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世界ルールのはずだったのに

オーストラリアの腕利き大工 / ボブとゴードン 日本の「尺」と、イギリスで使われている「フィート」がどれだけ近いかというと、どちらも見事に「ほぼ30cm」なのです。1尺は30.33センチメートル、1フィートは30.48センチメートル。ね、大雑把に寸法を考えるときには、そのまま使えそうでしょう。 僕がはじめて海外のスタジオで働いた時、わからないことばかりで不安だらけでした。フィルム・オーストラリアという会社との共同制作。オーストラリアはイギリスから独立した国なので、いろいろなことがイギリス流。このとき、この「寸法の共通点」に気づいた時は本当に嬉しかったのです。 「もしかすると、寸法の打ち合わせからして、ぜんぜん話が通じないのでは…」と心配していたのです。ところが、実際にオーストラリアの大工さんたちと話初めて見ると、見事に「尺」が通じたのです。すでに10年以上、日本のテレビ美術の世界で働いていた僕のアタマは「尺寸」に適応しています。僕としては、「尺」を「フィート」に置き換えて言えばそれでいいのです。 「この廊下の幅は、シックス・フィートでね  (=゚ω゚)ノ」 「オーケー、カズ、(`_´)ゞ」 「やった通じる! これなら、なんとかなるじゃん」

巻き尺に気をつけろ

でんでんむしではありません。テープ・メジャーといいます。つまり巻き尺です。こんな便利なもの、いったい誰が発明したんだろう。 僕は以前、テレビ局でスタジオセットのデザインの仕事をしていました。スタジオセットといってもいろいろあって、大河ドラマなどの巨大で重厚なセットから、天才テレビ君みたいに子供向けにカラフルなものまで、幅広いものがあります。デザイナーそれぞれに得意分野があるので、人によって、報道番組の専門家とか、ドラマの専門家などに分かれます。 専門が違っていても、共通の概念として最も重要なものは「寸法」です。どんな大きさのセットを作るかは、そのスタジオの大きさ、天井までの高さ、撮影したい映像のイメージによって決まります。それから、もっと大事なことは、出演者の大きさにあわせることです。巨大なテーブルを作って、これはカッコいいなんて思っても、実際に出演者が座ってみて、変な感じだったり、大きすぎて顔も見えないような状態ではどうしようもありません。

月と地球の天国への階段

月と地球って、惑星と衛星としてはかなり特殊な関係にあるらしい。 ここは地球です 地球を除いた惑星の場合は、従える衛星の大きさや軌道の距離などは、ほどほどの数値があってすべてそれに当てはまっている。しかし、月と地球の関係ではすべてが異常。むしろ、ふたつの惑星が、ともに並んでお互いを回りながら太陽を回っている、というのがふさわしいような状況だとか。ふーん、どっちも惑星と言えるのね。 アーサー・C・クラークさんの本を久々に読んで知った。月というものは、「なんだってそんなところにいるのだ!」というような場所に「居る」らしいのだ。 広い大宇宙を見回してみたら、こんな風な、似たもの同士の惑星ががいくつも見つかるかもしれない。そうすると、その両方に似たような生命体が生まれる可能性がある。しかしクラーク先生は、地球側にしか生命がいなくてホント良かったね、と述べている。

ためこんでどうするの

フェイスブックかなんかで紹介されていたのだけど、リスがクルミの実なんかを一生懸命に口の中にためこんでる映像が面白い。そんなにパンパンにためてどうするの? 自然界に生きる彼らの場合、一度出会った食料は、極力溜め込んでおく必要があるのだ。次にいつ食べ物に出会えるのか分からない。しょうがないね、はははは っと笑ってから気がついた。 思えば、人間の僕達も似たようなことをしている。

インドカレーの食べ方

インドは神秘の国。人々はガンジス川で身を清め、来世の存在を信じる。しかし一方でITパワーも高まり、若者たちは向上心とバイタリティーに溢れている。 「嵐にしやがれ」で、ムンバイのカレーの味を探して、銀座にあるカレー専門店を三カ所巡っていた。先日そのうちの一軒の「オールド・デリー」に行ってみた。バターチキン・カレー、多彩なスパイスが素晴らしかった。これはインドだー。 こういう食べ物を食べていると、気持ちがゆったりとして、悠久の時に身を委ねているような気分になる。じっくりと煮込まれたスープには、時のかけらも一緒に溶け込んでいるような気がする。そんな気分でいたところ、せわしそうな感じのビジネスマンが、突然隣りにやってきた。

改良してはいけない

近所を散歩していると、紅色のカンナよりも黄色のカンナの方が何故かよく目につく。群生しているのは、ほとんどが黄色だ。 自然界のカンナは、紅色よりも黄色の方が優勢なのだろうか。それとも、紅色のやつは、綺麗なので人間が採取してしまうのだろうか。この絵のカンナもひとりぼっちだった。 千葉市の中央公園で大人気となっているハス池のことで、びっくりするような話を聞いた。あれだけ沢山咲いていたハスも、冬には全て取り去られて、さら地ならぬ「さら池」になってしまうのだとか。

地獄のドキュメンタリー

ビデオが出来て以来、家族の記録を撮ることは当たり前なこと。でも、自分の夫が破産寸前で発狂しそうなところを記録するとなると話は別だ。 映画史に残る大作「地獄の黙示録」をフィリピンで撮影する際に、コッポラ監督は、現地で家族とともに暮らす決断をした。「学校に預けたままにしたら、子供たちが凡庸な人間に育ってしまう」というのがその理由。 そのため、奥様のエレノア・コッポラも、300日にも及ぶ苦難の撮影の日々をともにした。撮影については完全なシロウトだった、エレノア夫人は、ひょんなことから、16ミリカメラを持たされて、本作のメイキング・ドキュメンタリーを撮影することにもなった。 そのフィルムは、たった数分間のメイキング映像として使われるだけの予定だった。しかし撮影の12年後に、それは驚異のドキュメンタリー映画「闇の奥(Heart of Darkness)☆1」として注目を集めることになる。夫のフランシスが恐怖とプレッシャーに襲われ、苦難に満ちた撮影の日々につぶされそうになる姿を、淡々と16ミリフィルムに収めた。 そのままであれば、ただの映像メモの切れ端になっていた、その映像が、ハリウッド映画製作の真実の姿を伝える傑作ドキュメンタリーに化けたのはなぜか。