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1980年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チーム 勝数
シリーズ情報 試合日程 10月8日–10日 観客動員 3試合合計:14万1819人
1試合平均:04万7273人 MVP フランク・ホワイト(KC) 殿堂表彰者 ジョージ・ブレット(KC内野手)
ヨギ・ベラ(NYYコーチ[注 1] )
リッチ・ゴセージ(NYY投手)
レジー・ジャクソン(NYY外野手) チーム情報 カンザスシティ・ロイヤルズ(KC) シリーズ出場 2年ぶり4回目 GM ジョー・バーク 監督 ジム・フライ シーズン成績 097勝65敗・勝率.599
西地区優勝
ニューヨーク・ヤンキース(NYY) シリーズ出場 2年ぶり4回目 GM ジーン・マイケル 監督 ディック・ハウザー シーズン成績 103勝59敗・勝率.636
東地区優勝 ワールドシリーズ

1980年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)ポストシーズンは10月7日に開幕した。アメリカンリーグの第12回リーグチャンピオンシップシリーズ (英語: 12th American League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、翌8日から10日にかけて計3試合が開催された。その結果、カンザスシティ・ロイヤルズ(西地区)がニューヨーク・ヤンキース(東地区)を3勝0敗で下し、球団創設12年目で初のリーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たした。

両球団がリーグ優勝決定戦で対戦するのは2年ぶり4回目。1976年から1978年にかけて3年連続で対戦し、全てヤンキースが制していた。この年はロイヤルズが、レギュラーシーズンの直接対決では12試合で8勝4敗[1] 、今シリーズも初戦から無傷の3連勝で、合わせて11勝4敗とヤンキースを圧倒した[2] 1961年以降のエクスパンションによって創設された球団がリーグ優勝するのは、アメリカンリーグでは20年目でこれが初めて[注 2] [3] 。アメリカンリーグ優勝決定戦では今回から、シリーズMVPの表彰が始まった[注 3] 。初代受賞者には、3試合で打率.545・1本塁打・3打点OPS 1.455という成績を残したロイヤルズのフランク・ホワイトが選出された。しかしロイヤルズは、ワールドシリーズではナショナルリーグ王者フィラデルフィア・フィリーズに2勝4敗で敗れ、初優勝を逃した。

試合結果

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1980年のアメリカンリーグ優勝決定戦は10月8日に開幕し、3日間で3試合が行われた。日程・結果は以下の通り。

日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月08日(水) 第1戦 ニューヨーク・ヤンキース 2-7 カンザスシティ・ロイヤルズ ロイヤルズ・スタジアム
10月09日(木) 第2戦 ニューヨーク・ヤンキース 2-3 カンザスシティ・ロイヤルズ
10月10日(金) 第3戦 カンザスシティ・ロイヤルズ 4-2 ニューヨーク・ヤンキース ヤンキー・スタジアム
優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ(3勝0敗 / 球団創設12年目で初)

第1戦 10月8日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
2回裏二死二・三塁、ロイヤルズがフランク・ホワイトの2点二塁打で同点に追いつく(43秒)
7回裏、ロイヤルズがジョージ・ブレットのソロ本塁打で点差を3点に広げる(1分12秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ニューヨーク・ヤンキース 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 10 1
カンザスシティ・ロイヤルズ 0 2 2 0 0 0 1 2 X 7 10 0
  1. 勝利 :ラリー・グラ(1勝)  
  2. 敗戦 :ロン・ギドリー(1敗)  
  3. 本塁打
    NYY:リック・セローン1号ソロ、ルー・ピネラ1号ソロ
    KC:ジョージ・ブレット1号ソロ
  4. 審判
    [球審]スティーブ・パレルモ
    [塁審]一塁: ジョー・ブリンクマン、二塁: ラリー・マッコイ、三塁: ビル・ハラー
    [外審]左翼: ケン・カイザー、右翼: ジョージ・マロニー
  5. 試合開始時刻: 中部夏時間(UTC-5)午後2時15分 試合時間: 3時間0分 観客: 4万2598人 気温: 87°F(30.6°C)
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ニューヨーク・ヤンキース カンザスシティ・ロイヤルズ
打順 守備 選手 打席
ニューヨーク・ヤンキースの布陣
R・ギドリー
R・セローン
B・ワトソン
W・ランドルフ
A・ロドリゲス
B・デント
L・ピネラ
B・ブラウン
R・ジャクソン
E・ソーダー ホルム
打順 守備 選手 打席
カンザスシティ・ロイヤルズの布陣
L・グラ
D・ポーター
P・ラコック
F・ホワイト
G・ブレット
U・ワシントン
W・ウィルソン
A・オーティス
J・ワーザン
H・マクレー
1 W・ランドルフ 1 W・ウィルソン
2 B・デント 2 U・ワシントン
3 B・ワトソン 3 G・ブレット
4 R・ジャクソン 4 DH H・マクレー
5 DH E・ソーダーホルム 5 A・オーティス
6 R・セローン 6 J・ワーザン
7 L・ピネラ 7 W・エイキンズ
8 A・ロドリゲス 8 D・ポーター
9 B・ブラウン 9 F・ホワイト
先発投手 投球 先発投手 投球
R・ギドリー L・グラ

ロイヤルズの先発投手 ラリー・グラに対しヤンキースは2回表、6番リック・セローンと7番ルー・ピネラの2者連続本塁打で先制する。さらに8番アウレリオ・ロドリゲス二塁打で続き、ロイヤルズはブルペン救援投手の準備を始めさせた[4] 。だがグラは後続を断って2失点にとどめた。その裏、ロイヤルズは先頭打者エイモス・オーティスの中前打から無死一・二塁とする。ヤンキースの先発投手ロン・ギドリーはそこから二死を取ったものの、9番フランク・ホワイトの打席で3球目に暴投し、走者を二・三塁へ進めた。ホワイトがその次の球を打ち上げると、打球は左翼手ピネラと遊撃手バッキー・デントの間に落ちる二塁打となり、2走者が生還して同点となった。ギドリーはこの打球について「あれは捕ってくれないと。俺は、打者に凡フライを打たせるという役割は果たした」と振り返った[5] 。ロイヤルズは3回裏にも、二死満塁から7番ウィリー・エイキンズの左前打で2点を加えて勝ち越し、この回終了をもってギドリーを降板に追い込んだ。

グラは序盤の3イニングこそ毎回三塁に走者を背負ったものの、4回表以降は走者に得点圏へ進まれる場面を一度だけに抑えた。その一度は7回表で、二死一・三塁で打席には4番レジー・ジャクソンを迎えたが、二ゴロに打ち取った。ロイヤルズ打線は、7回裏には3番ジョージ・ブレットロン・デービスからソロ本塁打、8回裏には1番ウィリー・ウィルソントム・アンダーウッドから2点二塁打、と相手救援陣からも追加点を奪い7-2とした。9回表、グラは二死から走者を出したものの、最後は2番デントを捕邪飛に打ち取って完投勝利を挙げた。

第2戦 10月9日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
8回表二死一塁、ヤンキースはボブ・ワトソンの二塁打で一塁走者ウィリー・ランドルフが同点の生還を狙うも、ロイヤルズの中継プレイに阻まれる(1分1秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ニューヨーク・ヤンキース 0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 8 0
カンザスシティ・ロイヤルズ 0 0 3 0 0 0 0 0 X 3 6 0
  1. 勝利 :デニス・レナード(1勝)  
  2. セーブ :ダン・クイゼンベリー(1S)  
  3. 敗戦 :ルディ・メイ(1敗)  
  4. 本塁打
    NYY:グレイグ・ネトルズ1号ソロ
  5. 審判
    [球審]ジョー・ブリンクマン
    [塁審]一塁: ラリー・マッコイ、二塁: ビル・ハラー、三塁: ケン・カイザー
    [外審]左翼: ジョージ・マロニー、右翼: スティーブ・パレルモ
  6. 試合開始時刻: 中部夏時間(UTC-5)午後7時25分 試合時間: 2時間51分 観客: 4万2633人 気温: 83°F(28.3°C)
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ニューヨーク・ヤンキース カンザスシティ・ロイヤルズ
打順 守備 選手 打席
ニューヨーク・ヤンキースの布陣
R・メイ
R・セローン
B・ワトソン
W・ランドルフ
G・ネトルズ
B・デント
O・ギャンブル
B・ブラウン
R・ジャクソン
B・マーサー
打順 守備 選手 打席
カンザスシティ・ロイヤルズの布陣
D・レナード
D・ポーター
P・ラコック
F・ホワイト
G・ブレット
U・ワシントン
W・ウィルソン
A・オーティス
J・ワーザン
H・マクレー
1 W・ランドルフ 1 W・ウィルソン
2 DH B・マーサー 2 U・ワシントン
3 B・ワトソン 3 G・ブレット
4 R・ジャクソン 4 DH H・マクレー
5 O・ギャンブル 5 A・オーティス
6 R・セローン 6 J・ワーザン
7 G・ネトルズ 7 W・エイキンズ
8 B・デント 8 D・ポーター
9 B・ブラウン 9 F・ホワイト
先発投手 投球 先発投手 投球
R・メイ D・レナード

ロイヤルズは3回裏、一死から8番ダレル・ポーターと9番フランク・ホワイトの連打で一・二塁とし、1番ウィリー・ウィルソンの適時三塁打で2点を先制、2番U・L・ワシントン二塁打でウィルソンを還し1点を加えた。ヤンキースは5回表、7番グレイグ・ネトルズのランニング本塁打で1点を返すと、さらに二死一塁から1番ウィリー・ランドルフの適時二塁打で1点差に迫った。ロイヤルズの先発投手 デニス・レナードは、次打者ボビー・マーサー三振に仕留め、ランドルフに同点のホームを踏ませなかった。レナードもヤンキースの先発投手ルディ・メイも、互いに相手打線に追加点を与えず投げ続け、3-2のまま7回までが終わった。

8回表、ヤンキースは一死から1番ランドルフが右前打で出塁する。2番マーサーが3球三振で走者を進められずに二死となったあと、3番ボブ・ワトソンが左翼へ二塁打を放った。打球はバウンドして外野フェンスに達し、左翼手ウィルソンが処理して内野へ返球したが、遊撃手ワシントンの頭上を越えた。ヤンキース三塁コーチのマイク・フェラーロはこれを見て、ランドルフに本塁へ向かうよう指示する。しかしウィルソンの返球は悪送球ではなく、ワシントンの奥にいた三塁手ジョージ・ブレットを狙ったものだった。ブレットが返球を受けて捕手ポーターへ送球し、ランドルフは本塁タッチアウトで同点とはならなかった。このプレイについてブレットは「スプリングトレーニングで1週間かけてあらゆる角度から練習してきたけど、実戦でやったのはこれが今年初めて」と、珍しいながらも狙い通りだったと明かした[2] 。ロイヤルズはその後、9回表の相手先頭打者レジー・ジャクソンが左前打で出塁したところで、レナードから抑え投手 ダン・クイゼンベリーへ継投する。クイゼンベリーは一死一・二塁と逆転の走者を出塁させたものの、最後は7番ネトルズを二ゴロ併殺に打ち取って1点リードを守りきった。

試合後、ヤンキース球団オーナーのジョージ・スタインブレナーが監督室に現れ、8回表のランドルフ本塁憤死について報道陣の前でフェラーロを批判した[6] 。ただフェラーロによると、スタインブレナーはフェラーロに対しては直接何かを言ったわけではなく「ただじっと睨みつけてきただけだった」という[7] 。スタインブレナーのフェラーロ批判に対し監督のディック・ハウザーは、自身にも10年の三塁コーチ経験があることから、あの場面では自分も本塁突入を指示すると述べてフェラーロをかばった[6]

第3戦 10月10日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
5回表、ロイヤルズがフランク・ホワイトのソロ本塁打で先制(56秒)
7回表二死一・三塁、ロイヤルズはジョージ・ブレットがリッチ・ゴセージから3点本塁打を放ち逆転に成功(54秒)
9回裏、ダン・クイゼンベリーがウィリー・ランドルフを見逃し三振に仕留めて試合終了。ロイヤルズのリーグ優勝が決定(59秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
カンザスシティ・ロイヤルズ 0 0 0 0 1 0 3 0 0 4 12 1
ニューヨーク・ヤンキース 0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 8 0
  1. 勝利 :ダン・クイゼンベリー(1勝1S)  
  2. 敗戦 :リッチ・ゴセージ(1敗)  
  3. 本塁打
    KC:フランク・ホワイト1号ソロ、ジョージ・ブレット2号3ラン
  4. 審判
    [球審]ラリー・マッコイ
    [塁審]一塁: ビル・ハラー、二塁: ケン・カイザー、三塁: ジョージ・マロニー
    [外審]左翼: スティーブ・パレルモ、右翼: ジョー・ブリンクマン
  5. 試合開始時刻: 東部夏時間(UTC-4)午後8時27分 試合時間: 2時間59分 観客: 5万6588人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
カンザスシティ・ロイヤルズ ニューヨーク・ヤンキース
打順 守備 選手 打席
カンザスシティ・ロイヤルズの布陣
P・スプリットオフ
D・ポーター
P・ラコック
F・ホワイト
G・ブレット
U・ワシントン
W・ウィルソン
A・オーティス
C・ハードル
H・マクレー
打順 守備 選手 打席
ニューヨーク・ヤンキースの布陣
T・ジョン
R・セローン
B・ワトソン
W・ランドルフ
A・ロドリゲス
B・デント
L・ピネラ
B・ブラウン
R・ジャクソン
E・ソーダー ホルム
1 W・ウィルソン 1 W・ランドルフ
2 U・ワシントン 2 B・デント
3 G・ブレット 3 B・ワトソン
4 DH H・マクレー 4 R・ジャクソン
5 A・オーティス 5 DH E・ソーダーホルム
6 W・エイキンズ 6 R・セローン
7 D・ポーター 7 L・ピネラ
8 C・ハードル 8 A・ロドリゲス
9 F・ホワイト 9 B・ブラウン
先発投手 投球 先発投手 投球
P・スプリットオフ T・ジョン

この試合では両チームの先発投手、ヤンキースのトミー・ジョンとロイヤルズのポール・スプリットオフが、ともに無失点のまま序盤の4イニングを終えた。先制したのはロイヤルズで、5回表にフランク・ホワイトがソロ本塁打を放った。対するヤンキースは6回裏、一死から4番レジー・ジャクソン二塁打で出塁する。ここでロイヤルズはスプリットオフに代えて抑え投手 ダン・クイゼンベリーを投入し、ヤンキースは5番エリック・ソーダーホルム代打オスカー・ギャンブルを出す。ギャンブルは二遊間へゴロを放ち、二塁手ホワイトが逆シングルで捕球したものの、三塁への送球が高く浮いて悪送球となりジャクソンが同点のホームを踏んだ。さらにギャンブルも三塁へ進んで6番リック・セローンの左前打で生還し、ヤンキースが勝ち越した。

その直後の7回表、ロイヤルズは1番ウィリー・ウィルソンの二塁打で二死二塁とし、ヤンキースはジョンから抑え投手リッチ・ゴセージへ継投した。しかしゴセージは、2番U・L・ワシントン内野安打で一・三塁と危機を広げた。続く3番ジョージ・ブレットは、この試合ここまでジョンに3打数無安打に封じられていた。この打席について「ジョンと対戦するのは懲り懲りだったから、ゴセージが出てきてくれてよかった」と話す[2] 。ブレットが初球を捉えると、打球は右翼席へ飛び込む逆転の3点本塁打となった。ヤンキースは8回裏、先頭打者ボブ・ワトソン三塁打に4番ジャクソンと5番ギャンブルが四球で続き、無死満塁の好機を迎える。だが6番セローンの遊直で二塁走者ジャクソンが戻れず併殺、7番ルー・ピネラの代打ジム・スペンサーも二ゴロに倒れ、ヤンキースは同点・逆転の機会を逸した。クイゼンベリーは9回も続投し、三者凡退で締めくくった。これによりロイヤルズが初戦からの3連勝でヤンキースを下し、初のリーグ優勝を決めた。

シリーズ終了後の11月、ヤンキース球団オーナーのジョージ・スタインブレナーが監督のディック・ハウザーの頭越しにコーチ人事に手を出し、三塁コーチのマイク・フェラーロを解任してドン・ジマーに就任を要請する方針をいったん決めた。これが決め手となり、ハウザーは監督を辞任した[6] 。ハウザーは球団を去ると決意した際、フェラーロへ「コーチ陣は来年も球団に戻る。ただ君は三塁コーチから一塁コーチへ配置換えになるかもわからんが」と連絡を入れており、実際にフェラーロは1981年も一塁コーチとして残留した[7] 。このあとハウザーは、1981年シーズン途中からロイヤルズ監督に就任すると、1984年にはフェラーロを三塁コーチに据え[8] 1985年のワールドシリーズで優勝を果たすこととなる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、捕手としての功績が評価されてのもの。
  2. ^ ナショナルリーグでは1962年に最初のエクスパンションが実施され、そのとき創設されたニューヨーク・メッツ8年目の1969年に初優勝を果たしている。
  3. ^ ナショナルリーグでは、3年前の1977年から。

出典

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  1. ^ "1980 Kansas City Royals Schedule," Baseball-Reference.com. 2021年1月11日閲覧。
  2. ^ a b c Steve Wulf, "A CROWN FOR THE ROYALS," Sports Illustrated Vault , October 20, 1980. 2021年1月11日閲覧。
  3. ^ 出野哲也[編著] 『メジャー・リーグ球団史 ナショナル&アメリカン・リーグ30球団の全歴史』 言視舎、2018年、ISBN 978-4-86565-119-5、252頁。
  4. ^ Fred McMane, "Yankee-killer Larry Gura survived a second-inning home run blitz...," UPI Archives , October 8, 1980. 2021年1月11日閲覧。
  5. ^ Thomas Boswell, "Royals Handle Yankees, 7-2," The Washington Post , October 9, 1980. 2021年1月11日閲覧。
  6. ^ a b c Thomas Boswell, "In Dealing With People, Steinbrenner Is Nothing But a Loser," The Washington Post, November 23, 1980. 2021年1月11日閲覧。
  7. ^ a b Dave Anderson, "SPORTS OF THE TIMES; MIKE FERRARO'S TRAUMA," The New York Times , March 8, 1983. 2021年1月11日閲覧。
  8. ^ Dave Anderson, "SPORTS OF THE TIMES; HOWSER'S SURGERY," The New York Times, July 22, 1986. 2021年1月11日閲覧。

外部リンク

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  • (削除) 削除線 (削除ここまで)が引かれた年は開催中止
トロフィーと表彰
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ロイヤルズ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(2回)
ワールドシリーズ敗退(2回)
リーグ優勝(4回)
できごと
傘下マイナーチーム
球団
歴代本拠地
文化
ライバル関係
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(27回)
ワールドシリーズ敗退(14回)
リーグ優勝(41回)
できごと
傘下マイナーチーム

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