2005年11月
2005年11月27日
めも
「暗黙知を形式知に変える」
不毛なことかもしれないけど、自分はやっぱりこういうことがしたい。
不毛なことかもしれないけど、自分はやっぱりこういうことがしたい。
2005年11月26日
超チラシの裏
下向き下反りは実用に耐えないから去勢したほうがいいですねorz
<今日のアンサガ>
ガルネリとマディーニをゲット。よしよし。
<今日のアンサガ>
ガルネリとマディーニをゲット。よしよし。
2005年11月22日
恋愛弱者はコミュ不全じゃないよ
「恋愛」と「コミュニケーション」の関係について「電脳ポトラッチ」というブログのコメント欄に面白い記述を見つけたので少し絡んでみます。
「恋愛」と「コミュニケーション」の関係を段階的に整理するとこんな感じになりますね。
A「他者との関係を円滑に運営する(もしくはやり過ごす)」
B「広範な、かつそれなりに深い人間関係を築く」
C「特定の異性と深い関係を取り持つ」
Aは、「一定範囲の人に嫌われない能力」であり、Bは「一定範囲の人に好かれる能力」と言い換えてもいいかもしれません。「一定範囲」としたのは、どんなにモテモテの人でも全ての人に嫌われなかったり好かれたりするなんてありえないからです。で、Cに至るためにはAは必要でしょうが、Bのレベルまでは必要じゃないはずですね。Cが出来ていてもAが出来てない人もかなりの数見られます。全般的「コミュ能力」と恋愛能力って、あんまり関係ないと思うんですよね。
とりあえずコメント欄から拾ってきた記述に意見を加えてみます。
>社会に出ると嫌な奴ともうまくやってかなきゃならんわけで、恋愛なんかよりそっちの方がずっと問題
はもーそーなんですよーそーなんですよー! こっちは日常的に全く年代も人種もばらばらの人達と英語でコミュニケーションしなきゃいけないんだから、自称「非モテ」男子においては同年代の日本人女子との日本語のコミュニケーションぐらいしていただきたいと思うわけです!
そういう全般的コミュ不全より恋愛スキルに重点を置かれているのは不思議な気がします。<非モテ
ここで言われている「コミュニケーション」が具体的にどのようなものなのかは定かではないが、嫌な奴との関係を無難にやり過ごす能力と、誰か一人を愛し愛される能力とは全く違うと思います。前者ができて後者ができない人とか一杯いるし。全般的コミュ不全と恋愛能力は違うのに、その辺がごっちゃにされてるのが一番まずい。よく「いい人だけど...」で終わってしまう人なんか、絶対全般的コミュ不全ではないと思いますし。日常会話程度の日本語の「コミュニケーション」くらいはできたほうがいいかもしれませんが、必ずしも「恋愛」=「深い関係構築」は社会において必須事項ではない。でもそれが出来ないと叩かれる。納得いかない。
こんな人が多いんじゃないのかな?
つまり、自分は機能、他人はモノ、です。まあ逆も言えるんですけど。男どうしだと、そんなものに応じるやさしさを相手は持ってないことがふつうです。つーか仕事とか利害関係が絡めばだいたいそうですわね。有無言わさずに支配したもん勝ちですから。基本的に人間関係の対等性とか相互性とかいうものが理解できないからです。
これはそうでしょうね。で、社会でやっていくにはとりあえずこっちの能力があれば一応はOKと。職種にもよると思いますが。まあ対等性と相互性が等価な機能交換によって成り立つという見方もできるわけですが。そういうふうにみもふたもないことを言われると困る人が多いからあんまり言われないだけであって。
あと顔がいいとか金もってる場合はこういうワガママが通り易くなりますね。「対等性や相互性を理解できなくても顔がいい奴は恋愛してる(つまり結局顔だろ)」ということです。これも混乱を誘う一因かもしれません。突き詰めていけば恋愛なんて「人それぞれ」みたいな部分がかなりあるので、一般論が反感を買いやすくなるということはあるかもしれません。
男女問わず、誰かを好きになるということは、機能(有用性)で割り切れない好意が生じたときだと思います。初めはみんな機能で好きになるのかなと思いますが。私は一目ぼれとかよくわからなくて、初めは絶対性欲をぶつける対象としてみてるだけのような気がしますけど、違うんですかね?
まあ言いたいことは、以前のエントリでも書きましたけど、全般的コミュ不全と恋愛能力は全く違う!後者がないからといって前者までも欠如してるみたいに言わないほうがいいんじゃないの?ということです。
「恋愛」と「コミュニケーション」の関係を段階的に整理するとこんな感じになりますね。
A「他者との関係を円滑に運営する(もしくはやり過ごす)」
B「広範な、かつそれなりに深い人間関係を築く」
C「特定の異性と深い関係を取り持つ」
Aは、「一定範囲の人に嫌われない能力」であり、Bは「一定範囲の人に好かれる能力」と言い換えてもいいかもしれません。「一定範囲」としたのは、どんなにモテモテの人でも全ての人に嫌われなかったり好かれたりするなんてありえないからです。で、Cに至るためにはAは必要でしょうが、Bのレベルまでは必要じゃないはずですね。Cが出来ていてもAが出来てない人もかなりの数見られます。全般的「コミュ能力」と恋愛能力って、あんまり関係ないと思うんですよね。
とりあえずコメント欄から拾ってきた記述に意見を加えてみます。
>社会に出ると嫌な奴ともうまくやってかなきゃならんわけで、恋愛なんかよりそっちの方がずっと問題
はもーそーなんですよーそーなんですよー! こっちは日常的に全く年代も人種もばらばらの人達と英語でコミュニケーションしなきゃいけないんだから、自称「非モテ」男子においては同年代の日本人女子との日本語のコミュニケーションぐらいしていただきたいと思うわけです!
そういう全般的コミュ不全より恋愛スキルに重点を置かれているのは不思議な気がします。<非モテ
ここで言われている「コミュニケーション」が具体的にどのようなものなのかは定かではないが、嫌な奴との関係を無難にやり過ごす能力と、誰か一人を愛し愛される能力とは全く違うと思います。前者ができて後者ができない人とか一杯いるし。全般的コミュ不全と恋愛能力は違うのに、その辺がごっちゃにされてるのが一番まずい。よく「いい人だけど...」で終わってしまう人なんか、絶対全般的コミュ不全ではないと思いますし。日常会話程度の日本語の「コミュニケーション」くらいはできたほうがいいかもしれませんが、必ずしも「恋愛」=「深い関係構築」は社会において必須事項ではない。でもそれが出来ないと叩かれる。納得いかない。
こんな人が多いんじゃないのかな?
つまり、自分は機能、他人はモノ、です。まあ逆も言えるんですけど。男どうしだと、そんなものに応じるやさしさを相手は持ってないことがふつうです。つーか仕事とか利害関係が絡めばだいたいそうですわね。有無言わさずに支配したもん勝ちですから。基本的に人間関係の対等性とか相互性とかいうものが理解できないからです。
これはそうでしょうね。で、社会でやっていくにはとりあえずこっちの能力があれば一応はOKと。職種にもよると思いますが。まあ対等性と相互性が等価な機能交換によって成り立つという見方もできるわけですが。そういうふうにみもふたもないことを言われると困る人が多いからあんまり言われないだけであって。
あと顔がいいとか金もってる場合はこういうワガママが通り易くなりますね。「対等性や相互性を理解できなくても顔がいい奴は恋愛してる(つまり結局顔だろ)」ということです。これも混乱を誘う一因かもしれません。突き詰めていけば恋愛なんて「人それぞれ」みたいな部分がかなりあるので、一般論が反感を買いやすくなるということはあるかもしれません。
男女問わず、誰かを好きになるということは、機能(有用性)で割り切れない好意が生じたときだと思います。初めはみんな機能で好きになるのかなと思いますが。私は一目ぼれとかよくわからなくて、初めは絶対性欲をぶつける対象としてみてるだけのような気がしますけど、違うんですかね?
まあ言いたいことは、以前のエントリでも書きましたけど、全般的コミュ不全と恋愛能力は全く違う!後者がないからといって前者までも欠如してるみたいに言わないほうがいいんじゃないの?ということです。
傲慢にニートをする(三橋理論)
自分は半分ニートで実に現在の生活と将来が不安定な立場なので、記事のタイトルのようなことをたまに考えたりします。風邪気味で頭が朦朧としてイライラする。
現実問題として、戦略的にニートをする、切込隊長がいつか指摘していたようなキングオブニートとして暮らしていける人は少ないでしょう。でも、一方で、ある程度子供をぶらぶらさせておくだけの余裕がある親を持った「恵まれた」ニート(要はボンボン)が少しはいることも否定できません。ちなみに、ある程度学歴がある人間が(実質)ニートになる場合、おおむねその人の親の収入は多かったりします。逆に親の収入が少ない場合は就職圧力が強いためちゃんと社会人になります。私の周りのニートも親が(中小企業の)社長だったり、外交官だったり、一部上場企業の役員だったりします。こういう人は年金も親が払ってくれたりします。親が結構株持ってたりすると、配当金で年に500万とか1000万とか入ってくる人もいて、そういう人は親が定年退職した後もそこまで不安定な生活にはならないでしょう。
そういう人にとって、成功者である自分の親の財産は、有用な資源になります。彼らが投票行動するしたら、それは当然親の利益を守るような政策を掲げている政党に投票するのではないでしょうか。特に相続税率なんかは重要視されると思います。
まあこんな話はどうでもいいのですが、彼らは、現在の社会に対して「フリーライダー」でありたいっていう意識を結構強く持ってたりします。社会貢献とかどうでもいいんですね。自分が努力しないでいかに利得を得られるかが大事なわけです。「金が無くなったら社会に思いっきり迷惑かけて死ぬ」とか言ってる人もいます。
一方、真剣に困っているニートの人は、真面目なタイプが多いのではないでしょうか。「ニートをとにかく働かせよう」とか「フリーターや派遣として搾取し続けよう」とかいう意見に反対する人も、ボランティアとかそんな方向の解決策しか提示できないのは、その辺のニートの心性が影響してるのかもしれません。
でも、弱者に必要なものって、傲慢さであり、脱社会性だと思うんですね。とりあえず、世の中の政策や言説は「社会があるのはいいことで、それは今後も続いていくべき」だという思想を背景に生まれてきています。でも、集団に関する議論と同じことなのですが、社会がうまく回って、得する人と割を食う人がいるのです。資本主義社会は上手く回るためには大量の負け組みが必要であり、社会には割りを食う人が多数いるわけです。
ここで、「三橋理論」というものを持ち出します。週刊少年サンデーで連載されていたマンガです。そこの主人公が三橋君です。普通の利己的な人は、自分の幸福を最大化するように行動しますね。でも、彼は一味違います。
自分の幸福<(気に食わない)他人の幸福
という事態が一番気に入らないのです。一方、
自分の不幸<他人の不幸
だったら、その行動を継続します。
「他人が自分より相対的に幸福であること」が三橋君は許せないわけです。
ニートとかフリーターがこの理論を元に行動しようとするとどうなるでしょうか?まず社会です。あれ?ニートとかフリーターより相対的に幸福な人が一杯いますね。じゃあ社会がなくなってもいいことにしましょう。かなりラディカルな脱社会的存在の誕生です。社会貢献とか、どうでもいいですね。自分だけが大事です。勝ち組が社会を大事にするのは、自分に利益を配分してくれるシステムだからです。利益を与えてくれない社会などゴミ同然です。廃棄処分にしましょう。自分が上昇するのではなく、他人を落下させるという、クズの手法をとります。クズとか言われても脱社会的存在には届きません。
次に標的とするのはどこでしょうか。いわゆる「勝ち組」の人間ですね。彼らは間違いなく(金銭的には)自分達より相対的に幸せです。例えば彼らと相打ちしたとします。金銭的な面だけで言えば、1億円の財産を持ってる人と1円しか財産を持っていない人が共倒れになれば、前者の不幸の方が大きくなります。そんな感じで、どんどん勝ち組を不幸にしていくのです。倫理とか常識とかどうでもいいですね。脱社会的存在ですから。邪魔したいから邪魔する、それだけです。勝ち組の人は、いろいろと漬け込む隙があったりしますから、割合ラクかもしれません。
ニート予算でのうのうと暮らしてる人も攻撃対象になりますね。彼らのことも邪魔します。「ニートになんか関わらないほうがよかった」と思い知らせて地獄に落としてしまいましょう。
一般論として、人を幸福にすることは難しいですが、人を不幸にすることは簡単です。特に自分が失うものがない立場だったりすると簡単です。集団を組織しなくても、マイクロテロで大丈夫だったりすると思います。
そうそう、マスコミの取材も簡単に受けてはいけませんよ。高い取材料をボッタクリましょう。学者のフィールドワークも同様です。彼らは取材対象、調査対象がいないと何もできませんから、足元を見て強気にでましょう。こちらが取材される側になるとき、自分は神で、相手はゴミです。
脱社会化した絶対悪を生み出してしまうのは社会システムの失敗です。ルールを作る側がアホだということです。まあ今の社会はその失敗を治安維持強化によって沈めようとしてますけどね。実につまらない。でも、もしかしたら、これからのエリートには、負け組の悪意とか嫉妬みたいなものを、上手くコントロールしたり受け止めたりする技術が必要になってくるかもしれませんね。誹謗中傷程度で致命的な傷を負うような脇の甘い奴は問題外ということで。ニートとフリーターが党を作るんなら、「勝ち組を地獄に落とす党」とかがいいかな。
現実問題として、戦略的にニートをする、切込隊長がいつか指摘していたようなキングオブニートとして暮らしていける人は少ないでしょう。でも、一方で、ある程度子供をぶらぶらさせておくだけの余裕がある親を持った「恵まれた」ニート(要はボンボン)が少しはいることも否定できません。ちなみに、ある程度学歴がある人間が(実質)ニートになる場合、おおむねその人の親の収入は多かったりします。逆に親の収入が少ない場合は就職圧力が強いためちゃんと社会人になります。私の周りのニートも親が(中小企業の)社長だったり、外交官だったり、一部上場企業の役員だったりします。こういう人は年金も親が払ってくれたりします。親が結構株持ってたりすると、配当金で年に500万とか1000万とか入ってくる人もいて、そういう人は親が定年退職した後もそこまで不安定な生活にはならないでしょう。
そういう人にとって、成功者である自分の親の財産は、有用な資源になります。彼らが投票行動するしたら、それは当然親の利益を守るような政策を掲げている政党に投票するのではないでしょうか。特に相続税率なんかは重要視されると思います。
まあこんな話はどうでもいいのですが、彼らは、現在の社会に対して「フリーライダー」でありたいっていう意識を結構強く持ってたりします。社会貢献とかどうでもいいんですね。自分が努力しないでいかに利得を得られるかが大事なわけです。「金が無くなったら社会に思いっきり迷惑かけて死ぬ」とか言ってる人もいます。
一方、真剣に困っているニートの人は、真面目なタイプが多いのではないでしょうか。「ニートをとにかく働かせよう」とか「フリーターや派遣として搾取し続けよう」とかいう意見に反対する人も、ボランティアとかそんな方向の解決策しか提示できないのは、その辺のニートの心性が影響してるのかもしれません。
でも、弱者に必要なものって、傲慢さであり、脱社会性だと思うんですね。とりあえず、世の中の政策や言説は「社会があるのはいいことで、それは今後も続いていくべき」だという思想を背景に生まれてきています。でも、集団に関する議論と同じことなのですが、社会がうまく回って、得する人と割を食う人がいるのです。資本主義社会は上手く回るためには大量の負け組みが必要であり、社会には割りを食う人が多数いるわけです。
ここで、「三橋理論」というものを持ち出します。週刊少年サンデーで連載されていたマンガです。そこの主人公が三橋君です。普通の利己的な人は、自分の幸福を最大化するように行動しますね。でも、彼は一味違います。
自分の幸福<(気に食わない)他人の幸福
という事態が一番気に入らないのです。一方、
自分の不幸<他人の不幸
だったら、その行動を継続します。
「他人が自分より相対的に幸福であること」が三橋君は許せないわけです。
ニートとかフリーターがこの理論を元に行動しようとするとどうなるでしょうか?まず社会です。あれ?ニートとかフリーターより相対的に幸福な人が一杯いますね。じゃあ社会がなくなってもいいことにしましょう。かなりラディカルな脱社会的存在の誕生です。社会貢献とか、どうでもいいですね。自分だけが大事です。勝ち組が社会を大事にするのは、自分に利益を配分してくれるシステムだからです。利益を与えてくれない社会などゴミ同然です。廃棄処分にしましょう。自分が上昇するのではなく、他人を落下させるという、クズの手法をとります。クズとか言われても脱社会的存在には届きません。
次に標的とするのはどこでしょうか。いわゆる「勝ち組」の人間ですね。彼らは間違いなく(金銭的には)自分達より相対的に幸せです。例えば彼らと相打ちしたとします。金銭的な面だけで言えば、1億円の財産を持ってる人と1円しか財産を持っていない人が共倒れになれば、前者の不幸の方が大きくなります。そんな感じで、どんどん勝ち組を不幸にしていくのです。倫理とか常識とかどうでもいいですね。脱社会的存在ですから。邪魔したいから邪魔する、それだけです。勝ち組の人は、いろいろと漬け込む隙があったりしますから、割合ラクかもしれません。
ニート予算でのうのうと暮らしてる人も攻撃対象になりますね。彼らのことも邪魔します。「ニートになんか関わらないほうがよかった」と思い知らせて地獄に落としてしまいましょう。
一般論として、人を幸福にすることは難しいですが、人を不幸にすることは簡単です。特に自分が失うものがない立場だったりすると簡単です。集団を組織しなくても、マイクロテロで大丈夫だったりすると思います。
そうそう、マスコミの取材も簡単に受けてはいけませんよ。高い取材料をボッタクリましょう。学者のフィールドワークも同様です。彼らは取材対象、調査対象がいないと何もできませんから、足元を見て強気にでましょう。こちらが取材される側になるとき、自分は神で、相手はゴミです。
脱社会化した絶対悪を生み出してしまうのは社会システムの失敗です。ルールを作る側がアホだということです。まあ今の社会はその失敗を治安維持強化によって沈めようとしてますけどね。実につまらない。でも、もしかしたら、これからのエリートには、負け組の悪意とか嫉妬みたいなものを、上手くコントロールしたり受け止めたりする技術が必要になってくるかもしれませんね。誹謗中傷程度で致命的な傷を負うような脇の甘い奴は問題外ということで。ニートとフリーターが党を作るんなら、「勝ち組を地獄に落とす党」とかがいいかな。
喪男と風俗その9
風俗に行って気づいたことの一つに、自分の性器の形の異常さがあります。
私の性器は下向き下反りで、勃起しても斜め下を向いてます。いろいろな風俗嬢に言われましたね。「正上位だと痛いでしょ?」とか。フェラはし易い形みたいなんですが。客の性器の標準形とかも風俗嬢に聞いたりするんですが、私のような形はめったにいないらしいです。
ホントかどうかわかりませんが、性器の形状はオナニーの方法や収納方法によって後天的に決まる部分も大きいらしいです。「普通の」オナニーとは大分違う変な皮オナをして、おまけに下向き収納をしてジーンズでがっちり押さえつけていたので、私の性器は今のような形状になったわけです。下反りとかだとバックがやり易いらしいですが、下向きが合併するとかなり実際の性交が辛かったりします。
小学校高学年とか中学校くらいで、オナニーの方法とか友人同士で話したりすることって結構あったりするのかな?また、AV鑑賞では女性だけでなく、男性の性器の形状にも注目したりするのかな?もしそういうのをしていれば、私みたいな変な形の性器は誕生しないと思うんですよね。
AVとか見てなかったり、二次元でだけ性欲を満たしていたり、友達とオナニーの情報交換しなかったりすると(つまり階層のCにありがちな性生活)、私みたいな性器の人が増えるかもしれません。風俗に行かなきゃずっと気づかなかった可能性もあります。
メディアを通した恋愛消費や性消費だと、ほとんど全部、SEX=「恋愛の一つの到達点、至高の快楽」みたいな位置づけじゃないですか。でも実際のセックスなんかスポーツに近いものだし、体力もいる、筋力もいる(私みたいなもやしっ子には結構大変)。性器の形も最大公約数的なもののほうがいい。そこでもちゃんとスペックが要求されてるんです。そしてそのスペックは、性的魅力に乏しいモテナイクンには備わっていない可能性が高いんです。『ふたりエッチ』なんかその辺をちゃんと描写してるとこが評価できると思いますね。
素人同士のSEXでは正上位が求められるみたいな勝手な思いこみがあったので、自分の性器の形が正上位をするには不適当だとわかると、素人の女性との交際欲みたいなものはどんどん消えていきました。体力不足ももちろんですが。(実際正上位だと痛いみたいで、彼女とも正上位ではできません。バックでも痛がる場合があって、下向き性器は性交全般に向かないのかもしれません。)この辺のことは気づかないでいるといざ気づいたときにショックが大きく、改善も不可能だったりするので、なんとかしておいたほうがいいと思いますね。ホントに。
私の性器は下向き下反りで、勃起しても斜め下を向いてます。いろいろな風俗嬢に言われましたね。「正上位だと痛いでしょ?」とか。フェラはし易い形みたいなんですが。客の性器の標準形とかも風俗嬢に聞いたりするんですが、私のような形はめったにいないらしいです。
ホントかどうかわかりませんが、性器の形状はオナニーの方法や収納方法によって後天的に決まる部分も大きいらしいです。「普通の」オナニーとは大分違う変な皮オナをして、おまけに下向き収納をしてジーンズでがっちり押さえつけていたので、私の性器は今のような形状になったわけです。下反りとかだとバックがやり易いらしいですが、下向きが合併するとかなり実際の性交が辛かったりします。
小学校高学年とか中学校くらいで、オナニーの方法とか友人同士で話したりすることって結構あったりするのかな?また、AV鑑賞では女性だけでなく、男性の性器の形状にも注目したりするのかな?もしそういうのをしていれば、私みたいな変な形の性器は誕生しないと思うんですよね。
AVとか見てなかったり、二次元でだけ性欲を満たしていたり、友達とオナニーの情報交換しなかったりすると(つまり階層のCにありがちな性生活)、私みたいな性器の人が増えるかもしれません。風俗に行かなきゃずっと気づかなかった可能性もあります。
メディアを通した恋愛消費や性消費だと、ほとんど全部、SEX=「恋愛の一つの到達点、至高の快楽」みたいな位置づけじゃないですか。でも実際のセックスなんかスポーツに近いものだし、体力もいる、筋力もいる(私みたいなもやしっ子には結構大変)。性器の形も最大公約数的なもののほうがいい。そこでもちゃんとスペックが要求されてるんです。そしてそのスペックは、性的魅力に乏しいモテナイクンには備わっていない可能性が高いんです。『ふたりエッチ』なんかその辺をちゃんと描写してるとこが評価できると思いますね。
素人同士のSEXでは正上位が求められるみたいな勝手な思いこみがあったので、自分の性器の形が正上位をするには不適当だとわかると、素人の女性との交際欲みたいなものはどんどん消えていきました。体力不足ももちろんですが。(実際正上位だと痛いみたいで、彼女とも正上位ではできません。バックでも痛がる場合があって、下向き性器は性交全般に向かないのかもしれません。)この辺のことは気づかないでいるといざ気づいたときにショックが大きく、改善も不可能だったりするので、なんとかしておいたほうがいいと思いますね。ホントに。
2005年11月21日
喪男と風俗その8
風俗に行く際、女の子を指名する基準は何でしょうか。ルックス、スタイル、あとは性格ですね。
最後に出てきた性格ですが、風俗嬢の性格は結構大事です。男性が風俗に行って購入するのは、「自分にとって都合のいい女性像+性サービス」です。風俗嬢の性格とは、「彼女たちが演じようとしている女性像」であり(そういうこと考えてないOR能力がない風俗嬢もいますが、売れっ子は概ね演技能力が高いです)、それが男性側の欲望とぴったり一致したときに、最高に楽しい風俗遊びができるのです。また、性格はサービスの良し悪しにもつながってくるため、その点でも重要です。
ルックススタイルは写真を見ればわかりますが、性格はなかなかわかりにくいものです(風俗慣れすると写真からも少し分かるようになりますけど)。その性格を判断する材料の一つが、プロフィールです。ネット掲示板の情報からでもいいですが、多くの場合はプロフィールが重要な判断材料になります。
風俗嬢のプロフィールの詳細な生産過程は定かではありません。店側が売り出したいキャラが書かれている場合もあるでしょうし、本人が売り出したいキャラが書かれている場合もあるでしょうし、そんなこと何も考えないで書かれている場合もあるでしょう。まあそういったことはひとまず置いておいて、どんな感じで風俗嬢のキャラ売りがされているのか見てみましょう。
ここに、一つの風俗情報サイトがあります。私が愛用していたやつです。(「ラブギャラリー風俗情報」http://www.lvg.co.jp/top.htm)ここのイメクラで、適当な店のプロフィールを見てみましょう。とりあえず取り上げてみるのは、「新宿歌舞伎町ペパーミントムーン」です。私も数回いったことあります。
ラブギャラリーのページのプロフィール欄で、その女の子の性格を想像できそうな項目は、性格、好みのタイプ、嫌いなタイプ、コメントの4つです。
性格については、明るい、マイペース、優しい、おっとり、大人しい、天然ボケ、シャイ、甘えん坊といった記述が見られます。この中でオススメなのが、「優しい」ですね。「優しい」という言葉は、「誠心誠意サービスします」とか「気を遣います」とかいうメッセージを暗に含んでいることが多いです。この種の女の子とのプレイでは、モテナイクンも不快感を感じることはないと思います。より性サービスの方に重点を置く場合は、この店の性格欄には書かれていませんでしたが、「えっち」とか「淫乱」とか書いてある女の子を選ぶのがいいです。「えっち」とか「淫乱」とか書いてある女の子は数が少ないですが、その分サービスは洗練されています。客の欲望を先回りして叶えてくれるようなスペシャル級の女の子も多く、こちらが受身でもじもじしていてもばっちり心身共に気持ちよくさせてくれます。
逆に選んではダメなのは、「大人しい」とか「シャイ」とか書いてある女の子です。甘えん坊も危険です(この店の人気嬢は「甘えん坊」とか書いてあったりするのですが)。いや、別に自分が初対面の人間と会話をスムーズにできるタイプの人間なら問題ないのですが、あまり会話が得意でないと自覚している場合には、止めたほうがいいです。この種の女の子は、風俗という場においても、男性にいわゆる「男らしさ」を求めるからです。会話もこちらがリードしなければならないことが多いです。モテナイクンとは多くの場合性的魅力の不足からモテナイクンになっているのであって、お金を払ってまで自分が苦痛に感じている役割期待に応える必要はないでしょう。その反対に「明るい」という性格描写からは、「会話をリードする」という意思表示を感じることができますので、オススメです。ただ、「優しい」と「明るい」は適当に乱発されることが多いので、「特徴なし」くらいの意味にとっておいたほうがいいような気もしますね。
次に、好きなタイプです。この項目は、嫌いなタイプと対にして読む必要があります。好きなタイプという項目からは、「こういうお客さんが好き!」という文字通りのメッセージ以外に、「こうじゃないお客さんは嫌い!」というメッセージも読み取りことができます。芸能人の名前が書いてある場合もありますが、そういう場合を除くと、優しい、楽しい、明るい、面白い、落ち着いてるという記述が見られます。眉毛が太い人(笑)と書いてる人もいました。この店の場合は比較的バリエーションが少ないですが、人数が多かったりすると、えっちな人、男らしい人、筋肉質、細身、頭のいい、体格のいい、包容力がある、清潔な人といった記述も見られます。
優しい、楽しい、明るい、面白いという記述は物凄く頻繁にみられますが、これらは、「こうじゃないお客さんは嫌い!」というメッセージを含んでいます。「優しい」=「乱暴にするお客さんは嫌い」、「楽しい、明るい、面白い」=「無口なお客さんはあんまり好きじゃない」みたいな感じですね。楽しい、明るい、面白いと書いてある女の子は非常に多いですが、まあこっちが大人しいタイプでも結構大丈夫だったりします。多くの場合、彼女達が困るほど「暗い」お客さんとは、女の子に話しかけられても全く口を聞かないレベルのお客さんだったりするからです。相手が振った会話に普通に答えられれば大丈夫です。
ここでも「えっちな人」と書いてある場合はオススメです。風俗では一般的にガツガツエロエロな行為を許容してくれる女の子はあんまりいませんが、欲望全開のプレーを安心してできるのがこのタイプの女の子です。あとは、自分と正反対の特徴を好きなタイプに挙げてる女の子にはできれば避けたほうがいいです。自分みたいなひ弱タイプにとっては、「男らしさ」ワードを書いてる女の子は要注意人物ですね。
嫌いなタイプには、投げやりな人、無神経な人、挙動不振な人、不潔な人、嘘つきな人、乱暴な人なんかが書いてあります。不潔と乱暴に関していえば、風俗においてそれらを避けることはマナーです。よって、こういうことが書いてある女の子には、あんまり「コイツはダメ!」というお客さんがいないという深読みをすることはできます。「挙動不審な人」という記述が見られますが、この類義語として、「頼りない人」なんかがあります。私みたいな人間はこういうことが書いてある女の子には入らないほうがよいかもしれません。「嘘つきな人」というのは何を伝えたいのか良く分からないですね。これが書いてある女の子のプロフィールには全般的にマーケティングの意志が薄いように思われます。
最後のコメント欄ですが、受身系のことが書いてあったり、「まったりしたい」とか「たくさんお話したい」とかいう子は手抜きプレイの可能性が高いです。性欲処理より擬似恋愛を求めるタイプの人はいいのかもしれませんが。このコメント欄にもエロエロなことを書いてある女の子がいますが、そういう子は言うまでもなくオススメです。
ちなみに私の好みはこんな感じです。ロリ好きの人なんかは違った戦略を立てる必要があるかもしれません。
顔:あまりこだわらない。
スタイル:物凄くこだわる。巨乳好き。F〜Gくらいがいい。
サービス:欲望全開プレー。ご対面の瞬間に股間を触ってくるくらいがいい。
総合イメージ:フェロモンむんむんの痴女系大好き。ロリは嫌い。
最後に出てきた性格ですが、風俗嬢の性格は結構大事です。男性が風俗に行って購入するのは、「自分にとって都合のいい女性像+性サービス」です。風俗嬢の性格とは、「彼女たちが演じようとしている女性像」であり(そういうこと考えてないOR能力がない風俗嬢もいますが、売れっ子は概ね演技能力が高いです)、それが男性側の欲望とぴったり一致したときに、最高に楽しい風俗遊びができるのです。また、性格はサービスの良し悪しにもつながってくるため、その点でも重要です。
ルックススタイルは写真を見ればわかりますが、性格はなかなかわかりにくいものです(風俗慣れすると写真からも少し分かるようになりますけど)。その性格を判断する材料の一つが、プロフィールです。ネット掲示板の情報からでもいいですが、多くの場合はプロフィールが重要な判断材料になります。
風俗嬢のプロフィールの詳細な生産過程は定かではありません。店側が売り出したいキャラが書かれている場合もあるでしょうし、本人が売り出したいキャラが書かれている場合もあるでしょうし、そんなこと何も考えないで書かれている場合もあるでしょう。まあそういったことはひとまず置いておいて、どんな感じで風俗嬢のキャラ売りがされているのか見てみましょう。
ここに、一つの風俗情報サイトがあります。私が愛用していたやつです。(「ラブギャラリー風俗情報」http://www.lvg.co.jp/top.htm)ここのイメクラで、適当な店のプロフィールを見てみましょう。とりあえず取り上げてみるのは、「新宿歌舞伎町ペパーミントムーン」です。私も数回いったことあります。
ラブギャラリーのページのプロフィール欄で、その女の子の性格を想像できそうな項目は、性格、好みのタイプ、嫌いなタイプ、コメントの4つです。
性格については、明るい、マイペース、優しい、おっとり、大人しい、天然ボケ、シャイ、甘えん坊といった記述が見られます。この中でオススメなのが、「優しい」ですね。「優しい」という言葉は、「誠心誠意サービスします」とか「気を遣います」とかいうメッセージを暗に含んでいることが多いです。この種の女の子とのプレイでは、モテナイクンも不快感を感じることはないと思います。より性サービスの方に重点を置く場合は、この店の性格欄には書かれていませんでしたが、「えっち」とか「淫乱」とか書いてある女の子を選ぶのがいいです。「えっち」とか「淫乱」とか書いてある女の子は数が少ないですが、その分サービスは洗練されています。客の欲望を先回りして叶えてくれるようなスペシャル級の女の子も多く、こちらが受身でもじもじしていてもばっちり心身共に気持ちよくさせてくれます。
逆に選んではダメなのは、「大人しい」とか「シャイ」とか書いてある女の子です。甘えん坊も危険です(この店の人気嬢は「甘えん坊」とか書いてあったりするのですが)。いや、別に自分が初対面の人間と会話をスムーズにできるタイプの人間なら問題ないのですが、あまり会話が得意でないと自覚している場合には、止めたほうがいいです。この種の女の子は、風俗という場においても、男性にいわゆる「男らしさ」を求めるからです。会話もこちらがリードしなければならないことが多いです。モテナイクンとは多くの場合性的魅力の不足からモテナイクンになっているのであって、お金を払ってまで自分が苦痛に感じている役割期待に応える必要はないでしょう。その反対に「明るい」という性格描写からは、「会話をリードする」という意思表示を感じることができますので、オススメです。ただ、「優しい」と「明るい」は適当に乱発されることが多いので、「特徴なし」くらいの意味にとっておいたほうがいいような気もしますね。
次に、好きなタイプです。この項目は、嫌いなタイプと対にして読む必要があります。好きなタイプという項目からは、「こういうお客さんが好き!」という文字通りのメッセージ以外に、「こうじゃないお客さんは嫌い!」というメッセージも読み取りことができます。芸能人の名前が書いてある場合もありますが、そういう場合を除くと、優しい、楽しい、明るい、面白い、落ち着いてるという記述が見られます。眉毛が太い人(笑)と書いてる人もいました。この店の場合は比較的バリエーションが少ないですが、人数が多かったりすると、えっちな人、男らしい人、筋肉質、細身、頭のいい、体格のいい、包容力がある、清潔な人といった記述も見られます。
優しい、楽しい、明るい、面白いという記述は物凄く頻繁にみられますが、これらは、「こうじゃないお客さんは嫌い!」というメッセージを含んでいます。「優しい」=「乱暴にするお客さんは嫌い」、「楽しい、明るい、面白い」=「無口なお客さんはあんまり好きじゃない」みたいな感じですね。楽しい、明るい、面白いと書いてある女の子は非常に多いですが、まあこっちが大人しいタイプでも結構大丈夫だったりします。多くの場合、彼女達が困るほど「暗い」お客さんとは、女の子に話しかけられても全く口を聞かないレベルのお客さんだったりするからです。相手が振った会話に普通に答えられれば大丈夫です。
ここでも「えっちな人」と書いてある場合はオススメです。風俗では一般的にガツガツエロエロな行為を許容してくれる女の子はあんまりいませんが、欲望全開のプレーを安心してできるのがこのタイプの女の子です。あとは、自分と正反対の特徴を好きなタイプに挙げてる女の子にはできれば避けたほうがいいです。自分みたいなひ弱タイプにとっては、「男らしさ」ワードを書いてる女の子は要注意人物ですね。
嫌いなタイプには、投げやりな人、無神経な人、挙動不振な人、不潔な人、嘘つきな人、乱暴な人なんかが書いてあります。不潔と乱暴に関していえば、風俗においてそれらを避けることはマナーです。よって、こういうことが書いてある女の子には、あんまり「コイツはダメ!」というお客さんがいないという深読みをすることはできます。「挙動不審な人」という記述が見られますが、この類義語として、「頼りない人」なんかがあります。私みたいな人間はこういうことが書いてある女の子には入らないほうがよいかもしれません。「嘘つきな人」というのは何を伝えたいのか良く分からないですね。これが書いてある女の子のプロフィールには全般的にマーケティングの意志が薄いように思われます。
最後のコメント欄ですが、受身系のことが書いてあったり、「まったりしたい」とか「たくさんお話したい」とかいう子は手抜きプレイの可能性が高いです。性欲処理より擬似恋愛を求めるタイプの人はいいのかもしれませんが。このコメント欄にもエロエロなことを書いてある女の子がいますが、そういう子は言うまでもなくオススメです。
ちなみに私の好みはこんな感じです。ロリ好きの人なんかは違った戦略を立てる必要があるかもしれません。
顔:あまりこだわらない。
スタイル:物凄くこだわる。巨乳好き。F〜Gくらいがいい。
サービス:欲望全開プレー。ご対面の瞬間に股間を触ってくるくらいがいい。
総合イメージ:フェロモンむんむんの痴女系大好き。ロリは嫌い。
2005年11月20日
「ダメ人間」を演出するには
このブログの形式面での適当さに如実に現れてますが、私はプレゼンテーションというものが苦手だしあまり積極的にする意志もありません。基本的に見知らぬ人の目もあまり気にしないし。それでもいろいろ小さな悩みを抱えることがあるわけです。
基本的に動物的に振舞うのが楽だから動物的に振舞っていることが多いんですけど、他人から付与されるキャラとしては、
「醒めきった仙人」(15歳の時点で醒めてるとか言われてました...)
「真面目なインテリ君・オタク」
みたいなのが多かった気がします。
「醒めきった仙人」キャラというのは、悟りを啓いたオタクの理想の境地であり、ぐつぐつしたルサンチマンを見抜かれて嘲笑の的となることもないので、肉体的な意味での童貞を貫こうと思っている人にとってはむしろ好ましいことかもしれません。しかし、私のように1日5回のソロ活動を平然とこなす性欲がありながらもこういうキャラ付けをされてしまうと何かと困ったりするわけですね。「俺腰振るのめんどくさいしさ、騎上位で腰振ってくれる女じゃないとセックスとか疲れるだけじゃない」とかいう言葉に強がりとか何かどろどろしたものを読み取る人がもう少しいてもいいような気がするんですけど、そういう評価が下されることはほとんどありません。私が気づいてないだけかもしれませんが。彼女にも、「私から手を出さないと一生手を出してこないと思った」とか「セックスに興味ないと思った」とか言われましたね。風俗嬢のみなさんにも「淡白だと思った」なんかは幾度となく言われました。おそらく自分にも制御できない仙人オーラが出てるようです。割合どろどろしてたりするんですけどね。
「真面目なインテリ君・オタク」キャラというのも、ずーっと言われますね。否定的な意味であっても「オタク」とまなざされることはいいのですが、勝手に真面目さとかインテリとかを押し付けられると少し困ります。結構わかりやすい形でダメ人間を演じていても、人のいないところでは真面目に暮らしてると思い込んでくれる人が多いです。キャラ付けって、始めにダメなキャラ認定されたほうが絶対ラクだと思うんですよ。その先はイメージ改善の過程があるだけですから。第一印象で自分にまず良い印象は持ってないだろうな、って人が、話していくにつれ態度を軟化させ好感さえ示してくれるようになるのは結構気持ちよかったりするものです。
でも、始めに「真面目」(風俗嬢が言うような用法ではなくて、真人間・努力家という意味に近い)イメージがついてしまうと、その後にあるのはイメージダウンでしかないわけですよ。中身がそれに伴っていればいいんですけど、2ちゃんとオナニーで20時間つぶせるような人間にそういうイメージをもたれても困るわけです。期待されるのが嫌いな人間だから、過大評価が辛くて。
なんていうんですかね、イメージ操作の技術として、自分を良く見せる技術なんかは結構研究されてると思うんですよね。でも、自分をダメに見せる技術って、なかなか教えてくれるところがない。暇な時間携帯でずーっと2ちゃんやってても、やっぱりダメ人間認定はされない。どーすればいいんでしょうね?
基本的に動物的に振舞うのが楽だから動物的に振舞っていることが多いんですけど、他人から付与されるキャラとしては、
「醒めきった仙人」(15歳の時点で醒めてるとか言われてました...)
「真面目なインテリ君・オタク」
みたいなのが多かった気がします。
「醒めきった仙人」キャラというのは、悟りを啓いたオタクの理想の境地であり、ぐつぐつしたルサンチマンを見抜かれて嘲笑の的となることもないので、肉体的な意味での童貞を貫こうと思っている人にとってはむしろ好ましいことかもしれません。しかし、私のように1日5回のソロ活動を平然とこなす性欲がありながらもこういうキャラ付けをされてしまうと何かと困ったりするわけですね。「俺腰振るのめんどくさいしさ、騎上位で腰振ってくれる女じゃないとセックスとか疲れるだけじゃない」とかいう言葉に強がりとか何かどろどろしたものを読み取る人がもう少しいてもいいような気がするんですけど、そういう評価が下されることはほとんどありません。私が気づいてないだけかもしれませんが。彼女にも、「私から手を出さないと一生手を出してこないと思った」とか「セックスに興味ないと思った」とか言われましたね。風俗嬢のみなさんにも「淡白だと思った」なんかは幾度となく言われました。おそらく自分にも制御できない仙人オーラが出てるようです。割合どろどろしてたりするんですけどね。
「真面目なインテリ君・オタク」キャラというのも、ずーっと言われますね。否定的な意味であっても「オタク」とまなざされることはいいのですが、勝手に真面目さとかインテリとかを押し付けられると少し困ります。結構わかりやすい形でダメ人間を演じていても、人のいないところでは真面目に暮らしてると思い込んでくれる人が多いです。キャラ付けって、始めにダメなキャラ認定されたほうが絶対ラクだと思うんですよ。その先はイメージ改善の過程があるだけですから。第一印象で自分にまず良い印象は持ってないだろうな、って人が、話していくにつれ態度を軟化させ好感さえ示してくれるようになるのは結構気持ちよかったりするものです。
でも、始めに「真面目」(風俗嬢が言うような用法ではなくて、真人間・努力家という意味に近い)イメージがついてしまうと、その後にあるのはイメージダウンでしかないわけですよ。中身がそれに伴っていればいいんですけど、2ちゃんとオナニーで20時間つぶせるような人間にそういうイメージをもたれても困るわけです。期待されるのが嫌いな人間だから、過大評価が辛くて。
なんていうんですかね、イメージ操作の技術として、自分を良く見せる技術なんかは結構研究されてると思うんですよね。でも、自分をダメに見せる技術って、なかなか教えてくれるところがない。暇な時間携帯でずーっと2ちゃんやってても、やっぱりダメ人間認定はされない。どーすればいいんでしょうね?
2005年11月15日
集団について
イライラしてるのでかなりチラ裏気味orz
私は、人間関係の基本は一対一の関係だと考えている。その反面、ある集団の中で個人がどう振舞うかということや、集団をどのように管理運営するかということについては、著しく関心が低い。私にとって集団とは、特定の目的のための機能集団、特定の個人と知り合うためのツール以上でしかない。集団に過度にアイデンティティを仮託することもないし、集団の存在が自分にとってマイナスになるとき、「立つ鳥跡を濁す」的な行動をすることも辞さないだろうなと思う。
私はいわゆる「オタクコミュニティ」とは無縁にオタク活動にいそしんできたが、それは上記のような理由が大きい。ある種のオタクコミュニティのように趣味の情報交換に機能的に特化されたドライな集団は他の集団と比べて割合好きだったりするけど。
宮台風に言えば「仲間以外は皆風景」の私にとって、同一の集団に所属しているということ程度では、ある人間を風景ではなく人間として見る理由になどならない。学校のクラスには、「生徒を効率的に管理するために便宜的に作られた集団」以上の意味を見出せない。でもそうじゃない人間は、集団内での役割期待や地位といったものにアイデンティティを仮託する。自己実現のために集団が必要となる。そんなのどうでもいいのに。幸せは自己満足。幸せを構成する外的要因なんて少なければ少ないほどよい。ゼロであれば申し分ない。
恋愛でも同じだ。モテ非モテに関わらず、決して少なくない数の人間が、自分の所属している準拠集団内で交際相手を探し、恋愛する。ひどいケースになると、準拠集団以外で交際相手を探す可能性が全く認識されていないこともある。集団内で恋愛しようとするから、差異化が必要となる。くだらない自己顕示欲が発揮される。階層を作って自分をより優位な位置に置きたがる。合コンのような場も、短期的に結成され、解消される集団として捉えることができるが、そこでもおおむね同じことが起こる。
こうしたことが嫌いな人は、最初から一対一の関係しかない場所を設定するのがいい。お見合いや紹介が恋愛苦手な人にも有効な手段たりえているのは、ひとえに「最初から一対一の関係が設定されている(その上恋愛・結婚関係構築に特化された関係である)」ということが大きいのではないか。ネットでの出会い探しなども割合一対一関係を作り易い。初めから一対一なら余計な差異化は必要なくなる。過剰な自己アピールも必要ない。集団内でキャラを設定されている人がそのキャラから逸脱するような行動を行った場合圧力がかかって潰されることが往々にしてあるが、そういう可能性も消し去ることができる。
集団の存在によって何らかの苦痛を味わっている人、今すぐ集団から離脱しましょう。離脱できないなら、極力関わりを少なくしましょう。費用対効果がそれなりであれば、集団を破壊するような活動もOKだと思います。集団の存在によって得をするのは、その集団内で上位に置かれている奴らだけ。わざわざ彼らの引き立て役になることなんてないんです。他人に得をさせることはないんです。そうやってどんどん集団構成員が減っていった後、上位グループの更なる差異化合戦と共食いを外から醒めた目で眺めるのもいいものですよ。
オチがないけどおわり。
私は、人間関係の基本は一対一の関係だと考えている。その反面、ある集団の中で個人がどう振舞うかということや、集団をどのように管理運営するかということについては、著しく関心が低い。私にとって集団とは、特定の目的のための機能集団、特定の個人と知り合うためのツール以上でしかない。集団に過度にアイデンティティを仮託することもないし、集団の存在が自分にとってマイナスになるとき、「立つ鳥跡を濁す」的な行動をすることも辞さないだろうなと思う。
私はいわゆる「オタクコミュニティ」とは無縁にオタク活動にいそしんできたが、それは上記のような理由が大きい。ある種のオタクコミュニティのように趣味の情報交換に機能的に特化されたドライな集団は他の集団と比べて割合好きだったりするけど。
宮台風に言えば「仲間以外は皆風景」の私にとって、同一の集団に所属しているということ程度では、ある人間を風景ではなく人間として見る理由になどならない。学校のクラスには、「生徒を効率的に管理するために便宜的に作られた集団」以上の意味を見出せない。でもそうじゃない人間は、集団内での役割期待や地位といったものにアイデンティティを仮託する。自己実現のために集団が必要となる。そんなのどうでもいいのに。幸せは自己満足。幸せを構成する外的要因なんて少なければ少ないほどよい。ゼロであれば申し分ない。
恋愛でも同じだ。モテ非モテに関わらず、決して少なくない数の人間が、自分の所属している準拠集団内で交際相手を探し、恋愛する。ひどいケースになると、準拠集団以外で交際相手を探す可能性が全く認識されていないこともある。集団内で恋愛しようとするから、差異化が必要となる。くだらない自己顕示欲が発揮される。階層を作って自分をより優位な位置に置きたがる。合コンのような場も、短期的に結成され、解消される集団として捉えることができるが、そこでもおおむね同じことが起こる。
こうしたことが嫌いな人は、最初から一対一の関係しかない場所を設定するのがいい。お見合いや紹介が恋愛苦手な人にも有効な手段たりえているのは、ひとえに「最初から一対一の関係が設定されている(その上恋愛・結婚関係構築に特化された関係である)」ということが大きいのではないか。ネットでの出会い探しなども割合一対一関係を作り易い。初めから一対一なら余計な差異化は必要なくなる。過剰な自己アピールも必要ない。集団内でキャラを設定されている人がそのキャラから逸脱するような行動を行った場合圧力がかかって潰されることが往々にしてあるが、そういう可能性も消し去ることができる。
集団の存在によって何らかの苦痛を味わっている人、今すぐ集団から離脱しましょう。離脱できないなら、極力関わりを少なくしましょう。費用対効果がそれなりであれば、集団を破壊するような活動もOKだと思います。集団の存在によって得をするのは、その集団内で上位に置かれている奴らだけ。わざわざ彼らの引き立て役になることなんてないんです。他人に得をさせることはないんです。そうやってどんどん集団構成員が減っていった後、上位グループの更なる差異化合戦と共食いを外から醒めた目で眺めるのもいいものですよ。
オチがないけどおわり。
2005年11月09日
AVの「エロゲー化」
私が「非モテ」「脱オタ」界隈の言説に触れるにあたって、シロクマ氏のサイト「汎用適応技術研究」には大いに刺激を受けた。そのサイトの中に、性的魅力に乏しい「モテナイクン」の性欲解消には、リアルの対異性・対人コンプレックスを刺激しないという点で、AVよりもエロゲーが優れていると記述されていた。しかし、近年のAV界の潮流を観察する限り、「エロゲー化」といえる現象が発生していると私は考えている。
例えば、男優の存在が消去され、一人称視点で鑑賞できる作品が現在は多数観察できる。また、男優が可視化されていても、その男優のルックスやコミュニケーション能力が著しく低いレベル(要は「キモイ」とラベリングされるようなレベル)に設定されているものも珍しくない。個別ジャンルに目を移しても、「お姉さんの童貞狩り」などの人気シリーズの登場が確認される。
男優の存在が消去されている作品に関しては、そもそもAVというメディア商品において男優という存在がどの程度必要不可欠なものとされていたのかという疑問が残り(例えば、若年層男性が男優を何らかのロールモデルとしてまなざすことがあったのだろうか?)、そもそも不必要なものが消去されていっただけだという考え方もできる。
しかし、男優として、「キモイ」「冴えない」男性が選定され易くなっている事実と、男優の存在消去という事実を合わせると、見えてくるものがある。それは、「モテナイ男性」「性的魅力に乏しい男性」がより自己を投影し易くなったり、よりコンプレックスから逃れられるような作品が増えてきたということであり、それを私は「エロゲー化」と呼んでいる。もちろん「限界のない想像」というエロゲーの特徴までは備えていないが、それこそエロゲーのキャラ類型のごとくAV女優やジャンルのカテゴリーも細分化しており、現在のAV界の傾向の一側面を「エロゲー化」としてくくることはそれほど的外れではないだろう。モテナイ男性のための性欲解消ツールとして、AVは極めて適合的になっているのだ。(レンタルビデオ屋のAVコーナーにいけば分かるが、オタクメディア界隈から設定を流用することも以前から頻繁に行っている)
付け加えていうと、こうした傾向はAVだけに留まらず、エロ本の分野にまで及んでいると考えられると。現在「あいしてあげる」などの「お姉さんの童貞狩り雑誌」が隔月レベルではあるが発刊されており、そこには童貞男性(1年以上セックスごぶさたでもいいので、厳密な意味での童貞ばかりではない)と官能的な女性との性交渉体験が掲載されている。こうしたジャンルは近年、少なくとも2000年前後から台頭してきたものだと思われる。
これらに合わせて、風俗産業における「非本番系」の台頭を考慮に入れると、日本の性産業の変化から、近年の男性のセクシュアリティ変容が浮かび上がってくると思われるが、その考察は別のエントリで行う。SPA!あたりが昔特集組んでたようなき駕するけど。
(つぶやき1)あとで具体的な作品とか探してリンク貼っておかないと...
(つぶやき2)どっかのジェンダー・セクシュアリティ系の研究者が日本の性産業史、性商品史とかまとめてくんないかな...
例えば、男優の存在が消去され、一人称視点で鑑賞できる作品が現在は多数観察できる。また、男優が可視化されていても、その男優のルックスやコミュニケーション能力が著しく低いレベル(要は「キモイ」とラベリングされるようなレベル)に設定されているものも珍しくない。個別ジャンルに目を移しても、「お姉さんの童貞狩り」などの人気シリーズの登場が確認される。
男優の存在が消去されている作品に関しては、そもそもAVというメディア商品において男優という存在がどの程度必要不可欠なものとされていたのかという疑問が残り(例えば、若年層男性が男優を何らかのロールモデルとしてまなざすことがあったのだろうか?)、そもそも不必要なものが消去されていっただけだという考え方もできる。
しかし、男優として、「キモイ」「冴えない」男性が選定され易くなっている事実と、男優の存在消去という事実を合わせると、見えてくるものがある。それは、「モテナイ男性」「性的魅力に乏しい男性」がより自己を投影し易くなったり、よりコンプレックスから逃れられるような作品が増えてきたということであり、それを私は「エロゲー化」と呼んでいる。もちろん「限界のない想像」というエロゲーの特徴までは備えていないが、それこそエロゲーのキャラ類型のごとくAV女優やジャンルのカテゴリーも細分化しており、現在のAV界の傾向の一側面を「エロゲー化」としてくくることはそれほど的外れではないだろう。モテナイ男性のための性欲解消ツールとして、AVは極めて適合的になっているのだ。(レンタルビデオ屋のAVコーナーにいけば分かるが、オタクメディア界隈から設定を流用することも以前から頻繁に行っている)
付け加えていうと、こうした傾向はAVだけに留まらず、エロ本の分野にまで及んでいると考えられると。現在「あいしてあげる」などの「お姉さんの童貞狩り雑誌」が隔月レベルではあるが発刊されており、そこには童貞男性(1年以上セックスごぶさたでもいいので、厳密な意味での童貞ばかりではない)と官能的な女性との性交渉体験が掲載されている。こうしたジャンルは近年、少なくとも2000年前後から台頭してきたものだと思われる。
これらに合わせて、風俗産業における「非本番系」の台頭を考慮に入れると、日本の性産業の変化から、近年の男性のセクシュアリティ変容が浮かび上がってくると思われるが、その考察は別のエントリで行う。SPA!あたりが昔特集組んでたようなき駕するけど。
(つぶやき1)あとで具体的な作品とか探してリンク貼っておかないと...
(つぶやき2)どっかのジェンダー・セクシュアリティ系の研究者が日本の性産業史、性商品史とかまとめてくんないかな...