちの、その葛藤や挫折を、簡単な言葉で語ることはできないだろう。だけど、今、残された私たちが出来ることは、死んだ5人の置かれた学校という場所を考え続けることなのではないかと思う。
僕の高校時代、近所の高校で、教師が学生の喫煙行為を見つけ、3階の窓から逆さ吊りにするという事件が起きた。その教師は「体罰は愛だ」と、お決まりの言葉を繰り返したという。暴力を愛と呼ぶロマンティシズムは、決して過去のものではない。
教育の場を地域社会や家庭から奪い取ることで成立した近代の学校制度は、「愛」を過剰なほどに語り続けてきた。家父長が「愛の鞭」を振るうのと同じように、教師は学生に「愛の鞭」を振るう。「先生が叱るのは私のことを思っているからにちがいない」。そこでは暴力を行使する主体の意思(教師の理想)に、暴力を被る主体(学生)が同一化する。教育が再生産するのは、強者へのルサンチマンに囚われた主体なのである。
そしてその「愛」はいつも、「愛の共同体」としての国家社会へとスライドされる。「心の教育」が「親の愛情」を「愛国心」と等置しようとすることも、そうした観点から考えてみなければいけない。
長崎の5人は、「愛」の空疎さに人よりもほんの少し自覚的だったのに過ぎないのかもしれない。死へと遺棄されたいくつもの身体のうえに織り成された学校という権力の、その網目をもう一度解いてみること。その布地に分け入って、「愛」と呼ばれた管理のイデオロギーを引き剥がすこと。そのことが今、問われている。
※(注記) 本文では一般的に「生徒」と名指しされる子どもたちを、あえて「学生」と呼んだ。それは、かれらが自律的存在として認知される必要性があるという観点による。古い話になるが、戦後京都の学校現場では、「生徒」の自主性を尊重する名目で、高校や中学で「学生自治会」が存在していた時期がある。現在のような教員主導の「生徒会」からは考えられない時代に思える。
※(注記) あほらしさついでに、立命館が建設している小学校のあほらしさも指摘しておきたい。来年度開学予定の立命館小学校は、百マス計算の創始者を向かえ、子どもたちの給食にはホテルから調理されたものが用意されるという。全国紙にも、立命のプロパガンダかと疑うくらいの記事で取り上げられている。経営拡大を重ねてきている立命館だが、同志社が関西の先鞭をきって小学校設置に乗り出すと聞いて、焦ったようだ。だから学校の理念も方針も、実はかなり適当。小学校問題の本質は、「教育の自律性」という「学問の自由」の構成要件を、他校との「サービスの差異化」に求めたところにあるだろう。長期的視野のない学園理事会のやりそうなことである。
金持ちの子弟しか入れない、金持ちのための小学校。これが立命館小学校の現実である。あほらしい。
by zappatista
September 16, 2005
総選挙結果を見て
日曜日に行なわれた総選挙で、自民党が、公明党とあわせて議席の3分の2を取った。そして当選した8割の議員が「改憲」派だという新聞報道もある。
すごい時代に生きているものだ。「憲法を変えて戦争に行こう、と主張する議員が増えた」とか、そんな大括りで物を言いたくないけれど、これまで作られてきた法律の数々や、これから作られようとする法案の数々が、あの人たちによってなされることを想像するだけで、ため息がこぼれる。
障害者自立支援法。「社会保障制度がその利用者の「自立」を「阻害」してきた」なんて言い分を、私たちは受け入れてしまうのだろうか。「この穀つぶしが」という言葉を障がい者に向けて発する心性に、私たちの政府が後押ししようとしているように思えてならない。
イラク自衛隊派兵。小泉首相がイラク派兵を決めたことを首相官邸で語った2年前のあの日のテレビ映像を思い出す。戦後初めて日本の軍隊の名で外国に派兵することを決めた時、彼は「国民に問いたい」とは言わなかった。憲法九条との齟齬が明らかにあって、支持を集められないと思ったからだろう。最高法規の憲法も立法府である国会も無視して、内閣(行政府)の決定のみで、自衛隊員たちはイラクに連れられていった。彼らの生命の危険は、そうして生み出されたのである。(民主党は今回、「12月撤退」を主張した。このことの持つ重みに、有権者がもう少し自覚的であるべきだったと思う。)
「共謀罪」。ウワサや冗談ですら警察の取り締まり対象にしてしまう「共謀罪」。この間、各地自治体で条例化されつつある「生活安全条例」の類と、この「共謀罪」は連関する。これら法案や条例は、「普通の市民」という主体を生産しながら、そこから外れるものたちを、いつも「犯罪者」として遺棄しつづける。マイノリティが監視の下に置かれ、現場では警察が法を超越した権力を行使する。そんな社会が、刻々と生み出されようとしている。(この点では、人権擁護法案に反対する2ちゃんねらーやヲタたちに、僕は強い共感を覚える。)
沖縄基地移設問題。マスコミが選挙報道に熱心だった今月頭、防衛施設庁は来年度予算の請求を提出した。それは今年と同額、来年度も変わらず辺野古に基地を建設する意思を示している。決断が早くて信念を押し通すといわれる小泉首相が、沖縄では、アメリカの機嫌を伺い続けている。「日帝自立」論を主張するレアな左翼もいるけれど、僕は断固として、「アメリカ従属」論者だ。日本がアメリカに従属していないのなら、日米地位協定くらいすぐに改定しろと言いたい。
憲法改定。現行憲法では改憲には、衆参両院の3分の2の賛成の上に、国民投票で過半数が必要なのだそうだ。だけど日本には「国民投票」をするための法律がない。そこで今自民党が通したがっているのが、「国民投票法案」である。これまでこの法律が無かったこと自体、立法不作為だったと思う。けれど、自民党が作成している「国民投票法案」がどういうものなのか、知っている人はどれくらいいるのだろう?自民党案では、国会が国民投票を発議した後、デモや集会すらできなくなってしまう。投票日まで、有権者はテレビから垂れ流される自民党に都合のいい情報だけを受け取り、粛々と投票所に向かうことを強制されるのである。自民党案は、現行の公選法をもとに作られている。つまり現行の公選法自体が、選挙に関るデモや情報の発信という、人びとの自発的な意思表示や情報のアクセシビリティを押さえつけるものとしてあるのだ。そのことに、もっと目を向けなければならない。僕は、公選法改定と、自民党と異なる国民投票法の制定を、主張したい。
話が多岐に及びすぎた。それくらい、本当はこの選挙のなかで考えなければいけないことが多かったのだと思う。「小さな政府か大きな政府か」、「改革派か抵抗勢力か」、そんなことが私たちのくらしのなかでの願いや希望を語りうる言葉であったとは到底思えない。私たちに必要な未来に形を与えていく、そんな作業の、端くれにもなりえていないのではないかと思う。だけど、実際には小泉首相の発した言葉が、現在を変えてくれる魔法の言葉のように「取り違え」られた。そうして当選したくだらない議員たちが、我が物顔でテレビに出ているのを見ると、僕はまた、ため息をこぼしてしまう。
有事関連7法が国会を通過したのは、つい去年のことだった。いま、「政局」論議のかしましさのなかで、「国家意思」という、国家の制度的枠組みからは決して抽出できない超越的なマジックワードだけが、一人歩きを始めている。靖国問題や教科書問題における反「反日」ナショナリズムを見ればいい(何が「嫌韓流」だ、ばかばかしい)。ジェンダーフリーバッシングや外国人参政権批判を見ればいい(それらは、呆れかえるほど稚拙だけど)。「戦争反対」や「植民地支配への国家責任を」と叫ぶものは、「国家意思」に異を唱える「非国民」だとされ、「非国民」に「国家意思」が侵食されると恐怖を煽っている。あるいはまた、ナショナリズムや市場経済に批判的な言葉を手向けるものたちは頭の固いヤツだと言わんばかり。挙句は「机上の理想論や夢はいらない、現実主義的になれ」と一蹴されてしまう。だけど、ナショナリズムや市場経済こそが、いまを生きる一人ひとりの生活スタイルや意見を、たった一つの「型」に押し込んできたのではないだろうか?「現実主義」の言う「現実」とは、「支配的なルールに従え」という生き方の強制の上に成り立つ「現実」ではなかったのか?そんな生きぐるしい社会は、もういらない。
テレビでは選挙速報の合間に、ニューヨークでのテロ追悼式典の映像が流されていた。公式の式典にもかかわらず、マイクを握った遺族たちは、ブッシュへの批判を何度も繰り返していた。「テロ対策とブッシュが言い出してから、生活がますますしにくくなった。生きぐるしさを感じる」と。今からでも遅くはない。そうした生きぐるしさを出発点にしながら、いくつもの「理想」や「夢」にカタチを与えていく行動を始めようではないか。
追記:
総選挙では、最高裁判事の国民審査があった。
「従軍慰安婦」に対する国家賠償訴訟を棄却させた者、内閣法制局で盗聴法を策定した者、東京都が在日朝鮮人の雇用を取り下げた件の訴訟を棄却させた者・・・。知らないままに、信を与えたつもりのないままに、またぞろ、裁判官にとどまり続けるのだそうだ。
ふざけるな!
written by zappatista
すごい時代に生きているものだ。「憲法を変えて戦争に行こう、と主張する議員が増えた」とか、そんな大括りで物を言いたくないけれど、これまで作られてきた法律の数々や、これから作られようとする法案の数々が、あの人たちによってなされることを想像するだけで、ため息がこぼれる。
障害者自立支援法。「社会保障制度がその利用者の「自立」を「阻害」してきた」なんて言い分を、私たちは受け入れてしまうのだろうか。「この穀つぶしが」という言葉を障がい者に向けて発する心性に、私たちの政府が後押ししようとしているように思えてならない。
イラク自衛隊派兵。小泉首相がイラク派兵を決めたことを首相官邸で語った2年前のあの日のテレビ映像を思い出す。戦後初めて日本の軍隊の名で外国に派兵することを決めた時、彼は「国民に問いたい」とは言わなかった。憲法九条との齟齬が明らかにあって、支持を集められないと思ったからだろう。最高法規の憲法も立法府である国会も無視して、内閣(行政府)の決定のみで、自衛隊員たちはイラクに連れられていった。彼らの生命の危険は、そうして生み出されたのである。(民主党は今回、「12月撤退」を主張した。このことの持つ重みに、有権者がもう少し自覚的であるべきだったと思う。)
「共謀罪」。ウワサや冗談ですら警察の取り締まり対象にしてしまう「共謀罪」。この間、各地自治体で条例化されつつある「生活安全条例」の類と、この「共謀罪」は連関する。これら法案や条例は、「普通の市民」という主体を生産しながら、そこから外れるものたちを、いつも「犯罪者」として遺棄しつづける。マイノリティが監視の下に置かれ、現場では警察が法を超越した権力を行使する。そんな社会が、刻々と生み出されようとしている。(この点では、人権擁護法案に反対する2ちゃんねらーやヲタたちに、僕は強い共感を覚える。)
沖縄基地移設問題。マスコミが選挙報道に熱心だった今月頭、防衛施設庁は来年度予算の請求を提出した。それは今年と同額、来年度も変わらず辺野古に基地を建設する意思を示している。決断が早くて信念を押し通すといわれる小泉首相が、沖縄では、アメリカの機嫌を伺い続けている。「日帝自立」論を主張するレアな左翼もいるけれど、僕は断固として、「アメリカ従属」論者だ。日本がアメリカに従属していないのなら、日米地位協定くらいすぐに改定しろと言いたい。
憲法改定。現行憲法では改憲には、衆参両院の3分の2の賛成の上に、国民投票で過半数が必要なのだそうだ。だけど日本には「国民投票」をするための法律がない。そこで今自民党が通したがっているのが、「国民投票法案」である。これまでこの法律が無かったこと自体、立法不作為だったと思う。けれど、自民党が作成している「国民投票法案」がどういうものなのか、知っている人はどれくらいいるのだろう?自民党案では、国会が国民投票を発議した後、デモや集会すらできなくなってしまう。投票日まで、有権者はテレビから垂れ流される自民党に都合のいい情報だけを受け取り、粛々と投票所に向かうことを強制されるのである。自民党案は、現行の公選法をもとに作られている。つまり現行の公選法自体が、選挙に関るデモや情報の発信という、人びとの自発的な意思表示や情報のアクセシビリティを押さえつけるものとしてあるのだ。そのことに、もっと目を向けなければならない。僕は、公選法改定と、自民党と異なる国民投票法の制定を、主張したい。
話が多岐に及びすぎた。それくらい、本当はこの選挙のなかで考えなければいけないことが多かったのだと思う。「小さな政府か大きな政府か」、「改革派か抵抗勢力か」、そんなことが私たちのくらしのなかでの願いや希望を語りうる言葉であったとは到底思えない。私たちに必要な未来に形を与えていく、そんな作業の、端くれにもなりえていないのではないかと思う。だけど、実際には小泉首相の発した言葉が、現在を変えてくれる魔法の言葉のように「取り違え」られた。そうして当選したくだらない議員たちが、我が物顔でテレビに出ているのを見ると、僕はまた、ため息をこぼしてしまう。
有事関連7法が国会を通過したのは、つい去年のことだった。いま、「政局」論議のかしましさのなかで、「国家意思」という、国家の制度的枠組みからは決して抽出できない超越的なマジックワードだけが、一人歩きを始めている。靖国問題や教科書問題における反「反日」ナショナリズムを見ればいい(何が「嫌韓流」だ、ばかばかしい)。ジェンダーフリーバッシングや外国人参政権批判を見ればいい(それらは、呆れかえるほど稚拙だけど)。「戦争反対」や「植民地支配への国家責任を」と叫ぶものは、「国家意思」に異を唱える「非国民」だとされ、「非国民」に「国家意思」が侵食されると恐怖を煽っている。あるいはまた、ナショナリズムや市場経済に批判的な言葉を手向けるものたちは頭の固いヤツだと言わんばかり。挙句は「机上の理想論や夢はいらない、現実主義的になれ」と一蹴されてしまう。だけど、ナショナリズムや市場経済こそが、いまを生きる一人ひとりの生活スタイルや意見を、たった一つの「型」に押し込んできたのではないだろうか?「現実主義」の言う「現実」とは、「支配的なルールに従え」という生き方の強制の上に成り立つ「現実」ではなかったのか?そんな生きぐるしい社会は、もういらない。
テレビでは選挙速報の合間に、ニューヨークでのテロ追悼式典の映像が流されていた。公式の式典にもかかわらず、マイクを握った遺族たちは、ブッシュへの批判を何度も繰り返していた。「テロ対策とブッシュが言い出してから、生活がますますしにくくなった。生きぐるしさを感じる」と。今からでも遅くはない。そうした生きぐるしさを出発点にしながら、いくつもの「理想」や「夢」にカタチを与えていく行動を始めようではないか。
追記:
総選挙では、最高裁判事の国民審査があった。
「従軍慰安婦」に対する国家賠償訴訟を棄却させた者、内閣法制局で盗聴法を策定した者、東京都が在日朝鮮人の雇用を取り下げた件の訴訟を棄却させた者・・・。知らないままに、信を与えたつもりのないままに、またぞろ、裁判官にとどまり続けるのだそうだ。
ふざけるな!
written by zappatista
September 14, 2005
[protect UTORO]ウトロが強制執行の危機に!
宇治市伊勢田町にあるウトロ地区で、裁判所が強制執行を行なう準備を進めていることがわかりました。先月15日にはソウルと上海を結ぶ大イベントを開催し、問題の「解決」に向けて動き出したかに見えたのですが、ここにきて一転、大変な事態になろうとしています。
ウトロの問題は、その発端に日本による朝鮮半島への植民地支配問題があるとはいえ、戦後60年間も問題を放置してきた行政の不作為こそが最も重大な原因であるといえるでしょう。宇治市は居住する権利を認めず、水道も電気もガスもない状態を長年強いさせてきました。高齢を迎える多くの住民たちにとって、「追い出し」は、その生活する権利の一切が奪われることですらあります。
ウトロで起こっていることは、私たち日本社会の戦後責任なのだということを、もう一度確認せねばならないとおもいます。
以下、ウトロHPより引用です。
----------------------------------------------------
ウトロに裁判所執行官来る
2005年08月30日(火) 執行官、町内に公示書を張出し
2005年09月25日(日)午後 ウトロにて緊急集会
2005年09月27日(火)9:00 執行予定日
■しかく 2005年08月30日/<速報>ウトロに裁判所執行官来る!(事務局:吉田)
8月15日の「イベント」も終わりホッとしていたのも緊張感のなさといわれればそのとおりなのですが、本日8月30日、ウトロ史上初めて裁判所の執行官ら20人がウトロの空き家物件1軒の取り壊しの「強制執行」準備に来ました。現所有者が8月22日に京都地裁に対し申し立てを行い、今日30日に下見および公示書の張り出しに来た模様です。
朝10時から11時まで住民との押し問答が続きましたが準備ですので穏やかにお引取り願いました。現所有者井上正美の真意はわかりませんが、軟鋼織り交ぜてウトロ住民に揺さぶりをかけているようです。
執行日は9月27日の予定ですので、対策が必要です。
■しかく 2005年08月31日/[news] 所有者が明け渡しを求め執行手続
/京都新聞
所有者が明け渡しを求め執行手続 宇治市ウトロ地区の土地建物1軒
在日コリアンが住む京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区で、所有者が土地建物1軒の明け渡しを求め、京都地裁が民事執行法上の公示を行った。
執行官がこの日、建物に掲示した公示書では、現在の土地所有者が木造平屋建て1軒とその土地の明け渡しを求めた。法的にはこの日から1カ月以内に強制執行される。
ウトロ住民によると、明け渡しを求められた家屋の住民は長年住んでおらず、空き家状態になっている。強制執行されても他の住民の生活には直接の影響は及ぼさないと見られる。
ウトロ地区の土地をめぐっては、町内会が先月下旬に買い取りのための同意書を住民から集めた。所有者と折衝が行われ、買い取り支援の募金活動も国内外で始まっている。こうした最中に所有者が明け渡しを求めたことについて、町内会や支援者からは「唐突だ。このままで円満な交渉ができるのか」と不信の声が上がっている。
■しかく 2005年09月01日/[news] 京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
/韓国 中央日報
京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
日本国内の最後の強制徴用村ウトロで史上初の強制撤去が始まりそうだ。
ウトロ国際対策会議は「現土地所有権者が先月22日、京都地方裁判所に強制撤去執行を申し立て、30日、京都地方裁判所執行官約20人がウトロ強制撤去準備のためウトロ入りした」と報告した。
いったん強制撤去を申請した家屋は、現在、人が住んでいない空家で、すぐにも住民たちに直接影響はないものと見られるが、執行官と住民の間に2時間ほどの言い争いがあり、不安が高まっている。
執行官らは該当家屋に建物撤去、土地明け渡しなど強制撤去予定の通知を送った。強制撤去予定日は9月27日。ウトロ国際対策会議は「強制撤去に対抗して戦ってきたウトロ在日朝鮮人の生存権保護のた
め韓国政府の対策を至急に要求するなど対策を講ずる予定」と明らかにした。
■しかく 2005年09月02日/事務局より
緊急事態に備え、PCアドレス、緊急時連絡のため携帯アドレスの登録者を募っています。支障のない方は次のアドレスにご登録ください。
事務局吉田 Email hqj06026[アットマーク]nifty.ne.jp
--------
written by zappatista
ウトロの問題は、その発端に日本による朝鮮半島への植民地支配問題があるとはいえ、戦後60年間も問題を放置してきた行政の不作為こそが最も重大な原因であるといえるでしょう。宇治市は居住する権利を認めず、水道も電気もガスもない状態を長年強いさせてきました。高齢を迎える多くの住民たちにとって、「追い出し」は、その生活する権利の一切が奪われることですらあります。
ウトロで起こっていることは、私たち日本社会の戦後責任なのだということを、もう一度確認せねばならないとおもいます。
以下、ウトロHPより引用です。
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ウトロに裁判所執行官来る
2005年08月30日(火) 執行官、町内に公示書を張出し
2005年09月25日(日)午後 ウトロにて緊急集会
2005年09月27日(火)9:00 執行予定日
■しかく 2005年08月30日/<速報>ウトロに裁判所執行官来る!(事務局:吉田)
8月15日の「イベント」も終わりホッとしていたのも緊張感のなさといわれればそのとおりなのですが、本日8月30日、ウトロ史上初めて裁判所の執行官ら20人がウトロの空き家物件1軒の取り壊しの「強制執行」準備に来ました。現所有者が8月22日に京都地裁に対し申し立てを行い、今日30日に下見および公示書の張り出しに来た模様です。
朝10時から11時まで住民との押し問答が続きましたが準備ですので穏やかにお引取り願いました。現所有者井上正美の真意はわかりませんが、軟鋼織り交ぜてウトロ住民に揺さぶりをかけているようです。
執行日は9月27日の予定ですので、対策が必要です。
■しかく 2005年08月31日/[news] 所有者が明け渡しを求め執行手続
/京都新聞
所有者が明け渡しを求め執行手続 宇治市ウトロ地区の土地建物1軒
在日コリアンが住む京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区で、所有者が土地建物1軒の明け渡しを求め、京都地裁が民事執行法上の公示を行った。
執行官がこの日、建物に掲示した公示書では、現在の土地所有者が木造平屋建て1軒とその土地の明け渡しを求めた。法的にはこの日から1カ月以内に強制執行される。
ウトロ住民によると、明け渡しを求められた家屋の住民は長年住んでおらず、空き家状態になっている。強制執行されても他の住民の生活には直接の影響は及ぼさないと見られる。
ウトロ地区の土地をめぐっては、町内会が先月下旬に買い取りのための同意書を住民から集めた。所有者と折衝が行われ、買い取り支援の募金活動も国内外で始まっている。こうした最中に所有者が明け渡しを求めたことについて、町内会や支援者からは「唐突だ。このままで円満な交渉ができるのか」と不信の声が上がっている。
■しかく 2005年09月01日/[news] 京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
/韓国 中央日報
京都裁判所、ウトロ強制撤去に突入
日本国内の最後の強制徴用村ウトロで史上初の強制撤去が始まりそうだ。
ウトロ国際対策会議は「現土地所有権者が先月22日、京都地方裁判所に強制撤去執行を申し立て、30日、京都地方裁判所執行官約20人がウトロ強制撤去準備のためウトロ入りした」と報告した。
いったん強制撤去を申請した家屋は、現在、人が住んでいない空家で、すぐにも住民たちに直接影響はないものと見られるが、執行官と住民の間に2時間ほどの言い争いがあり、不安が高まっている。
執行官らは該当家屋に建物撤去、土地明け渡しなど強制撤去予定の通知を送った。強制撤去予定日は9月27日。ウトロ国際対策会議は「強制撤去に対抗して戦ってきたウトロ在日朝鮮人の生存権保護のた
め韓国政府の対策を至急に要求するなど対策を講ずる予定」と明らかにした。
■しかく 2005年09月02日/事務局より
緊急事態に備え、PCアドレス、緊急時連絡のため携帯アドレスの登録者を募っています。支障のない方は次のアドレスにご登録ください。
事務局吉田 Email hqj06026[アットマーク]nifty.ne.jp
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written by zappatista
August 25, 2005
反靖国8.15事件への抗議声明
今月8月15日、東京靖国神社で首相の靖国参拝に反対する市民グループの4名が、警察によって逮捕された。それは、イラクへの自衛隊派兵や有事法制、あるいは管理社会化の一連の動きのなかで、それに抗する者たちに向けられた暴力である。
私たちPACEは以下の抗議メッセージを掲げ、連帯を表明する。
-------------
ただただ、国家による不当な暴力に、恐怖と怒りをおぼえます。
戦争に反対する、戦争を押し進めようとする人々や体制に反対する、
そんな当たり前の抗議の声や行動を、
暴力的に消し去ることもいとわない国。
そんな場所に生きている「生きがたさ」を強く実感すると同時に、
それに屈せず、勇気をもって抗っている4人の人たちを尊敬し、
強く支持します。
私たちは、「靖国」を支える思想や体制、
およびそれに連なり戦争を画策する者たちを、
決して許さない。
反戦ネットワーク"PACE"
-------------
救援サイト
http://antifa815.podzone.org/
※(注記)26日、4名は釈放されたそうです。よかった!
私たちPACEは以下の抗議メッセージを掲げ、連帯を表明する。
-------------
ただただ、国家による不当な暴力に、恐怖と怒りをおぼえます。
戦争に反対する、戦争を押し進めようとする人々や体制に反対する、
そんな当たり前の抗議の声や行動を、
暴力的に消し去ることもいとわない国。
そんな場所に生きている「生きがたさ」を強く実感すると同時に、
それに屈せず、勇気をもって抗っている4人の人たちを尊敬し、
強く支持します。
私たちは、「靖国」を支える思想や体制、
およびそれに連なり戦争を画策する者たちを、
決して許さない。
反戦ネットワーク"PACE"
-------------
救援サイト
http://antifa815.podzone.org/
※(注記)26日、4名は釈放されたそうです。よかった!
August 10, 2005
石垣★カフェが16日に閉店!
0c21440d.jpg京大の百万遍交差点で今年の1月から開店していた石垣カフェが、来週16日をもって閉店する。今月4日の大学当局との団体交渉で学生側が主張していた石垣の保存が認められたことを受けてである。
石垣カフェは、京大の「立看文化」の象徴であった百万遍交差点の石垣を守る運動から起こったユニークな闘いだった。京大当局が学生の意思を問わず一方的に、そこを「アメニティ」という美辞麗句によって破壊しようとするなかで、カフェの運営に携わった人たちは、旧来の運動の枠を超え、新たな運動の「作風」を生み出したといえる。
石垣カフェが生み出した「価値」は、計り知れなく大きい。カフェにおいてさまざまに異なる人びとが集うという行為と出会いの経験は、日常のなかで立ち止まって思考する瞬間を可能にした。新自由主義的グローバリズムの進展のなかで変容する大学と社会の関係、そして大学の自治空間の未来と管理社会化の問題を、もう一度、問うことを可能にした(問いはまた新たな問いを生み出すのだ!)。世界中のいたるところで展開されている抵抗運動のsquattingという「作風」の持つ可能性を指し示した。そこは抵抗的民主主義の学習の場でもあった。それらは、まさにA.ネグリのいう「自己価値化」という表現にふさわしいだろう。
また、集ってきた約3000人の人びとの、その経験と記憶を、そして苦悩や希望を、石垣カフェという場は、交差させ、煌々と照らし出していたのではないかと思う。その風景に学生紛争の頃の、希望や苦痛の記憶を重ねる人もいただろう。齢を刻んだ冷たい石の感触に、いつか誰かが発した声や鼓動を感じた人もいただろう。石垣を登るとき、そんな人びとの記憶を、触覚として感じ取る経験が生み出される。百万遍の石垣には"かつて"としか言いようのない、過ぎ去った「現在」が、「今ここ」に痕跡としてよみがえったとでもいえようか。
個体がつながるとは、実はそんなことなのかもしれない。
石垣カフェが閉店するのは、本当に寂しい。いつかまたどこかで、何かのかたちに、この希望が結ばれることを願って、私たちはまた動き続けよう。
おつかれさま。ほんとうに楽しかったです。
by zappa-tista
石垣カフェは、京大の「立看文化」の象徴であった百万遍交差点の石垣を守る運動から起こったユニークな闘いだった。京大当局が学生の意思を問わず一方的に、そこを「アメニティ」という美辞麗句によって破壊しようとするなかで、カフェの運営に携わった人たちは、旧来の運動の枠を超え、新たな運動の「作風」を生み出したといえる。
石垣カフェが生み出した「価値」は、計り知れなく大きい。カフェにおいてさまざまに異なる人びとが集うという行為と出会いの経験は、日常のなかで立ち止まって思考する瞬間を可能にした。新自由主義的グローバリズムの進展のなかで変容する大学と社会の関係、そして大学の自治空間の未来と管理社会化の問題を、もう一度、問うことを可能にした(問いはまた新たな問いを生み出すのだ!)。世界中のいたるところで展開されている抵抗運動のsquattingという「作風」の持つ可能性を指し示した。そこは抵抗的民主主義の学習の場でもあった。それらは、まさにA.ネグリのいう「自己価値化」という表現にふさわしいだろう。
また、集ってきた約3000人の人びとの、その経験と記憶を、そして苦悩や希望を、石垣カフェという場は、交差させ、煌々と照らし出していたのではないかと思う。その風景に学生紛争の頃の、希望や苦痛の記憶を重ねる人もいただろう。齢を刻んだ冷たい石の感触に、いつか誰かが発した声や鼓動を感じた人もいただろう。石垣を登るとき、そんな人びとの記憶を、触覚として感じ取る経験が生み出される。百万遍の石垣には"かつて"としか言いようのない、過ぎ去った「現在」が、「今ここ」に痕跡としてよみがえったとでもいえようか。
個体がつながるとは、実はそんなことなのかもしれない。
石垣カフェが閉店するのは、本当に寂しい。いつかまたどこかで、何かのかたちに、この希望が結ばれることを願って、私たちはまた動き続けよう。
おつかれさま。ほんとうに楽しかったです。
by zappa-tista
July 26, 2005
7月30日は反戦反政府行動へ
zappa-tistaです。
最近、ホームページ&ブログ更新を怠っているので、
久々に書き込みます。
今月30日、靖国問題を問う学習会があります。
終戦(敗戦/光復)記念日にあたる来月15日には、
小泉靖国参拝と国家追悼に反対するデモがあるのですが、
それにむけた学習討論会という位置づけかな?
それぞれ、自分の位置を問い、問題を共有化する作業を、
少しづつ始めましょう!
以下、案内です。
=================================================
反戦反政府行動7.30学習討論会
8.15靖国参拝やめろ!国家による慰霊・追悼許すな!
反天反政府デモ
=================================================
60年前の8月15日、大日本帝国は敗北した。しかし、最高責任者である昭和天皇ヒロヒトはその戦争責任を問われず生き残り、A級戦犯は首相になり、その孫は「政界 のサラブレッド」などと呼ばれている(※(注記))。はたして、侵略戦争と植民地支配にほんとうの終止符は打たれたのだろうか。戦後60年の今年、小泉首相の靖国神社参拝が中国や韓国などアジア各地で噴出した 「反日感情」の根拠として政治焦点化した。くりかえされる小泉首相の居直りは、何の議論もないままの「昭和の日」の制定と同様に、なし崩し的に侵略戦争と植民地支配を正当化するものである。
こうした傾向は、教育現場への「日の丸・君が代」の強制、「愛国心」教育の導入、 「つくる会」教科書の検定通過と採択への政治圧力、教育基本法の改悪策動にも見ら れる。また、日本軍性奴隷制度を裁き、昭和天皇ヒロヒトに有罪判決を下した女性国際戦犯法廷のNHK報道特番への政治介入と改ざんもけっして看過することはできない。このような状況は、イラク軍事占領にも参加する自衛隊の海外派兵の恒常化や、中国や朝鮮民主主義人民共和国を仮想敵国とした米軍再編とそれへの自衛隊のよりいっそうの一体化といった日米軍事同盟の強化(さらなる戦争体制づくり)と同時に進んでいる。
このようなことが「平和憲法」の下で推し進められてきたこと、そしてその「平和憲法」そのものも全面改悪されようとしていることを、今、私たちはどのように考えるべきだろうか。「戦後60年」という枠組みじたいを問い直すところから考えてみたい。現在進行中のこの状況に抗うために、国境を越えうる連帯の一歩を築くために、課題を共有し行動をはじめようと思う。
★反戦反政府行動7・30学習討論集会
「"戦後60年"を問う〜靖国・9条・戦後補償〜」
日時:西暦2005年7月30日(土)1:00pm〜
場所:京都大学文学部新館第1講義室
テーマ:(1)靖国と天皇制 (2)憲法9条と日米安保
(3)戦後補償
★8・15靖国参拝やめろ!国家による慰霊・追悼許すな!
反天反政府デモ
西暦2005年8月15日(月)
11:30am三条河川敷集合/
12:00am集会開始/
13:00デモ出発(〜円山公園まで)
(※(注記))これは岸信介のことを想定していますが、彼はA級戦犯ではなく、A級戦犯容疑者でした。
最近、ホームページ&ブログ更新を怠っているので、
久々に書き込みます。
今月30日、靖国問題を問う学習会があります。
終戦(敗戦/光復)記念日にあたる来月15日には、
小泉靖国参拝と国家追悼に反対するデモがあるのですが、
それにむけた学習討論会という位置づけかな?
それぞれ、自分の位置を問い、問題を共有化する作業を、
少しづつ始めましょう!
以下、案内です。
=================================================
反戦反政府行動7.30学習討論会
8.15靖国参拝やめろ!国家による慰霊・追悼許すな!
反天反政府デモ
=================================================
60年前の8月15日、大日本帝国は敗北した。しかし、最高責任者である昭和天皇ヒロヒトはその戦争責任を問われず生き残り、A級戦犯は首相になり、その孫は「政界 のサラブレッド」などと呼ばれている(※(注記))。はたして、侵略戦争と植民地支配にほんとうの終止符は打たれたのだろうか。戦後60年の今年、小泉首相の靖国神社参拝が中国や韓国などアジア各地で噴出した 「反日感情」の根拠として政治焦点化した。くりかえされる小泉首相の居直りは、何の議論もないままの「昭和の日」の制定と同様に、なし崩し的に侵略戦争と植民地支配を正当化するものである。
こうした傾向は、教育現場への「日の丸・君が代」の強制、「愛国心」教育の導入、 「つくる会」教科書の検定通過と採択への政治圧力、教育基本法の改悪策動にも見ら れる。また、日本軍性奴隷制度を裁き、昭和天皇ヒロヒトに有罪判決を下した女性国際戦犯法廷のNHK報道特番への政治介入と改ざんもけっして看過することはできない。このような状況は、イラク軍事占領にも参加する自衛隊の海外派兵の恒常化や、中国や朝鮮民主主義人民共和国を仮想敵国とした米軍再編とそれへの自衛隊のよりいっそうの一体化といった日米軍事同盟の強化(さらなる戦争体制づくり)と同時に進んでいる。
このようなことが「平和憲法」の下で推し進められてきたこと、そしてその「平和憲法」そのものも全面改悪されようとしていることを、今、私たちはどのように考えるべきだろうか。「戦後60年」という枠組みじたいを問い直すところから考えてみたい。現在進行中のこの状況に抗うために、国境を越えうる連帯の一歩を築くために、課題を共有し行動をはじめようと思う。
★反戦反政府行動7・30学習討論集会
「"戦後60年"を問う〜靖国・9条・戦後補償〜」
日時:西暦2005年7月30日(土)1:00pm〜
場所:京都大学文学部新館第1講義室
テーマ:(1)靖国と天皇制 (2)憲法9条と日米安保
(3)戦後補償
★8・15靖国参拝やめろ!国家による慰霊・追悼許すな!
反天反政府デモ
西暦2005年8月15日(月)
11:30am三条河川敷集合/
12:00am集会開始/
13:00デモ出発(〜円山公園まで)
(※(注記))これは岸信介のことを想定していますが、彼はA級戦犯ではなく、A級戦犯容疑者でした。
April 17, 2005
辺野古への調査強行に反対する緊急行動へ!
いよいよヤマ場!
基地反対運動にたいする防衛施設局の作業強行が来週に控え、
反戦反基地の最大の結集を呼びかけます!
<京都での行動>
★4月20日(水)
1朝8時30分から合同庁舎前でビラ撒き。
(来れる人は8時に来る)
215時30分から、同じ場所で申し入れ&抗議行動
//click here//合同庁舎の場所を確認する//click here//
★4月21日(木)
17時から緊急街頭アピール@三条河原町
★4月23日(土)
17時から定例行動@三条河原町
<辺野古に行こう!!>
全国で心ある人々に呼びかけます。辺野古は来週中はテント村を開放します。寝袋を持参していただければ座り込みテント村に泊まることが出来ます。今回の攻防は今までで最大の大決戦になることが予想されます。防衛施設局は応用地質、サンコー、パシィフィックボーリングを請け負っている3つの企業に対して「21日は全ての企業に動いて欲しい」と呼びかけているはずです。リーフ内、外洋での決戦です。リーフ内で4つのヤグラでの攻防戦。外洋ではスパット台船、スーパー固定ブイの突入。多くの人達の人手が必要です。ヤグラには少なくとも15人以上の人が必要です。外洋でも阻止行動に参加する人々が必要です。そして1年間闘いぬき、阻止しつづけ多くのことを勝ち取ってきた今の私たちなら必ず止めることが出来ます。海人達も結集します!!全国から来週にあわせて多くの人々が集ってくれることを心から願います。辺野古に集まってください!!基地建設に最後のとどめをさすための大決戦です!!!(『シンさんの辺野古日記』14日付記事より)
===行き方===
那覇バスターミナルから、77番(沖縄バス)に乗車、辺野古バス停まで。約2時間半ほどです。現地では多くの方が座り込みに参加されています。
タタウゾー!(^o^)/~{this is zappa-tista}
基地反対運動にたいする防衛施設局の作業強行が来週に控え、
反戦反基地の最大の結集を呼びかけます!
<京都での行動>
★4月20日(水)
1朝8時30分から合同庁舎前でビラ撒き。
(来れる人は8時に来る)
215時30分から、同じ場所で申し入れ&抗議行動
//click here//合同庁舎の場所を確認する//click here//
★4月21日(木)
17時から緊急街頭アピール@三条河原町
★4月23日(土)
17時から定例行動@三条河原町
<辺野古に行こう!!>
全国で心ある人々に呼びかけます。辺野古は来週中はテント村を開放します。寝袋を持参していただければ座り込みテント村に泊まることが出来ます。今回の攻防は今までで最大の大決戦になることが予想されます。防衛施設局は応用地質、サンコー、パシィフィックボーリングを請け負っている3つの企業に対して「21日は全ての企業に動いて欲しい」と呼びかけているはずです。リーフ内、外洋での決戦です。リーフ内で4つのヤグラでの攻防戦。外洋ではスパット台船、スーパー固定ブイの突入。多くの人達の人手が必要です。ヤグラには少なくとも15人以上の人が必要です。外洋でも阻止行動に参加する人々が必要です。そして1年間闘いぬき、阻止しつづけ多くのことを勝ち取ってきた今の私たちなら必ず止めることが出来ます。海人達も結集します!!全国から来週にあわせて多くの人々が集ってくれることを心から願います。辺野古に集まってください!!基地建設に最後のとどめをさすための大決戦です!!!(『シンさんの辺野古日記』14日付記事より)
===行き方===
那覇バスターミナルから、77番(沖縄バス)に乗車、辺野古バス停まで。約2時間半ほどです。現地では多くの方が座り込みに参加されています。
タタウゾー!(^o^)/~{this is zappa-tista}
April 14, 2005
雑誌『騒乱誘発剤』創刊!!
ファン待望の雑誌、衝撃デビュー!
PACEで出す出すと言い続けてきた、冊子の編集、
製本作業がようやく終わりました。
初のPageMaker使用のため、不手際の連続で、
刻々と時間だけが過ぎる作業でした。
まあ手伝った全員の努力の結晶でもあります。
執筆者の方々、これに懲りずまた書いてね。
それでは、魅惑のラインナップ!!(目次)
-------『騒乱誘発剤』------------
「PACE」について
〈Direct Action!〉
12・4安倍晋三立命館来学抗議行動によせて
渚ナイト報告
街路に投げ出された無数の夢
福祉ダンサンデモへのいざない(案)
アジビラ二種
情況論/situation
イスラエル/パレスチナ 〜二つの非暴力直接行動を通して〜
沖縄戦を語る<言葉>
寄稿/contribution
京都大学文学研究科で発生しているハラスメント事件について
やさいとくだものの素晴らしさ〜やさいとくだものの感動を知り、もっと美味しく食べてみませんか〜
電影遊撃隊/cinema review
ポルコ・ロッソのために―『紅の豚』についてのノート―
誘惑と運動に関する覚書
読書な日々/book review
村上春樹『アフター・ダーク』
清水幾太郎『論文の書き方』
立岩真也『私的所有論』
創作/creation
崩壊
「清掃絶望ホテル」
音楽の轍/music review
×ばつ4
---------------------
定価100円でお分けします。
(立命資本をぶっ飛ばす資金源!)
安倍あり、音楽あり、小説あり、映画あり!!
安倍「抗議(阻止じゃねぇよ!)」行動の真実、ここにあきらかになる!!
立命のでっちあげぶりを見たい皆様、そしてネットに徘徊する「ウヨ」諸君!!
大学当局に高学費の金ヅル扱いされてナメられる前に、一読せよ!!
欲しいという方は、PACEメールアドレスまで。
pace_noyuji@yahoo.co.jp
じゃあね(^o^)/{this is zappa-tista}
PACEで出す出すと言い続けてきた、冊子の編集、
製本作業がようやく終わりました。
初のPageMaker使用のため、不手際の連続で、
刻々と時間だけが過ぎる作業でした。
まあ手伝った全員の努力の結晶でもあります。
執筆者の方々、これに懲りずまた書いてね。
それでは、魅惑のラインナップ!!(目次)
-------『騒乱誘発剤』------------
「PACE」について
〈Direct Action!〉
12・4安倍晋三立命館来学抗議行動によせて
渚ナイト報告
街路に投げ出された無数の夢
福祉ダンサンデモへのいざない(案)
アジビラ二種
情況論/situation
イスラエル/パレスチナ 〜二つの非暴力直接行動を通して〜
沖縄戦を語る<言葉>
寄稿/contribution
京都大学文学研究科で発生しているハラスメント事件について
やさいとくだものの素晴らしさ〜やさいとくだものの感動を知り、もっと美味しく食べてみませんか〜
電影遊撃隊/cinema review
ポルコ・ロッソのために―『紅の豚』についてのノート―
誘惑と運動に関する覚書
読書な日々/book review
村上春樹『アフター・ダーク』
清水幾太郎『論文の書き方』
立岩真也『私的所有論』
創作/creation
崩壊
「清掃絶望ホテル」
音楽の轍/music review
×ばつ4
---------------------
定価100円でお分けします。
(立命資本をぶっ飛ばす資金源!)
安倍あり、音楽あり、小説あり、映画あり!!
安倍「抗議(阻止じゃねぇよ!)」行動の真実、ここにあきらかになる!!
立命のでっちあげぶりを見たい皆様、そしてネットに徘徊する「ウヨ」諸君!!
大学当局に高学費の金ヅル扱いされてナメられる前に、一読せよ!!
欲しいという方は、PACEメールアドレスまで。
pace_noyuji@yahoo.co.jp
じゃあね(^o^)/{this is zappa-tista}
April 13, 2005
PACEのブログ
PACEブログへ、ようこそ!
「PACE(伊語で平和の意味)」は、イラク戦争と有事法制に反対する京都在住の学生&院生で、昨年の4月につくった反戦ネットワークです。一緒に、声をあげようと思う「奇特」な方がおられましたら、ご一報を!
pace_noyuji@yahoo.co.jp
このブログでは、戦争と有事法制に反対するものたちをつなぐ、
情報を掲載していきます。
1 PACEの企画するイベント、学習会&会議
2 京都界隈の反戦運動の紹介
3 ネタ
どうぞよろしく!!!
(文責:zappa-tista)
「PACE(伊語で平和の意味)」は、イラク戦争と有事法制に反対する京都在住の学生&院生で、昨年の4月につくった反戦ネットワークです。一緒に、声をあげようと思う「奇特」な方がおられましたら、ご一報を!
pace_noyuji@yahoo.co.jp
このブログでは、戦争と有事法制に反対するものたちをつなぐ、
情報を掲載していきます。
1 PACEの企画するイベント、学習会&会議
2 京都界隈の反戦運動の紹介
3 ネタ
どうぞよろしく!!!
(文責:zappa-tista)
March 26, 2005
PACEの冊子、発行間近!!
PACEの冊子『騒乱誘発剤』創刊号が4月上旬に発行!!
今回は、
沖縄&台湾報告あり、映画評あり、小説あり、
何でもありのコンテンツ。
欲しい方は、PACEのメールでご一報を。
一部100円(カンパです)でお分けします。
今回は、
沖縄&台湾報告あり、映画評あり、小説あり、
何でもありのコンテンツ。
欲しい方は、PACEのメールでご一報を。
一部100円(カンパです)でお分けします。