長期化するウクライナ危機、新しい「地政学リスク」が日本に突きつける厳しい現実
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ウクライナはロシアとかつて同じ国
現在は欧州とロシアの緩衝体に
ロシアによるウクライナ侵攻は世界に衝撃を与えている。もっとも、2014年に親露派の政権が倒れ、親欧米派の政権ができた時も、ロシアはクリミア半島を侵攻し併合している。
今回の侵攻も、背景にある要因は2014年と重なり合う。しかし、ウクライナ全土への侵攻を始めたことで、世界に与える影響は、はるかに大きなものになる。
ロシアがウクライナに侵攻した要因は、いくつか考えられるが、まずウクライナが欧州とロシアの緩衝体のような位置づけとなっていることが挙げられる。ウクライナもロシアも、9世紀に今のウクライナの地を中心に誕生したキエフ・ルーシ(キエフ大公国)にルーツを発しており、一つの国であった。
ウクライナの紆余曲折の歴史
西部と東部の二重構造
13世紀になってモンゴルの欧州への侵攻が始まると、キエフ・ルーシは滅亡し、諸公国に分裂するが、現在のウクライナ周辺は、ポーランドとリトアニアによって分割されたり、ポーランドの支配下に入ったり、ポーランドとロシアに分割されたり、さらにロシア領になったりと、周辺の強い国に翻弄される歴史をたどる。
ロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、ウクライナは1918年にウクライナ人民共和国として独立したが、ソビエト寄りの傀儡政権もでき、様々な勢力が争う内戦状態が続いた。結局、ウクライナの東部は、ソビエト連邦に帰属し、西部はポーランドが支配することになった。
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