SCP-3966-JP
評価: +122

クレジット

タイトル: SCP-3966-JP - Kiss My Keyhole鍵穴にキスしな
著者: aisurakuto aisurakuto Scarabaeus Scarabaeus
作成年: 2024

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あなたは人間の顔をしていないね、と言われた経験がある。

その言葉の意味がわからない、それが当時の私だった。あの頃は、本当に人間の顔をしていなかったのだと思う。失った部位も、大きな傷もない。相貌として異常はないにもかかわらず、部品の集合体のようだとしばし不気味がられた。

顔は顔だ。紛うことなき人間の顔だ。怯える理由が理解できず、不合理な反応に苛立ったのを覚えている。何一つ、論理的ではない。熱病のように走った情動に操られ、他人の顔を非難する方が人間として可笑しい。

人間は、人間のかたちをしていれば人間ではないか。理性という機能が備わっていれば、あらゆる人間は人間として存在していいはずだ。顔ごときで知ったような口を利くな。まるで鳥のように、心の中で喚き散らしていた。しかし振り返ってみれば、かつての私はやはり人間らしくなかったのだろう。

当時を思い出す度、私は記憶に刻まれたナンバーを思い出す。

SCP-3966-JP......それも改訂前の、危険な現象として観測されていた頃の報告書を。

閉ざされた空間の中、私は奴との接続を果たした。

そこでようやく、ハンク・トンプソンは人間になれたのだと思う。

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SCP-3966-JP
[死亡した職員の所持品から回収された画像]


アイテム番号: SCP-3966-JP

オブジェクトクラス: Keter

特別収容プロトコル: アメリカ合衆国ユタ州に位置する財団管轄施設12箇所には、突発的なSCP-3966-JP接続を抑制する機構が設置されています。機構内部に投入した小型昆虫や小動物の数量は常時計測され、減少していた場合はSCP-3966-JP接続が発生したと見なして記録します。後日出現する死体の回収により、SCP-3966-JP接続の発生を確定させてください。

現在、ユタ州からの人員の一時退避計画が進行中です。オブジェクト管理業務とそれに携わる職員は州外の施設に移管されることが決定しており、2018年12月01日までにすべての移管作業が完了する予定です。


説明: SCP-3966-JPは財団管轄施設と突発的に接続する、3次元ユークリッド空間です。アメリカ合衆国ユタ州を中心に発生するという条件を除き、接続の条件は判明していません。

建造物内に存在する生物が扉や窓など空間の境界となる建具を通過した際、SCP-3966-JPは建築物と接続します。通過により該当生物はSCP-3966-JPへと転移しますが、このとき空間の変化については察知できません。これは建造物からSCP-3966-JPへの変化を緩慢にしか認識できないためと考えられ、転移後しばらくが経過してから該当生物は空間の変化を認識します。

SCP-3966-JPの空間構造は、現代の標準的な建造物の内装に類似しています。空間は建造物の通路を明確に模した内部構造を持ち、柱や照明、警報装置なども統一された規格で配置されています。しかし現状、外部への開口部については発見されていません。回収された画像や映像では、同一の空間構造が際限なく続く様子が確認されています。生物の転移後、SCP-3966-JPと建造物との接続は断絶し、生物はSCP-3966-JPに幽閉されます。

SCP-3966-JP内部で生物が死亡した場合、死体は該当生物が存在していた建造物へ排出されます。排出の瞬間は観測されていませんが、建造物内で行方不明になった個体が死亡した状態で発見される事例が複数発生しているため、このように推測されています。死体には脱水や栄養失調などの症状が見られるものが割合の多くを占めますが、それ以外の死因により死亡している個体も一定の割合で確認されており、それらの死体には共通した症状が発見されています。詳細は後述の補遺を参照してください。

生物が生存した状態でSCP-3966-JPから帰還した事例は、数件を除いて確認されていません。

補遺3966-JP.01: 経緯

SCP-3966-JPは当初、財団管轄施設内部で生物が消失する現象として解釈されていました。

2017年02月21日より、ユタ州の生物収容サイトにて輸送中のラットや小型昆虫などが消失し、数日から数週間後に消失地点付近でその死体が発見されるという事例が相次いで報告されるようになりました。2017年04月12日には同様の事例がユタ州内の複数の財団管轄施設で発生していることが確認され、原因究明を目的に調査が開始されました。

2017年06月03日、研究チームの状況分析が完了し、1ヵ月に5件前後、扉や窓などの建具を通過する際に生物が消失しているという見解が提示されました。また、死体から消失の対象となる個体条件は特定できなかったものの、一度に複数個体の消失が必ず発生すると判明し、現象の回避に向けた輸送システムの開発が急務となりました。なおこの期間中に消失の対象となる生物は爬虫類やサル類を含むように拡大しており、現象が変化を伴うことが注視されていました。

2017年07月14日、ユタ州の実験施設にて、研究員2名が消失する事例が発生しました。施設内の移動中に2名は行方不明になったと見られ、6日後に死体となって発見されました。所持していた端末からは異常空間を撮影した映像が回収され、これによりSCP-3966-JPの解釈が改められました。また、2名の死体には特殊な症状が発生しており、これを契機として生物の死体が再分析されたところ、一定割合の生物が同様の疾患を死因としていることが発見されました。

財団はSCP-3966-JPを緊急性の高い事案と認定し、対処を優先的に進めるように指示を下しました。収容チームはSCP-3966-JPへの対抗手段として、小型昆虫や小動物などに建具付近を往復させる機構を設置し、SCP-3966-JPへの接続回数を飽和させることを提案しました。これにより消失現象の発生誘発に成功し、突発的なSCP-3966-JP接続は減少しました。同時にユタ州からの人員の一時退避が決定し、他地域の施設へ徐々に業務などを移管させる方針が採択されました。

しかし発生条件は依然として判然とせず、その後も職員の消失と死亡が確認されています。2017年08月28日には収容施設の改修作業に従事していた作業員2名が消失し10日後に死体で発見、2017年09月05日には地域中枢サイトに勤務していた技術職員2名が消失し6日後に死体で発見されています。このうち後者のみ、前述の疾患を死因としていました。

これらの発生事例から、SCP-3966-JPは同種の生物2体の幽閉を目的として建造物に接続すると推測されました。しかし、2017年09月17日には7日前に行方不明となった研究員ポール・ラドクリフが死体となって発見され、死体にも疾患の痕跡が確認されています。このとき、ラドクリフの死体には生存状態にあるマメコガネ(Popillia japonica)が付着しており、これがSCP-3966-JPから生物が生還した初めての事例と考えられています。なお、ラドクリフは所持していた端末に膨大な量のテキストデータを残しており、その内容はマメコガネに関する記述が全体の殆どを占めます。

補遺3966-JP.02: 分析

回収された死体のうち、脱水や栄養失調を死因としないものには以下の共通した特徴が見られます。

  • 死の前後における全身の急激な筋力低下
  • 激しい発熱や発汗など感染症に似た症状
  • 神経細胞の部分的な壊死

上記の分析結果は、小型昆虫を除いた死亡生物のすべてに該当しています。種に関係なく同様の症状を患った状態で死亡しているため、何らかの空間的作用を受けて身体の内側から発生したと推測されます。

また、ラドクリフを除いた人間の死者4名の死体はすべて衣服を着用していませんでした。SCP-3966-JPに転移する直前には全員が衣服を着用していたため、SCP-3966-JP内部で脱衣させられたと考えられます。

なお一部の死体にて、同時期にSCP-3966-JPへ転移したと考えられるペアに次のような症状も確認されています。これらの症状が観察された回数は数少ないものの、ペアに必ず雄が含まれている場合にのみ発生していることが判明しています。

  • ペアのうち、1体の死因は重度の内臓損傷である
  • 対となる雄1体は、その陰茎が抉り取られたように消失している

研究チームは現在、特定症状を発症しながらも衣服を着用していたラドクリフについて、マメコガネがSCP-3966-JPから生還した理由を含めて研究を進めています。ラドクリフが記述したテキストデータについても分析が進められていますが、マメコガネを主軸とすることを除いて内容が支離滅裂であるため、作業は難航しています。

補遺3966-JP.03: 音声記録

2017年10月02日、ネバダ州の初期収容施設に配属されていた研究員のハンク・トンプソン、D-1228の2名が施設内部で行方不明になりました。2名は同席していた研究員1名と警備員2名の付近で突如消失、実験設備の扉を立て続けに通過していたことからSCP-3966-JPへ転移したと判断されました。施設はネバダ州の東端に位置し、ユタ州と地理的な距離が近接していたため、SCP-3966-JP接続が発生したものと考えられています。

2017年10月06日、ハンク・トンプソンとD-1228は施設に帰還しました。消失時に実験の準備段階にあったため、2名は録音機能付きの無線機を所持しており、SCP-3966-JP内部での活動の一部が記録されています。

以下はSCP-3966-JP内部での音声記録です。

#1 - 2017年10月02日 [16:06:17]


トンプソン研究員: これより記録を開始します。私は生理学研究者のハンク・トンプソン。初期収容下におけるオブジェクトの実験中、空間転移現象に巻き込まれました。実験に同席していたD-1228も隣にいます。D-1228、発声をお願いします。

D-1228: [ため息] あぁ。俺はD-1228。実験室のドアを潜って、気付いたらここにいた。以上。

トンプソン研究員: D-1228の発言に補足します。オブジェクト被験者となるD-1228と一緒に私は実験設備に入り、彼の身体に計測機器を取り付けてから、私は戻って無線機で反応を確認する予定でした。なお、計測機器は別の研究員が運搬していたのでここにはありません。ドアをくぐって数分、私たちは歩き続けましたが、その間の記憶は曖昧で詳しくは覚えていません。おそらくこれは認識阻害の作用と見られ──。

D-1228: おい先生、悠長に喋ってる場合かよ。わけわかんねぇ場所に迷い込んでんだぞ?

トンプソン研究員: 平静を保つのが最優先です。ここで騒いで喚いても何も生みません。D-1228、理解できますか?

D-1228: わかってるから言ってんだろ。もうここに来て3時間が経ってんだぞ? なのに歩けど歩けど出口が見つからねぇ。もう少し危機感持てって言ってんだよ。

トンプソン研究員: 危機感なら持っていますよ。この空間内部に、出口が存在しない可能性はかなり高いと見ていいでしょう。

D-1228: なんでそう断言できんだよ。

トンプソン研究員: 私はこの空間に見覚えがあります。隣接するユタ州で確認されている異常空間とそこへの接続現象......その内部構造を写した写真と、この空間は非常によく似ている。いくら進んでも同じ構造の通路が続き、まるで迷路のように入り組んでいる。我々はSCP-3966-JPに入り込んだ。その推測が、私の中で確信に変わりつつあります。

D-1228: そのSCP-3966-JPってのは何なんだ? 俺が触る予定だったブツとは違うのか?

トンプソン研究員: 端的にいえば無限構造。出口はないものと考えられ、入ったら死ぬまで出られない。唯一の生還例はある男の死体に止まっていたコガネムシ1匹です。ちなみに、実験予定だったオブジェクトにアイテム番号はまだ割り振られていませんよ。

D-1228: じゃあなおさらなんで落ち着いてられるんだよ? ここに来たら死ぬってことなんだろ?

トンプソン研究員: 高確率で。人間は水分補給をしなければ数日で活動が困難となり、やがて死に至ります。数時間探索しましたが、この空間に水の代替物品は見当たらない。であれば、活動できるうちに活動しなければ、例え出口が存在していても辿り着けないかもしれない。D-1228、あなたはこの状況で何をしますか?

D-1228: [数秒の沈黙] 少しでも、手がかりを探す。

トンプソン研究員: では、そうしましょう。改めて、SCP-3966-JPと思わしき空間の記録を開始します。探索者はハンク・トンプソン並びにD-1228。以後、バッテリー節約のために報告すべき事項があるときを除いて無線機の電源を切ります。

D-1228: [小声] 合理主義のサイコ野郎が。

トンプソン研究員: どうも。同僚からもよく言われます。そのインカムのマイクは些細な声も拾いますよ。しかし、強盗殺人犯もサイコ野郎という文句を吐くんですね。

D-1228: ここでその喉を絞めてもいいんだぞ。

トンプソン研究員: それで脱出できるならいいんですがね。

#2 - 2017年10月03日 [01:37:42]


トンプソン研究員: 報告。転移から12時間が経過しましたが、未だに外部への開口部は確認できていません。代わりに我々以外の生物を発見しました。ラット2匹です。

D-1228: 死にかけてるけどな。

トンプソン研究員: そのようですね。容体を記録に残します。ラット2匹は並ぶように地面に伏せており、どちらも衰弱しています。呼吸も安定していませんね。

D-1228: そもそも何でネズミがここにいるんだよ? 並んでへばってるってことは元々この状態だったのか?

トンプソン研究員: いえ、プロトコルとして制定された転移抑制機構にいた個体でしょう。財団で広く使用されている種のラットです。扉の周辺を往復させるよう活動させていた個体が、職員やオブジェクトの身代わりとなってこの空間に転移したのだと思われます。

D-1228: 万全な対策とは言えねぇようだがな。

トンプソン研究員: まったくですね。ですが、少なくとも何らかの手がかりにはなるでしょう。 [数秒の沈黙] やはり、目視ではわからないことが多いですね。

D-1228: お前......触るつもりなのか?

トンプソン研究員: そうです。観察を通して、接触しても問題ないと判断しました。

D-1228: 本当だろうな、それ。

[しばらく、ラットの弱々しい鳴き声が続く]

トンプソン研究員: 2匹は雌雄一対。あまりにも体温が異常に高くなっています。そして触れられても逃げようとしませんね。身体を上手く動かせないのでしょうか。

D-1228: ウイルスか何かに感染してんじゃねぇのか? インフルエンザに罹った病人にも見えるぜ。この場所だって衛生的にいい環境とは呼べないだろ。何か菌を拾ったんだよ。

トンプソン研究員: そうだとしても、一切の抵抗を見せないのが少し不可解です。病体であっても暴れる仕草くらいは見せるはず。そういえば、SCP-3966-JPの報告書に記載がありましたね。飢餓や渇きで死亡していない個体に見られた特定の症状......これがその進行中の様子なのでしょうか。

D-1228: そんなもんがあんのかよ。そりゃなんだ、呪いかなんかなのか?

トンプソン研究員: 症状の発生原因は判明していません。そもそも、この空間についても情報がほとんどありませんから。脅威となる存在が徘徊している可能性すらあります。

D-1228: マジで言ってんのか?

トンプソン研究員: しかし、12時間経って遭遇しないのであれば考慮しなくともよいでしょう。最もその場合、条件を踏み抜いた者に降りかかる異常性......あなたのいう呪いめいたものと考えられますがね。

D-1228: その条件はわかってんのか?

トンプソン研究員: 何も。条件というのも仮定です。偶発的に発生するかもしれません。

D-1228: 何だよそれ......おい、そのネズミから他に何かわかんねぇのか?

トンプソン研究員: 身体から性器が露出したままになっていますね。

D-1228: [ため息] そんなことかよ。じゃあもう行こうぜ。

トンプソン研究員: えぇ。少し移動してから、今日は休みましょうか。

D-1228: [数秒の沈黙] なぁこのネズミ、触ってもいいんだよな。俺が持っていくよ。

トンプソン研究員: いいでしょう。ここがSCP-3966-JPと確定させるためにも、死亡の瞬間を捉えることは必要です。しかし、ウイルスやらインフルエンザやらと言っていたのに、よく触ろうという気になりましたね。

D-1228: わけわかんねぇ場所で苦しんで死んでいくんだろ、こいつら。触ってもいいんなら、死に際ぐらいは見届けてやった方がいいと思っただけだ。言っとくが、いつもネズミに同情するような人間じゃねぇからな。

トンプソン研究員: その理由についてはよくわかりませんが、先ほども言ったように構いませんよ。消失した時刻については、観察の後に記録しましょう。

#3 - 2017年10月04日 [10:53:16]


トンプソン研究員: 報告。転移から40時間が経過。回収したラット2匹の死亡は確認できず。転移地点からの移動距離は、概算──。

D-1228: そんな情報どうでもいいだろ! 目の前で起きてることをさっさと言えよ! [数秒の沈黙] マジでどうなってんだ? 普通じゃねぇよこんなの。ここがそうさせてんのか?

トンプソン研究員: 失礼しました。ありのまま、起きている状況を報告します。

[金切り声のような、何かが絶えず喚く声。同時に振動音も続いている]

トンプソン研究員: ニワトリが、激しく交尾しています。

[トンプソン研究員の無線機が音の発生源に接近したためか、
声は興奮状態に置かれたニワトリと同一と判別できるようになる。
途切れなく、両者の音声の裏側で鳴き続けている]

D-1228: 知らなかった。有精卵ってここまでやんなきゃできないんだな。

トンプソン研究員: いえ、これは [声がどもる] 明らかに異常です。どう考えてもおかしい。

D-1228: そりゃこんな場所でニワトリが盛ってたら異常に決まってるだろ。

トンプソン研究員: そういう意味ではなくて。交尾はこの際よしとしましょう。問題はその挙動です。

D-1228: 挙動って......オスがメスの上に乗って、そのまま動いてる。やかましいが、どこも不自然なところは──。

トンプソン研究員: 動物は喘がない。

D-1228: [数秒の沈黙] 何だって?

トンプソン研究員: 想像してください。野生下の動物が声を荒げながら性交しますか? ありえませんよね? 交尾ほど無防備な時間はありません。やかましく鳴き声を上げ、興奮状態に陥るなど身を危険に晒すに決まっている。第一、ニワトリの交尾に必要な時間はわずか2秒です。

D-1228: 短いな......あんたがやけに詳しいのも気になるし。

トンプソン研究員: 生殖に関する動物実験のため調べただけです。話を戻しましょう。大多数の動物の行為時間とは短いものです。イヌやヘビなど長時間まぐわう動物も存在しますが、身体構造以上の理由なくそれを長続きさせる意味はない。ニワトリに関していえば、オスの精子を体内に取り込んだ時点で交尾は中断されるはずです。

D-1228: つまり、ああしてニワトリが盛ってること自体、異常事態だっていうのか?

トンプソン研究員: 最初からそう言っているでしょう。過剰な喚き声と過剰な身体動作......まるで人間のように、性交で快楽を得ているように見えます。性交渉により快楽を感じる動物の研究は私も把握していますが、快楽で交尾を長時間継続するという話は聞いたことがありません。抜け落ちた羽根や噴いた唾の乾燥具合から考えて、これらの個体は1時間以上、交尾を続けています。

D-1228: 2秒で事を済ます動物が1時間も......おい、近づくなよ!

[複数のニワトリが激しく鳴く声]

トンプソン研究員: ダメですね。引き剥がそうとしても酷く抵抗します。交尾中、いや平時ならどんな状況でも見ない勢いです。

D-1228: 先生......こいつら、オスもメスもなんか目が虚ろだ。焦点が合わねえっつうか、両方の目がバラバラの方向を向いてる。正気じゃねぇ、俺にもわかる。何かに操られてるみたいな......ああっ!

[ひときわ鋭い鳴き声。
それから数秒して、悶絶するようなニワトリのか細い声が続く。
息の多く混ざった呼吸音がしばらく続いてから、鳴き声は完全に途絶えた]

D-1228: 倒れた。2羽とも。おい先生、そいつらどうしたんだよ?

トンプソン研究員: まだ生きていますが、間もなく死ぬでしょう。痙攣し、あまりに疲弊している。死因は腹上死、とでも言えるでしょうか。

D-1228: ふざけてる場合じゃねぇぞ、お前。

トンプソン研究員: ふざけていません。メスも死に瀕しているので腹上死という表現は不適当ですが......過剰な性交渉がこの症状を招いたと見て間違いない。性交による体内の物質循環が肉体を内側から崩壊させ、運動機能のブレーキが壊れたことで外側からも破壊された。なるほど......触れてみましたが、著しく発熱しています。以前回収したラットと症状は一致しています。

D-1228: じゃあなんだ、ここじゃセックスしたら死ぬっていうのか?

トンプソン研究員: おそらくは......D-1228、気を付けてください。ニワトリから離れて。

D-1228: はっ? え......あ、ああっ [以下、悲鳴]

[何らかの液体が波立つ音。ごぽごぽという空気の音が発生してから、やがてまた無音に戻る]

トンプソン研究員: 状況報告。床が液状化し、そこから液体が膨らんでニワトリ2羽を飲み込みました。そして床は元に戻ってニワトリは消失。たった数秒の出来事です。

D-1228: 何が起きたんだよ? あれがお前のいう、この場所の脅威ってやつなのか?

トンプソン研究員: そうではないと思います。おそらく......死んだから、回収された。この場所の条件に従って発生する現象でしょう。

D-1228: そうか......たしかに、近くにいる俺たちを飲み込みはしなかった。そんなもんの上に立ってると考えたら末恐ろしいが。 [数秒の沈黙] あぁそうだ、条件だよ条件。ネズミが引っかかった条件だ。セックスしなきゃああならなくて済むってことだよな?

トンプソン研究員: はい。あれほど明確に結果が出ているなら、断定してもいいはずです。

D-1228: なら、少し安心できた。不意に引っかかるもんだったらどうしようかと思ってたが......セックスなら問題ないな。何をどう間違えても、するはずがない。そもそもできねぇし。ニワトリのやつらは気の毒だったが。

トンプソン研究員: それについてですが [沈黙] すみません、D-1228。探索の前に、少し時間をください。整理しておきたいことがあるんです。

D-1228: 構わないが、何を考えるんだ? 一つ情報を手に入れただけだろ?

トンプソン研究員: 私はこの空間......SCP-3966-JPについての報告書を読んでいます。それを踏まえると、気がかりなことがありまして。何にしても、のちほど共有します。少し休憩にしましょう。


2017年10月04日 11:00前後、ユタ州のサイトにてニワトリの死体2体が回収されています。該当個体はこの記録で死亡した個体と判断されています。

#4 - 2017年10月04日 [14:06:32]


トンプソン研究員: 記録を再開。先ほどの現象に自分なりの結論を出すことができたので、D-1228と共有の上でその推測を話したいと思います。

D-1228: なんなんだよ推測って。ネズミやニワトリがああなった原因は、この中で盛り始めたからなんだろ? 出口に繋がる情報じゃなかったけどよ、少なくとも俺たちが病死する危険はもうないわけだ。早く出発して出口を探した方がいいだろ。

トンプソン研究員: そこです。この空間に、特定座標に固定された出口はやはり存在しないと私は考えます。

D-1228: 何でそうだってわかるんだ?

トンプソン研究員: あなたも見たでしょう? ニワトリが床に引きずり込まれていくのを。条件を観測して開口部を発生させる性質が、この空間には備わっている。言い換えれば、性交をした存在と性交していない存在を選別しているわけです。

D-1228: それはそうだろ。

トンプソン研究員: その状況下で、もし引きずり込まれた先に空間の出口があったとしたらどうでしょう。空間を歩き回っても出口には辿り着けないはずです。

D-1228: はぁ? それはお前の勝手な想像だろ?

トンプソン研究員: いいえ。SCP-3966-JPの報告書では、この空間で死亡したと見られる生物の死体は元々いた施設にて発見されています。死ねば出られるのは、ああして死体が空間から排出されるから。逆にいえば、死なない限り出られはしない。空間の中に出口はありませんからね。最初から可能性として考えてはいました。このような閉鎖空間のオブジェクトに共通する特徴だからです。

D-1228: なんだよそれ! [数秒の沈黙] そうだ。だったら別の生き物が死んだときに、あの沼みたいなもんに向かって飛び込めばいい。それなら万事解決だろ。

トンプソン研究員: あの現象をよく観察していましたか? 床から生じた液体はニワトリだけを的確に飲み込んだ。穴は死亡した生物程度の大きさしか開かない。現象として我々の脱出を許容するかすらわかっていない状態で、別の生物が死亡したときの穴に頼ることはできません。しかも、死体を無理に掴んで出ようとすれば、身体が引き裂かれる可能性があります。

D-1228: なんでそう言い切れるんだ。

トンプソン研究員: SCP-3966-JPで死んだと思わしき死体の中に、身体の一部が千切れたものがありました。片割れが死亡して転移する際に巻き込まれたのだと思います。故に飛び込むべきではありません。

D-1228: ちなみに何が千切れてたんだ?

トンプソン研究員: 陰茎です。

D-1228: ああ、そうか。 [数秒の沈黙] で、どうするんだよ。死んでここを出ろっていうのか?

トンプソン研究員: そうは言ってません。死を迎えず、この空間に出口を開かせる方法がある。まだ推測の段階ですが、それを見つけました。D-1228、私の話した唯一の生還例について、覚えていますか?

D-1228: 生還例......? ああ、そういや話してたな。まさか、その生還の理屈がわかったのか?

トンプソン研究員: はい。ある研究員......ラドクリフ、と必要なので名前を明かしましょう。その死体に止まっていたコガネムシが現在確認されているSCP-3966-JP唯一の生還例でした。財団としてもその謎が解けないままでしたが......先の現象を見て、すべて繋がりました。

D-1228: そうなんだな! よくわからねぇが......何をすればここから出られるんだ?

トンプソン研究員: 性交渉です。

D-1228: [数秒の沈黙] それは、だって......お前、ヤケになったのか? セックスが死を招くのを見たばかりだろうが。それにコガネムシ1匹じゃするもんもできねぇだろ。

トンプソン研究員: そこです。生還したコガネムシは身体接触を伴う性交をしていません。そもそも、性交の対象になったことにすら気づいていないでしょう。

D-1228: 何が言いたい? セックスしてないのに、セックスしてるってのか?

トンプソン研究員: そうです。順を追って説明します。そもそも私がこの結論に至ったのは、ラドクリフが遺したテキストデータを読んでいたからです。服に止まっていたコガネムシとともに扉をくぐり、SCP-3966-JPへ転移した哀れな男は、所持していた端末に膨大な量の文字を打ち込み、そのまま症状を発症させて事切れた。公開情報だったので、報告書からテキストデータ全文を閲覧しましたが......あれは二度と読みたくない。

D-1228: おいおい、何が書いてあったんだよ?

トンプソン研究員: 官能小説。

D-1228: [沈黙と、言葉にならない困惑の声]

トンプソン研究員: そうとしか表現できない内容でした。視点人物は自分、そしてコガネムシをセックスの対象として100KB濡れ場が続きます。文字数にして約10万字ですね。艶やかな背と細い腕、産毛に至るまで、緻密な描写で己の愛を書き綴っていました。最も、単語も文法もシーンの連続性もすべて崩壊していて、到底読めたものではありませんでしたが。

D-1228: なんでそんなもんを。

トンプソン研究員: 極限状態に陥り、気が狂ったのでしょうね。あまりの孤独と回避できない死に発狂し、自分にくっついているコガネムシが愛おしくなってしまった。直接的な接触では吐き出せない巨大な愛を抱え、吐き出すために創作行為に走ったのでしょう。ここで重要なのは、ラドクリフが変態になったことではありません。

D-1228: 他に何があるんだよ。

トンプソン研究員: 小説の中で描写されたキャラクターです。ラドクリフは本人を登場させているのに対し、コガネムシはそれをモデルとした架空の人格で書かれている。ラドクリフとしても、感情のないコガネムシと性交はできなかった。というより、相思相愛という設定でシーンを書くなら、その存在を実態から捻じ曲げなくてはならない。実際、コガネムシはコガネムシの特徴を持った人型の何かとして描写されていました。名前まで付けられて。

D-1228: 本人と、本人を元にした別人が小説の中でセックスしたってことか?

トンプソン研究員: その通り。結果、ラドクリフは症状を引き起こし、コガネムシは生還した。おそらく、殺害対象は「架空の人格」へと移り、排出対象は現実にいるコガネムシになったという、標的の分離が発生したと考えられます。「架空の人格」は結局架空ですから、コガネムシ本体は何の被害も受けずに元の場所へ戻ったのです。非常に不可解ですが、この現象の手がかりとなるラドクリフのテキストに基づくなら、そうした結論を下さざるを得ません。

D-1228: 小説の中のセックスも条件になんのかよ。恐ろしい話だな。

トンプソン研究員: それは少し違いますね。小説そのものではなく、執筆時点でのラドクリフの感情の高ぶりが性交選別の基準を超えたのだと思います。選別が行われる際にセックスをしていたのはラドクリフとコガネムシの架空人格で、故にラドクリフだけ死亡した。どちらにせよ恐ろしいのは同じですが、ここに我々の突破口があります。

D-1228: 何だよ、突破口って?

トンプソン研究員: ヴァーチャルなセックスです。

D-1228: [数秒の沈黙] 何を言ってんだ、お前。

トンプソン研究員: つまり、身体接触なく我々の架空人格同士を性交させられれば、SCP-3966-JPの誤認識を引き出して安全に脱出できるということです。半ば賭けですが、あてどなく彷徨い衰弱を待つより余程いい。ただ、問題があるとするなら──。 [沈黙]

D-1228: どうしたんだよ、急に黙って。

トンプソン研究員: 私に、性的な知識がないことです。身体接触なく、この限定された状況で「ヴァーチャルなセックス」を実行する方法が私にはわかりません。そもそもセックスとは身体接触を必要とします。私の提案はセックスの根本原理と大きく矛盾しています。

D-1228: お前が言い出したんだろ。

トンプソン研究員: ですからあなたの力を借りたい。D-1228、あなたは何か知りませんか。そうした方法を。

D-1228: 俺を何だと思ってんだ。 [長い沈黙] けど、知らないわけじゃねぇ。

トンプソン研究員: 本当ですか? 一体どんな方法なんです?

D-1228: コンピュータセックス。知ってるか先生、受話器が2本あれば人間はセックスできるんだよ。その方法をこれから教える。一旦記録を止めるぞ。

#5 - 2017年10月04日 [17:32:47]


トンプソン研究員: 記録を再開。D-1228から一通り、コンピュータセックスについての講義を受けました。何というか、世の中は私が思っていたよりも低俗なのですね。通信にも使用料が発生するというのに、それを実益のない疑似性交に費やすなど考えたこともありませんでした。

D-1228: ラプンツェルじみたこと言ってる場合じゃねぇだろ。お前は今からそれをやるんだよ。

トンプソン研究員: あなたと、ですか。 [ため息] 了承していますが......できれば想像もしたくない出来事ですね。

D-1228: 俺もだよ馬鹿野郎。お前だけが被害者面してんじゃねぇって。お前みたいなサイコ野郎、金を貰っても抱いちゃいねぇよ。

トンプソン研究員: あなたの不満も十分に了解しました、無線機のバッテリーが切れないうちに始めましょう。この脱出計画の要なのでしょう?

D-1228: あぁ。脱出計画について、改めて俺から説明する。その前に、コンピュータセックスについて話しておく必要があるか。これで説明は3回目だが......コンピュータセックスってのは、文字通りコンピュータを介したセックスだ。普通はパソコンを使ってやる。俺がやってたのはテキストチャットで、互いに文章を送り合って、こう......促進するんだ。

トンプソン研究員: 促進?

D-1228: お前は聞き流せよ。 [舌打ち] 性的な感情を、促進だ。自分の状態を伝えて、メッセージ上で相手にも触る。正確には、触ってるみたいなロールプレイをする。そうやって互いに架空のセックスに浸るのがコンピュータセックスだ。それをこの場で再現する。

トンプソン研究員: ここにコンピュータはありません。ですが都合のいいことに、通信機が2機あります。身体接触せず、遠隔的でなくてはならないという状況はこれで再現可能です。

D-1228: そもそもそこまで遠隔にこだわるのは何故かって話だが......互いを認識しない状態を作りたいって話だったか。どれだけロールプレイをしようと目で見て話せば、「架空の人格」と同一視してるって判定を食らいかねない。だから視覚情報を絶つ。そうだよな、先生?

トンプソン研究員: はい。すべて推測の域を出ませんが、実行するならリスクは減らしたい。あとは、「架空の人格」を作る際に没頭が必要だと考えられるからですね。D-1228、あなたのいうコンピュータセックスにおいては、互いをハンドルネームで呼び合うのが慣習なのですよね?

D-1228: そうだ。まぁ、だいたい顔も本名も知らない奴を相手にするしな。

トンプソン研究員: この計画では、そこを利用します。まず、私とD-1228に「架空の人格」を設定。これでSCP-3966-JPの殺害対象を「架空の人格」に移動させます。それからコンピュータセックスをして、性交条件を満たす。空間の誤認識を引き出すことができれば、我々はここから脱出できるはずです。

D-1228: 仰々しいな。別々の人間を演じて、ロールプレイのセックスをするって言えばいいだろ。

トンプソン研究員: そう言いたいですか?

D-1228: いや...... [咳] とにかく、始めるぞ。あんたが設定するハンドルネームを教えてくれ。俺は【メニー】だ。

トンプソン研究員: やけに可愛らしい名前を使いますね。

D-1228: うるせぇな、昔からこれ1本なんだよ。お前は?

トンプソン研究員:Aエー】、あるいは【01ゼロワン】。

D-1228: この期に及んでディストピアごっこか? 無機質すぎるだろ。

トンプソン研究員: 適した名前を何も思いつけなかったんです。仕方がないでしょう。

D-1228: この、お前......俺が呼びづらいんだよ。俺が呼びやすいように呼ぶ。【ワン】でいいな?

トンプソン研究員: はい、構いません。

D-1228: じゃあ始める。既に距離を取っていて、姿は見えないし直接の声も届かない。問題がないなら無線機に意識を集中させろ、ワン。

トンプソン研究員: はい。


[3分: 無言]


トンプソン研究員: どうしました? 始めないんですか?

D-1228: いや、俺も進め方がわからなくて。声でロールするのは初めてで。先生......じゃなくてワン、お前......じゃなかった、君は、どんな人間なんだ?

トンプソン研究員: 好きに設定してもらっていいですよ。

D-1228: そういうことじゃねぇよ。ここで自分から喋るからいいんだろうが。

トンプソン研究員: 理解に苦しみますが......私はワン。身長は165cm。瞳は青で、金色の髪。メニー、あなたとは初めてここで会った。楽しい時間にしましょう。

D-1228: そうそう、それだよ......そうだなワン、俺も楽しみたいと思ってる。俺はメニー、身長は172cm、目の色と髪は両方とも茶髪だ。なぁワン、手を握っても?

トンプソン研究員: どうぞ。

D-1228: ありがとう。うん......意外と柔らかいんだな。

トンプソン研究員: そうなんですね。

D-1228: あぁ......まぁ、手を握ってれば違いはわかるから。 [数秒の沈黙] なぁ、もっと近づいてもいいか。

トンプソン研究員: どうぞ。

D-1228: ありがとう。こうやって距離が近くなると、もっと君を知りたくなってくるよ、ワン。

トンプソン研究員: ありがとうございます。私に教えられることなら教えましょう。

D-1228: [沈黙] ワン、いや先生。ちょっといいか。

トンプソン研究員: D-1228、ちょうどこちらからも共有事項がありました。先ほどの会話の影響か、数cm程度ではありますが、空間にノイズが発生しました。突発的現実改変などの前兆として見られる現象です。やはりこの方法を使えば生きたまま帰還できると──。

D-1228: その機械みたいな口調、どうにかならねぇか?

トンプソン研究員: 機械? 私の口調がですか?

D-1228: 正確にいえばワンの口調だけどな。もっとこう、相手に寄り添った言い方にしろよ。言われたことに返事してるだけだぞ。聞いててまるで興味がないみたいに思える。

トンプソン研究員: そうでしょうか。私は最大限、演じていますが。

D-1228: そのロールプレイ意識も捨てとけ。続けるぞ。


[12分: 性交渉直前に交わされるものを想定した会話]


トンプソン研究員: 一向に空間からの反応がありません。先ほど前兆は確認できたのに、それに続く現象が発生しない......疑似性交としての精度が低い?

D-1228: だろうよ。まだメインシーンに入ってないのも大きいと思うが......先生、あれじゃダメだ。

トンプソン研究員: 何がダメだというのですか?

D-1228: 返しの台詞にムードがない。2人で会話を楽しもうって気概がない。これじゃいくら続けても、例え本格的な部分に入っても虚しいだけだ。少なくとも俺は、こういう状況になった嫌悪感以上の何かを感じられなかった。

トンプソン研究員: 私としても協力しているつもりです。これが帰還できるか否かにかかっているのですから。あなたの感情は知りません。性交の条件をただ満たせばいい。

D-1228: [沈黙] お前、俺をまだ「使ってる」つもりか?

トンプソン研究員: どういう意味です?

D-1228: そのままの意味だよ。まだ俺を実験動物だと思ってんじゃねぇかってことだ。当然だろうよ。Dクラス職員って役職は実験動物だからな。でも、この状況まで来てそれじゃ生きて帰れねぇよ。

トンプソン研究員: もし財団全体のDクラス職員への扱いを批判しているのであれば、その認識は誤りです。倫理委員会によりDクラス職員の待遇は管理されています。不満があれば、管理官を伝ってサイト上層部へ──。

D-1228: 待遇の話なんてしてねぇ。第一、ここから帰れても俺が生き続けられるかは怪しい。お前が実験で得体の知れない道具を触らせようとしたみたいに、お前らが抱える最大リスクを背負わされるんだからな。思い返せば、俺が元いた場所に帰るメリットはない。俺はお前とセックスを再現するための道具でしかない。

トンプソン研究員: そこまで悪辣に捉えられては困ります。私こそ生き死にがかかっているから、できる範囲で歩み寄って──。

D-1228: なら、あの冷めた態度はなんなんだよ。

トンプソン研究員: うるさい、うるさい...... [叫ぶように] お前も、私が人間の顔をしてないって言うのか?

D-1228: [狼狽する声] そこまでは言ってないだろ。いきなりどうしたんだよ。

トンプソン研究員: [呼吸音] 失敬。頭を冷やします。しばらく、自由にしていてください。

#6 - 2017年10月05日 [22:48:21]


D-1228: 先生? 生きてるか?

トンプソン研究員: はい、問題ありません。

D-1228: よかった。別になんてことはない報告なんだけどさ、今日ネズミが2匹とも死んだよ。暴れることなく床に飲み込まれていった。あんなに死にそうだったのに、なんでだろうな。2日も持ち堪えたんだ。

トンプソン研究員: そうですか。それは [数秒の沈黙] よかったですね。

D-1228: あんたにもそういう人並みの優しさがあったんだな。

トンプソン研究員: 人並みの優しさとは、人間なら誰でも持っていて当然のものです。私がそうだなんて、とても言えない。

D-1228: 「人間の顔をしてない」って話か?

トンプソン研究員: [沈黙] えぇ。

D-1228: なぁ先生。クールタイムには十分だ。顔を合わせてくれる必要はない。この通信機越しの会話でいい。そろそろ、いいだろ?

トンプソン研究員: 何がですか?

D-1228: 話してくれよ。お前に昔、何があったのか。

トンプソン研究員: とても個人的な話です。話して価値のある話だとは思えない。

D-1228: お前だけで判断するなよ。俺が考えるに、お前のいう個人的な話がコンピュータセックスの没入感に関係してると思うんだ。はっきり言い表すなら、他人との距離感の話とでもいうべきか。

トンプソン研究員: そうでしょうか。

D-1228: 当たり前だ。お前、セックスを肉体的接触だと思ってんだろ。そうだ。そうだけど、その身体の触れ合いで影響が出るのは心なんだよ。逆も然りで、ぎくしゃくした関係のセックスなんてのはまったくもって入り込めないわけだ。

トンプソン研究員: はぁ。

D-1228: 先生よ、童貞なんだろ? セックスの台詞が全部ぎこちなかったからな。でも単なる童貞じゃない。それ以上に......なんか、やたら他人と距離を置いてる気がする。俺が関わった他の職員はもっと人間らしかった。秘密結社だから機械的ってのは、ステレオタイプじみてるもんな。だったらお前自身に何かがあって、そんな冷めた性格になったんだろっていうのが俺の推理。

トンプソン研究員: どうしても、話さなくてはいけませんか?

D-1228: お前がここから出たいなら。言ったろ、関係性が大事だって。お前が人間に歩み寄れる状態じゃなきゃ、コンピュータセックスで本物のセックスを再現するに至れない。引っかかってる障害を取っ払わなきゃならないんだ。だから、教えてくれよ。聞き手にはなってやる。

トンプソン研究員: [沈黙] 私がこの空間から脱出したいのは、さらに詳細な情報を持ち帰るためです。財団の損害を減らし、オブジェクトに翻弄される状況から解放されるために。そのためなら、いいでしょう。私が話したくて、話すのではない。

D-1228: 立て付けは何だっていい。

トンプソン研究員: [呼吸音] 大学院生の頃です。当時、私は大学で順風満帆な研究者生活を送っていたと思います。優れた施設、志の高い仲間。このままいけば上流の人生を歩めるだろう。気恥ずかしいエリート意識に囚われていました。だからこそ、劣等感に苛まれていたんです。

D-1228: 何にだよ。自分で順風満帆って言ってんのに。

トンプソン研究員: 恵まれているからこそですよ。欠けた部分を埋めたくて仕方がなくなる。他と比べて私には足りないものがありました。恋人です。大学の研究者たちにはそれぞれパートナーがいて、人間として立派な生活を過ごしている。セックスしている。それが欠けている私はどれだけ研究を進めようと、先には行けないと思いました。

D-1228: 人間としてってことか?

トンプソン研究員: えぇ。

D-1228: くだらねぇな。

トンプソン研究員: えぇ。ですが、私は重く受け止めていたんですよ。恋愛という儀式を通過しない限り、私は絶対に一人前になれない。そういった意識がね。そこから脱却し、家庭を持って、他に誇れる世間体を身につける。まず恋人を獲得しなければ、いつまでも幼稚な人間のままだ。そうした焦燥に駆られました。

D-1228: 誰だってそういう時期はあるもんだ。

トンプソン研究員: でも私は遅れていた。周回遅れで、それだけ劣ってる。早く逃げ出さなければ、というふうに。だから私は、1人の女性に狙いを定めました。隣の研究室に通う大学院生です。食堂でも顔を合わせるので、上手く交流を持ちかけました。彼女は人が良くてね。私でも笑って受け答えしてくれました。

D-1228: よほど変な人間じゃない限り、普通はそうだろうよ。

トンプソン研究員: そうかもしれません。目的意識を持って接近する人間でも、体面上は受け入れてくれる。はっきり言います。私は彼女に固執していました。どうすれば彼女を恋人にできるか、どうすれば私が先に行けるのか。アプローチをしました。一緒に出掛けることもしました。彼女との距離を詰める、ただ追い縋る目的で。好意など端からなかったと言っていい。夫婦になったと仮定した場合、世間のお眼鏡に適う。それだけの理由です。

D-1228: そうかい。

トンプソン研究員: レストランで食事をしているときでした。店の雰囲気も食の好みもすべて彼女に合わせ、ここを乗り切ったら告白しようと考えていました。これで恋人ができる。行き詰まりを解消できる。しかし、その望みは叶いませんでした。

D-1228: 振られたのか?

トンプソン研究員: それ以前の話ですよ。食事の途中で言われてしまいました。「あなたは人間の顔をしていないね」と。意図を掴みかねて固まりました。硬直する私に彼女は続けます。嬉しいはずなのに、自分の気持ちがないみたいだった、と。ただ淡々と結婚をするための事前準備を整えて、自分の意思は無視されているようで。あなたとそうした関係にはなれない、と優しい声色で伝えてくれました。

D-1228: ま、そうなるだろうな。

トンプソン研究員: ですが、私は憤慨しました。ここまで徹底したのにどうしてそんなことを言われなきゃならないんだ、とね。ただ後から振り返ってみれば、彼女の方が正しかった。私は彼女を踏み台にして、社会的な立場を獲得しようとする卑劣な男でしかない。通過儀礼をさっさと済ませようと、相手の感情など微塵も考えてはいなかった。それだけのことをしておきながら、彼女の口調は丁寧でした。人間の顔をしていない、とは直接的にならないように詩的な言葉を選んだのでしょう。私に根付いた問題点を伝えるために。

D-1228: どうだろうな。突き放すための言葉にも聞こえる。

トンプソン研究員: 真意は誰にもわかりませんよ。たしかなのは、私はそういう他人を利用して生きようとする奴だということです。人を人と思わず、交友すら食い物にする。自分がその種の人間と知って、私は世に溶け込むのを諦めました。人は変われません。変われないなら、せめて他人に迷惑をかけないよう、他人との接続を絶たねばと思った。

D-1228: それでその合理主義の出来上がりか。

トンプソン研究員: そうです。実際、無理に他人と交わろうとするより何倍も楽でした。財団の雇用の誘いを受けてからも、他の研究員からは不気味がられましたよ。表情が特に固いらしく、やはり人間らしくないそうです。知ったことか。顔は顔だ。人間の顔だ。何一つ、論理的ではない。理解などいらない。それが私なりの配慮です。

D-1228: そうか。それだけか。

トンプソン研究員: はい。大した話ではなかったでしょう?

D-1228: まぁな。でも、人間の悩みなんて大なり小なりそんなもんだ。だけど、お前はそのちっぽけな悩みを解消できてない。だったら、それは十分に大きな悩みなんじゃないか?

トンプソン研究員: 私個人の悩みであればね。しかし私が犯したのは一人の女性への粘着行為です。何の罪もない人の心に、無責任に取り入ろうとした。単なる社会的成功のために。こんな身勝手な人間が悩みなど抱えていいわけがない。

D-1228: だから、誰だってそういう欲はあるっての。 [数秒の沈黙] お前、全然身勝手じゃねぇよ。むしろ、真面目すぎんだよ。

トンプソン研究員: 慰めですか、それは。

D-1228: いいや。あー、どうだろな。慰めも入ってるかもな。何にしてもだ、まずお前がいけ好かないエリート野郎なのは間違いねぇよ。社会だの世間だの散々のたまいやがって。セックスしてる全員がそれでやってると思ってんのか? 普通に性欲だよ性欲。そんでお前の社会も世間も、全部性欲の言い訳だ。

トンプソン研究員: 面白いことを言いますね。

D-1228: うるせぇ、三大欲求様を舐めるなよ。妥協でやるセックスは気持ちよくないってさっき言っただろが。童貞のお前に教えてやるけどな、身体で感じる快楽なんて存在しねぇよ。ただただ疲れるだけだあんなもん。だから俺は最終的にコンピュータセックスに辿り着いたんだよ。過剰に疲れない、金もいらないでいいことづくめだ。

トンプソン研究員: そうですか。それでもセックスから頭が離れないんですね。

D-1228: そりゃな。別にアルコールでも何でも、他に娯楽はあるんだよ。でもセックスは人間がいないとできない。俺が動けば相手が反応を返す。その愛おしさを俺は楽しんでた。通信上でも、言葉が通じれば同じ高揚は体験できる。そっちに逃げたのはそういう理由からだな。

トンプソン研究員: あなたにも逃避の経験があるんですね。

D-1228: 何かと嫌になることも多くてな。騙されて裏切られて無心にされて、人って生き物が信じられなくなった。それでも何か、人と繋がることからは逃げたくなかったんだ。これも性欲の言い換えなのかもしれねぇけど。

トンプソン研究員: なぜです? なぜそこまでして、人と関わろうとするんですか?

D-1228: 何でって...... [沈黙] 気の合う奴は、いないよりいた方がいいだろ? 単にそれだけだ。男でも女でも、好きなもんで盛り上がれたら楽しい。そうやって付き合っていく中のふとした瞬間に、こいつともっと深い関係になりたいって欲が出てくる。交わるのは手段でしかない。

トンプソン研究員: それまで待てと? 他が人として成長するのを見送って?

D-1228: そりゃそうだろ。必要ないなら、付き合いたくない奴と付き合わなくていい。他人なんて知らねぇ。誰だそれ。もし不安なら無理しない範囲でやればいいんじゃねぇの。そのうち、無理なくセックスできる人間が出てくるだろ。そしたらフィーリングを合わせればいい。

トンプソン研究員: 随分と適当なプランですね。

D-1228: セックスする計画が綿密だったら引くだろ?

トンプソン研究員: [笑い] そうですね。

D-1228: お前、ようやく笑ったな。こんだけ過ごして、初めて笑った。

トンプソン研究員: あなたがそこまで考えているとは思わなくて。素を見せても問題ないと判断しました。私はあなたを、ただ暴力的な人間としか見ていなかった。

D-1228: Dクラス職員ってのはそういうもんなんだろ? 強盗と殺人はやってるんだからその対応でいい。

トンプソン研究員: あなたはたしか......長期懲役のところを司法取引で職員雇用されたのでしょう?

D-1228: あぁ。

トンプソン研究員: 答えなくても結構ですが、何をしたのですか? ここまで話した限りでは、とても理性的に見えますが。

D-1228: [沈黙] 久々にコンピュータセックスから離れてできた恋人と、浮気相手を殺した。やってたんだ、俺のアパートで。しかも俺が贈ったリングを、あいつその男に渡しててよ。気がつけば殺してた。なぁ知ってるか、俺が買って贈ったリングを盗って逃げたら強盗殺人らしいぜ。まぁ、俺も軽犯罪の前科はあったからよ。検察の主張がほとんどそのまま通っちまった。でも、人殺しにはこれでいいんだろ。なんかSF映画みたいな組織にも拾われたしな。

トンプソン研究員: [沈黙] そうでしたか。失礼しました。

D-1228: いいんだよ、別に。落ち着いて誰かと話せたのはあんたが久々だったぜ、先生。あんただって、悪い人間じゃないんだろ?

トンプソン研究員: どうでしょうか。私が悪いか悪くないかは、わかりません。ですがたった今、あなたという人間のことだけは否定したくないと思いました。

D-1228: どういうことだ?

トンプソン研究員: 上手く言えないのですが......無条件に称賛してやりたい。そう思ったのです。事実、殺人は犯したのかもしれませんが、私はあなたが抱いた感情を批判したいとは思わない。しかし論理ではどうにもできない。とてもやきもきします。

D-1228: なんだよ、あんたも慰めたいのか?

トンプソン研究員: えぇ。言葉としては、それが一番近いと思います。

D-1228: [笑い] セックスでもするか?

トンプソン研究員: お願いします。それでしか、この諸々の問題は解消できそうにない。

#7 - 2017年10月05日 [23:25:47]


トンプソン研究員: 報告。転移から79時間が経過しました。飢えは抑えきれないほどになり、喉の渇きも限界に達しています。しかし未だ、我々はこの空間から脱出する方法について確信を持てていません。

D-1228: 改めて考えてみれば、絶望的状況ってやつだな、先生。なんか、すっかり楽しんでたけど。

トンプソン研究員: はい。それでも、実行します。例え息絶えようと、実行します。先ほどD-1228と落ち合い、手順について今一度確認しました。前回の設定を引き継ぎ、距離を取った上で無線機を接続してから再開します。この世で最も不合理な、セックスを。

D-1228: あんた、言葉がかなり回らなくなってるな。それとも正気だったりするのか?

トンプソン研究員: どちらでしょうね。どちらにしても、もう正気を保っている場合ではないのかもしれません。蓄積して行き場のなくなった感情を晴らすには、感情同士を衝突させるしかない。延々と続く回廊から出られない、我々同士で。

D-1228: [数秒の沈黙] 先生、あんたこの期に及んで恥じてるだろ。恥じて当然なんだけどな。言っとくけど、俺はいつでもいいぞ。Kiss My Assholeだ、正しい意味でな。

トンプソン研究員: 正しい意味の方が酷い言葉ですよ。

D-1228: なら、ちょうどいい。成功しても失敗しても、どうせいいものじゃねぇだろ? ほら、鍵穴はいつだって空いてるぜ。

トンプソン研究員: もはや、何がなんだか。 [笑い] では始めましょう、メニー。

D-1228: だな。始めよう、ワン。キス、してもいいか?


[8分: 性交渉直前に交わされるものを想定した会話]

[10分: 互いの身体接触を想定した会話]

[徐々に吐息が増えていく]


トンプソン研究員: メニー、不可解なことがあります。

D-1228: どうしたんだ、ワン。

トンプソン研究員: だんだんと身体が発熱して、震え始めてきました。シチュエーションにボディタッチを織り交ぜ始めた辺りから。私がSCP-3966-JPの性交選別の対象になったと解釈する他ありません。作戦は失敗です。

D-1228: [笑い]

トンプソン研究員: 何かおかしいですか?

D-1228: おかしいだろ。興奮してきてんのを、そうやって神妙に話されたら。ここの初期症状って線もありえなくはないがな。

トンプソン研究員: 興奮? コンピュータセックスで、私が性的興奮を?

D-1228: たぶんな。無線機越しに、嘘でも乳繰り合う言葉を吐き合ってんだ。形式的でも台詞を吐くうちに心が引っ張られていってるんだと思うぞ。

トンプソン研究員: そうでしたか、すみません。では続けましょう、D-1228。

D-1228: おい先生、気を付けろよ。俺はメニーであんたはワンだろ。混同したら本当に持っていかれるぞ。けど、ワンとして感じた興奮をあんたも受けてるのは間違いない。まぁ警戒しすぎず体感して、自分の人格は保てばいいんじゃないか。

トンプソン研究員: 警戒しない?

D-1228: もっと素になるってことだ。感じたことをワンに吹き込んでいけばいい。

トンプソン研究員: どうやるんですか、それは?

D-1228: はっきり声にするしかないんじゃないか?

トンプソン研究員: 随分な無理難題を言いますね。

D-1228: そうだろうな。でも先生、不可解を抱えてるのはあんただけじゃない。俺もなんだよ。ボイスセックスじゃない、ロールを付与した上でやる声のセックスなんて、俺もやったことがないんだ。

トンプソン研究員: これは普通のコンピュータセックスではないと。

D-1228: そうなる。だからなのかわかんねぇけど、俺も身体が震えてきてる。どう処理すればいいか、まるで見当がつかない。怖ぇよ、先生。それと同じくらい、やめたくないんだ。メニーとワンのセックスを。

トンプソン研究員: そうですか。 [数秒の沈黙] ここから先は、判断ができません。我々がSCP-3966-JPの性交選別の対象となったのか、それとも何も問題なく、メニーとワンの余波で興奮しているだけなのか。ですが、続けましょう。元より選択権などないのですから。

D-1228: それでいい。

トンプソン研究員: わかりました。 [呼吸音] メニー、服を脱がしてもいいですか?


[5分: 衣服を脱衣させ合う際のものを想定した会話]

[13分: 再び、互いの身体接触を想定した会話]

[意識的な喘ぎ声が混ざり始める]


[6分: 仮想の性交が開始され、快楽の共有を目的とした会話が交わされる]

[8分: シチュエーションが激化し、伴って会話内容も愛を囁くものが増加する]

[このとき、会話内容は実際の性交から大きく誇張されている]


トンプソン研究員: メニー。私たちがしているのは、本当に演技なのでしょうか?

D-1228: [呼吸音] ワン、今度は何を言って──。

トンプソン研究員: わからないんです。結局は設定の上で交わされる偽装された性交だと理解しているのに、先に感じた感情が膨らんで仕方ないんです。

D-1228: 気にするなよ。それが普通だ。

トンプソン研究員: 囁かれる言葉なんて嘘でもどうとでも捉えられるでしょう。私が囁く言葉だって、打算の上にある空虚なものです。そう理解して諦めたはずの言葉が、私に覆い被さってくる。馬鹿みたいな安堵感に包まれて、そこに快楽の想像が重なる。

D-1228: そんなふうに言ったのはあんたが初めてだ。頭がいいんだな、相変わらず。

トンプソン研究員: [嗚咽] 茶化さないでください。

D-1228: [数秒の沈黙] 泣いてるのか?

トンプソン研究員: すみません。

D-1228: 謝らないでくれ。

トンプソン研究員: すみません。でも本当に、わからないんです。心を直接、掻き混ぜられているようで。

D-1228: それだけを取り出して感じるプレイだからな。安心しろ、いつかは終わる。

トンプソン研究員: むしろ、思うことは逆ですよ。終わってほしくないと考える自分すらいます。私だけ、なんでしょうか。

D-1228: [数秒の沈黙] どうだか。

トンプソン研究員: 不謹慎なことを今から言います。今になって、あの死んだネズミたちが不幸ではないと思えてきました。相手と繋がったまま快感に飲まれて死ぬ。それは、決して悪いことではないのでは、と。

D-1228: そうかもな。でもな、ワン。どんな時間もいつか終わるものなんだ。俺は何度も終わりを経験してきた。それだけは覚えておいてくれ。なぁワン、俺、そろそろ──。

[D-1228が呻き声を上げ、無線機と地面の衝突する音が入る]

トンプソン研究員: メニー、どうしました? メニー、メニー? 応答を!

D-1228: [長い沈黙] 痺れが来た。

トンプソン研究員: 何が起きたんです?

D-1228: [喘ぐ声] わからない。痺れだ。突然、痺れが来た。下半身から伝って、全身に広がって。もう、動けない。

トンプソン研究員: すぐに向かいます。先ほど落ち合った場所にいますね?

D-1228: だけどさ、甘いんだ。 [喘ぐ声] 何かに触られてるみたいで、タッチの度に身体が震える。なぁ、なんだこれ。怖ぇよ。怖ぇのに、気持ちいいんだ。助けてくれ、ワン。俺に何が起きてんだ?

トンプソン研究員: わかっています。待っていてください。そこに向かいま──。

[D-1228と同様にトンプソン研究員も呻き声を上げる]

D-1228: ワン?

トンプソン研究員: [喘ぐ声] なんですか、これは。

D-1228: あんたも俺と同じになったのか?

トンプソン研究員: そのようです。さしずめ、帳尻合わせの肉体的快楽......オーガズムの発生なのでしょうか? これもSCP-3966-JPの特性? 我々は失敗した? 成功した?

D-1228: 同じになったんだな。 [喘ぐ声] 嬉しいよ、なんか。

トンプソン研究員: そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。 [荒い呼吸音] すぐに行きますから、意識を保ってください。

D-1228: 頼もしいな。[呂律の回らない声] だったら、大丈夫だ。俺たちは、大丈夫だよ。

[D-1228側の無線機付近で、液体の湧き立つ音とごぽごぽという空気の音が発生する]

トンプソン研究員: 液体? 例の液状化現象ですか? 返事をしてください。

D-1228: そうだ。俺は沈もうとしてるみたいだ。心臓もさっきからドクドクいってる。

[液体が上から下へ大きく流動する音]

トンプソン研究員: メニー。待って。待ってください。

[トンプソン研究員が走って移動する。呼吸音と床を蹴る音が混ざる]

トンプソン研究員: 行かないで。まだ行かないで。1人にしないで。

トンプソン研究員: 何も大丈夫じゃない。嫌です、あなたがいないなんて。

トンプソン研究員: [D-1228の本名]。お願いだから。

[D-1228側の無線機付近で、液体が激しく流動する音が生じる。やがてまた無音に戻る]

トンプソン研究員: 置いていかないで。

[トンプソン研究員側の無線機付近で、液体の湧き立つ音が発生]

[液体の噴出する音の直後、通信が強制的に終了する]

目が覚めると、私は所属するサイトの廊下に倒れていた。

意識が明瞭になるにつれ、渇きは痛みとなって私の喉を刺した。何度かえずき、床をのたうち回って、ようやく顔を上げる。目を見張った。

D-1228がそこにいた。周りを囲む保安担当官からボディチェックを受けながらも、視線を私に投げかける。何か言いたげな瞳をしていたが、口は固く閉ざしている。

介抱しようとする保安担当官たちの手から逃れ、D-1228の腕を掴もうとした。

D-1228は私の腕を振り払った。そのまま保安担当官に連れられて、D-1228は私から引き離されていく。遠くなるオレンジのジャンプスーツの背を、私は黙って見送ることしかできなかった。

我々が持ち帰った記録により、SCP-3966-JPの対策方法は確立されていった。二者間による疑似性交の再現──それがSCP-3966-JPからの脱出手段だと判明した以上、SCP-3966-JPはもはや脅威的な現象ではなくなった。

人工知能によってロールプレイ音声を自動生成させ、当事者に合わせたコンピュータセックスを再現する。馬鹿馬鹿しい対策方法だが、収容に必要なら財団はなんだって作り上げる。我々の帰還から1ヵ月も経たないうちに、ユタ州とその周辺に配属された職員の端末へ、その機能が配備された。

対策方法の確立により、SCP-3966-JPの探索と研究も積極的に実施されるようになった。空間としての性質が分析され、内部に財団管轄施設への接続を防止する設備までもが設置される。現在、SCP-3966-JPとの接続を誘発するポータル用のドアが収容施設に設置され、その入口と疑似性交の発生による脱出によって、SCP-3966-JPは実質的に自由に出入りできる空間となった。

そのドアとSCP-3966-JPを高頻度で接続することで、他のユタ州の財団管轄施設がSCP-3966-JPと繋がる可能性は大幅に低下。生物オブジェクトは他の州に移管されたままだが、人員は戻りつつある。

あの空間に囚われているのは、今では私だけになった。

あれ以来、D-1228とは顔を合わせていない。SCP-3966-JPの収容に貢献したとして私は大いに称賛されたが、そこにD-1228はいなかった。職員に先導されたDクラス職員としか評価されなかったのだろう。エージェントとして雇用されたとか、記憶処理を受けて解放されたとか、その後の話は私も知らない。

D-1228に手を払われた感覚が、私の肌にまだ残っている。思い返せば、あれが最初で最後の接触だった。

すべて、演技だったのだろうか。安全にSCP-3966-JPを脱するため、私を適した相手役に仕立て上げ、オーガズムまで誘導する。そうだとすれば私は見事に「使われた」わけだが、悪い気はしない。

あるいは、研究員である私が特定のDクラス職員に対して贔屓目に扱おうとする、その行動を露見させないため──そうした理由も考えた。無線機はいずれ回収され、一部始終は第三者に聴取される。帰還後の私が疑惑の目で見られないように、あえてよそよそしい態度を取ったのではないか。ただしこれは、あまりにも希望的観測が過ぎた。

他の理由もいくつか考えたが、いくら理由を出しても正解には辿り着けなかった。本当の理由を知っているのはD-1228本人しかいない。D-1228がいないなら、迷宮からは出られない。

数年が経つ。私は今も古いSCP-3966-JPの報告書を眺め、あの空間に囚われている。

だが、抜け出すべきなのだろう。たった1人になったとしても。

今朝、Dクラス職員の死亡報告に何気なく目を通していた。無意味な記号のように並ぶ番号の中に、D-1228の文字があった。

Dクラス職員は同じ番号が割り振られることがある。全くの別人を指している可能性が高い。そもそも財団にいるかすら定かではない。頭では理解していながらも、心臓の高鳴りは収まらなかった。

今日、彼が死んだ。連鎖のように、私はSCP-3966-JP報告書にアクセスしていた。

読み返すうちに、私の顔には笑みが生まれていた。

徐々に熱っぽくなっていく言葉が、文章として記録されている。気恥ずかしさすら感じて、指で文字を撫でた。液晶画面を通して、指先が熱に染まっていく。

ここで交わした言葉は嘘かもしれない。けれども、発したことは嘘にならない。

訂正も撤回もできない応答の連続が、フォーマットの上で並んでいる。そこに、奇妙な喜びを覚える。

閉ざされた空間の中、私は奴との接続を果たした。

誰が願っても嘘にならない。至極当然の事実が嬉しくて、懐かしくて寂しかった。

あなたは人間の顔をしていないね、と言われた私はいない。そう、自分自身で断言できる。

鍵穴に鍵を差し、回廊を出る。

だったら、大丈夫だ。俺たちは、大丈夫だよ。

返せなかった言葉も、今なら返事ができるだろう。

あぁ、大丈夫だ。何の心配もいらない。

なお、音声記録にて省略された部分は以下のページに保存されています。

だから、もう振り返らなくてもいいはずだ。きっと、どこへだって行けるさ。

ページリビジョン: 4, 最終更新: 02 Oct 2024 15:00
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