店内風景
ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰。日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)。
疎水の岸の桜並木にも、夜の帳(とばり)が降りていた。冷泉(れいせん)通りに面したビルの1階から灯(あか)りが漏れて、ワインボトルが天井まで並んでいるのが見えた。ガラス戸を開けると、薄暗い店なのに、あたたかな雰囲気で満たされている。冗談が飛び交うカウンター、女子会の席に小さい子供もまぎれこんで楽しそうだ。洒落(しゃれ)たバルを普段使いできるとは、いかにも京都らしいと思うとともに、もうひとつの理由に思い当たった。棚に並んだパン。ここ「mati(マチ)」はパン飲みの店であり、パン屋さん。それなら、入ることに後ろめたさもないし、パンを買うついでに気軽に一杯ひっかけられる。
メニューにはパンがずらり。アペロのつもりで、アルザスの白とともに、「Sasa Farmの白いちじくとマッシュルームのオープンサンド」を。みずみずしさに目を見張った。塩とオリーブオイルが、いちじくのジューシーさを見事に引き出している。寄り添うのはサラミに、雨上がりの森のような香りのマッシュルーム。そのマリアージュを、ライ麦パンに混ぜ込まれたクルミがさらに味わい深いものにしている。
カウンターの中で、たくさんのお客を相手に忙しく切り盛りしていた人が、シェフの土井葉美(はみ)さん。注文が入るたびオーブントースターを操ってベストの状態へリベイク。このひと手間が、パンに軽さと香ばしさの魔法をかける。
土井さんのパン料理のベースはイタリアンだが、日本人の食の記憶を呼び起こすところがある。「鮮魚のオープンサンド」、この日はカンパチ。まるで、なめろうかゴマ和(あ)えみたいに、しょうがと花椒(ホアジャオ)、白ゴマの香りがさわやかに鼻をくすぐるのだ。下に敷かれた高加水のフォカッチャのもっちり感。ぷくぷくと発酵する様が見えるようなみずみずしい生地から、クリーミーに小麦がとろける。かけまわされたオリーブオイルの透明感にうなる。レモンとあいまって、"透明なソース"であるかのようだ。
パン飲みというジャンルに、"みずみずしさ"を挿入するような土井さんの料理。以前は、郷里の長崎でインテリア関係の職に就いていた。料理の世界に足を踏み入れたのは京都旅行がきっかけ。
「泊まったホテルの下がバーになっていて、そこではじめて一人飲みしたんです。『京都で他に行きやすいバーはないですか』と相談したら、常連さんが博多の出身の方で、私の方言に気づいて、親切に教えてくれました」
その偶然が、土井さんにワインバーのおもしろさを教えた。長崎から京都に移って、イタリアンバル「IL LAGO(イルラーゴ)」でアルバイトをはじめた。もともと長崎時代から自家培養発酵種を育てており、パン屋志望。念願かなって京都の薪窯パン屋「ボンボランテ」で勤務が決まり、IL LAGOは辞めようとした。ところが、「バーのカウンターはいろんな人と話す場所。情報が入ってくる。そういう場所にいたほうがいい」とオーナーに止められ、パンと料理の二刀流を続行した。
やがて、オーナーが疎水沿いに見つけたこの物件でmatiを開店することに。シェフとして白羽の矢が立ったのが土井さん。転職してわずか4年での抜擢(ばってき)に躊躇(ちゅうちょ)したが、チャンスの前髪をつかむことにした。はじめはメニューに悩んだというが、オープンから2年、いまや自分らしい表現をものにしている。
一角で販売するパンひとつひとつに詰まった「アテ」のエッセンス。このパンにワインがあれば、あっというまに家飲みが完結してしまう。たとえば、「煮かぼちゃとアーモンドのパン」。ゆるっとやわらかな中身から、噴出してくる小麦の風味が濃くて驚く。そこへ、かぼちゃの煮付けがとろり甘く。アーモンドが絶妙のアクセント。
「惣菜(そうざい)パンは、お酒といっしょにつまめるほうがいいかなと思って作っています。かぼちゃとひき肉を炒めてダシといっしょに煮詰めたものをアーモンドといっしょに包んでいます。そのままでもアテになるものを包めば、アテ向きのパンになるかなと。たとえば、サバのアラビアータを混ぜ込むことも」
アテになるパンがさらなるアテを呼ぶ。この日、「旬野菜のグリルとフムス」という一皿に添えられていたのが、煮かぼちゃとアーモンドのパン。オクラやレンコン、ジャガイモといった焼き野菜やパンに、ゴマペーストでコクを加えた濃厚なフムスをたっぷりつけて食べる趣向。パンに入れたかぼちゃの中のウコンのような香りが、フムスにあるひよこ豆の香りと響き合い、思わぬマリアージュを繰り広げた。
カウンターの中の小さな厨房(ちゅうぼう)にコンベクションオーブン1台。アイドルタイムに生地を仕込んでは、料理を作り、ワインを注ぎとてんてこ舞いだが、口ぶりから充実した日々がうかがえる。
「いまはパンと料理を合わせるのがすごく楽しいです。あのときIL LAGOに残ってなかったら、こういうパンは作れてなかったんじゃないかな」
料理とパンとワインが出会う現場。そこに身を置くことで新しいパンがどんどん生まれてくる。
mati
京都市左京区聖護院東寺領町8-1
075-606-4589
12:00〜19:00(金は16:00〜21:00)
水木休み
https://www.instagram.com/mati_kyoto/
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