現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。1978年東京生まれ。
長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『人生フルーツサンド』(大和書房)、『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)など。本連載は、書き下ろしを加えた『東京の台所』『男と女の台所』(平凡社)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)の3冊が書籍化されている。
〈住人プロフィール〉
42歳(アルバイト・女性)
賃貸マンション・3LDK・小田急線 千歳船橋駅・世田谷区
入居5年・築年数約30年・夫(会社員・43歳)、長女(10歳)との3人暮らし
両親が不仲で、彼女いわく「ふりまわされて育った」。父と別居後、母が心身を病んでいたこともあり、20代の8年間は祖母とふたりで暮らした。
成城学園に住む祖母は、朗らかで食べることが大好き。おいしい調味料もよく知っていて、今も調理の味付けは祖母の影響が大きい。
転勤族の夫と、31歳で結婚。新婚時代は徳島で過ごした。
東京出身の彼女は、初めての他県暮らしで、自分の台所も初めて持った。
「東京のものさしでは測れない毎日が発見の連続で、楽しかったですね。電車もこないし、"ふた駅"の距離がどのくらいかも見当がつかない。野菜の直売所、Googleマップに出てこない喫茶店、人がほとんどいないスーパー。地元の方が話しかけてくださるのが嬉(うれ)しくて、毎日あちこち歩きまわっていました」
長女を授かり、その後は東京支社へ。
ところがある日、突然名古屋赴任の命を受ける。通常のスパンより2年早かった。
「子どもは私立小の2年生になったばかりの春で、寝耳に水なうえに、内示から転居まで2週間しかなく、家を探す暇もろくにありませんでした」
娘の学校のこともあり、とりあえず単身赴任で、母子は世田谷の今のマンションに、夫は名古屋にそれぞれ越すことになった。名古屋なら週末などこまめに帰ることもできるだろうと考えたのだ。
名古屋は1軒目の内見で、世田谷はそれをする時間もなくネットで決めた。
「新幹線に乗るとき、バタバタと、あてどない旅にでも行くような、少し心細い彼の表情が気になりました」
初めての別居生活は、彼女にも不安と葛藤をもたらした。急に育児も家事もワンオペになり、娘もさみしげだ。夫は料理や菓子作りが好きで食事の心配はないが、仕事の忙しさはどうだろう。家のことはできているだろうか。
早い段階で、このように家族が切り離される生活は、よくないのではと悩み始める。
そのころ、父親と、たまに会うようになっていた。
じつは思春期の頃から14年間、父の事業の失敗や別居もあり、連絡を取っていなかった。しかし結婚を機に自然に歩み寄るようになり、孫ができてからは更に交流が増えた。
父に何げなく単身赴任のことを漏らすと、即座に断言した。
「家族は一緒にいたほうがいい。あなたたちは仲がいいんだから、名古屋に引っ越せばいいじゃない。とにかく、これで名古屋に行って話しておいで」
財布から2万円出して、手渡された。
「父の家族観が初めてわかった。家族がばらばらになりながら、父は父でいろんな思いを持って生きてきたんだなと気づきました」
7月。名古屋に行くと、彼の顔色が悪い。「風邪っぽいんだ」と、だるそうだ。
家族で暮らす方向で一致し、まずは体を大事にねと、後ろ髪を引かれる思いで名古屋をあとにする。
まもなく、高熱で夫が倒れた。単身赴任5カ月目のことであった。
娘が夏休みだったこともあり、母子で駆けつけ、ひと月を名古屋で過ごす。その間、熱が下がることはなかった。
いくつもの病院を渡り歩くが、原因がわからない。
「そのときの名古屋の街も、彼の台所の印象も、まったくないんですよね。いつ治るのか。あしたどうなるかもわからない。土地勘のない街で、地下街の暗さと暑さ、病院までを往復したタクシーの無機質な空間だけを覚えている。せっかく素敵な喫茶店がたくさんあるのに、一度も行けませんでした」
ひと月後、紹介状でたどり着いた総合診療科の医師に言われた。
「ストレスからくるものかもしれませんが、時間がかかるでしょう。解熱剤を飲みながら復帰もできますし、東京に戻ってしばらく休職することもできます。人生観に関わることですから、おふたりでゆっくり考えてみてください」
彼女は、ふたつの言葉にはっとした。
「人生観と、休むという言葉です。専門家に休職という選択肢を教えられ、すーっと楽になれた。なんでも頑張りきることがいいと信じて生きてきたので。大きく救われました」
迷わず、休もうと夫に提案した。どうなるか先のことはわからないけれど、家族一緒に3人で暮らしたいと。
会社でも、快く受諾された。
のちに、その医師自身も同じ症状を患ったことがあると聞いた。
「僕は薬を飲んで仕事をしていましたが、決めるのは患者さんです。その人自身が人生をどう捉えるか。ご本人もそれを大切にしてほしい」
以来、名古屋に借り上げ住宅を残したまま、休職生活は今年でまる2年になる。
東京に戻った2カ月目から熱が下がり始め、秋には歩けるようになった。夫はもともと得意だった家事や料理を再開するようになり、家の役割を交換。彼女がコーヒーショップのアルバイトを始めた。
「結婚以来ずっと家のことをしてきて、さらに夫も一日中いる状態になって。激流にさらされて無我夢中で、気づいたらなんとも言えない虚無感に包まれていた。外で働きたい。思いきり体を動かして、たくさんの人にもまれるなかで自分を取り戻したいと思ったのです」
現在、夫は朝夕の食事、妻と娘の弁当や家事全般を担ってくれている。体も本調子に近くなってきたので、ちかぢか名古屋での単身赴任を再開する予定だという。
単身赴任は不安ではないか尋ねると、彼女は意外な心の内を明かした。
「正直なところ、早くそのスタイルに戻りたいという思いが少しあります」
「彼は悪くないのです。もともと習いに行くくらい料理やお菓子作りが大好き。今は自家製天然酵母を使って、2、3日に一度はパンを焼いてくれますし、コーヒーは豆から焙煎(ばいせん)する。娘のお弁当も彩りがきれいで、私の朝食の梅干しおにぎりは、食べながら崩れないように硬めに握る。歯に挟まないようごまやふりかけも避けてくれる。そんな夫を見ているうちに、素直に喜びきれない矛盾した感情がつもっていったんですよね」
たぶん嫉妬だった、と彼女は振り返る。
家で何もせずにいるより、夫にも料理や家事の役割があったほうが達成感やリハビリの助けになるのではと思った。
いっぽうコーヒーショップは早番中心で、朝が早い。一日中立ちっぱなしでクタクタになって帰宅すると、夕食ができているのはありがたいことでもあった。
こうして次第に自分が少しずつ台所から離れた代わりに、熱中気質の彼は、寝る以外はほとんど台所に立つようになる。
自分がやっていた頃とは見違えるほど、夫の作る娘の弁当は美しく凝っている。その仕込みを前夜から楽しそうにやり、娘の宿題や学校のことも詳しくなり、接する時間も長い。
カフェの仕事がうまくいかず落ち込んで帰宅しても、ここにはすっかりパパっ子になった娘と夫の世界、ふたりの空気が醸成されていて、なんとなく入る隙間がない。
自分だけ肩透かしを食らっているようだった。もしも夫が倒れていなかったら、娘との時間をもっと楽しめたのに、ということまで想像してしまう自分に罪悪感を抱く。
思い出せないほど些細(ささい)なことがきっかけで、ついに怒りが爆発した。
「気がつけば私だけあくせく働いて、娘のお弁当を作る楽しみすら奪われて、本当につらい。子どもといられる時間なんて今が最盛期。もっと子育てにコミットしたいし、私だってお弁当作りたいのに」
夫は驚き、見たこともない悲しそうな表情でつぶやいた。
「僕も役にたっていると思ってやっていたけど、そんなつもりは微塵(みじん)もなかった。君の子育ての喜びを奪ったなんて、そんなふうに思われていたことが悲しい」
彼女は当時の心境をこう述懐する。
「自分でも勝手なことを言っているなと思いました。留守を任せて私は自分時間を満喫しているのに。でも、沈殿していた気持ちをなかったことには、どうしてもできなかった......。そして言ったことでお互いに傷つきました」
夫婦にしかわからない心地よい距離感、気持ちのすりあわせ方、それぞれの幸せの感じ方がある。
何日かして落ち着いた頃、彼が言った。
「君と娘が仲良くしてもらうのがベスト。僕はそれを支えたい」
最近、職場復帰プログラムが始まった。それを受けながら、今日も彼は台所に立つ。
彼女は、1年ほど休止していた絵本制作講座を再開した。
「彼が名古屋で仕事を再開したら、コーヒーショップには区切りをつけ、自分自身の人生をゆたかにするものを探していきたいと思っています」
今まで及び腰だった、絵本コンペやイラストコンペに挑戦しようと考えている。彼女自身のセカンドプログラムも少しずつ始まりそうだ。
ふと、夫の『東京の台所』を取材したいと思った。目の前にある同じ台所でも、彼には彼の物語があるだろう。病に翻弄(ほんろう)されたこの2年間はとくに、戸惑いと気付きの連続ではなかったか。
取材途中で娘の迎えに退席した彼の、手作りの紅茶クッキーを食べた。ほんのりかぐわしい香りに目を細めていると、妻がそうでしょうというような嬉しそうな顔をした。転勤ファミリーの穏やかな幸福を祈りながら、いとました。
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