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1994年の「自社さ政権」で社会党出身として47年ぶりに首相に就任し、95年に「戦後50年談話」を出した村... 1994年の「自社さ政権」で社会党出身として47年ぶりに首相に就任し、95年に「戦後50年談話」を出した村山富市(むらやま・とみいち)さんが17日、老衰のため死去した。101歳。葬儀は近親者のみで営み、お別れの会を後日開く。 24(大正13)年、大分市に生まれた。46年に明大専門部を卒業し社会党に入党。大分市議、大分県議などを経て、72年の衆院選で衆院旧大分1区から立候補し初当選した。衆院社会労働委員を務めるなど、社会保障問題を得意とした。 92年の国連平和維持活動(PKO)法案の採決では、国対委員長として国会史に残る「牛歩戦術」を指揮。一方で自民党の梶山静六幹事長(当時、故人)との間に太いパイプを持ち、「山・山」コンビとも呼ばれた。 93年9月、衆院選惨敗を受け辞任した山花貞夫委員長(故人)のあとを受け、第13代社会党委員長に就任。細川政権で連立与党に参画したが、94年の羽田政権樹立時、