2021年1月22日、新型コロナウイルス感染により自宅療養中だった東京都内の30代の女性の自殺を報じるニュースが流れた。女性の娘も感染したことから、学校で居場所がなくなるかもしれないと夫に相談しており、残されたメモには、周囲に迷惑をかけてしまった後悔が綴られていたという。
筆者はこの1年、コロナ感染を苦にした自殺の話を全国各地で耳にした。自殺に関する真偽は不明であるものの、精神的に追いつめられている感染者やその家族からの相談は、加害者家族支援を専門とする団体であるNPO法人World Open Heartが2020年9月に開設した「新型コロナウイルス差別ホットライン」に数多く寄せられている。
新型コロナウイルスの感染拡大が問題となって以来、感染者報道をきっかけに、感染者の特定や個人情報の拡散で溢れるインターネット、感染者や感染を出した会社による謝罪会見、誹謗中傷により転居を余儀なくされる感染者やその家族の状況はまさに「加害者家族」である。
感染症やその家族を苦しめている罪責感はどこから生じるのか。私たちは幼い頃から、「人に迷惑をかけてはならない」という教えを刷り込まれてきた。突き詰めると、他人の世話になることを否定する言葉である。病気になれば、人の世話にならなければならないし、病気を他人にうつしてしまうこともある。本来、誰しも病気にかかることはあり、お互い様のはずである。なぜ、感染者やその家族までもが感染に対して道義的責任を背負わせられるのか。
2021年1月10日の朝日新聞は、新型コロナウイルスに関する調査で、67%の人が「健康より世間の目が心配」と回答したと報じている。〝世間〟とはいわば、所属しているコミュニティであり、会社、学校、ママ友同士の集まりなどである。人口の少ない地域で生活している人にとっては、居住している地域が〝世間〟かもしれない。人々は、感染によって、所属している核となるコミュニティから排除されることを怖れている。
コロナウイルスは世界的な問題であるにもかかわらず、差別は小さなコミュニティで起きている。気の置けない仲間たちとの関係が悪くなるのは辛いことであるが、日本の世間で起きている差別はより深刻で、コミュニティから排除されることは存在の否定であり、生きていけないことを意味するのだ。
「世間を騒がせた」「他人に迷惑をかけた」ことが世間に対する「加害」であり、感染者やその家族は被害者というより加害者意識が強く、それは感染者やクラスターが発生した会社などの謝罪会見にも表れている。罪責感が強い人は問題を抱え込み、責任を取らなければと思い悩んだ末に命を絶つ結果を招いている。
こうした感染による「差別死」を防ぐにはどうすればよいのか。個人として考えるべきことは、世間の同調圧力から解放されることである。つまり、できるだけ複数のコミュニティに身を置き、ひとつのコミュニティでの評価を絶対視しないことである。
感染をカミングアウトした芸能人や政治家が差別死したという報告はない。社会的立場ゆえに、さまざまな人への影響も大きく、誹謗中傷を受けるリスクも一般人より高いかもしれない。それでも、社会的状況に照らせば感染は誰にでも起こりうることであり、社会の問題なのである。社会と問題が共有されている状況で、差別死は起こらない。世間を脱して社会と繋がることが、同調圧力から逃れる道である。
個人の努力のみならず、差別死を防ぐために社会での取組みも求められる。差別に関する相談支援体制の構築は、世間の評価を相対化させ、世間の暴走を防ぐ役割を果たす。会社や学校では、ハラスメント対策の徹底に加えて、感染者が過剰に気を遣わず復帰できるような環境を整備することである。
コロナ禍の生活も1年が過ぎ、私たちは感染予防対策とともに、差別を生まない社会のあり方を考えなければならない。
【執筆者略歴】
阿部恭子(あべ・きょうこ)東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。日本で初めて犯罪加害者家族支援組織を設立。全国の加害者家族の相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『加害者家族を支援する――支援の網の目からこぼれる人々』(岩波ブックレット、2020年)『息子が人を殺しました――加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017年)等。
『患者と医療従事者の権利保障に基づく医療制度』刊行に寄せて
岡田行雄 「『らい予防法』の過ちを繰り返すな!」
内田博文 「患者と医療従事者の人権を守る医療と医事法を!」
阿部恭子 「コロナ感染による〝世間〟への恐怖――日本の感染者が患うもうひとつの病」