クレジット
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発見直後のSCP-1340-JP-1 |
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アイテム番号: SCP-1340-JP
オブジェクトクラス: Euclid Neutralized(推定)
特別収容プロトコル(2017年8月16日改定): SCP-1340-JP-1はサイト-8159の大型低危険度物品収容倉庫に保管されています。SCP-1340-JP-1に関するこれ以上の実験は必要ないと見なされています。
オブジェクトクラスの再評価に伴い、財団におけるSCP-1340-JP-2の捜索は打ち切られ、以後の捜査は警視庁公安部特事課に引き継がれています。新たな1340-JP事象が発生した可能性がある場合、特事課との合同により発生現場の実地調査が行われます。
SCP-1340-JP-1はサイト-8159の大型低危険度物品収容倉庫に保管されています。実験は普通自動車免許を持つDクラスを利用し、サイト-8159併設の屋外実験場にて行ってください。尚、SCP-1340-JP-1の破壊を伴う実験の実施は現在許可されていません。
SCP-1340-JP-2の捜索は、1340-JP特認クリアランスを所持する機動部隊ぼ-9"牡丹灯籠"と、警視庁公安部特事課北海道地区担当部門との合同で実施されます。財団のネットワーク監視プログラムにより、1340-JP事象発生懐疑情報が常時収集され、現地調査の指針として役立てられます。収容担当者は、北海道札幌市内の故████ 権三氏の元住居及び関係人物の監視を行うとともに、新たな懐疑情報を得た場合、速やかに情報の裏取りを行ってください。1340-JP事象の目撃者に対しては、必要なインタビューの後に記憶処理が実施されます。
説明: SCP-1340-JPは、Automobiles Citroën S.A.製シトロエン・C3(以下SCP-1340-JP-1)と、当該オブジェクトに関連する異常現象の総称です。
SCP-1340-JP-1は2006年にフランスで製造後に日本へ輸出され、2007年に███社の元代表取締役であった故████ 権三氏によって購入されました。製造、販売過程の詳細な調査が行われましたが、不審な点は見当たりませんでした。購入後は、主に████ 権三氏の義理の娘であった故████ 由海氏のために利用されていたと考えられています。運転席ドアに貼り付けられている非異常性のステッカーを除いては、標準的な車両との差異はありません。
SCP-1340-JP-1の異常性は、オブジェクトの走行速度が時速120kmを超えた際に発揮されていました。異常性発現時のSCP-1340-JP-1は同様の車種で通常想定されうる走行能力の限界を超えて加速を続け、速度は最高で約300km/hに到達します。また、速度上昇に伴い、SCP-1340-JP-1は可視光線との相互作用を起こさなくなっていき、最終的には肉眼による視認が不可能となります。この現象は約180秒間継続します。事象発生時のSCP-1340-JP-1は地面以外のあらゆる物体を透過し、また走行後にタイヤ痕等の事跡を残しません。事象の発生時、SCP-1340-JP-1の走行した道路には様々な非異常性の物品が出現していました。以下はその一覧です。
出現した物品 | 出現した個数の合計 | 補足 |
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黒のボールペン | 11 | ████████社製。後述の日記執筆に使用されていた物と同一。 |
日記帳(A4サイズ) | 3 | ████社製。後述の日記執筆に使用されていた物と同一。中身は白紙。 |
小説"水いらず"の単行本 | 3 | 鈴木 ██著、█████出版製。2007年発売の初版本。異世界に渡った死者たちの活躍を描くファンタジー作品。 |
新明解国語辞典 | 5 | 三省堂出版製。2007年改定の版。 |
車用ステッカー | 3 | SCP-1340-JP-1に貼り付けられているものと同一。 |
A4判スケッチブック | 4 | ██████コーポレーション製。中身は白紙。傷や汚れがある。 |
家庭用花火セット(袋入り) | 15 | ████社製。内容物はロケット花火や線香花火などで、市販品との差異はない。 |
財団に収容後の各種実験では、上記のような1340-JP事象が再現されることはありませんでした。このことから、異常性質の根源はSCP-1340-JP-1ではなく、運転者であるSCP-1340-JP-2に宿っていたものと推測されています。
SCP-1340-JP-2はSCP-1340-JP-1を使用し、2007年8月1日に北海道札幌市の██████駐車場内にて████ 権三氏を殺害したと推定されている実体です。後述する日記の記述が正しければ、SCP-1340-JP-2は警察の追跡を免れるために1340-JP事象を発生させ、約二週間に渡ってSCP-1340-JP-1とともに北海道内を逃亡し続けていたと見られています。2007年8月16日、知床国立公園内で故障した状態のSCP-1340-JP-1が発見されましたが、SCP-1340-JP-2は既にその場から消失しており、財団と警察の捜索にも関わらず、現在に至るまでその行方は不明です。
後述の日記の内容等から、SCP-1340-JP-2は1340-JP事象の発生以外にも未解明の異常能力を保有していたものと推察され、様々な仮説が提唱されてきましたが、確かな結論は出ていません。
回収ログ: 8月1日の████ 権三氏殺害事件において、死因が明らかに轢殺であるにもかかわらず、数十メートル先より犯行車両と思われるタイヤ痕が完全に消失していたことから、警視庁公安部特事課北海道地区担当部門は異常事件の疑いありとして捜査に乗り出しました。SCP-1340-JP-1はその後2回に渡って警察に居場所を捕捉されるも、上述の異常性による逃走を繰り返し行いました。警察内部に潜入していたエージェントがSCP-1340-JPの情報を入手し、2007年8月13日、誘導工作によって公安部特事課から財団へ正式な捜査協力依頼が為されました。SCP-1340-JP-1の発見は、財団が合同捜査を開始してからわずか3日後のことでした。
SCP-1340-JP-2が依然として未収容であるため、特別収容プロトコルは捜索に重点が置かれていました。しかし、最後の1340-JP事象発生から10年が経過し、その後に類似の異常現象が一切観測されていないことから、オブジェクトは何らかの原因により既に異常存在としては無力化したものと推定され、オブジェクトクラスの再評価と収容プロトコルの改定が実施されました。
補遺1340-JP-1: ████ 権三氏殺害事件に関わる捜査において、公安部特事課は生前に████ 由海氏と接触した多数の人物へのインタビューに成功しています。以下はその中でも特に重要と見られる記録の抜粋です。
対象: 佐藤 ████氏(北海道造形美術学院の生徒)
インタビュアー: 柊捜査官(公安部特事課北海道地区担当一等捜査官)
付記: SCP-1340-JP-2の日記に綴じこまれていたイラストレーションの作者である、佐藤 ████氏に対するインタビュー記録です。████ 権三氏殺害事件に関わる捜査であること以外、事件の詳細は伏せています。
<録音開始, 2007年8月24日>
柊捜査官: (イラストの写しを見せる)この絵をお描きになったのは貴方ですね?
佐藤氏: ええ、そうです。(絵に描いてある日付を見て)6月7日ですね。
柊捜査官: (SCP-1340-JP-1の写真を見せる)████ 由海さんが乗っていたのはこの車ではありませんか。
佐藤氏: そうですね、この車です。外国車でしたし、この青色は特徴的で、はっきり記憶してます。
柊捜査官: 貴方がこの絵を描いた理由について教えてください。
佐藤氏: 大通りに████公園ってありますでしょう。私、学校の授業がなくて暇なときは、いつもそこで風景とかをスケッチしているんです。彼女を見つけたのは偶然でした。たまたま描くモチーフを探していた時に、車の側で暇そうにしている彼女を見かけたんです。
柊捜査官: ████ 由海さんはその時、別の人物と一緒ではありませんでしたか。例えば、若い男性とか。
佐藤氏: いいえ、彼女一人でした。車の側でボーっとしていたので、モデルをやってくれませんか? と声をかけたんです。突然ですし、ダメ元でのお願いだったんですが、彼女は快諾してくれました。
柊捜査官: 成程。それでこの絵を描いて、彼女に渡したのですね。
佐藤氏: はい。デッサンの練習に協力してくれたお礼もしたかったので、こんな習作でよければ差し上げたいと言いました。彼女はとても喜んでくれて、私も嬉しかったですね。
柊捜査官: ありがとうございます。他に████ 由海さんの変わった行動はありませんでしたか。
佐藤氏: いえ、特には......そういえば、彼女、車の中で誰かに電話していましたね。
柊捜査官: 電話?
佐藤氏: はっきりは見てないんですが、そうじゃないかなと。モデルを引き受けた後、ちょっとごめんなさい、と言って車の中に入って、私から隠れるようにしてなにか喋ってたんですよ。数分は喋っていましたね。これは私の推測なんですけど、相手は彼氏じゃないかな、と思いました。
柊捜査官: 何故そう思われたのですか。
佐藤氏: [間]これは私が彼女に声をかけた理由でもあるんですけど。私も一応女なので、顔を見たらなんとなく分かっちゃったんです。ああ、この子は今、誰かに恋をしているな、って。
<録音終了>
付記: 日記に綴じこまれていたイラストを閲覧するには、後述の補遺1340-JP-3(要レベル3/1340-JP特認クリアランス)を参照してください。
補遺1340-JP-2: 以下はSCP-1340-JP-1の内部で発見された、SCP-1340-JP-2によるものと見られる日記の転写です。████ 権三氏の殺害事件及び、1340-JP事象発生に関連すると思われる記述を抜粋しています。必要な箇所には注記を施しています。
7月1日
ユミが日記とペンをくれたので、今日から日記をつけることにする。
今日はいつも通りの一日だった。ユミの家に来てから結構経つが、ようやく専門学校へのルートにも慣れてきた。以前いた施設で運転の訓練は何度もやったが、実際に公道を走るとなると、やはり勝手の違いを感じる。ユミを送迎する時間帯に、丁度道路が混みあうのも問題だ。
ただ、最近ユミがよく学校をサボって公園に行きたがるのは気になる。別に俺はどこでユミを下ろそうと構わないのだが。多分、父親のケンゾウさんにうるさいことを言われているのが原因だろう。ユミが不機嫌になるから、できるだけ彼のことは話題に出さないようにしている。
7月5日
ユミが、俺にプレゼントがある、と言ってでっかいステッカーを持ってきた。白地にフランス語で、エテルニテ? とか書いてあるらしい。横には小さなドラゴンの絵も描いてある。いや、確かにフランスとは関係あるけどさ、いくら何でもダサすぎるだろ、恥ずかしいよ、と言ったら、ユミは「貴方って冷たいんだね!」と叫んで、臍を曲げてしまった。俺はしぶしぶステッカーを使うことを了承した。ユミは笑顔に戻った。
昔からそうなのだが、俺にはどうやら、普通の人が備えている情緒や、感情の起伏に欠けている面があるらしい。普通の人間は、結構ちょっとしたことで怒ったり泣いたりする。ユミもそうだ。俺にはそういうことはない。ユミが何をやっても怒りはしないし、涙なんか前にいつ流したかわからないくらいだ。
機嫌を直したユミは、ステッカーと一緒に、辞典と三冊の小説をくれた。これで日記に書く語彙を増やしなさい、だと。確かに、俺は物心ついた時からテレビとラジオで育ってきたから、あんまり言葉を知らないのだ。これを読めばもっと面白く日記を書けるかもしれない。ユミは変な奴だけど、頭はとても良いと思う。
でも、小説の一冊は女の子向けの恋愛小説で、俺の好きな感じじゃなかった。これが好きなユミには申し訳ないが。男と女の誰が好きとか嫌いとか、どうでもいいよそんな事は。
7月23日
最近、ユミの様子がおかしい。いつもひどく元気がないように見えるし、俺が話しかけても黙り込むことが多くなってきた。以前のユミでは考えられないことだった。何かあったのか、と俺が聞いても、何でもない、と頬を引き攣らせて笑うだけだ。学校には通っているが、友達とはあまり遊んでいないようだ。
学校からの帰り道、俺はユミに、何かしたいことはないのか、と尋ねた。ユミは小さく、故郷の知床に帰りたい、私はあの海から嬉しく思われているはずだから、と答えた。ユミは知床で生まれて、亡くなったお母さんに、知床の海にちなんで「ユミ」と名付けられたらしい。お母さんはケンゾウさんと再婚した後、1年前に病気で亡くなったと聞かされた。俺はケンゾウさんとユミが実の親子だと思っていたから、ユミの言葉にショックを受けた。だから親子仲がうまくいっていないんだな。
俺は、一緒に花火でもしないか、とユミに持ち掛けた。昨日、テレビでお祭りのニュースをやってたからだ。無断外出はまたケンゾウさんに怒られるだろうけど、家の庭は広いから、花火くらいなら問題ないと思った。ユミは頷いて、寄ったコンビニで花火セットを買ってきてくれた。
家に戻った後、バケツとかを準備して花火を始めた。ユミがおっかなびっくりな姿勢で火をつけていたので、俺はガスライターを使って一気に何本かに火をつけ、空中でくるくると回して見せた。勿論、ユミの安全には配慮した。ユミは猫みたいに目を大きく見開いて、すごいすごい、と拍手してくれた。貴方って魔法使いみたいだね、とユミが言ったので、俺は魔法じゃない、こんなの訓練すれば誰にでもできることだろう? と返した。ユミは一瞬きょとんとしていたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。ユミには笑い顔が似合うと思う。
最後は線香花火をして終わった。色とりどりの点滅する光が、ユミの目の中で弾けていた。俺は自分の花火を見ずに、いつまでもユミの目の中を見ていた。
7月28日
ユミが泣きながら俺のところに来た。どうしたんだ、と話しかけても、泣いているばかりで答えてくれない。とりあえず、座らせて話を聞くことにした。いつものようにやり取りしたが、詳しいことは話してくれなかった。
俺が只管相槌を打っていると、だんだんユミは落ち着いてきた。俺の体にもたれ掛りながら、ユミは唐突に「死んだら人はどうなると思う?」と聞いてきた。死んだあと、人間の魂はどこに行くのかと、そう尋ねてきた。俺は、もしも魂というものがあるなら、それが肉体を離れてどこかに移動するだけだと思う、と返した。行き先が天国か地獄か、あるいは他の場所なのかは知らないが、とにかく魂は魂のままで、どこか行きたい場所に行くんだろうと。だから、死んだといっても、ある意味で魂だけは生き続けるんじゃないか? と言った。前にユミに貸して貰った小説の受け売りだった。
それを聞くと、ユミは嬉しいんだか悲しいんだかよくわからないような顔をして、そうかもしれない、と言って俯いた。ユミは、私には死んだら行きたい場所があるんだ、とはにかむような顔をして俺に言った。俺は、それはどこなんだ? と尋ねたが、答えは戻ってこなかった。
長い沈黙の後、ユミは俺に小さな封筒を渡した。中には手紙が入っているようだった。もし自分に何かが起きたら、これを読んで誰かに伝えてほしいと、そう言っていた。俺は、それじゃあこれからユミに何かが起きるみたいじゃないか、縁起でもないことを言わないでくれ、と返したが、ユミは曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。
話し終わった後、ユミは俺の方を向いて微笑み、俺の鼻に唇をつけた。俺が驚いていると、ユミは悪戯っぽい口調で、じゃあね、と言った。俺は何も答えられずに、しばらくそこに立ち尽くしていた。ユミは振り向かずに去っていった。
7月30日
ユミが死んだ。自殺だったらしい。
原因は分からなかった。ケンゾウさんは俺と一緒に色々な人のところを回って、今日の通夜のための準備を大急ぎで進めていた。ケンゾウさんの顔は真っ青だった。ただ、ケンゾウさんは、一人娘を亡くして悲しんでいるというよりは、何か取り返しのつかないことを仕出かしてしまったかのような、そんな蒼醒めた顔をずっとしていた。勿論、俺には何も語ってはくれなかった。
通夜の間、俺は外で待たされた。葬儀に参加したいという気持ちがなかったわけじゃないが、俺の心には相変わらず、ユミの死を悲しむような感情がどこにもないようだった。真夏なのに、駐車場の風が随分と冷たく感じた。俺の目からは涙は流れなかった。
葬儀場には、ユミの友達が何人か来ていた。友達は人目を憚らずに大声で泣きわめいていて、中に入ってからもずっと泣いていたようだった。その姿を見ても、俺は泣きたいと思えなかったし、涙の一滴も流れることはなかった。
俺は、ユミの魂がどこに行ったのか考えた。もうとっくに遠いどこかへ行ってしまったのか、それともまだどこかで俺のことを見ているのか。もしも近くにいるのなら、もう一度ユミと話がしたい、と俺は思った。
でも、会ったところで何を語ればいいのか、俺には全然考えつかなかった。俺はただ茫然と、悲しげな人々の列を眺めていた。
[財団の調査によると、2007年7月29日未明、████ 由海氏は自室にて異常性のない縊死を遂げていることが判明している。自殺の動機、及び上述の手紙の内容は明らかになっていない]
8月1日
ケンゾウを殺した。
昨日の夜、ユミから貰った手紙を読んだ。ユミは警察に渡してくれと手紙に書いていたが、俺は渡さずに破いて捨てた。街外れの下水道に投げ込んだから、誰にも見つからないはずだ。中身は全部俺の頭の中に入っている。ここに書いたら、万一これを警察が読んだ時に知られてしまうから、内容は書かない。誰にも言うつもりはない。この秘密はユミが俺だけに伝えてくれたものだ。
とにかく、手紙の内容を読んだ俺はケンゾウを殺そうと決意した。俺の心には「殺意」と呼べる何かがあった。でも、俺の中に「憎しみ」とか「怒り」とか、殺人の動機になるような強い感情があるとは思えなかった。どちらかと言えば、これは「条理」の話だ。ユミが最後に死を選んだことは正しくなかったかもしれないが、ユミは元々正しい生き方をしてきた人だった。ユミにあんなことをしたケンゾウは、間違った生き方をしている。俺はユミの味方だ。だから、正しい者が正しくない者を殺すことに問題はないはずだ。
警察に読まれたら嫌だから詳しく書かないが、ケンゾウ殺しはあっさりと終わった。俺は急にハッとした。自覚はなかったが、その数時間は思考が止まっていたようだ。今の科学捜査なら、ちょっとした痕跡からでも簡単に犯人を見つけられるとテレビで見たことがある。そう思うと、俺は今すぐどこかへ走り出したくなった。殺しまでしておいて、今更罪から逃げたくなったわけじゃない。俺はただ、ユミが行きたいと言っていた場所が、どこだか分かっていないことを思い出したんだ。警察に捕まれば、今後一生知る機会はないだろう。それは俺にとって本当に恐ろしいことだった。
俺は駐車場を出て、猛スピードで道路を走りだした。どこに逃げようとしていたのかは自分でもわからない。ただ、どこか遠くに逃げなければ、すべてが終わってしまうという焦りだけがあった。俺は何としてでもユミの行きたかった場所を探さなければならない。それまでは絶対に捕まりたくない、そう思っていた。
道路に出てから一分くらい経った時に、突然目の前に閃光が走った。全てを包み込むような白い閃光だった。その後、周りの風景がどんどん透き通ってきた。道路以外の全てが段々と透明になり、俺の体も風景と同じく透き通っていった。目の前にトラックが走っていて、あまりに加速していたので避けきれなかったが、俺の体はトラックを通過し、只管道路の上を走り続けていた。
どれくらい走ったのか自分でもよく分からないが、俺は今苫小牧の付近まで来ているようだ。札幌は今頃大騒ぎになっているかもしれないが、とりあえずここまでくれば安心だろう。何だか全身に酷い倦怠感がある。さっきの不可思議な現象のせいかもしれないが、とりあえず今は考えずに休むことにする。
ケンゾウを殺したことに後悔はない。俺は正しいことをしたという確信があるからだ。でも、ユミはきっと、こんな行いを望んでいなかっただろう。もしも優しいユミが生きていたなら、ケンゾウを許し、警察に全てを任せるようにと俺に伝えたと思う。今の俺はただの人殺しだ。ユミのところへは、もう戻れないだろう。
[██████駐車場内の監視カメラの映像を確認したところ、2007年8月1日午前1時37分、一人で駐車場に現れた████ 権三氏にSCP-1340-JP-1が接触し、転倒させた後に頭部をタイヤの下敷きにして轢殺する様が記録されていた。約3分後、SCP-1340-JP-1は駐車場から発進した。SCP-1340-JP-2の姿は確認できなかった。██████駐車場は郊外にあり、事件の目撃者は存在しない。尚、事件の直前、権三氏は駐車場の近辺でタクシーから降りたことが判明している]
[後の公安部特事課の捜査により、権三氏の自室から、「由海氏の死の真相を知っている」と主張する、何者かからの手紙が発見された。手紙により権三氏は██████駐車場に呼び出されたと考えられている。手紙の筆跡はSCP-1340-JP-2と一致した。尚、権三氏は手紙の内容を誰にも伝えていなかった]
8月7日
ケンゾウを殺したあの夜から、全く腹が減らなくなった。食料を盗みに行かずに済むのはとても助かるが、一体俺の体に何が起こっているんだろうか? どんどん不安ばかりが広がってくる。
もう6日経つが、苫小牧の郊外に隠れていると、不気味なくらい誰からも注目されない。テレビのニュースではケンゾウ殺害事件をバンバン報道していて、犯人が俺だってことも、明言はしないがだいたい見当がついている感じだった。ミステリーもののドラマで見たが、犯人は現場に戻ってくる習性があるらしい。警察は俺を待ち構えているのかもしれない。そうはいかない。元より俺に帰る場所なんてないんだ。ずっとこのまま北海道を逃げ続けてやる。
でも、いくら腹が減らないからって、ただ逃げているわけにもいかない。ユミの行きたかった場所を、出来るだけ早く見つけなくては。色々候補を考えた。やはり第一は故郷の知床だろう。札幌からは遠いし、俺の事情とも合致している。明日当たり、こっそりと道東に向かおう。ばれないように高速道路は使わないでおこう。
8月9日
頭が割れそうなほど痛む。少し休んだが、改善の気配がない。雨が降っている。雨は体が冷たくなるから嫌いだ。
山道を走っていたら、パトカーに見つかってしまった。幸い逃げ切れたが、あの変な力をまた使ったせいか、体の調子がおかしい。頭痛だけじゃない、足も腕も心臓も、全身が引き攣るように痛む。
海沿いに走り続けて、小さな町まで辿り着いた俺は、潰れた民宿の駐車場で休むことにした。もう警察から逃げる機会がないことを祈りたい。
そういえば、逃げ終わった時、後ろに花火セットが落ちていた。民家もないような場所なのに。
(花火 花火? 花火って何だっけ 思い出せない)[この部分は欄外にメモ書きされている]
[8月10日未明、SCP-1340-JP-2は警察から二度目の逃走を行った。異常効果の影響か、以後の記述はSCP-1340-JP-2が重度の錯乱状態にあったことを示唆している]
8月10日
頭が痛い。
心臓が痛い。
足が痛い。
腕が痛い。
体がバラバラに
ユミの
ユ月ミ日
[「ユミ」という単語が乱雑な字で157回書かれている]
花火 花火 花火 花火 花火 花火 はなび はなび 花火 花火ってなんだ? 花火ってなんだ
[字は10回以上重ね書きされている]
月 日
あの絵を描いてもらったとき、ユミは最初、俺にぴったりと体をくっつけてきた。やめろよ、と注意したら、今度は俺の腕に自分のを絡ませてきた。ユミの、ユミの小さな手が、俺の手をしっかりと握っていた。
8月15日
俺はとうとう辿り着いた。
記憶がグチャグチャになっていて、どのように走ってきたのかはわからないが、気づいたら海が見えていた。知床の海だ。透き通った、真っ青な海だった。見てすぐに分かった。ここだ。ここがユミが生まれた海だ。この海の中にユミはいるんだ。そう思うと、頭にかかった靄のようなものが晴れて、思考が巡るようになってきた。
これを書いている今も、頭が割れるように痛い。動悸も止まらない。心臓にヒビが入っているみたいだ。たぶん、俺はここで死ぬんだろう。俺みたいな人殺しの魂は、きっとこの海の中には行けない。でも、ここにユミがいるとわかっただけでもいい。俺の魂がこれからどこに行こうとも、最後に目指すべき場所はここなんだ。俺の頭が完全に狂ってしまう前に、この場所に辿り着けて本当に良かった。
海を見ていたら、俺の顔を何かが流れていた。涙だ。熱い涙がぽとぽとと流れている。俺は涙を拭うこともできずに海を見つめ続けた。涙がこんなに熱いものだなんて知らなかった。
俺はユミに向かって「ありがとう」と言おうとした。
俺の喉は枯れていて、もう何も言葉は出なかった。
公安部特事課と財団の調査により、SCP-1340-JP-2に該当する人物はあらゆる記録に存在せず、また一般市民による目撃例もないことが判明しました。警察を含むSCP-1340-JP-1の目撃者は共通して、SCP-1340-JP-1の主な運転者は████ 由海氏であり、由海氏の死後は「(運転席を含む)座席に誰もいないように見えた」と証言しています。1340-JP事象の発生に際し、過去改変が行われた形跡が存在しないことから、SCP-1340-JP-2は特異型の現実歪曲能力を持つ霊的実体である可能性が示唆され、探索・捕縛を行うための機動部隊ぼ-9"牡丹灯籠"が編成されました。
SCP-1340-JP-2が有していた未解明の異常性質については、今日までに様々な仮説が提唱されてきました。しかしながら、何れの仮説も上述の日記以外の科学的・実証的なエビデンスに乏しく、確かな結論は出ていません。現在までに提唱された、SCP-1340-JP-2実体に関する仮説の一覧及び付随する実験記録は、[仮説1340-JP-2(要レベル3/1340-JP特認クリアランス)]で閲覧することが出来ます。
SCP-1340-JP-2の日記に綴じこまれていた、SCP-1340-JP-1と████ 由海氏のイラスト(佐藤 ████氏による)