SCP-7565
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SCP-7565の芸術的描写

アイテム番号: SCP-7565

オブジェクトクラス: Uncontained

特別収容プロトコル: SCP-7565個体 — 生死問わず — を捕獲し、この種の更なる研究を進めることに主眼を置いた取り組みが行われます。この目標が達成されるまでは、SCP-7565の目撃報告が調査・研究の主要手段と見做されます。

説明: SCP-7565は中央アフリカの沼沢地や河川に生息する竜脚類恐竜の存続種です。現地住民に"モケーレ・ムベンベ"の名称で知られている当該アノマリーの目撃情報は、19世紀後半から、主に現地を訪れたヨーロッパ人探検家によって確認されています。多数の目撃例にも拘らず、険しい地形、人里離れた生息地、そして大柄な体躯と攻撃的な性格のため、生死を問わず標本が捕獲されたことはありません。

SCP-7565は例外なく巨大な生物として描写されており、しばしばアフリカゾウ (Loxodonta africana) の成獣と比較されます。SCP-7565個体は厚く、鱗を持たず、触れると柔らかい皮を有しており、ヘビ様の長い頸部があります。更に、尾部が極めて筋肉質なため、水中でも力強く動くことが可能です。前述した適応の多くはSCP-7565に固有の特徴であり、過去に確認された竜脚類、竜盤類、恐竜類には見られないもので、SCP-7565の特異な生態の結果として生じた可能性があります。

SCP-7565とその他の竜脚類恐竜の主要な相違点は、半水棲の生態であり、20世紀初頭及び半ばに多数の信頼できる情報源を通して報告されています。これらの報告 — 専らヨーロッパ人によるもの — はいずれも、SCP-7565が一日の大半を湖、川、または池の中で休息し、水中植物や草を食べていると述べています。この植物中心の食性は時折、肉によって補完されており、初期の報告の多くは、SCP-7565が現生人類 (Homo sapiens) を含む小型哺乳類を獲物と見做していると述べています。発見以来、SCP-7565の生息数は少ないままだと考えられています — 多数の大型哺乳類は生きるうえで大量のカロリーを必要とするため、仮にSCP-7565の大規模な個体群が存在する場合、コンゴ地域の別な生態系に及ぼす影響を通して即座に発見されているはずです。

補遺7565.1: 発見の歴史

アフリカ内陸部に巨大な爬虫類生物が生息しているという報告は、何世紀にもわたって続いていました。これらの初期の報告は、幻想的な要素の存在、物語の寓意的性質、複数の内部矛盾などが原因で、大部分が否定されました。従って、公式にSCP-7565個体として分類されるのは、1887年の夏、イギリス保護領ベチュアナランドにて、イギリス人将校 アルバート・モスがロンドン動物学会に送付した書簡の中の目撃談が最初となります。問題の文書が以下に添付されています。

ロンドン動物学会の親愛なる友人たちへ、

非常に重要な事柄について諸君に報告し、援助を仰ぐためにこの手紙を書いている。暗黒大陸の奥地で新たに発見された動物種の知らせもやはり驚くべきものであろうが、数百匹のカエル、地虫、鳥、コウモリなどは、今から語る話とは比べ物にならない。

私がこの地に到着したのはつい数ヶ月前である。カラハリに赴任することになると知った時、私は南部アフリカで大物狩りを望んでいた。しかし、我々が厳重に警備している金鉱の周囲に、アフリカの大型動物はほとんど生息していなかった。ガゼルやインパラ、そしてそれらを追い回すチーターが多少いる程度で、他はほとんど見かけない。私は初めのうち、これもイギリスの文明開化の光から遥か遠く離れた過酷な環境のせいだと理屈をつけ、その後二ヶ月というもの、家から持参した数冊の冒険譚でばかり頭を満たしていた。

己の勘違いに気付いたのは五月下旬、折しもアフリカの冬が始まる直前だった。同輩のジェイ・ウィルソンが、我々の駐留する北ベチュアナランドから僅か百マイルほどの場所が緑豊かな湿地であること、そして何より重要なことに、彼がイースト・ロンドンで聞いた話を教えてくれた。

彼はその沼地に生息する怪物、ノアの大洪水以前の遺物について私に語った。ヘビのように長い首があり、ゾウ並みの大きさを誇る獰猛な巨大爬虫類で、動物にも人間にも等しく脅威であり、生息地からほとんどの動物を遠ざけているという。当初は全く空想めいた話に思われたので、とても信じられなかったが、考えれば考えるほどそれは理に適っていた。石器時代からほぼ変わり映えしないこの大陸にしか、そのような怪物は生き続けられまい。話を聞いてから僅か三日後、私は自力で獣を見つけるべく北へと向かった。

この短命に終わった遠征の詳細は割愛させていただく。ウィルソン大尉が駐屯地に残っている間、私は道案内役の原住民二人を連れて北へ進んだ。そこに二週間滞在したのだが、その間、怪物を見ることは叶わなかった。私は意気消沈し、原始の爬虫類を捕まえることなどできそうもないと考えた。そう思いながら出立の準備をしていたところ、動物の叫びが — まだ私が知らない何らかの生き物にガゼルが襲われている物音が聞こえたのだ。急ぎ襲撃現場に駆け付けたが、着いた頃には血塗れのガゼルの頭部だけが残され、襲撃者は消えていた。

私をここまで導いた動物を見る機会を得たことに興奮しつつ、周囲を見渡した。それは既にかなり遠ざかっていたが、遥か彼方、オレンジ色の夕日の前に、私はようやくそれを認めた。それは巨大な、今までに見たどんなものよりも巨大な生き物で、とりわけ特異なのは、身体から伸びる、首らしき長い付属器官だった。沈む夕日に目が眩み、それ以上の細部は判別できなかった。私は愚かにもそれを撃とうとしたが、太陽が完全に丘の向こうへと沈む頃には、怪物は既に姿をくらましていた。

キャンプ地に戻った今、私はカラハリの彼方に生きるこの獣を捕獲する重要性を、諸君に伝えなければならない。これは今世紀最大の動物学的発見に繋がるのみならず、ローデシアとその天然資源の更なる探索によって、遂に南部アフリカでドイツ人に対する優位性を確立できるであろう。しかし、我々はこうした任務に自由裁量で費やせる人員と適切な資源の不足という難題に直面しており、諸君がそれらを提供してくれるのを期待している。

学会が本件を熟慮することを望みつつ、返答を待つことにする。

上に添付された書簡への返答は好意的なものであり、動物学会は当該生物の捕獲に多額の資金を投じました。アフリカ奥地への遠征が幾度も実施され、数十種類の新種が発見・記録されましたが、問題の生物については時折目撃される以上の証拠は発見されませんでした。イギリスの支配地域が北部へ拡張するにつれて、SCP-7565個体はザンベジ川の北方で目撃されるようになりました。

その後数年間、モス大尉の説明と似通った他の爬虫類型生物に関する言及が時折なされましたが、それらは概して動物の特徴や目撃地点の詳細が不明であったため、アノマリーの研究の役には立ちませんでした。この傾向は1898年、バーナード・ファスルが自らの著作 "アフリカの動物学"Afrikanische Zoologie でSCP-7565を次のように記述したことで打開されました。

ルアラバ川とルルバ川が合流する辺りで、コンゴ盆地は幾つもの深い沼沢地となり、その範囲は遠くローデシアにまで達する。この地で最大の動物相はカバでもサイでもなく、アフリカの他の地域では見られない大型の爬虫類である。森のピグミーたちは、その動物の強大な力、弾力ある皮、気性の荒さをゾウと竜の混血のようなものと語っている。ワニやトカゲの一種である可能性は低く、私には太古の偉大なる竜脚類恐竜であるように思われる。時の止まった大陸に相応しい。

上記の報告が切っ掛けでこの地域に注目した財団は、当該アノマリーの更なる研究に関心を抱くようになり、翌月には対象がSCP-7565に分類されました。1901年6月、コンゴ盆地への最初の本格的な財団主導遠征が、ドイツのKDPPAと合同で実施されました。何年にもわたって調査が続けられましたが、いずれもSCP-7565の捕獲という主目的を達成するには至りませんでした。

遠征タイムライン 出来事の概要 注記
1901年6月3日 – 11月5日 コンゴ盆地への最初の進出には、非協力的な自由国政府による遅延が生じた。ようやく領内に入ると、ガイドとして契約を結んでいたヨーロッパ人の探検家たちは、財団とKDPPAの連合部隊を率いて最近発見されたカタンガに向かったが、一際激しい雨季とマラリアの多発によって、何ら発見が無いままに帰還を余儀なくされた。 SCP-7565は目撃されなかった。
1903年1月12日 – 1905年2月2日 任務に際してベルギー人のガイド3名が雇われた。遠征開始から僅か数週間でムウェル湖の周辺地域に到着し、そこから複数の遠征隊が出発した。最初の成功にも拘らず、現地の攻撃的な動物が恒常的な障害となり、多数の遠征隊員がヒョウやワニの絶え間ない襲撃で重傷を負った。研究主任と雇われたガイド2名が奇跡術の事故で死亡したのが決定打となり、遠征隊員の大半は財団の管理下にあるサイトへと帰還した。 SCP-7565を描写したものと解釈し得る洞窟壁画が発見された。任務中に1本の"道"Wayが確立され、続く3回の遠征に用いられた。
1906年5月5日 – 6月7日 遠征隊は出発直後に撤退を余儀なくされた。イギリス人ガイド (トワ語とリンガラ語に堪能) が殺人、奴隷化、人肉食を引き合いに出して脅迫を行った結果、バングウェウル湖近隣の現地人が敵対的になった。逃走中、ガイドは道に迷い、脱水症状で死亡した。後年、財団所属の霊能者から接触を受けたガイドの霊魂は、この事件全体は単なる事故だったと主張した。 遠征隊が現地からの逃走に手一杯であったため、SCP-7565は目撃されなかった。
1906年9月23日 – 1907年3月11日 現地人たちとの友好的な関係が再び築かれた。この遠征は超常生態学的な重要性が知られている地域で行われた。物資が所定の安全基準値を下回ったため、遠征隊は最終的に帰還した。 遠征隊員の多くがSCP-7565の目撃を報告したが、現地人はSCP-7565に関する情報の共有に消極的だったようである。
1907年11月16日 – 1909年3月 物資を拡充し、多国籍ガイドチームの支援を得て、前回の遠征の目標を再度追求したもの。疾病による人員損耗率が高かった。SCP-7565の目撃報告が記録され、KDPPA及びエステート・ノワールのエージェントたちからも同様の報告があった。 SCP-7565の描写には多数の相違点があった。多くの遠征隊員はSCP-7565に1本の角と装甲状の皮膚があったと主張したが、背中に板が直立していたという目撃報告もあった。
1910年9月23日 – 1914年3月 遠征が行われた4年間、キブ湖からルアラバ川にかけての地域が頻繁に巡回されたが、過酷な天候と地形が調査を遅らせた。多数の遠征隊員がSCP-7565を目撃したと主張したものの、SCP-7565の死骸を発見した者や、捕獲に成功した者はいなかった。 SCP-7565は発見されなかったが、重要な鉱脈が多く発見され、現在まで財団が所有している。

第一次・第二次世界大戦と世界恐慌からの回復期を挟んだ結果として、その後30年間、更なる遠征は行われませんでした。SCP-7565の研究の最も顕著な進展は、ドイツ人大尉ルートヴィヒ・フライヘル・フォン・シュタイン・ツー・ラウスニッツが、赴任先であるカメルーンのジャングルに生息する大型竜脚類について記述し、SCP-7565の名前として"モケーレ・ムベンベ"に言及するという形で、ヴェールの外部からもたらされました。

第二次世界大戦の終結後、SCP-7565の死骸や生きた標本が一向に回収されないことを受けて、コンゴ盆地への財団主導遠征の回数と資金は大幅に削減されました。1978年現在もこの傾向は続いています。

更新、1985年1月10日

1980年代半ばから、SCP-7565研究の方針転換により、過去にSCP-7565の所在地を知っていると主張した、または顧客がSCP-7565の目撃談を報告した多数の現地人ガイドたちへのインタビューが実施されました。その多くは類似する内容を共有しているため、以下に最も重要なものだけが転記されています。関連性の無いデータは除去されています。

[記録開始]

「...」

「初めて"モケーレ・ムベンベ"について聞いたのは1954年頃でしたね。当時16歳だった私は、ガイドとして働いていたので近場の森を知り尽くしていましたが、ある日突然、予告も無しに仕事が舞い込んできたんですよ。ある夏の朝、10人の余所者をぎゅうぎゅう詰めに乗せた小さな川船が、私たちのささやかな町を訪れました。

彼らはそれまでも私たちの町に来たことがある類の余所者でした。大陸奥地を探検しようとする、白人9人と現地人のガイド1人の集団。両親から、そういう人たちはヨーロッパで戦争が起こる前はよく見かけたと聞いていました。ただ1つだけ、奇妙な点がありました。彼らの目的です。"モケーレ・ムベンベ"。」

「...」

「奇妙に思った理由は単純です。私たちは"モケーレ・ムベンベ"なんて動物を知りませんでしたからね。白人たちは地元の伝説だと言い張りましたが、事実は違います、大人も年寄りもそんな話を耳にしたことはなかったんです。名前だってチンプンカンプンですよ。もしかしたら何処か別な場所では通じるかもしれませんが、間違いなくここでは"川の流れをせき止めるもの"なんて意味じゃありません。

彼らがその動物について語った説明も、ここの動物とは似ても似つかず、ほとんど役に立ちませんでした。

それでも、彼らはしきりに、その動物の住処を案内してほしい、もっと詳しい情報を教えてほしいと頼んで – いや、実質的には要求してきました。私は早々とガイド役を買って出ました。彼らを黙らせて町の外に出させるためでも、楽して稼ぐためでもありました。」

「...」

「いや、何かに出くわすかもなんて不安はありませんでした。本当に怪物がこの辺に生息しているなら、まず彼らではなく私たちが気付いたはずです。そうじゃなきゃおかしいですよ。肉食動物やそれ以外の攻撃的な生き物を心配する理由だってありませんでした。その時期は町のハンターたちが盛んに活動して、そいつらを遠ざけてくれていましたから。

私が彼らを連れていったのは、町の北方にある小さな滝でした。普通は半日あれば着くんですが、彼らはぬかるんだ沼地を歩いた経験がなかったので、丸一日かかりましたよ。終いには、彼らは疲れ切って当初の目的を忘れてしまい、ただ町に帰ることばかり願っていました。もう深夜だからよした方が良いと忠告すると、その時ばかりは彼らも耳を貸してくれました。

翌朝、いよいよ帰路につくと、私は"モケーレ・ムベンベ"についてもっと詳しく訊ねてみました。実際、彼らが探している動物がどんなものか、とても興味があったんです。何百回も説明するよりはと、白人たちの1人が木の枝を折り、泥まみれの地面にシルエットを描いてくれた時点で、私はようやくその正体に気付きました。ブロントサウルスじゃないか! 父が数年前に町に持ち込んだ古いマンガで見覚えがありました。でも、私に言える限りでは、ブロントサウルスはこの辺りには生息していませんでした。」

「...」

「ええ、確かです」

「...」

「その後? まぁ、いったん町に戻ると、彼らは早々に下流へ去っていきました。少なくとも報酬は気前良くて、後から来た人たちのようにケチったりはしませんでした。

その日以降どうなったかという意味なら、簡単な話です。彼ら、つまり白人たちはどんどん押し寄せました。ほとんど毎年の恒例行事のようになりました。裕福な白人の宣教師や探検家気取りたちが町にやってきて、ガイドや、物資や、その他にも森林地帯の奥に分け入って"モケーレ・ムベンベ"を見つけるために必要だと考えるものを片っ端から求めました。2組目の捜索隊が来た時、私たちはまだ彼らが何を求めているか掴みかねていましたが、3組目が来るまでには既に事業全体の準備が整っていました。

彼らが訪れると、私たちは町民の中から何人かガイドを選び、ガイドは森を抜ける安全な道を案内しました。彼らが想像力を膨らませ、その動物を"目撃"するのに十分な景観が楽しめる道をね。この過程で特に大事なのが物語でした。数ヶ月前に練り上げたものであれ、その場でひねり出したものであれ、ガイドはでっち上げたご先祖さまとヨーロッパ人がでっち上げた怪物との戦いについて白人たちに語り聞かせました。

物語の内容は語り部によって様々ですが、どんな話をするかの決め手になるのは訪問者たちの反応でした。モケーレ・ムベンベは水中でしか生きられないのんびりした草食動物だという話を聞きたがる人もいれば、チャンスがあれば人間でも殺す危険な生き物の話を望む人もいました。どんな種類の人々にも、それぞれ相応しい物語があり、長年の訪問の中で洗練されていきました。

詐欺じゃありませんよ。少なくとも私はそんな風に考えてはいません。彼らは存在しないものを見たいと言ったので、私たちは存在するものを見せただけです。真実を説明しようとしても、彼らは全員耳を傾けませんでした。第一、彼らは別にアフリカで何かを見て学ぶために来るんじゃないんです。アフリカで何かを目撃したいだけです。」

「...」

「話を聞いていましたか? "モケーレ・ムベンベ"は実在しないし、過去に生きていたこともなかったんです。何処からそんな話が湧いて出たか知りませんが、私たちからじゃありません。この町でそれを本物だと正直に言うのは、まだ現実と作り話の区別がついていない子供たちだけです。」

「...」

「いちいち構っていられませんよ。」

[記録終了]

他の現地人ガイドからも同様の証言が得られていますが、SCP-7565についてのよく知られた信頼できる情報源と矛盾するため、信憑性の無いものとして扱われています。SCP-7565の調査は引き続き進行中です。

Footnotes
. 逐語的に"川の流れをせき止めるもの"の意。
. 南アフリカの都市。
. 独逸帝国異常事例調査局 (Kaiserliches Deutsches Prüfamt für Paranormale Angelegenheiten)
. コンゴ自由国は名目上は独立国家だったが、実際はベルギー国王レオポルド2世の私領地として統治されていた。
ページリビジョン: 3, 最終更新: 08 Sep 2023 06:46
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