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国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平朝彦、以下「JAMSTEC」という。)北極環境変動総合研究センターの安中さやか研究員らと、気象研究所やベルゲン大学、アメリカ大気海洋庁などの国際共同研究チームは、北緯60 度以北の海域について216 か月分(1997年1 月から2014 年12月までの18 年間)の大気海洋間二酸化炭素交換量の分布図を作成し、北極海及びその周辺海域において、いつどこでどのくらいの二酸化炭素が吸収されているのかを明らかにしました。これまで、北極海及び周辺海域では観測データが時空間的に不均質かつ乏しいことから、二酸化炭素交換量の空間分布や季節・経年変化については部分的にしか知られていませんでしたが、本研究ではそれらを統一的に見積もる方法を開発しました。そして、北極海全体では1年あたり180±130 TgC(1 TgCは炭素換算で1012グラム = 100万トン)の二酸化炭素を吸収していることを突き止めました。これは、海洋全体で毎年吸収していると推定されている二酸化炭素の約10%に当たります。北極海の面積は全海洋の3 %であるにも関わらず、約10 %もの二酸化炭素を吸収していると言うことは、北極海が重要な吸収域であることを意味します。一方で、二酸化炭素交換量の時間的空間的変化が大きいこともわかりました。
全球の二酸化炭素収支を正確に見積もることは、地球温暖化予測につながる重要な課題ですが、北極海は、全球の大気海洋間二酸化炭素交換量を見積もる際に、唯一直接的な見積もりがなされていない海域でした。本研究の成果は、今後の全球二酸化炭素収支の見積もりに有用な情報を提供し、その不確実性の低減に貢献します。また、二酸化炭素の吸収は海洋酸性化に直結する要因であるため、本研究の成果は、特に海洋酸性化の影響が深刻である北極海における海洋酸性化の実態把握につながるものです。
なお、本研究は文部科学省の補助事業である北極域研究推進プロジェクト(ArCS: Arctic Challenge for Sustainability)の一環として実施したものであり、この成果はBiogeosciences誌に3月22日付(日本時間)で掲載される予定です。
タイトル: Arctic Ocean CO2 uptake: an improved multi-year estimate of the air–sea CO2 flux incorporating chlorophyll-a concentrations
著者:安中 さやか1,2, Eko Siswanto1, Are Olsen3, Mario Hoppema4, 渡邉 英嗣2, Agneta Fransson5, Melissa Chierici6, 村田 昌彦1,2, Siv K. Lauvset3,7, Rik Wanninkhof8, Taro Takahashi9, 小杉 如央10, Abdirahman M. Omar7, Steven van Heuven11, and Jeremy T. Mathis12
1.JAMSTEC地球環境観測研究開発センター、2.JAMSTEC北極環境変動総合研究センター、3.Geophysical Institute, University of Bergen and Bjerknes Centre for Climate Research、4.Alfred Wegener Institute Helmholtz Centre for Polar and Marine Research、5.Norwegian Polar Institute、6.Institute of Marine Research、7.Uni Research Climate, Bjerknes Centre for Climate Research、8.National Oceanic and Atmospheric Administration, Atlantic Oceanographic and Meteorological Laboratory、9.Lamont-Doherty Earth Observatory of Columbia University、10.気象庁 気象研究所 海洋・地球化学研究部、11.Energy and Sustainability Research Institute Groningen, Groningen University、12.National Oceanic and Atmospheric Administration, Arctic Research Program
北極海及びその周辺海域は、海水温が低いことや植物プランクトンの活動が盛んなことから、大気中の二酸化炭素を吸収すると考えられていました(※(注記)1)。更に、地球温暖化に伴って海氷が減少し、それまで海氷に覆われていた海域が大気と直接接するようになることで、大気からの二酸化炭素の吸収が増えることが示唆されていました。
海洋が大気との間で交換する二酸化炭素の量は、海洋と大気における二酸化炭素分圧(※(注記)2)の差、風速、海氷密接度(※(注記)3)などの値から求められます。海洋の二酸化炭素分圧が大気の二酸化炭素分圧よりも低いと、海洋は大気中の二酸化炭素を吸収し、逆に、海洋の二酸化炭素分圧が大気の二酸化炭素分圧よりも高いと、海洋中に溶け込んでいた二酸化炭素が大気中へ放出されます。風が強いと交換量が多く、風が弱いと交換量が少なくなります。また、海氷は、大気と海洋の間の壁のような存在なので、海氷が多い(密接度が高い)と交換量が少なく、海氷が少ない(密接度が低い)と交換量が多くなります。海氷密接度は衛星観測により得ることができます。また、風速と大気の二酸化炭素分圧は時間的、空間的な変動スケールが大きいので、少数の観測データと数値モデルの解析結果より得られます。一方、海洋の二酸化炭素分圧は、短い時間や細かな空間スケールで変動するので、その分布や時間変動を知るためには、多くの観測データが必要となります。
1990年代後半以降、世界各国の海洋観測船が海洋の二酸化炭素分圧を測定しており、観測データの蓄積が進んでいます。JAMSTECでも海洋地球研究船「みらい」が、毎年のようにチュクチ海へ向かい、海洋の二酸化炭素分圧を観測しています。その結果、観測が実施された海域や時期における大気海洋間の二酸化炭素交換量がわかってきました。しかしながら、観測は、時間的にも空間的にも不均質かつ乏しく、そのほとんどが特定の海域や時期に限られるので、いつどこでどのくらい交換しているのかなど、北極海及びその周辺海域全体における交換量の空間分布や季節・経年変化についてはあまり知られていませんでした。
一方、衛星観測などによって広域分布が知られている水温などの環境変数と、海洋二酸化炭素分圧の関係性を用いて、時空間的に不均質に分布する海洋二酸化炭素分圧の観測データから、広域分布を推定する方法があります。本研究チームは、先行研究(Yasunaka et al. 2016)において、北極海における推定手法を世界に先駆けて開発し、その有効性を確認しており、本研究では、新たに植物プランクトンの影響を評価し、先行研究の手法を発展させる形で北極海に適用しました。
北極海及びその周辺海域の二酸化炭素分圧を推定するために、自己組織化マップを用いた方法を採用しました。これは、ある変数(目的変数)の分布を、関連する他の変数(説明変数)から推定するニューラルネットを利用した手法のひとつで、あらかじめ関数形や領域を指定せずに変数間の関係を経験的に導くことができるので、変数間の関係性が単純な関数で示すことが難しい場合にも適用できます。これまでにも北大西洋や北太平洋の二酸化炭素分圧推定に有用であることが知られていました。本研究では、水温、クロロフィルa濃度(※(注記)4)、海氷密接度、塩分、大気二酸化炭素濃度から、海洋表層の二酸化炭素分圧を推定しました。まず、実際に観測された海洋二酸化炭素分圧の値と、他の説明変数の間の関係を導いた後、その関係性を、海洋二酸化炭素分圧の観測値が存在しない月や場所に当てはめ、説明変数から海洋二酸化炭素分圧の値を求めます。さらに推定した海洋二酸化炭素分圧を用いて、大気海洋間の二酸化炭素交換量を計算します。結果として、北極海及びその周辺海域(図1)の1997年1 月から2014 年12月までの216 か月分の大気海洋間の二酸化炭素交換量の分布図が得られます。
図2は1997〜2014 年の18年間で平均した(a) 大気海洋間の二酸化炭素交換量、(b)海氷密接度、(c)風速、(d)大気海洋間の二酸化炭素分圧の差の分布図をそれぞれ示しています。解析対象海域のほぼ全てにおいて、海洋が二酸化炭素を吸収しています(負値が海洋の吸収を示す)。風が強く海氷密接度が低い海域である、大西洋側のグリーンランド海やノルウェー海、バレンツ海と、太平洋側のチュクチ海で大きな吸収が見られます。
図3は、各海域における平均的な季節変化を示しています。グリーンランド・ノルウェー海とバレンツ海では、風の強い冬季に、大きな吸収が起こっています。チュクチ海では、海洋の二酸化炭素分圧が低く海氷も少ない夏から、風が徐々に強くなる秋にかけて、大きな吸収があります。北極海では、海氷がまだ少ない一方、風が強くなり始める10月に最大の吸収量を示します。
図4は、二酸化炭素交換量の長期変化傾向を示しています。バレンツ海北部やグリーンランド海では、海氷の減少に伴って、二酸化炭素の吸収量が増加しているのに対し、バレンツ海南部やチュクチ海では、水温上昇に伴う海洋の二酸化炭素分圧の上昇が大気の二酸化炭素分圧の上昇を上回っているために、二酸化炭素の吸収量が減少しています。
本研究で得られた各地点における二酸化炭素交換量を北極海全体で積算すると、年180±130 TgCの二酸化炭素を大気から吸収していることが分かりました。これは、海洋全体が毎年吸収している二酸化炭素の約10%に相当します。北極海の面積は全海洋の3 %に過ぎないのに対して、約10 %もの二酸化炭素を吸収していると言うことは、北極海が重要な吸収域であることを意味しています。一方、北極海全体の二酸化炭素吸収量の長期変化傾向は、吸収量が増加している海域と減少している海域があるために、ほぼゼロになっています。
本研究で記述した事項に関して、過去の研究において、単発的な観測に基づく事例報告や、間接的な見積もりや数値モデルによる示唆はありました。本研究の意義は、北極海全域における交換量を、統一的な手法で見積もることで、海域間の差異や季節・経年変化を総合的に記述した点にあります。また、北極海全域において統一的な手法を適用したからこそ、北極海全体の吸収量を直接的に見積もることもできました。
現在のところ、水温上昇に伴う海洋二酸化炭素分圧の上昇による吸収量を減少させる効果と海氷減少による吸収量を増加させる効果が打ち消し合って、北極海全体の二酸化炭素吸収量の長期的な変化は小さくなっていることがわかりました。すなわち、北極海の海氷が減少し、大気と直接接する海域が広がったからといって、必ずしも二酸化炭素の吸収量が増えているわけではありません。海氷は今後も減少していくと予想されており、二酸化炭素吸収量に関しても、引き続き、注意深く監視していくことが重要だと考えています。
国際的な協力関係のもと、二酸化炭素分圧の観測の拡大・継続と、観測値の共有がなされてきました。それでも、冬季や、ロシア沿岸域、北極海中央部の観測は限られており、詳細な変化をより正確に捉えるために、観測のさらなる継続と拡大が望まれます。また、北極海の太平洋側の出入り口にあたるチュクチ海は、北極海とその周辺海域の中でも、特に大きな海洋二酸化炭素分圧の季節・経年変化がみられる海域です。JAMSTEC では今後も、ArCSのもと、太平洋側北極海での観測を続ける予定です。
全球の二酸化炭素収支を正確に見積もることは、地球温暖化予測につながる重要な課題ですが、北極海は、全球の大気海洋間二酸化炭素交換量を見積もる際に、唯一直接的な見積もりがなされていない海域でした。本研究の成果は、今後の全球二酸化炭素収支の見積もりに有用な情報を提供し、その不確実性の低減に貢献します。また、二酸化炭素の吸収は海洋酸性化に直結する要因であるため、本研究で得られた二酸化炭素吸収量の空間分布と時間変化は、特に海洋酸性化の影響が深刻である北極海における海洋酸性化の実態把握につながるものです。さらに、本研究の成果は、数値モデルの再現性評価や初期値・境界値として有用であり、将来的な地球温暖化の予測精度向上や、北極海の炭素循環の理解増進をもたらすと期待されます。
※(注記)1 一般に、水温が低下すると、二酸化炭素の溶解度が増加し、海水中に溶かし込める二酸化炭素の量が増える。また、植物プランクトンの光合成により、海水中の二酸化炭素が消費されると、その分、大気の二酸化炭素を吸収する能力が上がる。
※(注記)2 二酸化炭素分圧:二酸化炭素濃度を圧力の単位に変換したもの。
※(注記)3 海氷密接度:海面に対して氷に覆われている面積の占める割合。100%は海面が海氷ですべて覆われていることを示し、0%は海氷が全くない状態を示す。
※(注記)4 クロロフィルa濃度:植物の光合成において、基本的な役割をしている葉緑素(クロロフィル)のひとつで、海の中においては、植物プランクトンの総量を示す指標。
図1 北極海とその周辺海域。北緯60度以北が、本研究の解析対象海域。白色は、18年間の平均の海氷密接度が15%以上の海域。
[画像:図2]図2 (a) 単位面積当たりの二酸化炭素交換量(負値が海洋吸収を示す)、(b) 海氷密接度、(c)風速、(d) 大気海洋間二酸化炭素分圧差(負値は、海洋中の二酸化炭素分圧が大気中の二酸化炭素分圧より低いことを示す)の1997年1月から2014年12月までの平均値。海氷密接度が低く、風が強く、大気海洋間二酸化炭素分圧差が大きいほど、二酸化炭素交換量が大きい。
[画像:図3]図3 (a) グリーンランド・ノルウェー海、(b) バレンツ海、(c) チュクチ海、(d) 北極海全体における二酸化炭素交換量、大気海洋間二酸化炭素分圧差、風速、海氷密接度の季節変化。
[画像:図4]図4 (a) 二酸化炭素交換量(正値は海洋吸収の減少、負値は海洋吸収の増加を示す)、(b) 大気海洋間二酸化炭素分圧差(正値は、海洋中の二酸化炭素分圧の上昇が大気中の二酸化炭素分圧の上昇よりも大きく、大気海洋間の分圧差が減少していることを示す)、(c) 海氷密接度の長期変化傾向(負値は海氷の減少を意味する)。大気海洋間の分圧差が拡大し、海氷密接度が低くなるほど、二酸化炭素交換量が大きくなる。