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クレジット
タイトル: SCP-1192-JP-EX - 蒙古を駆けて
著者: Tutu-sh Tutu-sh
作成年: 2023
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アイテム番号: SCP-1192-JP-EX
オブジェクトクラス: Explained
腐敗した子実体に付着するSCP-1192-JP-EX-α
特別収容プロトコル: SCP-1192-JP-EXは生態系を構成する一要素の地位を占めるため、ゴビ砂漠における野生個体の積極的な駆除・確保収容は実施されません。ゴビ砂漠以外の地域でSCP-1192-JP-EXの生息が確認された場合、殺虫剤の大規模散布と不妊虫放飼をはじめとする複合的根絶作戦が策定・実行されます。
財団外研究者によるSCP-1192-JP-EXの生物学的研究は財団により規制されています。寄生の症例が確認された場合、医療機関には一般に知られる蠅蛆症の説明が適用されます。成熟したSCP-1192-JP-EX-βが確認された場合、信憑性を過小評価する風説を流布してください。SCP-1192-JP-EXの存在を一般社会へ公開することについては財団昆虫学部門・寄生虫学部門・未確認動物学部門が協議中です。
既に財団内での収容下にあるSCP-1192-JP-EXは現時点で継代飼育の継続が予定されています。SCP-1192-JP-EXの飼育手法はSCP-1192-JP-EX-α用とSCP-1192-JP-EX-β用のものに大別されます。
- SCP-1192-JP-EX-αは10c×ばつ10c×ばつ10cmの乾熱滅菌した耐熱ガラスケース内に1匹ずつ収容されます。ケース内の温度は20°Cを維持し、湿度・日照はゴビ砂漠の気象条件を再現してください。食餌としてコーンミール・乾燥ビール酵母・グルコースを寒天で固めて与えるほか、交配させた雌個体には産卵用の生の牛肉を提供してください。幼虫体が孵化した場合、SCP-1192-JP-EX-βの飼育手順に従って飼育してください。
- ×ばつ5mの生物収容房に1体ずつ収容されます。食餌として1週間に1回30kgの牛肉を与え、排泄物が確認された場合は遠隔装置による除去清掃を実施してください。幼虫体が孵化した場合、20匹を残して殺処分した後、選出した20匹をSCP-1192-JP-EX-αの飼育手順に従って飼育してください。
ゴビ砂漠を示す東アジアの地図。SCP-1192-JP-EXのかつての分布域も赤色で示している。
説明: SCP-1192-JP-EXは東アジア域に分布する、強い寄生性・捕食性を示すショウジョウバエ属(Drosophila)の未記載種です。SCP-1192-JP-EXの現在の分布域はユーラシア大陸・中華人民共和国北部からモンゴル国南部にかけてのゴビ砂漠に限られますが、かつて日本列島の一部にも生息したことが蒐集院の記録から判明しています。
SCP-1192-JP-EXは2世代かけて循環する生活環を有します。生活環は無性生殖かつr戦略的繁殖戦略を取るα世代(SCP-1192-JP-EX-α)、および有性生殖かつK戦略的繁殖戦略を取るβ世代(SCP-1192-JP-EX-β)から構成されます。SCP-1192-JP-EX-αのボディプランは一般的なショウジョウバエ属と整合しますが、SCP-1192-JP-EX-βは全長が1mを超過する大型の蠕虫様動物であり、これらの表現型多型は外部環境に起因する後天的な変異に由来すると推測されます。
SCP-1192-JP-EX-αおよび-βは20世紀後半まで別個の生物と解釈されました。特にSCP-1192-JP-EX-βはその体サイズゆえにかつて分類未定のUMAと判断され、SA-1192-JPのアイテム番号の下でサスペクテッド・アノマリーに分類されました。その後、確保されたSCP-1192-JP-EX-βの次世代としてSCP-1192-JP-EX-αが出現することが1973年に確認され、また核ゲノムやミドコンドリアゲノムの解読を通して2009年に両世代が同種として判断されました。21世紀現在、両者は同一の種の異なる世代に属するものとして位置づけられています。
SCP-1192-JP-EX生活環
SCP-1192-JP-EX-α(無性生殖世代)
SCP-1192-JP-EX-αは一般的なショウジョウバエ属と整合するボディプランを持つ、成虫体が体長約4mmに達する世代です。発生・成長過程は一般的なショウジョウバエ属昆虫と同様であり、寿命は飼育条件下で90日、野生個体の寿命はさらに短いものと推測されます。SCP-1192-JP-EX-αは6月下旬から8月中旬にかけて成虫として出現し、10月上旬までに子孫を残して死滅します。
確認されているSCP-1192-JP-EX-αは全て雌個体です。ランダムサンプリングで採取した個体の遺伝子の発現過程を追跡したところ、X染色体と常染色体の数の比率が全個体を通してほぼ一定であり、Sex-lethal遺伝子の転写が行われていることが判明しました。Sex-lethal遺伝子の発現による雌型・雄型タンパク質の翻訳の調節は非異常のキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)にも存在する機序であり、このためSCP-1192-JP-EX-αの性決定は近縁種と共通する方法で行われると見られます。
性成熟を迎えたSCP-1192-JP-EX-αは動物の遺骸・排泄物あるいは生体の軟体部に産卵します。当該の行動は孵化する幼虫体の成長を可能とする水分量が大きな制限要因になっており、ヒト(Homo sapiens)をはじめとする脊椎動物の目や耳に産卵する事例が多く確認されています。一般的なキイロショウジョウバエの雌個体は1日に数十個、一生涯で数百個から1000個の卵を産卵しますが、SCP-1192-JP-EX-αが一生涯に産卵する卵の数は数個に限られます。これは将来的にSCP-1192-JP-EX-βへ成長する大型の胚を生産するため少産化に至ったと推測されます。
SCP-1192-JP-EX-β(有性生殖世代)
軟体部の大部分を消費されたフタコブラクダ家畜種(Camelus bactrianus)の遺骸
前述の過程を経て孵化した個体はSCP-1192-JP-EX-βに該当します。成長初期段階のSCP-1192-JP-EX-βは典型的な蛆として生活し、宿主体をはじめとする基質内で微生物・有機物砕片・体外消化した動植物組織といった周囲の物質を消費して成長します。
SCP-1192-JP-EX-βは一般的な昆虫類の成虫体への変態を遂げることなく蠕虫様ボディプランを維持しながら体サイズを増大します。これは母親であるSCP-1192-JP-EX-α個体の体内で幼若ホルモン(JH)の濃度が上昇し、次世代たるSCP-1192-JP-EX-βの個体成長に強く影響したものと推測されます。またエンドウヒゲナガアブラムシ(Acyrthosiphon pisum)の研究からJH濃度は繁殖戦略の世代間変化に寄与する可能性が示唆され、無性生殖から有性生殖への切替はこれに起因する可能性があります。
成長に伴い、蛆に典型的な尖鋭な頭部は徐々に肥大し、厚いクチクラに被覆された、丸みを帯びた厚く太い構造として卓越します。また咽頭骨格の先端部に位置する口鉤が発達・増加し、石灰化した強固なキチン質による多数の歯状突起を形成します。また大型化したSCP-1192-JP-EX-βは蠕動運動とは別に波動運動を開始します。こうした形態と行動の変化を経て、SCP-1192-JP-EX-βは最終的に最大全長1.5mに達する大型蠕虫様生物へ急成長します。
SCP-1192-JP-EX-β液浸標本
完全に成長したSCP-1192-JP-EX-βは一般に「モンゴリアンデスワーム」と呼称される容姿に至ります。この段階の個体は与えられた基質の大部分を既に消費し尽くしており、ゴビ砂漠に生息する陸棲哺乳類・爬虫類を主な獲物とする地中棲の捕食動物へ生態を変化しています。SCP-1192-JP-EX-βによる被害にはフタコブラクダ(Camelus bactrianus)やウマ(Equus caballus)をはじめとする放牧獣の食害が報告されているほか、古来ヒトが犠牲になった事例がゴビ地域の伝承として語り継がれ、また財団の記録にも存在します。
成長後期段階のSCP-1192-JP-EX-βは毒腺を有します。大型動物の狩猟行動に際しては歯状突起を介して刺咬毒を対象生物に注入するか、あるいは遠距離から飛沫として発射して利用します。毒液は各種活性アミン・活性ペプチド・活性タンパクを含有する神経毒であり、活性物質の複雑な作用を統合して疼痛・腫脹・麻痺・懐死をはじめとする有害作用を発現します。またこうした毒成分の一部は類似物質がSCP-1192-JP-EXを誘引する効果を持つことが判明しており、構造の類似するフェロモン物質が繁殖行動に利用されていると考えられます。
オオミノガ(Eumeta variegata)の雌成虫と同様に、性成熟を迎えたSCP-1192-JP-EX-βの雌雄は蠕虫様ボディプランを維持しながらも発達した交尾器を有します。個体は交尾を行い、交尾後の雌個体は体内に数万個の卵を擁します。母親の胎内で卵塊から孵化した幼虫(SCP-1192-JP-EX-α)は典型的な蛆と同様の行動を取り、母親の動物組織を生きたまま消化・吸収します。これはSCP-1192-JP-EX-βの巨体を有機資源として有効利用する適応と見られ、母親の肉体を消費した幼虫は十分な栄養分を確保し、また天敵の脅威に晒されることなく生育します。
やがてSCP-1192-JP-EX-αは母親の皮膚を穿孔し、母親の体内外で蛹化・羽化します。1個体のSCP-1192-JP-EX-βから数万匹のSCP-1192-JP-EX-αが巣立ち、SCP-1192-JP-EXの生活環は一巡します。雄個体の寿命は不明ですが、SCP-1192-JP-EX-βが多数の子孫を残すことにより、両世代は個体数の釣り合いを取ることが可能と推測されます。
SCP-1192-JP-EXは秋から春にかけてのゴビ砂漠における頂点捕食者ないし高次消費者の地位を占めます。オオカミ(Canis lupus)やゴビヒグマ(Ursus arctos gobiensis)といった食肉目の哺乳類との競合において、1年で2世代の交代が生じるSCP-1192-JP-EXの生活環は大型哺乳類よりも世代交代が早い点が特徴に挙げられます。また、厳冬期を温暖な地中環境と保温しやすい大型の体サイズで過ごすことにより、環境への適応性を高めていると推測されます。
なお、SCP-1192-JP-EX-βが雌雄共に示す幼形成熟的個体成長は蛹化を伴う変態を行わないものであり、卵巣・精巣の幼虫期成熟をはじめとする諸条件が重なり成立したものと推測されます。また、当該のボディプランの変化は生殖機能の完全な分担という形を取るミノガ科昆虫のものとも意義が異なると考えられます。SCP-1192-JP-EXは完全変態昆虫の個体発生過程における現在進行形の進化を示唆する可能性もあります。
中央アジア探検隊。アンドリュース研究員は中列中央
モンゴルでの発見経緯: SCP-1192-JP-EX-βは古来オルゴイホルホイという名でモンゴル人に知られていました。財団による発見はアメリカ自然史博物館兼財団職員ロイ・チャップマン・アンドリュース研究員によるものでした。アンドリュース研究員は人類アジア起源説の検証と平行して異常存在の調査・回収を実施しており、1922年から中央アジア探検隊を率いてゴビ砂漠への遠征を開始しました。探検隊は自動車隊とフタコブラクダの補給線で構成され、高い移動能力を持ち、人類史上初となるゴビ砂漠内奥の調査を遂行しました。
1922年4月、イレン・ダバスから大モンゴル国の首都ウルガ(ウランバートル)へ向かう道中、ガソリンを運搬するラクダがイレン・ダバス付近にて地中からSCP-1192-JP-EX-βの襲撃を受けました。ラクダは前肢を刺咬され重心を崩して転倒し、頸動脈を切断されました。暫時ラクダは四肢を動かしてSCP-1192-JP-βから逃れようともがいていたものの、SCP-1192-JP-EX-βはラクダの咽頭を刺咬したまま手繰り寄せるように移動を開始しました。キャラバンのモンゴル人スタッフがSCP-1192-JP-EX-βを目撃した直後に距離を置き、また恐怖心・警戒心ゆえに正常な行動を阻害されたため、財団職員による応戦までSCP-1192-JP-EX-βの捕食行動は停止しませんでした。
対害獣用ライフル銃を用いて財団職員が駆除を試みたところ、SCP-1192-JP-EX-βは3発の銃弾を弾いた後、体を怒張させ、財団職員への攻撃行動を開始しました。吻部から放たれた毒液の飛沫を4名の財団職員が浴びたものの、後方からの増員も併せて7名による銃撃が行われ、SCP-1192-JP-EX-βの射殺に成功しました。SCP-1192-JP-EX-βの遺骸を回収する最中にラクダの失血死が確認され、また飛沫を浴びた4名の職員が痛み・発汗・発熱・腹痛等の体調不良を訴えました。
アンドリュース研究員はただちに4名を近隣の病院へ搬送させましたが、4名は1週間に亘って著しい嘔気・下痢・発熱に襲われ、回復に至ることなく病室で死亡しました。医師は4名の死因をゴビ砂漠に伝わる奇病「ジン」として診断しました。当該記録とSCP-1192-JP-EX-βの遺骸をアンドリュース研究員が財団へ持ち帰ったことにより、財団はSCP-1192-JP-EXの存在を認識し、これをSA-1192-JPに指定しました。以降1923年から1930年まで4回におよぶゴビ砂漠の調査を継続したアンドリュース研究員はほぼ全ての年次においてSCP-1192-JP-EX-βと遭遇し、これらと交戦の末、標本を確保しました。
ツァガン・ノール(2014年)
後に同種と判明したSCP-1192-JP-EX-αも古来モンゴル人が存在を把握しており、「目に卵を産み付けるハエ」として注意・警戒していました。1922年7月にツァガン・ノールの湖岸でベースキャンプを設営したアンドリュース隊は湖に集合したSCP-1192-JP-αと遭遇し、モンゴル人の勧告を受けてキャンプ地を移転しています。アンドリュース隊は特に風の弱い日においてSCP-1192-JP-αを含むハエと遭遇しました。複数名の隊員から炎症と強い瘙痒感の訴えがあり、観察したところ内眼角に漿液血性分泌物や幼虫体の末端部分が確認され、外科的処置により除去した事例が記録されています。
日本での発見経緯: 現在のSCP-1192-JP-EXはゴビ砂漠のみに生息していますが、20世紀初頭まで現在の日本国の一部地域にも分布しました。日本の個体群はゴビ砂漠から移入したものであり、移入時期は13世紀後半と推定されます。当時のゴビ砂漠はフビライ・ハーンが初代皇帝として統治する元朝モンゴル帝国の領土であり、1270年代までにフビライは南宋を事実上滅亡させ、また高麗を併合し、続けて日本や東南アジアへの勢力拡大を画策していました。フビライは日本の服属を求めて複数回に亘って使節団を派遣しましたが、日本が要請に応じなかったことから、1274年と1281年に大規模な侵略行動を取りました。
侵略に際し、日本の武士と交戦するモンゴル軍
SCP-1192-JP-EXは1281年の大戦において日本の対馬・壱岐・九州島北部に移入したと推測されます。台風の直撃あるいは撤退に際し、元・高麗連合軍は腐肉とSCP-1192-JP-EX-αの積載された樽を投擲しました。日本に着弾・漂着した樽は2000樽を超え、推計100万単位のSCP-1192-JP-EX-αが日本国内に散布されました。当時の蒐集院には夥しい虫が飛翔して空が一時的に黒く染まったという旨の記録があります。これは生物兵器または動物兵器としての運用であり、日本国内での伝染病の拡大という間接被害、またSCP-1192-JP-EX-αの寄生による直接被害を生じました。
結果として元朝による第二次侵攻は失敗に終わりましたが、SCP-1192-JP-EX-αによる蠅蛆症は日本国内で長期的な爪痕を残しました。博多湾沿岸や対馬・壱岐で散乱した武士団や庶民の遺体、また戦場付近の貧しい社会環境に置かれた日本人・家畜の体を介し、新鮮な動物組織・腐肉を得たSCP-1192-JP-EX-αは新たな土地で単為生殖を開始しました。1281年の博多湾に台風が直撃したことも手伝い、SCP-1192-JP-EX-αは東方へ分布を拡大しました。当時の鎌倉幕府と蒐集院の文献には、眼窩と眼球の間隙に侵入したSCP-1192-JP-EX-βが機械的刺激によって蠢く感覚や電撃様疼痛を引き起こしたほか、細菌や消化液に起因すると思われる炎症・失明が生じたことが記録されています。
SCP-1192-JP-EXが日本の温暖湿潤気候に適合しなかったことから爆発的な個体数増加や生態系の崩壊は未然に防がれましたが、自然治癒力の向上に主眼を置く東洋医学ではSCP-1192-JP-EX-αへの対応が困難であり、日本では断続的に感染者・患畜が認められました。また自由生活を開始したSCP-1192-JP-βは全国の野生動物やヒトを捕食し、またその毒液による中毒症状を引き起こしました。SCP-1192-JP-βはヒトを捕食する妖怪「野槌」、また有毒の妖怪「蛟」として認識され、蒐集院や陰陽寮が対応に当たりました。
SCP-1192-JP-EXの日本個体群は中央集権化を目指す豊臣秀吉による地方整備、また近代国家としての成熟を目指す明治新政府による有害生物駆除を経て野生絶滅に至り、根絶には約650年を要しました。なお、蒐集院が保管する生体試料は第二次世界大戦後に財団へ継承されました。
補遺: SCP-1192-JP-EXの軍事利用は元朝およびモンゴル帝国史から見て特筆すべき点です。帝国は偉大なる最高指導者に仇なす逆賊の殲滅を聖戦と捉え、13世紀にはユーラシア大陸の東西南北で虐殺と支配に走り、人類史に多大なる影響を及ぼしました。しかし国家の規模と戦線の数にも拘わらず、帝国がSCP-1192-JP-EX以前に動物兵器を利用した例は移動用のウマとラクダに限られており、非ウマ・ラクダ型動物兵器を実戦投入した例としては1281年の侵略が最初です。
帝国が生物兵器を利用した例に14世紀のカッファ包囲戦が挙げられますが、この戦いにおけるキプチャク=ハン国によるペスト患者の投擲は1347年であり、元朝の日本侵略はこれを60年遡るものです。また元朝は13世紀中にベトナムやジャワ島に対しても海を渡っての侵攻を行い、かつこれに失敗しましたが、これらの戦いにおいてもSCP-1192-JP-EXは導入されませんでした。フビライの日本侵略には他の征服対象地域とは異なる思惑が存在した可能性が示唆されます。
またフビライは日本宛ての国書の中で祖父にしてモンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハーンに言及し、チンギスによる世界征服を天命として掲げています。このことから鎌倉幕府に強い憎悪を抱くチンギスの遺志が日本侵略に介在した可能性を指摘する見解があります。
況我祖宗受天明命奄有區夏
⸺ フビライ『蒙古國牒状』(1266年)より
日本では、平氏政権の壊滅後、後の鎌倉幕府初代征夷大将軍となる源頼朝は、弟である源義経との対立関係にありました。義経は朝廷や奥州藤原氏をはじめとする政治権力との癒着を疑われ、源氏政権の成立を妨げうる危険分子と判断されました。平氏打倒と同年の1185年に頼朝は挙兵し、京都の義経邸襲撃を皮切りに義経も頼朝打倒を掲げました。京都を脱出して東北に辿り着いた義経は、1189年の戦いで臣下の多くを失いながらも追討を逃れ、津軽海峡を越えて北海道島へ上陸しました。
政府宮殿のチンギス・ハーン像
義経はアイヌ人の交易路を介してユーラシア大陸へ渡り、高い騎馬能力を以てモンゴル高原の部族を統率しハンの地位に上り詰めました。義経はモンゴルでの生活で現地の生態系と遭遇し、少なくともSCP-1192-JP-EX-αの軍事転用に価値を見出したものと考えられます。自身を迫害する頼朝への失望と憎悪は旅路の中で摩滅することがなく、源氏政権への報復は義経の孫の代まで継承される野望・悲願に昇華されたと推察されます。