1922年に書かれた芥川龍之介の小説に、「藪の中」という短編がある。黒澤明の映画「羅生門」の原作としても知られ、芥川の中でも珠玉の短編だ。 藪の中から見つかったある死体を巡って、検非違使に尋問される証人と当事者たち。死体の発見者の木こり、目撃者たち、死んだ男の霊、殺された男の妻、そして、容疑者で盗人の多襄丸が、事件について起こったことを証言していくだけの小説である。 それぞれが藪の中で起こった事についての生々しく真実味のある顛末を語っていくのだが、驚くことに、それぞれの内容は全て矛盾しあうものだった。死んだ男は自分は自害したのだといい、男の妻と多襄丸はそれぞれ自分が殺したと言う。当事者各人が自分に不利になる内容を語っており、嘘をつく動機もまったくわからない。そして謎は謎のままで放置され、死霊が語り終えた時、小説は終わる。真相は、藪の中......。 ■しかくナラティブ「物語」という概念について ナラティ