1957年のF1世界選手権
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| フォーミュラ1 |
|---|
1957年のF1世界選手権(1957ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIA フォーミュラ1世界選手権の第8回大会である[1] 。1月13日のアルゼンチンで開幕し、9月8日のイタリアにおける最終戦まで全8戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオが4連覇、自身5度目のタイトルを獲得した。
シーズン概要
[編集 ]シーズン開幕前にファンジオはチーム移籍を決断、マセラティに加入した。この移籍は大成功であったことが判明した。フェラーリにはピーター・コリンズ、エウジェニオ・カステロッティ、そして復帰したマイク・ホーソーンがいたものの、いずれも勝利することはなかった。カステロッティとアルフォンソ・デ・ポルターゴはシーズン中の第2戦前に相次いでの事故死と、1957年シーズンはフェラーリにとって悲惨なものとなった。
ファンジオがマセラティに加入したことで、スターリング・モスはヴァンウォールに移籍した。ファンジオはシーズン4勝を挙げ、一方のモスは3勝を挙げた。ニュルブルクリンクでファンジオはピットストップで1分近くとどめられた後、最終ラップの前にコリンズとホーソーンを抜いて優勝した。
その年末、ファンジオは翌シーズンはフル参戦しないことを発表した。また、経済的理由のためマセラティはワークス活動を休止した。1957年シーズンは共有ドライブにポイントが分割配分された最後のシーズンであった。
開催地及び勝者
[編集 ]| ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | アルゼンチンの旗 アルゼンチングランプリ | オスカル・ガルベス | 1月13日 | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 スターリング・モス | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 マセラティ | P | 詳細 |
| 2 | モナコの旗 モナコグランプリ | モナコ | 5月19日 | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 マセラティ | P | 詳細 |
| 3 | アメリカ合衆国の旗 インディ500 | インディアナポリス | 5月30日 | アメリカ合衆国の旗 パット・オコナー | アメリカ合衆国の旗 ジム・ラスマン | アメリカ合衆国の旗 サム・ハンクス | アメリカ合衆国の旗 エパリー-オッフェンハウザー | F | 詳細 |
| 4 | フランスの旗 フランスグランプリ | ルーアン・レゼサール | 7月7日 | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 ルイジ・ムッソ | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 マセラティ | P | 詳細 |
| 5 | イギリスの旗 イギリスグランプリ | アインツリー | 7月20日 | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 トニー・ブルックス イギリスの旗 スターリング・モス |
イギリスの旗 ヴァンウォール | P | 詳細 |
| 6 | ドイツの旗 ドイツグランプリ | ニュルブルクリンク | 8月4日 | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 マセラティ | P | 詳細 |
| 7 | イタリアの旗 ペスカーラグランプリ | ペスカーラ | 8月18日 | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 ヴァンウォール | P | 詳細 |
| 8 | イタリアの旗 イタリアグランプリ | モンツァ | 9月8日 | イギリスの旗 スチュアート・ルイス=エヴァンズ | イギリスの旗 トニー・ブルックス | イギリスの旗 スターリング・モス | イギリスの旗 ヴァンウォール | P | 詳細 |
全てのグランプリはF1車両参加が可能であったが、インディ500のみUSACナショナル・チャンピオンシップ車両に制限された。
エントリーリスト
[編集 ]† ドイツグランプリのみ参戦
1957年のドライバーズランキング
[編集 ]ポイントは1位から順に5位まで 8-6-4-3-2 が与えられた。ファステストラップを記録したドライバーにもポイントが与えられた。
- 斜体:ファステストラップ (1ポイントが与えられた。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。)
- 太字:ポールポジション
- † 順位は同じ車両を使用したドライバーに配分された
- ‡ 走行ラップが少なかったためポイントは与えられなかった
- ベスト5戦のみがポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
ノンタイトル戦結果
[編集 ]| レース | サーキット | 開催日 | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
|---|---|---|---|---|---|
| アルゼンチンの旗 XI グラン・プレミオ・シウダード・デ・ブエノスアイレス | ブエノスアイレス | 1月27日 | アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ | イタリアの旗 マセラティ | 詳細 |
| イタリアの旗 VII グラン・プリモ・ディ・シラクサ | シラクサ | 4月7日 | イギリスの旗 ピーター・コリンズ | イタリアの旗 ランチア-フェラーリ | 詳細 |
| フランスの旗 XVII ポーグランプリ | ポー | 4月22日 | フランスの旗 ジャン・ベーラ | イタリアの旗 マセラティ | 詳細 |
| イギリスの旗 V グローヴァー・トロフィー | グッドウッド | 4月22日 | イギリスの旗 スチュアート・ルイス=エヴァンズ | イギリスの旗 コンノート-アルタ | 詳細 |
| イタリアの旗 X グラン・プリモ・ディ・ナポリ | ポジリポ | 4月28日 | イギリスの旗 ピーター・コリンズ | イタリアの旗 ランチア-フェラーリ | 詳細 |
| フランスの旗 XXIII グランプリ・デ・ランス | ランス・グー | 7月14日 | イタリアの旗 ルイジ・ムッソ | イタリアの旗 ランチア-フェラーリ | 詳細 |
| フランスの旗 V グランプリ・デ・カーン | カーン | 7月28日 | フランスの旗 ジャン・ベーラ | イギリスの旗 BRM | 詳細 |
| イギリスの旗 IX BRDC インターナショナル・トロフィー | シルバーストン | 9月14日 | フランスの旗 ジャン・ベーラ | イギリスの旗 BRM | 詳細 |
| イタリアの旗 V グラン・プリモ・ディ・モデナ | モデナ | 9月22日 | フランスの旗 ジャン・ベーラ | イタリアの旗 マセラティ | 詳細 |
| モロッコの旗 VI グランプリ・デ・マロック | アイン・ディアブ | 10月27日 | フランスの旗 ジャン・ベーラ | イタリアの旗 マセラティ | 詳細 |
参照
[編集 ]- ^ 1974 FIA Yearbook, Grey section, pages 118-119
外部リンク
[編集 ]| 1950年代 | |
|---|---|
| 1960年代 | |
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