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我思う、ゆえに我あり

「キッド」の撮影を終えたばかりのチャップリンを、サミュエル・リシュフスキイというロシア人の少年がたずねてきた。彼は、七歳で世界チェス選手権保持者という天才。 少年は、二十人の大人を相手にチェスの同時対戦をするというエキジビジョン・マッチを行うために、カリフォルニアに来ていたのだ。彼はカリフォルニア州選手権者のグリフィス博士を含めた大人全員を、いとも簡単にねじ伏せた。チャップリンは、その光景を「それはどこか超現実的な光景でさえあった」と述べている。少年そのものも、かなり変わった子だったらしい。(☆1)

収入のため働く

左でファイティングポーズをきめているのは、鯖島仁(さばしまじん)。昨年、日テレで放送された「ドンキ・ホーテ」の名物キャラ。外見は古典的な武闘派ヤクザに見えますが、実は児童相談所の心やさしい所員なのです。(大好きキャラなので、CGで再現させていただきました) ヤクザでなおかつ児童相談所?複雑な設定だけど、これが意外にうまくいく組み合わせ。きわめて特殊な職業形態。いまの日本では、児童相談所という職場が忙しい。これは現代における、悲しい特殊事情が生んだ仕事だけど。職業にもさまざまな成立用件があるのだ。 さて昨日までの話のつづきです。夏目漱石先生の時代にも、こうした特殊な仕事というものがいくつも生まれたらしい。以下、漱石先生の講演録「道楽と職業」から。 「とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。怪しからぬと思うような職業を渡世にしている奴は我々よりはよっぽどえらい生活をしているのがあります。[ 中略  ] 開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまうという妙な現象が起こるのであります」

職業か道楽か

未曾有の就職難に襲われる大学。そこに身を置くものとして、ちかごろ私は「職業とは何か」と考えさせられている。先日も、出版関係の方と飲みながら、これからの若者の「職業」について、意見を交わしたところだ。そして偶然、この本を開いた。 夏目漱石晩年の講演録「私の個人主義」という本。この本には、漱石が関西において行った、4つの珍しい講演の内容が記録されている。 第一の講演のタイトルが「道楽と職業」なのである。聴衆にむかって「私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えたことがある」と語りだす漱石先生。大学での就職指導にあたる私にとっては、格好の教科書ではなかったか。この本、購入以来四ヶ月も「積んだ」ままだった。私は馬鹿だった。 むちゃくちゃ面白いではないか。 とにかく、急いで読んでみた。 「道楽と職業」というタイトルのとおり、この講演の眼目は「道楽」と「職業」をくらべてみること。漱石は「道楽」の本質とは、実は「職業」のそれと同一あるとのべる。どちらも、自分の持てる体力や知力を使って働くことに違いはないのだ。ただ、その力の方向だけが違うだけ。

智名無く勇功無し

動物の毛先を持ち上げたからって「力持ち」とは誰も言わない。 太陽や月が見えたからって「眼が良い」とも言われない。 雷鳴の大きな音が聞こえても「耳が良い」とは、誰も思わない。(☆1) 兵法の書「孫子」にある言葉。第4編にあたる「形篇」の途中から出てくるくだりです。これは別に「小さな手柄を自慢してはいけない」と言っているのではないのです。勝負の達人というものは、このように「力もいらない簡単な方法で勝つものだ」という教えなのです。 大騒ぎをし、大勝利をあげて、皆から喝采を受けるような勝ち方は、最善の勝ち方ではない。むしろ、誰にも気づかれずに、何の功績も努力もないような形で勝つ勝ち方がすばらしいのだ。こう言っているのです。 誰だって、目立った活躍をとげてまわりからの喝采をうけたい。大々的勝利を得て、その功績を認められたい。ヒーローになって目立ちたい。人情としては当然。しかし、本当の勝利者というのは、そういう「大騒ぎ」はしないんだよ。「孫子」は、そう教えています。

降りられないゲーム

人生は降りる事の出来ないゲーム。 こう考えると恐ろしい。僕たちは生まれた時から死ぬまで、世界の生存競争というレースに参加させられて、走り通す運命と言われる。でも、そうではない人生というのはあり得ないのでしょうか。昔は高校生の必読書であった(今は知りません)バートランド・ラッセルの(☆1)「幸福論」に、「競争」という章があります。第三章です。それを読んでみたいと思います。 「誰でもいい、アメリカ人や、イギリス人のビジネスマンに向かって、生活の楽しみを一番じゃまするのは何かと聞いてみるとよい。彼は『生存競争だ』と答えるだろう」(『ラッセル幸福論」pp.48 ) 欧米人というのは、もともと「生存競争」で闘うのが好きだったのではないのかしら。狩猟民族だったのですから。ローマでは健闘士がライオンと闘ったりしたでしょ。現代における経済市場での闘いだって「生存競争」ですよね。それなのに、やはり「生存競争」というのは、彼らにとってもストレスなのでしょうか。実は好きでやってるんじゃないんですか。

スター・チャイルド

今日はこの方のお誕生日。1月8日(1942年)の生まれ。著名な理論物理学者、スティーブン・ホーキング博士。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘いながらも、精力的な活動を続けています。(☆1 ) 「宇宙にはじまりがあるかぎり、宇宙には創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当にまったく自己完結的であり、境界や縁をもたないとすれば、はじまりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。だとすると?創造主の出番はどこにあるのだろう?」( 『ホーキング 宇宙を語る』 林一訳 早川書房) 創造主のことを考えるということはとても非日常的で超絶的なこと。僕なんか、神社にお参りしたり、お寺に行ったりするたびに、手を合わせて神様を拝むわけだけど、だいたい思い浮かべる方というのは、自分が昔お世話になった、いまはこの世に居ない優しい人たちのイメージ。本当にこの宇宙をつくり、僕たちの存在を支えていてくれる全能の存在というのは、一体どのような姿をしているのか、まったく想像もつかない。

天使の夢

「そこにはふたたびわたしを絶望の底無し沼に引きずり込む、まだ力が残っているのではないか」(☆1) ハリウッドで成功を遂げ、ロンドンに凱旋帰国したチャップリン。熱狂的な歓迎を受けた後で、幼少期を過ごしたケニントン・ロードの街々を訪ねる。そこで母ハンナ、兄シドニイと過ごした日々を回想し、名声と富を手にした現在と、過去を照らし合わせた。その時ふと、この街が、再び自分を不幸のどん底に引きずり込むような、不安にかられたという。 それほど、チャップリンの幼少期は貧困と苦悩の極限だった。ある時から喉をわずらった母ハンナは、舞台女優としての仕事を失う。チャップリン兄弟は貧民院に収容されて、母とは引き離されてしまう。極貧の中を逞しく生き抜き、舞台役者としてなんとか成功への糸口をつかむ兄弟。だがそれはすでに遅かった。あまりの心痛と栄養出張のために、愛する母は発狂してしまっていた。 1921年公開の「キッド」は、こうした極貧の記憶から作られた。路上に捨てられた孤児は、少年時代のチャップリンそのものなのだ。その証拠に、主人公の浮浪者と少年が暮らす、汚れたアパートの屋根裏部屋のつくりは、自伝に書かれた寂しい家とそっくりだ。