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ページID:2687更新日:2023年3月30日
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桂川流域の富士吉田市から都留市にかけて古くから栽培されており、その歴史は明治の末頃からと伝えられています。山中湖に端を発し富士の湧水を混入して流れる桂川は、冬場でも水量が豊富で水温も10〜12°Cを保っており、これをほ場(水田)に引き込んでかけ流しにすることで、冬の寒さが厳しいこの地域において貴重な青物の栽培が可能となりました。
昭和35年、富士吉田市に青果地方卸売市場が設立されたのを機に市場出荷が始まり本格的な栽培が行われ、正月の雑煮用などとしての需要も増えてきました。
昭和60年頃には都留市内各地で盛んに栽培されていましたが、高齢化や宅地化などにより栽培者、面積ともに減少し、現在、栽培が行われているのは、都留市の十日市場、夏狩地区の他、富士吉田市の小明見、富士見地区となっています。
水かけ菜
[画像:水かけ菜]
栽培ほ場の様子