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「8000m峰に行こう」 私のその言葉に応えてくれたのは平出和也だけだった。 21歳の時だった。 平... 「8000m峰に行こう」 私のその言葉に応えてくれたのは平出和也だけだった。 21歳の時だった。 平出は私とは違う大学で、陸上部から山岳部に転部したばかりだった。 長髪で無口だった彼は、東京周辺の山岳部が集まる飲み会で異様なオーラを放っていた。 しかし、その雰囲気とは裏腹に、 「やりましょう! 絶対いきます」 と言って、親し気に顔を向けてきてくれた。 一年後の2001年10月、大学4年生の秋。私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。 遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。 7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。 しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。 平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。 頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。 「登ってやる。絶対