ミルクフランス、生搾りくりーむぱん
ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰。日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)。
「懐かしいようで新しいパン」。そんなコンセプトを標榜(ひょうぼう)するパン屋さんが2025年6月、埼玉に誕生。「BREAD chikuma」に並ぶのは、奇をてらったパンはなく、オーソドックスなパンばかり。それでいて開店日から大にぎわいだ。
周辺にほとんどパン屋がない立地。1度食べたらまた食べたくなる味。そんなこんなが重なった、地域住民にとっては「待っていたパン屋」なのである。
クロワッサンの忘れられない食感。ぱりっと軽やかに壊れると、粉以上、破片以下。そんな微小サイズの断片へと分解。しゃりしゃりと楽しい嚙(か)みごこち。歯だけではなく、口角の動きにさえ反応して崩れる。ゆえに、あっちからこっちからこぼれ落ち、クズを落とさずに食べるなんて絶対不可能だ。それでいて、中身の食感はなめらかでベルベットのよう。表面と中身、なぜ反対の食感になるのか。
クロワッサン生地は、通常27層のところ由井慎也シェフは16層とあえて少なく。1枚1枚が厚めで独立感があるゆえに"破砕感"を感じる。一方、クロワッサン生地を成形するときの巻き数は通常3〜4回転のところ多めの5回転で、ふわっとふくらみやすく。こうして、ばりばりしていながら、舌触りはふさふさというめずらしい食感になるのだ。
クロワッサンにしては、三重県産小麦「ニシノカオリ」(平和製粉)を使用するおもしろいチョイス。ニシノカオリといえば、由井さんの勤めていたベーカリーチェーン「SAWAMURA」の森田良太シェフが見いだし、ハード系用として全国区に押し上げた品種だ。特徴はフランス産小麦のようなナッティな香ばしさ。その風味を崩さないぐらいに塩も砂糖もちょっと多めにして風味を底上げ、バターとの一体感、濃厚なコクを生んでいる。
店名のchikumaは由井慎也シェフの出身地・長野にちなむ。少年時代は千曲川で日がな魚取りに興じた自然児。パンに目覚めたのは高校時代に食べていた購買のパン。その後、軽井沢のSAWAMURAに勤めたことで森田シェフのパンに出会う。
「わかりやすいぐらい小麦が濃いんで、生地の主張が強い。森田さんの考え方を基にしてルセット(レシピ)を作っています」
熟成の温度は、一般的な冷蔵庫の温度より高めの11度。酵素を働かせて小麦デンプンやアミノ酸の分解をうながし、小麦由来の風味を爆上げさせる。これによって、高校の購買で売ってるような「みんなが知ってるパン」を、「新しく変えて、おいしくしたい」。
開業したのは母の実家、埼玉。住めば都で埼玉愛が強く、埼玉産小麦にかつてなかった表現を与える。たとえば、水を加えず牛乳と生クリームで仕込んだ贅沢(ぜいたく)な食パン「パンオレ」。昨今流行の湯種食パンのようなもちもち感と逆張り。昔ながらの上質な食パンに似た、ふわふわふさふさ感を追求。単にミルキーなだけではなく、まるで卵が入っているかのようなコクがどーん。強めの塩気と相まって、味わいが伸びる伸びる。しかも、トーストすると、食感はなお軽くなり、クロワッサンみたいにがさがさっと一気に崩れ落ちる。
このコクと軽さの秘密は埼玉県産小麦「あやひかり」。うどん用として評価が高いが、グルテンのつながりは弱く、パンで使われることはほとんどない。それだけにブレンド用として加えることで、グルテンのつながりを切り、食感を軽くする一方で、つけ麺の太麺みたいに風味は濃厚。これがミルキーさを押し上げる濃厚さにつながっている。
バゲットは「αバゲット」に進化。「硬くて食べづらい」と思われがちなバゲットに、湯種を使うことでデンプンをα化(糊化)し、もちもちで甘い和風のバゲットに仕立てている。もとは神楽坂の大人気店「パン・デ・フィロゾフ」榎本哲シェフのスペシャリテ。それを、本人の許しを得て引用、北海道産小麦「キタノカオリ」、さらに麴(こうじ)種を加えることで、小麦デンプンを大量の糖に分解、甘さを爆上げしたのだ。
そんな生地を使ってミルクフランスを作ったら......嚙んだ瞬間はがりっと、普通にバゲット。それが、ぐにゅぐにゅと、わらびもちのように揺れ、とろーっと中身が溶けはじめると......なんだ、このめちゃくちゃ甘いのは! そこへ浴びせかけられるミルククリームの波。それを小麦の甘さがブースト。ぎらぎらして、砂糖の甘さよりもっともっと癖になるような、魔力的な次元へと高められている。
パンは全体に小ぶり。「ちっちゃめにすることでいろいろ食べられるように」「値段も安くできる」と、日常使いのご近所さんへの配慮が込められる。大きく作るより効率は悪いけれど、自分が動いてお客さんによろこんでもらえればよいという心意気。そんな気持ちがあれば、"進化系町のパン屋"の行列は途絶えそうもない。
BREAD chikuma
埼玉県川口市赤山1397-3
8:00〜17:00(売り切れ次第閉店)
日月休み
https://www.instagram.com/bread_chikuma/
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