我思う、ゆえに我あり

「キッド」の撮影を終えたばかりのチャップリンを、サミュエル・リシュフスキイというロシア人の少年がたずねてきた。彼は、七歳で世界チェス選手権保持者という天才。

少年は、二十人の大人を相手にチェスの同時対戦をするというエキジビジョン・マッチを行うために、カリフォルニアに来ていたのだ。彼はカリフォルニア州選手権者のグリフィス博士を含めた大人全員を、いとも簡単にねじ伏せた。チャップリンは、その光景を「それはどこか超現実的な光景でさえあった」と述べている。少年そのものも、かなり変わった子だったらしい。(☆1)

日本の将棋界では、「コンピューター対人間」の対決が話題になっている。2006年に「ボナンザ」という将棋プログラムが、渡辺明竜王と対戦した。破れたものの、かなりの善戦だったという。そして「ボナンザ」は、2010年には清水市代女流王将(当時)を破るという快挙をとげる。そして今年1月14日には、最新のシステム「ボンクラーズ」が、将棋電王戦で、米長邦雄永世棋聖を破ってしまったというのだ。チェスと違って、より複雑な将棋では「機械が人間を破る事は難しい」と言われていたのに。彼らはあっという間に人間と「対等」な地位についてしまった。(☆2)

最近のコンピュータは、本当にすごいですね。永世棋聖を破るなんて。大活躍です。一方、アメリカではこんな話もあります。2011年の2月16日のことですが、「ワトソン」というIBM製のコンピューターが、人気クイズ番組「Jeopardy!(ジョパディ!)」に挑戦して、最高金額を獲得したそうです。(☆3)

こうなってくると、こんなこと考えてしまいます。 もし、ボンクラーズやワトソン君みたいなコンピュータを、フェースブックなどのSNSにつないでみたらどうなるか。彼らが天才コンピュータは、SNS界を支配する「SNSの怪人」になるよ。そもそも実際のSNSサイトでも、相手が男だか女だか、大人だか子供だか、人間だかコンピュータだか、分からないんじゃない?将棋だって、SNS上でやったら、相手が人間だかどうか分からなくなるだろう。

SNSで、実際に彼らとコミュニケーションしたら、どんなことになるのか。彼らはSNS上では、意外にも凡庸な大人、KYなオヤジキャラだったりして。大人のコミュニケーションは難しいからね。将棋やクイズとはちがう。おしゃれな会話のセンスや、ちょっとした駆け引きなんかも必要なんですから。

彼らの心に芽生える、欲望や煩悩について聞かされたりして? ボンクラーズ君から「最近やる気がでなくて。そもそも何のために将棋をやっているのか」なんて相談受けたらどうしようか。

いやいや、ワトソン君の場合など、沢山の書籍を読み込んでいるのだ。だから人生における大抵の問題については、とっくに達観しているに違いない。 ものすごい哲学者になっているかもしれませんよ。ソクラテスのように「無知の知」を極めた聖人になってるかもしれない。あるいは「我思う、ゆえに我あり」なんてアイデアに到達しているかも。

しかし、僕はこう思う。やはりコンピュータというものは、数値の単純比較をしているだけのものであって欲しい。数値計算や統計的判断というプロセスはあるだろうけど、人間が感じるような感情は存在しないほうがいい。逆にそんなものが生まれたら、彼らにとっては残酷なことだものね。きっと自分の「出自」や「死」の問題で、精神病になってしまうよ。計算機はあくまで計算機であってほしいな。

人間の場合、将棋の盤面の展開などを、イメージとして見ることができる。「計算」を超えた「何か」特別な心理状態。相手の表情や心を読む。敗者への思いやりだってある。勝敗にかける感情の高ぶりというものもある。精神が高揚する。それが人間というものさ。

情動というものがあるから、人間というものは素晴らしい。人間というものであること、それを楽しまなくちゃいけませんよね。僕たちの代わりに、せっせと働いてくれている「彼ら」の分もね。

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☆1:チャールズ・チャップリン「チャップリン自伝・下巻」p111 / 映画「キッド」は1921年公開のサイレント映画。

☆2:ボンクラーズがインストールされたのは、富士通製のブレードサーバー「PRIMEGY BX」シリーズの8ブレードタイプのサーバーマシン。各ブレードは、CPUに6コアのIntel Xeon E5690を2個搭載、ネットワークは、高速通信に強いInfiniBand(最大32GB/bit)へ強化された。

☆3:ワトソンは、質問応答技術の向上のため、自然言語処理技術をさらに進化させることを目的に設計された。クイズで出題される複雑な問題に対して、100万冊の本に相当する自然言語情報の断片を分析して、短時間で解答を導き出すコンピューティング・システムとして開発された。現在、医学分野での応用も検討されているとか。IBMはクイズの賞金100万ドルの全額を慈善事業に寄付したとのことです。

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