「兄ちゃん、見ねえ顔だな。ひとり?」
全くもって理解できない。牛丼屋の店主が、待ってる奴に話しかけてくることがあるか?店内はコイツ1人だけのワンオペ。何かの待ち時間なのかもしれないが、そんな風に暇そうにしてると「いや、料理早く出せよ」ってムカついてくるだろ。
俺は無視して、周辺のマップを眼前に開き空中で指をくるくると回す。カウンターの上に浮かび上がるアウターオーサカの地形は、規則も秩序もないこの世界の輪郭をそのままに映し出していた。店主は相変わらず、厨房の中から腕を組んだまま、こちらを覗き見ている。
「答えねーと出してやんねえぞ。作んのめんどいんだから、ナットー牛丼」
「......俺が誰だっていいだろ。ただ昼飯食いに来ただけなんだから早く作って出してくれ」
ワニ頭の店主の黄色の目がギラリと光る。ここの人間(人間?)は縄張り意識が強い。旨いも早いも安いもなってない癖に、沸点だけは皆一様に低いのだ。
「昼飯だぁ?おめえ、最近"外"から来ただろ。アウターオーサカで昼なんざ今時聞かねぇんだよ。それにおめえみたいな皮膚の白ぇ人間がナットーなんか食うわけねえだろ。バイオロイドかなんかのフリするならもうちょいうまくやれ」
「俺の時計が12時を差してる時に食う飯は昼飯だ。肌が綺麗で悪かったな、全くこんな汚ねえ環境じゃ目立って仕方ないよ」
「テメェ──」
......余所者のことなんて放っておけばいいのに。今の俺は、お前を邪魔するつもりもなければ、興味もない。
カウンターを乗り越え掴みかかろうとする店主のマズルの先に、天から拳を振り下ろす。木製の古ぼけたカウンターは破かれて、店主は上半身をその割れ目に思いっきり食い込ませることになった。数日ほどここにいて、俺はここでの過ごし方を学んだ。手段を選ぶ奴は愚か者で、誰も彼も悪でいなければならないということを。
気を失ったらしいワニ男を一瞥し、入れ替わるようにカウンターを飛び越える。一口も食わずに店を出る訳にはいかないので、俺は厨房に山積みになっていた提供用のナットを鷲掴んで口の中とコートのポケットに放り込んだ。仕込みは悪くない。心地良い歯応えとこの金属臭さを求めていたんだがな。ここの店はハズレだった。
店を出た俺のことを、逆さまにぶら下がったオーサカのネオン街が下品極まりなく照らしていた。ここに来てからというもの、いいことなんてひとつもない。
✡
『オーガ!今日は随分機嫌が悪かったロボね?たしかにあの時点で普段よりも2分32秒昼食が遅れてたみたいロボけど、そんなに気にすることじゃないと思うロボよ』
「そんなん俺も気にしちゃねーよ。暇そうにしてる奴を見るとムカつくだけだ」
『オーガは休んでないんロボ。このままだとオーガの体が壊れるロボよ』
お前にもムカついてんだよ。
と、俺は俺にしか見えていないガキに視界を邪魔されながら、常夜のサカイの街を早足で進む。雨上がりでもないのにやたらと湿った地面はこの街の下品なネオンを反射させ、いろんな匂いを漂わせる。胃液、ガソリン、そしてタバコ。
アウターオーサカに入り込んだ数日前から、俺の脳はこいつにハッキングされている。法も秩序もないこの街を彷徨っていたこいつは、あらゆるセキュリティを突破してあっという間に俺の眼前に現れたのだ。名前はAdam。人工知性体らしい......真偽は不明だが。
自称するほどにかっこいいもんでもない。情報性の妖怪って所だろう。電脳を通じて俺の思考はAdamに筒抜けだった。ちょっと考えたことにも相槌を打たれるし口を挟まれる。俺が構ってくれると勘違いしてるんだ。
『ロボは面白そうなことが好きなんロボよ!人間の頭の中なんか初めて入るロボ〜!だからオーガ、人探しのことばっか考えてないでたまには遊びに行くロボよ!』
コイツを生み出した奴がもしいるなら、そいつは相当友達がいない根暗な奴だろう。きょうび漫画でも見ないようなキツい一人称と語尾だし、"ある一定層"に好まれそうな色素の薄い少年の見た目をしている。ホログラムのような透けた体で常に付きまとい、飛んだり走り回ったり、手を引いたり肩に乗ってきたりする。
今の俺に話し相手なんか要らない。俺のおもりが要る子供なんか尚更だ。少しでも早くこんな世界と、こいつともおさらばしてやる。
『オーガはもっと観光したくないんロボか?ロボたち2人ともアウターオーサカ初心者なんだから絶対楽しいロボよ!USJ行くロボ!』
「遊ばねえっつってんだろ!そんなに行きたいなら1人で行っとけ!」
『じゃあ空飛んでほしいロボ!ロケットパンチも見せてほしいしビームも撃ってほしいロボ!そうしたらここで遊園地気分になれるロボよね!?』
「やんねえよ!市街地だぞ!だいたい俺が義体になったのはな......」
「あの、お兄さん」
背後から声がして振り返る。Adamとのやりとりは基本脳内会話で済むのだが、熱が入ると思わず口から漏れて、周りから変人を見る目をむけられることも少なくない──しかしその小背の男は、そこには気にしていない様子で。
「ここの方ですか......?お聞きしたいことがあるんですけど」
スーツ姿の男は──だいぶ見下ろす位置に頭があるその男は、まだこの街に染められていないような、無機質な匂いがした。俺にしか見えていないディスプレイは、奴の平均的な体温と、少しの緊張状態である心理を示している。
1人で虚空に怒鳴っている変人だと思われていないことに安堵しつつ、アウターオーサカの他の住人と同様に言葉をかける。
「悪いけど俺は急いでんだ。あんたの用には付き合えない」
「ぼくもです。人を探してまして──この顔、見覚えないですか」
「だからそんな余裕は......あ」
男が見せてきた1枚の写真は、俺が今ちょうど求めていた、1人の男のものだった。白髪と中華風の白いスーツ、そして顔。
俺は想定よりもだいぶ早く鞄に手をかけた。
「悪い、都合が変わった」
「は?」
「俺は世界オカルト連合のエージェント・オーガだ。任務で、俺もこいつを追ってる。持ってる情報全部教えてくれないか」
ネームカードを見せながらそう告げる。男は、小さな体をほんの少し震わせて、鼓動するように浮かぶ俺の名前と顔写真を、不思議そうに眺めていた。
✡
「財団職員だったんだな」
男は神羅キリムと名乗った。写真の男を探すために協力者を探していた俺は、偶然にも財団の人間と遭遇したようだ。道中を共にしてくれた神羅研究員が、当面の間は俺との渉外を務めることになった。
「ええ......こんなところでGOCの方からアプローチを受けるとは、驚きましたよ」
応接室は少しだけ散らかっていて、周囲を見渡してもプレハブの休憩室のような印象を受ける。なんでも、元々廃墟だったところを改造して財団がサイトとして使っているようだった。
無言で出てきた緑茶を無言で飲み干して、俺は息を整えて言う。
「アプローチってほどでもねえよ。今の俺は単身赴任みたいなもんだからな、同じく正常性維持機関である財団の力もできるだけ借りておきたい」
「なるほど。ぼくは歓迎しますけど......正直、我々はそう簡単に協力できる関係だと思っていなかったので」
「そういう時代もあったみたいだけどな。今もか?まあ、もう俺には関係ないよ」
アウターオーサカにはどこのタイムラインからでも大概アクセスできる場所らしい。立場を明かすついでに俺たちは互いの住む世界について軽く語った。1998年にポーランドで1匹のセミが這い出してきてから、あらゆるベールが捲られて......この街が生まれたのも、俺たちの世界の出来事が原因だっていう話をした。
神羅の方は、未だ異常存在やパラテクが大衆から遠ざけられている世界の財団で働いているらしい。アウターオーサカにアクセスする方法が一般社会の中で発見され始め、収容と研究に勤しんでいるところなのだという。
「ちなみに、オーガさんはおいくつなんですか」
「18」
「えっ」
神羅は机に項垂れた。嫌な奴じゃないんだが、いちいちリアクションが大きいところとかに幼さを感じる。
「18の貫禄じゃねえ......」
「よく言われるよ」
椅子を軋ませながら、俺は少々見栄を張った。元々身長が高かったし義足で少し盛ってる。両手両足がそうなってるとガタイも数割増で見えるらしい。
「なら年下じゃん。敬語使わなくていっか」
「......勝手にしろ」
「ちなみにぼくは27。ちなみにね?......今から1週間ぐらい前、ここアウトポスト-728が1人の現実改変能力者に襲撃された。幸い人員の損失は出なかったんだけど、機材類が大きな被害を受けた。破壊されたり、持ち出されたり」
俺とは別の世界の財団の、アウターオーサカにおける前哨基地はまだ設立して間もないらしい──というか、廃墟周辺に建てられているので基地としての役割もまだ怪しいような印象だった。そんな中、目的不明の謎の男による襲撃に遭ったのだという。
「見た目は白髪オッドアイで白いスーツを着てた。はっきり言って、その辺歩いててもすぐ気づくと思うね。髪もコートも全部真っ黒のオーガくんとは違って」
「仕方ねえだろ俺だって派手な服とか着たい」
「男はとにかく大量の銃火器を連れていた。足元を埋め尽くして空中にも浮かべて、形状も様々......それら全てを操って、あっちの入口の壁を破壊して突撃してきたんだ。それらのいくつかは、実体のない"エーテル"であることがわかってる。GOC風に言うと──」
「──タイプ・パープル」
「そうそれ」
財団職員たちはせめてもの対処としてポータルから元の世界に避難はできたのだが、運び込んだ機材の全ては守れなかったらしい。
俺も実際にここを訪れてさほど経っていないが、元の世界でもアウターオーサカの話題には事欠かなかった。常識をひけらかすような口触りの悪さを感じながら、俺は切り出した。
「神羅、お前、ここ来てどのくらいだ」
「お前って......まあ、半月くらいだけど」
「お前たち財団はこの辺未開拓だから知らないかもしれないけど、教えてやる。この街はタイプパープルの現実改変能力者『紫煙使い』がうじゃうじゃいるらしい。徒党を組んだり、抗争を起こしたりもしょっちゅうだ──目標は絞れるし、寧ろ探しやすいってのはあるけど」
「はぁ。やたら治安悪いことはわかってたけど......ここも一層、武装強化しとくべきだって話になってたとこだよ」
悪が蔓延る街とか、勘弁してほしいね。と、神羅は常識人ぶってぼやく。結局、一貫して白髪オッドアイ男の雰囲気以上の詳しい素性はわからなかったが、まあこのラインが築けそうならひと安心だ。俺1人では途方もない作業だと思っていたが、財団なら人探しのノウハウもあるだろう。
「オーガくんはこいつを追ってわざわざ来たの?」
「仕事だからな。俺が元いた世界でもそこそこの規模で力を行使して......アウターオーサカに逃げ込んだみたいだ。指名手配されてるそいつを排除すれば任務完了で、向こうに帰れるってわけ」
「......1人で?オーガくんが戦えるのかも知んないけど、GOCだって部隊とか用意してるもんじゃないの」
「俺はあくまでエージェントだから......すまん、盛った。今回は正確に言うと視察だ。標的は殺さなくたっていい、確保作戦の準備段階なんだ。ただ、俺としてはすぐに対処出来た方が良いって思ってる。一応手配書もあるぞ」
「なるほどね......殺してほしくはないんだけど......わかったよ」
その後少しの話し合いを経て、俺は襲撃者探しの協力者として正式に招かれることになった。詳細な情報の共有や共同での捜索、互いの安全の確保についてなど。
✡
このアウターオーサカ、人の密度も凄まじい。素性のわからない男の捜索はまだまだ難航しそうだ。自警団の類にだって信頼されるかどうかわからない。せめて、街中の監視カメラの映像でも確認できればいいんだが......
『......オーガ?』
先程、神羅と話している間は珍しく黙りこくっていたAdamが、吹き出し付きで切り出してきた。AIアシスタントよろしく、呼ばれるまでそのまま静かにしていればいいものを。
Adamの高い合成音声は無機質ながら抑揚と感情がよく乗っている。適当に聞き流せないギリギリの声で、いつだって俺の思考を邪魔してくる。財団のサイトを去ってからというものサカイ調査の進捗もなく、退屈だ。
『結局、あの人のことを探してるロボか』
「ああ。お前、余計な事すんなよ?......できるとは思わねえけど」
『心外ロボ!最初から邪魔する気なんかないロボよ!それにあの財団職員も良い人ロボ。オーガに協力してくれる気持ちは本当ロボよ』
「のわりにはお前、さっきまで静かだったな。普段は街の奴らと話してる間も口挟んでくるのに」
『それはほらなんか、いつにも増して真面目な話してるなって思って、ロボも黙って聞いてただけロボよ』
......なんか様子変じゃないか?コイツ。
とふと思えば『そんなことないロボ!』と声を荒げ、くせっ毛の頭の上から煙を放出して俺の視界を占拠してくる......俺の視界を占拠するな!
Adam曰く俺の頭の中から出ることはできないらしい。全容のわからない異常存在のこいつを信用するのもどうかと思うが......それを解析したり検証したりするのは俺の担当ではないし、そんな時間もない。
『オーガが帰ろうとしてるこの道、22時間と40分前にあの男が通ってた痕跡があるロボ』
「......は?」
当たり前みたいにそう続けるAdamは、自分がとんでもないことを言ってる自覚があるんだろうか。それともマジで適当言ってるのか?......そんなこと、なんでわかるんだよ。
『あそことあそこに倒れてる住人と......あそこの2階に住んでる人と、そこの1階で質屋やってる人。みんな義体だったり電脳だったりで頭がロボになってたロボ。視覚データだけこっそり読み取って、この道を今オーガが進んでるのと同じ方向に歩いてたのがわかったロボよ』
「そんなことできたのかよ......てかお前、やっぱ別の機械に意識飛ばせるじゃねえか」
『データ盗み見れるだけで意識は移せないし会話もできないロボ!1回オーガの頭と接続しちゃったせいで......別のとこに行くには、ロボの意識を初期化しなきゃいけないロボよ』
「大昔の外部ストレージみてえだな......全く、使える機能もあるなら早く見せとけよな」
『酷いロボ!頑張ったのに!』
上を見上げれば、監視カメラらしきもの(監視カメラだったもの)は臓腑をはみ出させて風に揺れていた。確かにアレでは、記録を確認したりは流石に出来ないのだろう。
しかし俺単独であの男の追跡ができるようになったのは大きな進捗だ。人妖入り乱れるオーサカで機械の頭を持つ奴も珍しくないんだろう。監視カメラの代わりに利用できるし、もし関係者がいるなら会話した内容とかも聞き出せるはず。
『特にあそこの質屋の人には......店で白い髪の男と3分24秒の間話してたところが記録されてるロボ。会話の内容は曖昧でうまく確認できないロボね。全自動忘却(こうやって機密情報を抜かれないようにするための機能)かな......』
なら、事情聴取する他ない。詳しい風貌や活動圏についての解像度を上げる。仲間という線もあるが、もし戦闘になっても対処できるだろうし、今なら財団にも連絡がつく──それと名前だ。些細な情報のはずなのに、ここまで調べて名前に関する話が微塵もないのが、俺の胸に輪郭の不明な蟠りを作っていた。
✡
紫色にぬらぬら光る戸を開ければ、店の中まで同様の色味で両目が麻痺りそうだ。何かの義体、合成素材、調理器具にレールガンなどがあたり一面に転がっている。質屋とは名ばかりのジャンク倉庫以下のなにかを、蹴とばしながら這入っていく。
「よぉお客さん!金貸し兼コレクション置き場の俺の店へようこそ。その辺に転がってんのは客が置いてったもんだから好きに持ってってくれ。それとも今日は何かい?核融合ドライヤー?旧型のタイムラジオ?それともあんたの樹脂水晶みたいな目でも預けに来たってのかい」
「客じゃない。この辺りをうろついてたらしい男を探してる。お前、こいつ見覚えあるよな」
極めて杜撰なコレクション体制と定型文みたいな挨拶は意に介さず、俺は本題を突きつけた。有機ELで覆われた店主の頭はいかにもロボの風貌を見せていて、表面を先程の台詞が流れていく。やはり台本が用意されているタイプの自動装置なんだろう。自分の意思も何もない。
店主は相変わらず無言で首を傾げて、円盤が回転するようなうめき声を上げている。こいつから情報を聞き出すのは、Adamが言ったとおり難しそうだ。俺は息をついてカウンターから立ち去ろうとした。
その時。
店主の頭が、大きく二つに割れた。
「あぁ......?記憶力には自信あんだけどなあ、見たことねえや。悪いがお客さん、他当たってくんねえか?」
「──!!」
正中線から真っ二つに分かれたその隙間から、銃身が顔を覗かせた。
カウンターの裏に隠れた俺を追うように、上から下へと弾をぶちまけた。その死角で俺が装備を整える間にも、その銃弾が店中のジャンクを、次々に変質させていく。それらは皆機関銃のような外見に変形していき──一斉にこちらを向いた!
「畜生!」
幸い出口まではさほど遠くない。俺は自らのアキレス腱に手を伸ばして、セーフティを解除する。壁を破ろうが構わない。右足首を爆発的に離脱させることにより、降り注ぐ雨のような銃弾のどれよりも早く、店のドアに体当たりして外へ脱出する。
「ん?お客さんどこ行っちまったんだ......?ってなんだこれ!俺のコレクションがメチャクチャじゃねえか!」
店主が俺を追い店の外まで顔を出す。質屋の中はとめどなく溢れ続ける銃弾で穴だらけになってるだろう。それか俺の右足がなにかに引火させて爆発でも起こす頃合いだ。光やら炎やら銃撃音やらが、ネオンの明かりの鬱陶しさにも負けずに異様さを放っていた。
相変わらずとぼけた合成音声の店主は、自分自身が俺の命を奪うため頭部の銃で狙いを定めているという自覚もないようで、無尽蔵の弾を垂れ流したまま俺の方を向く。その視線と射線から逃れるため、もう片方のアキレス腱にも手をかけた俺は、いい加減バランスに耐えかねた体もろとも空中に解放した。
GOC謹製の義体の奥の手。四肢が弾けたあの日から、俺はいつでもロボ人間になれる力を手に入れていた。
『オーガ!ここ一帯の住人......ほとんどが機関銃に改造されたあとロボ!とにかく、今は離れるロボよ!』
騒ぎにを聞いたらしいほかの住人達も続々と道へ出てくる。皆一様に、アトムよろしく両足から火を吹いている空中の俺を見上げる。その頭部や腕は銃身に変化しており、虚ろな顔(顔がないやつもいるが)で俺を確実に狙ってきていた。
地上から銃撃が届く距離にも限度がある。高度をあげて北西に向かって飛ぼうとすると、同様に飛行能力持ちらしい住人の1人が俺を空まで追ってきた。俺が小銃を取り出すよりも早く、頭の中から銃身を出して撃墜を狙ってくる。そもそもこんな対人用のものでは、一般人とはいえこの街のやつらのボディに凹みを作ることさえ難しいだろう。爆薬の類も今は持ち合わせていない──いや。
「──戦闘用に体作り直してもらえよ、この三下が!」
敵に向き直って右手を引き、空中を殴りつけた──俺の拳は、肘から先と一緒に発射される。
俺の体は生身の部分も多く残すため、銃撃は避けなければならないのだが......なら、義体だけならどうだ。お前たちアウターオーサカの人間になんて負けない頑丈な特別製の代物。全ての弾をはねのけて俺の右手は、離れたそいつの鼻っ柱を正面から殴りつける。ここでいう鼻っ柱とは、頭の真ん中辺りから突き出た銃身のことだ。
射線を大きくそらすのみならず、バランスを崩した義体はオーサカのネオン街に落下していく。追っ手がこれ以上ないことを確認して、俺は地上からの衝撃音を聞きながら先に進んでいった。
大昔のオーサカ人の言葉を借りるなら、こうだ。──奥の手は、なんぼあってもいいですからね!
✡
『オーガ......!やっぱり飛べるしロケットパンチも打てたロボね!かっこよかったロボ!今もジェットコースターみたいで楽しいロボよ!』
「そんなこと言ってる場合じゃねえんだよ」
サカイ上空を移動する俺に、Adamも浮遊して付いてくる。飛んでるところを見られるのは間抜けな気がして嫌なんだ。もちろんAdamは俺の脳内にしか実在していないのだが。
『にしても危ないところだったロボね......あの人たち、めちゃくちゃオーガのこと殺そうとしてたロボよ』
「はは......オーサカの連中は結局のところ野蛮人だからな。それにアイツ......写真の男のことも俺は前から追ってたから、警戒されてんだろうな」
俺は意味もなく苦笑する。
「間違いなくこの街にいるってことがわかったのは嬉しいけど。それと、アイツの目的だ。財団を襲撃したりはするが、街でテロを起こしたりはしてないらしい。何か事情を抱えてる」
『そうロボね......オーガ、アウターオーサカの土地神──H.R.K.が、外の世界から呼ぶ人の条件、っていうのがあるんロボけど』
ここの住人の多くは、とあるフレーズを目にした外の世界の人間なんだそうだ。H.R.K.との縁があったと言っても、この犯罪と悪徳に塗れたオーサカに呼び込まれるような奴は、総じてろくな奴じゃない。
『元の世界でも悪人や罪人だったような、とにかく悪いやつ。牛丼屋の人も質屋の人も、写真の人もみんなどこか歪んだやつばっかロボ。財団は言うまでもないロボね』
Adamは意地悪な顔をした。俺の頭の中にずっといるからか、性格が悪いところとかも少しずつ似てきたんだろうか。こいつが元々どういう存在なのかは知らないが、自由に好きなこともできず同じ場所に縛り続けられるなんて俺なら我慢できない。よほど何かをしでかして、大きい罰でも受けてるところなんだろう。
『......でもオーガ。オーガは、自分のこと悪いやつだと思ったことあるロボか』
アウターオーサカは歪んだ地形をしているが、その規模は実質無限と言われている。今ぐらいの高度(天地が反転しない程度の上空)なら、ネオンの明かりで構成された地平線が見えることに気づく。つくづく異質な世界だ。
......Adamは思考が読み取れるだけで、思考を先読みできるわけではない。思考が筒抜けなだけでだいぶ複雑だったりするけどな。誰でもちょっと抱えてる秘密があることぐらい、普通なのに。
「あぁ。俺も立派な悪だよ。こんなとこに来ちまったのも、当然の報いって言うのかな」
『そんなことないロボ!オーガも元の世界でいろいろあったみたいロボけど、オーガが1人で抱えるようなことじゃ』
「......神羅からだ。どけ」
そう言っても視界の端にどうしても映り込みたいらしいAdamを無視して、電脳内で通話の着信を受ける。地上の喧騒も届かないオーサカの空、上下のネオン街の合間を俺は尚も北西に飛び続けていた。
[あー、オーガくん?サカイの南部でちょっとした騒ぎだ。君が無事ならいいんだけど]
「問題ない。住人が一斉に俺に敵対してきただけだ......一応、アンタらも近づかない方がいいよ」
[思った通りタフだね。原因は?]
「義体の住人達に、俺を認識したら攻撃を始めるようなプログラムが仕込まれてた......ってとこだ。奴そのものの映像も確認できたから間違いない。まあ、奴は俺のことをバッチリ認知してるみたいだ。そのほうがよかったけどな」
[ありがとう。我々も確保に動くことにするよ──居場所は掴めそう?]
「いや、まだ詳しくは。引き続き調査中だ。判明したらすぐ共有する」
[了解。それよりオーガくん、今単身で動いてくれてるみたいだけど、大丈夫?敵は強力だ。君が急いで向かう必要ないんじゃ]
「......まずは視察と、対話の余地があるかどうか調べるだけだ。刺激するつもりもねえし攻撃を仕掛けたりもしない──俺の身に何かあれば、即座にGOCの部隊が出ることになってる。体力的にも余裕はあるし問題ない」
噓ではない。何かしら口にすれば、義体の予備バッテリーも含めてあと一週間は動ける。両脚の足首はさっきの質屋と一緒に爆散したが、飛び続けることになっても充分な体力が残っている。
[GOCにせっかちが多いのは、君の世界でも変わらないんだね。とにかく、無事を祈るよ]
通話が終了された。俺は懐からナットを数粒取り出す。以前に牛丼屋の厨房から拝借したコレは、義体化して以降、何故だか金属も食えるようになっていた俺が、初めて旨いと感じたものだ。少しだけ口の中で転がしてから、奥歯を使って嚙み砕く。アウターオーサカの唯一の楽しみがコレだった。食べるたびに体力が回復していく感覚と、心地良い浮遊感に満たされる。
『......オーガ』
一瞬だけぼやけた視界にピントを合わせ直すと、Adamが神妙な面持ちで俺を覗き込んでいた。俺の頭の中だけの存在なのに、まるで一緒に夜空を飛行しているような感覚だった。
『いつ言うんロボか』
「あ?」
『オーガは今、ひとりぼっちで......自分の意思じゃなくアウターオーサカに迷い込んで、作戦でもなければGOCの助けも来ないってこと、神羅さんにいつ言うんロボ』
「......言ったってどうにもならねえだろ」
『オーガは今噓をついてるロボよ!神羅さんは、財団はオーガを助けに来るつもりロボ。アウターオーサカについてわからないことも多いまま、自分たちを襲撃した犯人を捕まえるために動いてるんロボよ──オーガは、そんな悪い奴じゃないロボ』
「お前に何がわかんだよ。俺がここに来たのは偶然なんかじゃねえ──財団が偶然いたってだけだろ。あいつを探すのに協力者は必要だったけど......結局は俺一人で居場所を突き止められそうだ。あいつらが迷惑を被ることはねえよ」
『オーガの目的は、怖いロボ。うまくいかないと思うロボ。危なくて、死ぬかもしれないロボよ。......それでも、オーガは』
「俺が死んだら困んのかよ、お前」
奴がいるのはきっと、"ユメシマ"だ──ここから進行方向にある島で、オーサカ中の廃棄物が集められてできた衛星地区サテライト・ディストリクト。奴の能力は、あらゆる機械を銃火器に変える。ジャンクだらけのあそこを根城にしている可能性が高い。
そこまであと10kmほど。退屈だ。こんな会話なんて独り言にも──ただの妄想にもならないのに。
『ロボは、いろんな物を見て知りたいロボ。種族の本能なのか──同族には会ったことないロボけど。彷徨ってたときは自由に移動したりできなかったロボ、でも、アウターオーサカの外からきたオーガと一緒なら、初めてのことがいっぱいできると思ったロボ......ロボは、オーガに生きててほしいロボ』
「......お前が勝手に一人で行けばいい話だろ。その方法は考えておいてやるから、俺のことを助けようとか思うなよ。この話は終わりだ。神羅にも内緒にしておけ──俺の考えてること、お前ならわかるんだろ?」
『......オーガ』
こいつがいなかったら、俺の目的はどれだけスムーズに進んだことだろうか。こいつがいなかったら、俺の目的はどれだけ困難を極めただろうか。
『最後までロボは、オーガの味方ロボよ』
こいつは、アウターオーサカのどこかで産まれ落ちた存在なのだろうか。それとも"声"を聞いて、俺と同様他の世界から来たのだろうか。俺のことばっか考えてるAdamのことを、俺は考えてやる余裕もなくて。
✡
GOC職員であってもそうでなくても、休日とは貴重なもので。
「見せたいものがある」
当時の父の言葉の重さになんか気づかず、ガキだった俺は単なるドライブ気分で楽しんでいた。
オーガになんか見せてどうするの、と言う母を助手席に、俺をその後ろに乗せ、山道を駆けていく。車といえば自動運転──という時代に、自分の腕しか信用できないような、そんな親父だった。
後部座席からカーナビを眺めていると、おかしな地形を見つけた。今進んでいる道の突き当たりに、真っ黒の領域が広がっている。読み込みが遅れているわけでも、画面が壊れているわけでもなさそうだ。
ここは近畿地方のとある山中。この場所の真っ黒の地形が何を指すのか、さすがの子供にも常識として備わっていた。
「ここから先が、大阪の奈落に落ちた部分だ。あんまり近づけないんだが、見えるだろ」
本来であればこの山道は、もう少し上っていくような地形をしているのに、数十メートル先に見えるバリケードで遮られ、そこから先の地形が消失しているのがわかる。さらに向こう側には、虚ろな空間が広がっているんだろう。
「俺と母さんの仕事、わかるよな?」
「GOCでしょ」
「ああ。人の脅威になる存在をやっつけて、街の安全を守るために、毎日戦ってるんだ。でも大阪で起きた奈落事象......こんな風に街が丸ごと消えるのを、俺たち大人は止めることができなかった」
別に二人とも、オーサカの崩落事故に関わるような仕事はしていない、普通の職員だ。子供に言い聞かせるための詭弁だったことが後になって分かっても、別に何とも思わないが。
「失ったものは戻ってこないことが多い。でも、いくらでも方法は探せるんだ。修理して治したり、代わりのものを用意したりな。こないだお前が大事にしてたラジコンが壊れた時も、新しいの買ってやっただろ?」
「うん。でも時間逆行機で壊れる前に戻せばよかったんじゃないの?」
「あれは危ないし高いから......オーガがもう少し大人になったときに使えるようになるよ」
失ったもの。今になって思うと、その言葉には自分たちの抱える後ろめたさも含まれていたのかもしれない。
「人間が失ってきたものの多くは、これから努力次第で取り戻せる筈だ。お前もGOCに入ってくれたら嬉しいが、そうとも限らない。ただ、諦めないで、いろんな方法で努力をしてくれ。失ったものを取り戻すために、もう何かを失うことがないように、全力を注いでほしい」
そんなドライブの帰り道だった。
一本道のど真ん中に、男が立っていた。
夜道に溶け込むような全身真っ黒の服。後ろ姿だけでもわかる異様な佇まいをみて、車内に緊張が走った。
走行音の静かな車とはいえ、ここまで近づいても微動だにしないその様子に耐えかねた親父が、クラクションを一発。ブザー音が男の両脇をすり抜け、夜の山に吸い込まれていった。
男がこちらをゆっくりと振り返ると、その顔には紫色の靄がかかっていた。
「──!!」
両親はそれぞれのドアから素早く降りて、きょう一日持ち歩いていたらしい拳銃を男に向けた。母親のアイコンタクトを受け、後部座席の俺は、いざという時のために教わっていたGOCの番号で通報する。
「お前──」
一瞬にして何か『弾』のようなものが、その男から放射状に拡散された。そのうちの一つがフロントガラスを貫通し、俺の肩を貫く。
でも、叫び声はあげなかった。母親が穴だらけになるのと、車が火を上げるのと、父親が燃えるのを、同時に見てしまったから。
もはやどこが爆発したのかわからなかった。男がどこにいったのかもわからない。親父の叫ぶ声を崖から落ちる車の中で聞いていて、気づくと俺の四肢は代わりが必要になっていた。
✡
ユメシマに到着した。土地神が暴走し、この都市が奈落に落ちる前までは、オーサカ湾沖に存在する最終処分場として存在していたらしい。廃棄物まみれの埋め立て地として他の役割を得ることもできず、地続きの地形から離脱した今も永らくアウターオーサカにおける最終処分場として、留まることなく浮遊し続けている。
正規の手段で廃棄できない、違法なモノ、後ろめたいモノ、異常なモノ──それらが行き着く場所。そんな場所は時に、宝が眠るジャンクの楽園として住人を呼び寄せる。人の制御を離れた物品で溢れかえっていて、危険な場所であることは違いないが。
GOCのエージェント・オーガ。オーガという名前は、俺の本名だ。勿論元の世界では、別のコードネームを名乗っている。本名の方が、ここでの人探しに都合が良いから。
ゴミが積もり積もった山の上に、煙をまとう、ひとつの人影を見つけた。
「君、GOCの......まさか、ここまで来るとは。私のことを探ろうとして、どういうつもりですか」
周囲のジャンクから銃身が伸びてくるのも厭わず、無防備にゆっくりと近づいていく。目線の先にいるのは、間違いなく写真と同じ男だ。俺の態度に、男も少々狼狽えたようだった。
白髪の白いスーツと、黒髪の黒いスーツが対峙する。奇しくも真反対の格好だ。神羅も以前、似ても似つかないと言っていた。
俺はそうは思わない。特に顔とかそっくりじゃないか。
「名前を確かめさせてくれ。伊武野ミコト。合ってるな?」
"ミコト"は何故その名を、と呟いて後ずさる。サカイの住人を使って俺の事を殺そうとしたのも許してやるから。
「よかった。俺の名前は伊武野オーガ。あんたを探しに来た、あんたの弟だ」
......兄貴。
こんな世界、二人で抜け出そうぜ。
とある超常テロの主犯格の顔が俺に似ていたこと。素性を調べていたところ、本名が俺と同じ苗字だったこと。それらが判明してすぐ、俺は同じくGOC職員だった親を問い質した。
親父の「まさか生きてたとはな」という言葉を聞いた時。
俺は怒りで目の前が真っ白になった。
「物心ついて体から紫色の煙を出すようになったあんたを、うちの親は捨てたらしいな。実子を殺せなかったかららしいけど......GOC職員なら殺すべきだったと思うし、殺すのとなんの変わりもない」
古い人間だったんだよ。
異常性が一般化して何年も経ってたはずだ。生まれてきた子が現実改変者だったというのが受け入れられなかっただけなんだ。「身内の脅威存在を排除した」っていうような美談にすらならない、愚かな選択。
「やはり......私を棄てた人達の、息子だったわけですか......弟くん。そんなあなたが何故、私に会いに来たのですか」
ミコトの足取りが途絶え、アウターオーサカに居るとわかった時、GOCは酷く尻込みしていた。次元が崩落したオーサカなんかに、組織は捜査員を派遣できない。追跡の打ち切りさえ検討された。
俺は大きく息を吸う。腐敗した金属やら肉の破片やらで鼻が曲がりそうだった。
「俺の家族があんたにしたこと、謝罪させてくれ......本当に申し訳なかった。どれぐらい苦しんだのか想像もつかない。その力で一般市民を襲って、挙句こんなところを彷徨ってるんだからな......ミコト、俺と一緒に、平和な世界に行かないか?異常も正常も関係なく、穏やかに過ごせる場所に」
アウターオーサカなら、それが見つけられる。
ミコトの居場所はあの世界じゃない。悪意と犯罪にまみれたアウターオーサカなんて以ての外だ。失った人生を取り戻せるぐらいの、力に頼らなくていいし重火器も存在しないぐらいの、目一杯の平穏。サカイでは日々数多の次元をつなぐポータルが開くらしい。還り方なんかわからないけど、どこか別の宇宙まで行けば、俺たち二人で普通の兄弟をやれると思うんだ。
「どうだ。俺はあんたと敵対するつもりはないんだ。GOCとの繋がりも今はない。元の世界に戻ったところで、この単独行動がどれぐらいのペナルティになるかわかりゃしないよ。頼む、信じてくれ。そして、俺と来てくれ......ミコト」
「......貴方からそんなことが聞けるとは。驚きました。確かに悪くありません。いろんな場所を彷徨って、財団やGOCから逃げ続けて、一人で生き延びなければならなかったあの日々と比べれば──次の世界は、さぞいい場所でしょうね」
ミコトを覆っていた煙が薄くなっていく。俺は左手を伸ばしながら、少しずつミコトに近づいていった。ここのところ、ずっと夢に見ていた光景だった。昔から、兄貴が欲しかった。いつでも俺を優しく諭してくれる、頼れる大人の兄貴が。
「......ただ」
俺と同じく片腕を伸ばすミコト。
薄くなったはずの煙は、徐々にその手の中で塊になっていき──一丁の拳銃の形を成した。
「弟くん。貴方と共に行くなんて御免なのですよ──私は貴方のことも憎んでるのです。あの時、母親と共に死んでいれば良かったのに!」
実体を伴った衝撃が、俺の左胸を貫く。
銃口からは紫の煙が上がっていた。
"O/Oを知ってるか"。
脳に焼き付いたその言葉が、いつどこで見た誰のものだったのかもわからないまま、俺は気がつけばオーサカの路地裏で座り込んでいた。ミコトを探すため一心不乱になっていた俺の夢が、ここでようやく叶う──そう確信した。運命が俺たち兄弟を引き合わせたんだ。このチャンスを、失うわけにはいかなかった。
それなのに。
「よくもノコノコと私の前にでてこれましたよねえ......異常性を持つ私は捨てられたのに、貴方はパラテクによって命を救われたんですね」
それは。俺が義体化の治療を受けられたのは。
一度捨てた家族をもう失いたくないっていう、親父の自責の念だったんじゃないか──そう言いかけたが、俺は、救われた側だ。何を言う資格もない。
胸に手を当てるが、傷穴は空いていなかった。その代わりなにか、クラクラするなにかが、全身を駆け巡る。震える口元や義肢の関節から、紫の煙が漏れ出している。
「死ぬより苦しいものを味わせないと気が済まないよ、弟くん。君は私のことをただ、悲劇のヒロインぶって救いを求めてる人だとでも思ってたようですが......私が私を棄てた家族のことを認識し始めてから、あるのは憎悪だけだった。私を棄てたこの世界への憎悪が。貴方達家族のことを受け入れられなくて、名前も隠してたんです。最初から殺してくれれば良かったんですよ」
俺は大きな勘違いをしていたようだ。俺はただ......兄貴とまた家族になりたくて、兄貴もそうだと思っていた。でもそんなの全部が俺のエゴだ。かつて俺の兄貴だった男がどこかに棄てられていたという事実を、認めたくなかっただけだった。
あの質屋で見た光景だ──俺の機械の両腕が、音を立てて変質する。俺は震えることしかできない。震えて、閉じようにも閉じれない口から、とめどなく紫色の煙が漏れ出していく。周囲のガレキみたいなジャンクの山も、様々な銃を形づくる。
「......はあ、なんでもいいです。すぐに楽にしてあげますよ。ご存じでしょうが教えてあげましょう。私の紫煙には"あらゆる機械を銃火器に変え、操作する"という能力があります。弾はほぼ無限。恐ろしい脅威でしょう?その力を貴方にも分けてあげます」
ゆっくりと、俺の片腕、機関銃になった片腕が、顔の前に持ち上がっていく。もう既に俺の意思は通用しなくなっていた。ミコトの手にそれを掴まれた俺は、指先でミコトの喉元を突くような感触を覚えた。意識が朦朧とする。何も考えられない。
「今度は私が弟くんの人生を破壊する番です。殲滅者アナイアレイターとしての使命を、果たしてください」
オーサカの空に連射音がこだましていた。一発も撃ちたくなかったのに。
天と地に引き裂かれたこの街。
異常と正常に引き裂かれた俺たち兄弟。
その全てが、鏡合わせのようで。
✡
サカイ地区、衛星地区ユメシマ付近の地上。財団から派遣された機動部隊が待機していた。アウターオーサカの市街地に、それぞれが隠れ潜むように上空を見上げている。
俺は真っ逆さまに地面に墜落した。今更、脳に衝撃は感じない。見えない何かに引っ張られるようにしながら体制を整えた俺は、腕の中を通ってとび出していく銃弾の感触を覚えたまま、ネオン街の路地を飛行する。上を見上げていた機動部隊員がこちらを向くたびに、その顔に、弾が叩き込まれる。
道行く人を手当たり次第に穴だらけにしていた。機動部隊の装備に弾がはじかれるなら、弾速を変えずに今度は顔を。一般人は俺の弾を避けないし防げない。道に置かれたバッテリーらしきものは爆発し、義体の人間は体を銃身に変化させて俺の後を追う。
[......やっと繋がった!オーガくん!聞こえるか!]
サカイの街を高速で飛ぶ何かが通り過ぎた後、建造物は火を噴き出して、人は顔から血を噴き出して倒れる。俺を狙う銃弾も爆薬も、俺には通用しない。頬に穴が開き、顔の皮膚が剝がれそうになりながらも、目につく人間を確実に射殺してとにかく飛び続ける。
[君の友達を名乗る変な子から連絡があってね......君のことを探ってみてくれって]
......余計なことを。いつごろからか、Adamは視界の中にもどこにもいなくなっていた。俺がこうなってからようやく、財団のベースにでも逃げたりしたのだろうか。
[君がくれたネームカードも作戦の手配書も偽造だったことがようやくわかったよ!男を捜査する作戦は君の確保に変わったんだ。君は今どういう状況なんだ?君は、何者なんだ]
激しい銃撃音と爆発音の繰り返しでほとんど聞き取れないが、神羅が無理やり俺に接続してきたことはわかった。息を吸う余裕なんてないのに、また口から漏らしてしまう。はは。こんなになっても、俺の電脳はまだ機能するのか。家族と襲撃に会ったのとは全く関係なく、その辺の店で契約して頭ん中に入れた、この電脳が一番丈夫なのか。
「──助けてくれ」
[......わかった]
歯ぎしりしただけのつもりだったが、神羅は何かの受け応えだと思ったらしい。
自分がどこにいるかなんてとっくにわからない。機動部隊員が待機していたエリアも抜けてしまった。徐々に人通りが多くなっていくが、変わることなく全ての人間たちが体に穴を開けて倒れていく。俺の視界も徐々にぼやけていく。傀儡と化した俺の体に俺は振り回されるしかなくて、俺の事を止めてくれる何かが現れることを、祈る事で精一杯だった。
銃弾も両足のロケットの燃料も尽きることを知らない。何が殲滅者アナイアレイターだ。扇動者アジテーター亡き今、その使命とやらは俺にもわからなくなっていた。これがミコトの遺志なのか?自分を捨てた世界への復讐。財団、GOC、そして俺への復習を果たすまで、死にたくても死ねなかったのだろう。俺はアイツのことをまるでわかっていなかった。かつて望んだ俺の兄が、アウターオーサカで悪に成り果てているなんて。
商店街を抜けようとすると、鳥居を模した形のモニュメントが俺に倒れかかってきた。操作権を失ったこの腕は自分の頭を隠そうともしないので、俺は地面に叩きつけられる。
死ぬよりも苦しいもの──まさに俺の今の状態だ。普通の人間の脳なら3回は潰れてる衝撃を受けつつ、また砂煙から立ち上がって飛行を再開する。何が、俺を止めてくれるんだ。俺はGOC職員を、それなりにまっすぐな気持ちで志していたつもりだ。それなのに今の俺は、かつて両親に抱いた正義のイメージとは程遠い、脅威そのものじゃないか。
こんな俺を救ってくれる奴なんて、どこに。
財団のアウトポスト-728が見えてきて、俺の体は徐々に減速する。入り口付近には尚も機動部隊員が待機していたが、それは無視して体は徐々に高度を上げていった。一斉に射撃が始まる。自分の意思で動いているかのように全てを躱していくが、何度も振り回された俺の全身の血液は爆発寸前だった。もう、吐き出すものはない。空っぽの胃と肺とが大量の煙で満たされていても、咽る気力も、俺には残っていない。
廃墟の風貌を残す前哨基地の最上階の壁を乱射して、ガラスを突き破って内部に突撃する。数名の研究員たちを前に、俺は身を起こす。
「今っ!」
神羅が言うと、職員たちが構えた機械から見えない何かを発射した。両足と両腕が一瞬だけ停止する。電磁パルス発生器だ。全身が機械に侵された俺の体を破壊しようってことらしい。
全身が引きつるような痛みに蝕まれてもなお、体は動こうとしている。俺は文字通り引き裂かれそうだった。意識が朦朧としてくる。電脳も機械だ。あらゆる外部からの攻撃に耐えるという売り文句も、ここまでの事態の想定はしていないのだろう。
神羅に向かって、ゆっくりと腕が上がっていく。機関銃のままの右腕に、熱がこもっていくのを感じていた。
その時だった。
『オーガ!!』
右腕がゆっくりと、元の人の腕に戻っていく。左手も同様だ。両手両足は力を失って、俺はようやく床に背を付けた。
視界の端のノイズが徐々に大きくなっていくことに気づく。それをかき分けるようにして下から出てきたのは、涙目のAdamの顔だった。研究員たちが落ち着いて距離をとる中、こいつだけは俺に覆いかぶさるような距離感で。
『やっと止まったロボ......お兄さんが他人の体を操作してた仕組みを、ロボなりに解析して......時間かかったけど、やっと、ロボの力でオーガの体を動かせるようになったロボ。もう、お兄さんになんか負けないロボ。この紫煙は、オーガのものロボよ』
そんなことできたのかよ。
思わず笑ってしまいそうになる──神話に登場する同名の男のイメージにそぐわない、そのぐしゃぐしゃの顔に。
そうだ、こいつは優秀なんだった。対話を拒絶したのは俺で、Adamはいつだって俺のことを思ってくれていたんだ。そうまでして、俺と。
『いろんなとこにいきたかったんロボよ。オーガはもう正真正銘のひとりぼっちで、帰る場所もない。そんなの......見捨てるわけにいかないロボよ。何度拒絶されたって、ロボだって帰る場所ないロボ。ずっと一緒にいさせてほしいロボ』
まるでAdamにのしかかられているかのような重さを感じて、俺は段々と心地よくなってきた。こいつはずっと、俺といたかった。ただ、それだけだったんだ。目の端から落ちたものは、目の中にいるAdamには見えていないのだろう。でも俺の今の感情は、やっぱりAdamに筒抜けみたいで。
『オーガ......オーガが生きてくれるなら、ロボはそれでいいロボ。お兄さんと一緒に生きようが別の宇宙に行こうが、オーガが生きてくれるなら......だから、オーガ......!』
目を閉じたってAdamは頭の中にいる。なら、目を開けている意味なんかないじゃないか。視界の端にいるノイズがいい加減鬱陶しくなって、俺は瞼を閉じた。
なぁAdam、お前の望み、半分だけ叶えてやるよ。俺は最後の力を使って、ただ祈る。
もう一緒にいられないのは寂しいかもしれないけど。
どこにでも好きなとこ行けるようにしてやるからな。
目を覚ますとそこは、真新しいベッドの上で。何かの作業をしていた神羅は手を止めて、こちらに向き直る。
「起きたか......意識は大丈夫かな?ぼくのことはわかる?神羅だよ」
「まぁ......見ての通り拘束するしかないわけだよ君のことは......まさか君がタイプ・パープルになるとはね。君、神格実体かなんかと遭ったりした?まぁ、それは後ででいいか」
「処遇を考えあぐねてる。TL-1998に送り返すのが財団としては最善なんだ。できればそうしたい......ただ向こうのGOCとコンタクトをとる手段が今のところないし、とれたとしても君は即刻処分されるだろう」
「このままアウターオーサカで生きてもらうのが、君を五体満足で解放する最善の方法なんだけど、こんなところとはいえ一度確保した捕虜を解放するのは財団としてはグレーだし、別の組織が君を追うことになったとき、君を擁護することはできない」
「どうしたらいいんだろうね......一緒に考えてくれない?オーガくん」
と。
そう呼ばれたロボは部屋の中に鏡を見つけた。いつも頭の中で見ていた顔が......はっきりと写っていた。視界を共有しているのとは違う不思議な感覚。その頬に傷がついてるのを見て、不意に手を触れようとする。リクライニングベッドに起こされていても尚、拘束されているこの体は思うように動かない。
「......オーガ?」
そう呼びかけてもいつもみたいな反応はない。ロボの声は、この狭い部屋に響いて消えた。
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紫煙体名称: "ガトリング・アジテーター"
紫煙体の使い手: アダム・オーガ
説明: 銃を生成する。またその銃弾を撃ち込んだものを銃火器に変化させ、全てのコントロールを得る。元々の能力所持者から現在の義体者に使い手が受け継がれた際、自身の体を銃身にする力を追加で獲得した。
総括: サカイ地区にて銃撃事件を引き起こしており、極めて危険性が高い。なるべく早い回収が望まれる。
現状: 一時期は財団の基地にて保護されていたとの情報もあるが、その後の動向は不明。いくつかの目撃証言もあるものの、性格や言動に関する情報に相違点が見られ、関連性を含めて更なる調査が進められている。