イチゴ
イチゴ(いちご、Strawberry)とは、ケーキの装飾用に作られたバラ科の植物の果実のことである。
概要[編集 ]
ケーキに代表される各種洋菓子、特にショートケーキの装飾用に作られている果実。光沢のある赤い色彩と表面にびっしりと張り付いた胡麻のような種が特徴。鮮やかな赤による見栄えの良さによって食欲が刺激されることはもちろん、他の食材の風味を損ねない程度の香りの良さ、カットしなくても飾り付けに程よいサイズということから、洋菓子の装飾には欠かせない定番フルーツの1つとされている。
多年草の特質から、ビニールハウスなど温室栽培だけではなく、一定期間、寒冷状態での栽培といった越冬処理、すなわち冬場はのんびり過ごさせないと、成長が促進されず、実が熟すどころか開花するしない我が儘な性格なため、栽培には非常に手間及び設備などの初期投資がかかるが、それだけにまた新規参入には狭き門、高い敷居、低い鴨居となっており、競争相手が増えにくいことから、生産業者は大抵売り手市場でウハウハである。
尚、樹木ではなく、草に実ることから、スイカ、メロンと共にフルーツではなく野菜に分類されることも多く、果物なのか野菜なのかについては、定期的に小学生による大規模な論争の的ともなっている。
原種[編集 ]
それまでありふれた野草に過ぎなかったイチゴが洋菓子の装飾品として脚光を浴びる事になったのは18世紀のことである。現在のイチゴの原型は、エゾヘビイチゴという野イチゴと言われており、小振りながらも赤く熟した実にその起源を窺い知る事ができる。尚、ヘビイチゴは、その名前から毒があると誤った知識が広まっているが人体に有害といえるほどの毒物は混入されていない。ただし、ヤマカガシやマムシなどの蛇が主食としているため、大量に採取した場合、蛇の恨みをかい呪いをかけられることがあるので、注意を要する。
転換期[編集 ]
18世紀、ヨーロッパはフランスで画期的な洋菓子が誕生した。小麦粉にイースト菌などを混ぜ焼きあげるだけで簡単に作れるスポンジケーキを、クリームで覆い隠すことにより、実際のデキに関係なく美味しそうにみえるよう簡単にすぐ作れてしまう洋菓子、すなわちショートケーキである。だが、このショートケーキにも1つだけ致命的な弱点が存在していた。全体をクリームで覆ってしまったことから白一色となってしまい、イマイチ、インパクトに欠ける商品になっていたのだ。当時、革命直前、貴族限定でバブル期を迎えていたフランスではお菓子に関しても、まず見た目豪家主義が蔓延しており、ただ真っ白なだけなお菓子では、バカ貴族のボンボンが相手とはいえ、手玉にとるには明らかに決定打に欠ける。
白いクリームの上に、なにかアクセントをつけるために飾るものが必要だ。
白の上でもっとも映える色は、白と対極の色でもある黒だが、ご存じの通り、黒は食欲を刺激する色ではなく、むしろ減退させる方向性を持つ。これはジョセフ・ジョースターが初めて見たイカ スミ スパゲティーに関してウェイターに難癖をつけていたことからも分かってもらえるだろう。
そこで次善の策として採用されたのが、赤いもの、赤い実を載せてみたらどうかという提案だった。赤い食べ物が食欲を増進させることは、唐辛子が赤い事に加え、野生の果物や種子が敢えて動物に捕食されることで種をより広範囲に運ばせるために赤い色をしていることからも明かである。
しかし、当時のフランス及びヨーロッパで、ケーキの上に飾ることができるサイズで赤いものといえば、プチトマトか赤カブしか存在しておらず、これらは基本的に野菜にすぎないため、見た目はともかく、匂いやクリームに染み出す風味は明らかに洋菓子にはそぐわないものだった。そこでパティシエ達は、それまで見向きもしていなかった野草の実に活路を見いだすハメになる。幸いにも、野イチゴなど各種ベリーの中には、真っ赤ではないものの赤みがかったものも多く、該当といえる果物をみつけるのは難しくはなかった。
かくして、見た目も鮮やかな赤いイチゴを載せたショートケーキは、貴族の間で大好評を得る事となり、その他にパイやシュークリームなど洋菓子を飾るために不可欠な果物として広く認められることになる。
食用への改良[編集 ]
あくまでケーキの装飾用として開発、品種改良が繰り返されてきたイチゴは、食用には極めて不向きだった。香りこそあるものの、甘味はほとんどなくその他の味わいにも乏しい。また装飾を優先した結果、採取、輸送、保存、飾り付け時に損傷しにくいよう、その外皮及び果肉は極めて硬質となっており、ナイフなどで切り刻まなければ、とても食用にたえるものではなかったのだ。
もっとも、初めの頃は、あくまで貴族が口にするケーキなどの装飾用と割り切って考えられていたため、食用に不向きであることもさほど問題視されていなかったが、フランス革命によって貴族の首がギロチンでズバズバと切り落とされた結果、貴族しか食べる事ができなかった洋菓子が少しずつとはいえ庶民への口へと広がるようになると、食べ物の上に食用には不向きなものを載せておくことなど許されない空気が漂い始める。
貴族という雇用先を失った菓子職人達は、不本意ながらも、味もロクに分かるはずもない庶民の要求に応えるしかなく、砂糖で煮たりシロップに漬け込むなどのその場しのぎをしながら、栽培元へ品種改良を依頼する事となった。だが、一度、装飾用として改良されたイチゴを再び柔らかく甘いものにするのは容易いことではなく、実に2世紀近い時間を必要とすることになる。
もっとも、ケーキそのものとクリームの甘味の前には、果物の甘味など吹き飛ぶようなものに過ぎず、また本来はその場しのぎだったはずの砂糖煮やシロップ漬けが「とにかく甘い!」ということで予想以上に味音痴な庶民の舌に受け入れられたことから、菓子職人達はそれ以上窮地に陥ることはなく、食用不向きのままのイチゴを巧みに加工することで、時代を乗り切っていく。
日本への伝来[編集 ]
フランスが原産とされるイチゴが日本に伝わるのは明治に入ってからのことである。これは、アフリカ・インド周りのコースでは途中でイチゴの実はもちろん苗も枯れてしまうためもあるが、日本に洋菓子あるいはイチゴ大福という概念がまだ存在していなかったことが大きい。
明治以降、肉食文化と共に、クリームやフルーツをふんだんにつかった洋菓子が入ってきたことで、日本人も初めて、イチゴ及びイチゴの載ったショートケーキを目の当たりにすることになる。日の丸や紅白饅頭から分かるように、縁起物に関しては赤いものと白いものの組み合わせを重要視する日本人が、イチゴショートケーキに食いつかないはずもなく、それ以来、日本においては、ケーキといえば、イチゴの載ったショートケーキが定番となる。またこの傾向は、国内のクリスマスケーキにも顕著に現れている。
このようにケーキに載せるフルーツの代表格になったことでイチゴの国内栽培も活性化することになる。特にモッタイナイ文化発祥の地である日本において、例え装飾を目的としていたとしても、食べ物の上に食用に向かないものを載せることは半ば禁忌であり、木村屋のヘソアンパンの上に載せられいるのも、塩漬けにされた桜の花びらであることがそれを裏付けている。
再生と誕生[編集 ]
かくして、日本国内においても、食用に向けたイチゴの品種改良がすすめられることになるのだが、先に述べたように装飾性を第一に品種改良が繰り返されてきたイチゴがそう簡単に美味しくなってくれるはずもない。甘味はともかくとして、柔らかさを追求した場合、果実は傷みやすくなり、飾り付けは別にしても、栽培、収穫、輸送などが困難になるといった問題が待ちかまえていた。一方、戦後、アメリカ産の小麦及び、鶏や牛の飼料が大量に入ってきたことで原料のコストが下がり、ケーキが庶民でも気軽に食べられるようになったことで、イチゴの味でケーキの味が台無しになったなどモンスターペアレントも増加。食用にたえるイチゴの存在がますます求められるようになっていた。日本全国の農家及びJA、農業試験場が火花を散らす中、全くのダークホースだった栃木県が、大きさ、柔らかさ、甘味、香り、そのいずれもケチのつけようがないイチゴを完成させる。
後にいう「とちおトメ」の誕生である。
この新しいイチゴが、ケーキだけに留まらず、その他の洋菓子にも使われるようになったことはもちろん、そのまま食べられるようになったことはいうまでもない。それと同時にとちおトメというブランドと栃木県の名も全国に広がり、また少し遅れる形ながらも、各地で後に続けとばかり、甘く柔らかいイチゴが作られていくようになる。
名前の由来[編集 ]
不思議なことに、これだけ人気のある果実であるにもかかわらず、その名前の由来ははっきりとしていない。英語名Strawberryのストローとは麦わらのことであることから、麦わらのように細い茎の先に実がなること、あるいは麦わら帽子に実をつんだことに由来しているのではないかと推測されている。また、日本語名であるイチゴだが、これは日本に入ってきた直後、そのあまりの珍しさから、もう二度と見る事ができない、すなわち「一期一会」にかけたものではないかという説がもっとも有力とみなされている。