2007年05月18日
私の初恋
おはようございます。
今日は晴れですね。
9:30からは息子の鼓笛パレードを見に行く都合で早めの更新です。
朝から初恋について〜?
なんとな〜く
語ってみたくなったのでお付き合いくださいネ。
では
幼稚園や小学校の時は、私が男子だった?ので、男子は仲間のようでした。女子の友達より男子とつるんでいる方が多かったです。
俗に言う「お人形遊び」や「ままごと」で遊んだ記憶は全くありません。
姉はどちらかと言うと「おとなしい」タイプでした。
それもそのはず
母は、「人形には魂がうつる」と言い、嫌っていました。
家にはこけしやぬいぐるみは勿論、人形は全く無い家でした。娘が二人もいるのに「雛人形」だって無かったのです。
その代わりに5月には「鯉のぼり」や「兜」が飾られました。
その鯉のぼりを毎年出す度、
「いいな〜大空に舞う鯉のぼりは!」
兜は
「勝ってカブトの大将軍」
なんて話を聞かされたものです。
そこで本題
高校1年生の時
自転車通学で毎日同じ道を通って通学するのですが
2校の男子校(現在は共学校)の前を通るんです。
通学だから毎日決まった時間に同じ人が通るわけで
その中に、
「とてもかっこいい男子」がいたのです。
毎朝、見る度
「すてき〜〜」
こっち見た!とかドキドキしながら毎日通学していました。
私は女子高だったのでその話を毎日学校でしていました。
友達は「そんなにかっこいいの?」と見に来るようになり、
友達の一人が
「飯坂電車で一緒の人だ」と判明。
乗車駅から名前まで分かるまで時間は掛かりませんでした。
そんな中、
相手だって毎朝、
ジーと見られるは、
女の子何人かで自分のことコソコソ話してるは
すぐ分かっちゃいます。
今で言うところの
「ストーカー」ですよね?
じゃ思い切って告白しよう
ラブレターを書き
毎朝、渡そうと歩道橋
(13号線の歩道橋階段)の下で待っていました。
それでもなかなか渡せず・・・
痺れを切らせた友達が
「はい」と彼に渡しました。
私はモジモジ・・・
昨日、私はトッぽかったと表現しましたが
それは20代になってから
それまでは、ごくフツー。
卓球(部活)に燃え、
音楽は
「かぐや姫」「オフコース」「NSP」
「長渕剛」「松山千春」とフォークが大好きでした。
友人がラブレターの返事が欲しいからと称して
デートを取り付けてくれました。
彼はラブレターを気に入ってくれたようで
「会ってもいい」と
信夫山公園でした。
ドキドキして何を話したのか?
その頃、既に165センチあった私の身長をかがめるように
ふりフリのワンピースを着て行ったのをよく覚えています。
(似合わねーーー)
ラブレターの中身は
自己紹介と好きな音楽と
「好きになりました。
あなたの事を考えると苦しくて夜も眠れません」と
それから日曜日毎に信夫山公園や川原デート。
彼もフォーク好きでラジカセ持参のデートでした。
彼は勉強ができる大人しいタイプで帰宅部
好きな女性のタイプは
「松田聖子」
私も頑張って髪を聖子ちゃんカットに
笑う時は
「ふふっ・・・^^」
上目遣いでニッコリする感じ
自転車も親に我侭を言って
ミニサイクルに乗り換えました。
ご察しの通り
そんなの長続きするはずない
初めは「猫かぶり」で良かったのですが
だんだん「地」が出てくると
彼は右斜め下
「君とは友達のほうが・・・」
あっさり振られちゃいましたもうやだ〜(悲しい顔)
その後、1週間というもの
彼と一緒に聞いた「オフコース」「因幡晃」を涙ながらに聞いていたのをよく覚えています。
それから10年経ち26歳の頃
私はたまたま東京出張で
新宿歌舞伎町でその彼と肩がぶつかりました。
偶然、それもお互いひとり
「あー」
相変わらず素敵だった。
医師になり横浜で開業したとの事。
「なんだかいい女になったねぇ〜」と彼
「そう?」と相変わらず猫かぶりな私
気がつくと私の方が、背が高い。
歩く時、ひざを少し縮めてました。
(これ相手に対する思いやり・・・)
じゃ一緒に酒でもと
とってもお洒落なバーに連れて行かれました。
行き付けなのか
カウンターに座り
指をパチン!と鳴らして
「ボクはテキーラ、君は?」
「・・・」
「じゃ〜この子にマルガリータを」ととってもキザな彼
わたしゃ頭(学力)がよくキザなタイプに弱い
この子とか
君はさぁ〜
なんて言われたら
もう・・・
おわり
追伸:これから鼓笛行ってきます。
おまけ:今日は懐かしいこの曲と
これ!この曲をどうぞ!
今日は晴れですね。
9:30からは息子の鼓笛パレードを見に行く都合で早めの更新です。
朝から初恋について〜?
なんとな〜く
語ってみたくなったのでお付き合いくださいネ。
では
幼稚園や小学校の時は、私が男子だった?ので、男子は仲間のようでした。女子の友達より男子とつるんでいる方が多かったです。
俗に言う「お人形遊び」や「ままごと」で遊んだ記憶は全くありません。
姉はどちらかと言うと「おとなしい」タイプでした。
それもそのはず
母は、「人形には魂がうつる」と言い、嫌っていました。
家にはこけしやぬいぐるみは勿論、人形は全く無い家でした。娘が二人もいるのに「雛人形」だって無かったのです。
その代わりに5月には「鯉のぼり」や「兜」が飾られました。
その鯉のぼりを毎年出す度、
「いいな〜大空に舞う鯉のぼりは!」
兜は
「勝ってカブトの大将軍」
なんて話を聞かされたものです。
そこで本題
高校1年生の時
自転車通学で毎日同じ道を通って通学するのですが
2校の男子校(現在は共学校)の前を通るんです。
通学だから毎日決まった時間に同じ人が通るわけで
その中に、
「とてもかっこいい男子」がいたのです。
毎朝、見る度
「すてき〜〜」
こっち見た!とかドキドキしながら毎日通学していました。
私は女子高だったのでその話を毎日学校でしていました。
友達は「そんなにかっこいいの?」と見に来るようになり、
友達の一人が
「飯坂電車で一緒の人だ」と判明。
乗車駅から名前まで分かるまで時間は掛かりませんでした。
そんな中、
相手だって毎朝、
ジーと見られるは、
女の子何人かで自分のことコソコソ話してるは
すぐ分かっちゃいます。
今で言うところの
「ストーカー」ですよね?
じゃ思い切って告白しよう
ラブレターを書き
毎朝、渡そうと歩道橋
(13号線の歩道橋階段)の下で待っていました。
それでもなかなか渡せず・・・
痺れを切らせた友達が
「はい」と彼に渡しました。
私はモジモジ・・・
昨日、私はトッぽかったと表現しましたが
それは20代になってから
それまでは、ごくフツー。
卓球(部活)に燃え、
音楽は
「かぐや姫」「オフコース」「NSP」
「長渕剛」「松山千春」とフォークが大好きでした。
友人がラブレターの返事が欲しいからと称して
デートを取り付けてくれました。
彼はラブレターを気に入ってくれたようで
「会ってもいい」と
信夫山公園でした。
ドキドキして何を話したのか?
その頃、既に165センチあった私の身長をかがめるように
ふりフリのワンピースを着て行ったのをよく覚えています。
(似合わねーーー)
ラブレターの中身は
自己紹介と好きな音楽と
「好きになりました。
あなたの事を考えると苦しくて夜も眠れません」と
それから日曜日毎に信夫山公園や川原デート。
彼もフォーク好きでラジカセ持参のデートでした。
彼は勉強ができる大人しいタイプで帰宅部
好きな女性のタイプは
「松田聖子」
私も頑張って髪を聖子ちゃんカットに
笑う時は
「ふふっ・・・^^」
上目遣いでニッコリする感じ
自転車も親に我侭を言って
ミニサイクルに乗り換えました。
ご察しの通り
そんなの長続きするはずない
初めは「猫かぶり」で良かったのですが
だんだん「地」が出てくると
彼は右斜め下
「君とは友達のほうが・・・」
あっさり振られちゃいましたもうやだ〜(悲しい顔)
その後、1週間というもの
彼と一緒に聞いた「オフコース」「因幡晃」を涙ながらに聞いていたのをよく覚えています。
それから10年経ち26歳の頃
私はたまたま東京出張で
新宿歌舞伎町でその彼と肩がぶつかりました。
偶然、それもお互いひとり
「あー」
相変わらず素敵だった。
医師になり横浜で開業したとの事。
「なんだかいい女になったねぇ〜」と彼
「そう?」と相変わらず猫かぶりな私
気がつくと私の方が、背が高い。
歩く時、ひざを少し縮めてました。
(これ相手に対する思いやり・・・)
じゃ一緒に酒でもと
とってもお洒落なバーに連れて行かれました。
行き付けなのか
カウンターに座り
指をパチン!と鳴らして
「ボクはテキーラ、君は?」
「・・・」
「じゃ〜この子にマルガリータを」ととってもキザな彼
わたしゃ頭(学力)がよくキザなタイプに弱い
この子とか
君はさぁ〜
なんて言われたら
もう・・・
おわり
追伸:これから鼓笛行ってきます。
おまけ:今日は懐かしいこの曲と
これ!この曲をどうぞ!
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『聖子ちゃんカット』@_@;
高校に進学してからのイメチェン(古い?)にはこんな訳があったのですね!
なんだかかわいいですね。
ちなみに・・・いまでも男子の好みは変わっていないのかしら?
私は筋肉質でプロレスラーみたいな方に弱いです(聞いてない?)
理想と現実は違うけれど・・・。
今日の日記もおもしろいかったです^^
書き込みありがとうございます。
聖子ちゃんカット
あの時代、流行りましたよね。
男性の好みは〜〜〜?
>私は筋肉質でプロレスラーみたいな方に弱いです、
じゃTNは好きなのかしら?
悲しいことがあったんだぁ〜
なんだかんだいってもみんな苦しみを抱えながら生きているんだよね。それは辛く苦しいものなんだよね。
でも、だからと言って
「私、最近腰が悪くって・・・」
「そう、私は膝が痛くて階段大変・・・」
「そうそう私が膝が痛かったときは・・・」
「私なんか腰も痛いけど胃潰瘍も・・・」
・・・と続くになってしまったら前に進むことができないんだと思う。
じゃあどうすればいいのか?考えてもどうしようもない時もあるんだけれど、
どんな状況でもその人が超えられるだけのものしか与えられないと言う話も満更うそじゃない気がする今日この頃です。
例えば、結婚は「する人が未熟だから結婚と言う試練を神様が与える」らしい。じゃ「しない人」はどうかって言うと神様が「そのままでいいから他の試練を」となっているらしい。(そわかの本引用)
いつでもってわけには行かないけれど何とか笑顔保ってやろ=!そんな時はいつでも呼んでね。
いつでも、笑顔にさせてあげられるかもしれないよ。
書き込みありがとうね!
私に頑張る勇気もらえるよ。