2006年03月

2006年03月25日

自己愛性人格障害と脱オタ2

リアで文章力のなさにへこんできたこともあって遅くなってしまいましたが、
昨日、シロクマ氏から真摯な返答(http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060323/1143103827)を頂いたので、応答&昨日のエントリの残りを。

私が先のエントリを書いた理由は、シロクマ氏が言うところの「心の脱オタ」こそが「脱オタ」なる営為のキモであるはずなのに、(特に服飾改善における)表面的な方法論だけがクローズアップされていることに違和感を感じたからだ。

自己愛性人格障害チックなメンタリティには、大きく二つの側面がある。
一つ目は、恥に直面できない、自分の現状を客観視できないなど、主に自己との向き合い方に関して問題を抱えていることである。
二つ目は、他者の感情に無頓着であったり、他者を道具のように使ったり、集団の中での自己顕示が大好きだったりというように、他者との向き合い方に関して問題を抱えていることである。
(もちろんこの両者は完全に分類できるものではない。)

シロクマ氏は、主に上の分類の一つ目の側面に着目し、恥と向き合うことに困難を抱えた人間が脱オタを試みる際に聳え立つ心理的障壁をどう取り除いていくのかについて4つの処方箋を提示している。また、私もその処方箋には全面的に同意する。

しかし、私が問題にしたかったのは、むしろ二つ目の側面の方である。
シロクマ氏のサイトの症例5を私は昨日初めて読んだが、本文著者とシロクマ氏のコメントの両者が、他者に向き合うスタンスを改善する必要性を訴えている。
「自分の都合や快適さには想像は及ぶけど、コミュニケーションの相手の都合や快適さを想像出来ない」
「相手の思惑・快不快・都合・時間などに意識を回す事が出来ないというのは、オタクに限らず好かれにくいファクターでしょう」
「キモオタ共には他人が無い。あるのは一方的な自分の快楽と都合の押しつけだけだ」
「技術に溺れた脱オタではなく、オタク/非オタクに限らず相手の立場・気持ち・都合・理解に配慮したおつきあいが大切だという事を教えてくれていると思います。そしてまた、脱オタ前にはそういった想像力が欠如している場合が応々にしてあり、脱オタを通してそのような"想像力と配慮"を身につけていくのだなと思います。逆に言えば、ファッションだけ整備したところで、誰とでもコミュニケーション出来て良い仲間に恵まれることはあり得ないと言えると思います――相手を思いやり、相手に合わせてコミュニケーションをとる姿勢と学習がなければ――。例えば異性なんてまさに異なる生物なんですから、付き合うにあたってこうした姿勢・学習が必要不可欠になるでしょう。それが無ければ不可能です」


これらの記述は当たり前のことであるが、自己愛性人格障害チックなメンタリティを持つ人間はこうした当たり前のことができないのである。そして、こういう当たり前のことができない人間が、自分を含めて世の中にはたくさんいる。(私は、社会の安定・資本主義の回転にとって不都合な性格類型が「障害」の名で排除され、矯正を強いられることには強い危機感を覚える。しかし、自己愛性人格障害だけは、真の「対話」をするためにも「矯正」しておいたほうがいいと思うので、こうしたエントリを書いている。どうでもいいけど妄想性人格障害なんか一部の人文社会系研究者に対して悪意に満ち満ちたレッテル貼りをするためのカテゴリのようだ...アメリカでカルスタやってる人なんか大変そう...)
また困ったことに、そうした人間が、上記のような姿勢を内面化し、しかも実際の人間関係においてその心構えを適切な行動に置き換えていくのは、物凄い困難を伴う。

私は、自分以上のキチガイがたくさんいそうなオフ会に出席し、自分以上に自己愛に満ち満ちた言動を行う人々と会話することから性格改善をスタートした。私同様のキチガイたちとの会話では、苦痛、怒り、嫌悪感といった負の感情で脳が充満した。
そうした負の感情を抱いた上で、「彼らをまなざす自分の姿は、同様の目で自分をまなざしている他者の姿だ」と言い聞かせ、それを性格改善のモチベーションにしていった。話の聞き手としてのスキルを早急に身につける必要性に迫られていたのもモチベーションとして大きかった。

結果、現在は、自分の自己顕示のために他者を利用するような行動はそれなりに(あくまでそれなりに)少なくなった(酒を飲んだり、話し手としての立場を強制されると危ない)。しかし、その過程で聞き手としてある程度習熟していった私は、他者を人間としてではなく、「有用な情報の束」「観察対象」としてまなざすことが多くなっていった。こういうスタンスは短期的・表面的な付き合いではバレないので、あまり改善へのモチベーションが沸かないのがタチが悪い。機能主義的人間観・社会観はおそらく更に強固なものになっている。改善か改悪かよく分からないなw

話を戻そう。
(例えば服飾分野における)個々の細かい脱オタ技術論は、こういう姿勢を内面化しているものの、それをどう外に向けて適切な形でプレゼンテーションしていけばいいのか分からないような人間が触れるべき議論であるはずだ。
実際には服飾等の表面的な脱オタをある程度こなした上でないと様々な人との対話が困難になってしまう可能性が大きいので、上の記述はただの理想論に過ぎない。
ただ、脱オタが、差異化ゲームで勝利を収めるための手段として矮小化(でもないかな...やってる当人達は切実なんだし)されていくのは少し残念だ。シロクマ氏の言葉を借りれば、「他者と向かい合う姿勢と想像力」をどう養成し、どうそれをプレゼンテーションしていくのかという、より大きな射程を持つものとして、もし脱オタ関連の諸議論が再構成されていったなら、それは嬉しいことだ。
そんな脱オタ論ができたら、是非Aクラスの方々にも、それを読んで「他者と向かい合う姿勢と想像力」をつけてもらいたいものであるw

shitamuki2005 at 00:27|PermalinkComments(4)TrackBack(0)│ [フレーム]

2006年03月23日

自己愛性人格障害と脱オタ

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060322
シロクマ氏の脱オタ回想録が完結。
どちらかといえば帰納的な思考スタイルをとる私は、沢山の人々の足跡を眺めながら自分なりにセオリーを作るほうが性に合っているため、こうした濃密な回想録が出てくるのは嬉しい。

読み終わって一番最初に感じたことは、「自己愛性人格障害(もしくはそれに類似する精神的特徴)の克服についての記述がない」ということだった。
シロクマ氏の本家サイトでは、自己愛に満ちた「侮蔑され易いオタク」「適応困難者」の行動様式が鮮やかに描き出されていたが、それはシロクマ氏が現在の自分の立場から過去の自分をまなざすことによって(こうした要因が少しはああいったテクスト生産の背景にあったのではないかと私は勝手に深読みしていた)ではなく、シロクマ氏が接してきた適応困難者の姿だったのだろう。
「脱オタ」なる行動の是非については各自いろいろ意見があるだろうが、この自己愛性人格障害だけに関しては、何とかして改善したほうがいいと私は思う。(はてな界隈などで「脱オタ」批判が一定の説得力を持っているのは、自己愛性人格障害チックな「非モテ」がはてなにはほとんどいないからじゃないだろうか。私が知らないだけかもしれないけど)いわゆるAクラスの人間にも自己愛性人格障害チックな性格傾向を持つ人間は数多くいるが、そうした性格傾向は、彼らが持つほかの有利なリソースと相殺することはあっても、(特に長期的には)プラスに働くことはまずない。
しかし、シロクマ氏もサイトで指摘している通り、こうした性格傾向を改善するのはすこぶる難しい。シロクマ氏の回想録に限らず、脱オタ回想録は、基本的には、「脱オタ」という行為がもたらした帰結に満足している人間が書くものだと推測される。そういった回想録を複数眺めても、「自己愛性人格障害の克服」という要素が全くと言っていいほど見られないのは、その営為の困難さを裏付けているように思える。

私は、服装・外見の改善については、そこまで意識したことはなかった。(あ、その前に吃音やアトピーをかなり意識的に治した。まだ吃音があった時期は、自分の名前もスムーズに言えなかったことが物凄く辛かったのを今でも覚えている)もとの顔の作りがひどいため、コストに見合うリターンが得られないのも薄々分かってはいたし。最近は自分の顔に悩む時間が増え、軽い整形でもしようかと思うことはあるが、まあ服装・外見に関しては変えようとする強い意志などまるでないまま、(病気などで紆余曲折があったりはしたけれども)いつの間にか変わっていたというのが正直なところである。

むしろ意識的にやった(やっている)のは、自己愛性人格障害の改善のほうである。昔と比べてある程度は改善されただろうとは思う(思いたい)が、いまだに私の性格傾向は下のリンク先に羅列されている項目のいくつかに当てはまる。
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html

(眠くなったので続きは後で書きます)

shitamuki2005 at 02:59|PermalinkComments(2)TrackBack(0)│ [フレーム]

2006年03月15日

美容整形

目の一重→二重なんかは整形できそうだけど、
鼻とか口はむりぽそうだな...
それに一重→二重の整形と斜視の手術を両方しても目は大丈夫なのだろうか...
片方しかできないっぽかったら整形と斜視の手術のどっちを優先しよう。
うーん。

shitamuki2005 at 23:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)│ [フレーム]

久々の更新♪

相変わらず樹海の香り漂う毎日ですが何とか春からのバイトが決まりそう...
時給2000円〜の本命の仕事に少しでもありつければいいな...

話は変わってrepublicさんのこのエントリ
「非モテ男子の街」
http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20060313#p3
みなさんおすすめの神保町界隈はやっぱり非モテに優しい街でしょう。ご飯も美味しいし安いし言うこと無しです。上野はギャルやホストが以外に多くて(仲町通りがあるからホストは分かるけどギャルはどこに用があるんだ?アブアブか?)そこまで非モテに優しくない気もするんですが、「下町は非モテに優しい!」と言ってしまってもいいような気がします。台東区足立区葛飾区あたりはオススメです。どうでもいいですがブックオフの店員の接客能力の高さと街の非モテ度は反比例しているような気がして少し鬱です。あと下町でも学生街はカップルが多いので非モテ度が下がります。お茶の水とか。同様に高田馬場もだめぽです。
サブカル・お洒落嫌いの身としては、吉祥寺とか中野とかはモテです。下北もダメです。お洒落臭がプンプンしてきてダメです。街全体が表局域で構成されてるような気がします。街に漂う美意識がもうダメです。
そういったとこに比べれば、池袋新宿渋谷の3大歓楽街はいくらか居心地がよろしいようです。ホストとギャルの牙城だという意見も確かにその通りなんですが、みもふたもない欲望がだだ漏れになることが許されるというか、変な美意識がないところが大変よろしいです。
池袋なんかオタク関連の店も多いですし、雑多性が高くて特にオススメです。昔は朝になると怖そうな若者が次々と路上に出没してきてうっとうしいことこの上ありませんでしたが、近年は姿を消してくれて平和でよろしいです。財布を落として無一文で朝まで過ごさなきゃいけなかったときに客引きのおじさんとおねーさんに朝まで話に付き合ってもらったのはいい思い出です。
秋葉原も昔は雑多性があったのですが、最近は妙に「デザイン」されてしまって残念ですね。

話を風俗の方に持っていきますと、歌舞伎町の風俗は風俗の中でもDQN臭が強いものだと思うんですよ。面白みやマニアックさに欠けている気がするのです。石原とかいうミジンコが余計なことをする前から、この傾向はあったと思います。
風俗店には、とにかく射精(本番)させることを重視したものと、射精に至るまでのあれこれを重視したものとがありますが、歌舞伎町に多いのは圧倒的に前者の店だと思うのです。イメクラの看板を掲げている店も、コスチュームだけ揃えた表層的なものが多くて少しげんなり。客層もDQNや会社帰りのリーマン集団が多い印象ですね。
昔はプレイルームが凝ってるイメクラとかアニメ・ゲーム系のイメクラとかもあったんですけど、みんなお亡くなりになっちゃいましたし...やっぱり新宿女学園とかアメクリとかあの辺の老舗・王道ヘルスが歌舞伎町の代表店みたいな感じになってしまいます。あ、貴重な老舗イメクラとしてハレンチ女学園とかがありましたね。
非モテらしくマニアックさを追求するなら、池袋、秋葉原、鶯谷...こんなとこでしょうか。何気に渋谷なんかもいいですが、やっぱり「イメクラのメッカ」として名を馳せた池袋が最強かな。こうしたとこではお客も草食系が多くなってきますし、客も集団ではなく個人で来る場合が多いですね。フェラ専門店の注文用紙に「手を使わずにゆっくり奥まで」とか「お掃除は入念に」とか箇条書きで熱心に書いてるのを友人に見られるのは物凄くマヌケです。
少し前までは三大歓楽街から少し離れたとこ、例えば恵比寿とか要町なんかに優良店があったのですが、時代の流れなのか、みんなお亡くなりになってしまって少し寂しい...
要町はおばさんと疲れたサラリーマンと暇そうな学生ばっかでよかったなー。

musmmdさんの下記のコメント
神保町→秋葉(通過点ということで....)→御徒町・上野へと徒歩移動(ここ重要)
が自分のお散歩コースとぴったりでびっくり!
ちなみに上野の飲み屋はチェーン系居酒屋ではなくオヤジご用達の安飲み屋を選択するといいと思われます。

shitamuki2005 at 02:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)│ [フレーム]


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