1962年イタリアグランプリ
レース詳細 | |||
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1962年F1世界選手権全9戦の第7戦 | |||
モンツァ・サーキット(1957-1971) モンツァ・サーキット(1957-1971) | |||
日程 | 1962年9月16日 | ||
正式名称 | XXXIII Gran Premio d'Italia | ||
開催地 |
モンツァ・サーキット イタリアの旗 イタリア モンツァ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.750 km (3.573 mi) | ||
レース距離 | 86周 494.500 km (307.268 mi) | ||
決勝日天候 | 曇のち雨 (ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-クライマックス | ||
タイム | 1:40.35 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | イギリスの旗 グラハム・ヒル | BRM | |
タイム | 1:42.30 (3周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | BRM | ||
2位 | BRM | ||
3位 | クーパー-クライマックス |
1962年イタリアグランプリ (1962 Italian Grand Prix) は、1962年のF1世界選手権第7戦として、1962年 9月16日にモンツァ・サーキットで開催された。
レースは86周で行われ、BRMのグラハム・ヒルが予選2位から優勝した。チームメイトのリッチー・ギンサーが2位に続き、BRMは初のワン・ツー・フィニッシュを飾った。クーパーのブルース・マクラーレンが3位となった。
レース概要
[編集 ]前年の大惨事によりバンク部分の使用を取りやめ、ロードコースのみのレイアウトでレースは行われた[1] 。
ジム・クラークはポールポジションからスタートしたが、チーム・ロータスは既にギアボックスを使い切ってスペアパーツが枯渇してしまい、大きな不安材料となってしまった。その不安は当たり、クラークはトランスミッションのトラブルを抱え、12周目にリタイアした[2] 。チームメイトのトレバー・テイラーも同様のトラブルで25周でレースを終えた。グラハム・ヒルはチームメイトのリッチー・ギンサーに30秒近い差を付けて優勝した。ギンサーはジョン・サーティースと2位争いを繰り広げたが、38周目にサーティースはスローダウンし、5周後にエンジントラブルでリタイアした[2] 。その後方ではダン・ガーニーのポルシェと、ブルース・マクラーレンとトニー・マグスのクーパー2台によるバトルが繰り広げられ、40周目にはストレートで3台が並んだ。マグスは170L(45ガロン)の大型燃料タンクを装着していたマクラーレンとは異なり、燃料の補給が必要だったためピットインし、1周遅れの7位に終わった。一方、新しい通常のノーズ仕様のフェラーリ・156を駆るウィリー・メレスが3位争いに加わり、ヨアキム・ボニエとジャンカルロ・バゲッティが続いた[3] 。
ガーニーは66周目にリアディファレンシャルが壊れてリタイアし、地元ファンの声援を受けたバゲッティも一時はガーニーを抜いて3位を走ったが、スピンで順位を落としてしまう[3] 。しかし、ボニエのクラッチが滑り始めバゲッティは5位に順位を戻す。メレスは80周目に3位に浮上し、マクラーレンに3秒差を付ける。 スピーカーのタワーから見ていたスターリング・モスは、マクラーレンが3位に入ると賭けた。最終ラップの最初のカーブでマクラーレンはメレスを抜き、わずか0.4秒差で3位表彰台を獲得した[3] 。ボニエはクラッチトラブルで、5位のバゲッティを最後まで抜けなかった。メレスとバゲッティはこれがF1最後の入賞となった。フィル・ヒルはレース中盤で周回遅れにされ、エンジントラブルで長いピットストップを強いられ11位に終わった。リカルド・ロドリゲス [4] は油圧を失い、好走していたイネス・アイルランドもステアリングの不調でリタイアした。マステン・グレゴリーのマシンはオーバーヒートしてしまい、最終ラップは4速のみで走った。ロイ・サルヴァドーリのローラは練習走行中に消火器が爆発するアクシデントがあった[3] 。
エントリーリスト
[編集 ]- 追記
結果
[編集 ]予選
[編集 ]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 20 | イギリスの旗 ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 1:40.35 | — | 1 |
2 | 14 | イギリスの旗 グラハム・ヒル | BRM | 1:40.38 | +0.03 | 2 |
3 | 12 | アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー | BRM | 1:41.80 | +1.45 | 3 |
4 | 28 | ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 1:41.80 | +1.45 | 4 |
5 | 40 | イギリスの旗 イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 1:41.80 | +1.45 | 5 |
6 | 38 | アメリカ合衆国の旗 マステン・グレゴリー | ロータス-BRM | 1:41.90 | +1.55 | 6 |
7 | 16 | アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー | ポルシェ | 1:41.90 | +1.55 | 7 |
8 | 46 | イギリスの旗 ジョン・サーティース | ローラ-クライマックス | 1:42.40 | +2.05 | 8 |
9 | 18 | スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ | ポルシェ | 1:42.60 | +2.25 | 9 |
10 | 8 | ベルギーの旗 ウィリー・メレス | フェラーリ | 1:42.80 | +2.45 | 10 |
11 | 4 | メキシコの旗 リカルド・ロドリゲス | フェラーリ | 1:43.10 | +2.75 | 11 |
12 | 30 | 南アフリカの旗 トニー・マグス | クーパー-クライマックス | 1:43.20 | +2.85 | 12 |
13 | 44 | イギリスの旗 ロイ・サルヴァドーリ | ローラ-クライマックス | 1:43.30 | +2.95 | 13 |
14 | 24 | イタリアの旗 ニーノ・ヴァッカレッラ | ロータス-クライマックス | 1:43.40 | +3.05 | 14 |
15 | 10 | アメリカ合衆国の旗 フィル・ヒル | フェラーリ | 1:43.40 | +3.05 | 15 |
16 | 22 | イギリスの旗 トレバー・テイラー | ロータス-クライマックス | 1:44.20 | +3.85 | 16 |
17 | 6 | イタリアの旗 ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 1:44.30 | +3.95 | 17 |
18 | 2 | イタリアの旗 ジャンカルロ・バゲッティ | フェラーリ | 1:44.40 | +4.05 | 18 |
19 | 36 | フランスの旗 モーリス・トランティニアン | ロータス-クライマックス | 1:44.40 | +4.05 | 19 |
20 | 32 | オランダの旗 カレル・ゴダン・ド・ボーフォール | ポルシェ | 1:46.80 | +6.45 | 20 |
21 | 48 | アメリカ合衆国の旗 トニー・セッテンバー | エメリソン-クライマックス | 1:49.10 | +8.75 | 21 |
22 | 60 | ニュージーランドの旗 トニー・シェリー | ロータス-BRM | 1:51.60 | +11.25 | DNQ |
23 | 56 | イギリスの旗 キース・グリーン | ギルビー-BRM | 1:52.00 | +11.65 | DNQ |
24 | 52 | イギリスの旗 ジェリー・アシュモア | ロータス-クライマックス | 1:52.90 | +12.55 | DNQ |
25 | 62 | イギリスの旗 イアン・バージェス | クーパー-クライマックス | 1:53.10 | +12.75 | DNQ |
26 | 42 | スイスの旗 ジョー・シフェール | ロータス-BRM | 1:55.80 | +15.45 | DNQ |
27 | 54 | イタリアの旗 エルネスト・プリノス | ロータス-クライマックス | 1:57.70 | +17.35 | DNQ |
28 | 50 | イタリアの旗 ロベルト・リッピ | デ・トマソ-オスカ | 1:58.60 | +18.25 | DNQ |
29 | 26 | アメリカ合衆国の旗 ジェイ・チャンバーレイン | ロータス-クライマックス | 1:59.70 | +19.35 | DNQ |
30 | 34 | アルゼンチンの旗 ナシフ・エステファノ | デ・トマソ | 6:18.40 | +4:38.05 | DNQ |
ソース:[6]
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- 追記
決勝
[編集 ]- ラップリーダー[8]
- 1-86=グラハム・ヒル
第7戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集 ]- ^ (林信次 1997, p. 36)
- ^ a b Björklund, Bengt, ed. (October 1962). "Skyfall över Tysklands GP" [Deluge on German GP]. Illustrerad Motor Sport (Swedish). No. 10. Lerum, Sweden. p. 4.
- ^ a b c d Skyfall..., p. 5
- ^ フェラーリが翌月の次戦アメリカGPを欠場し、11月に行われた非選手権レースのメキシコGPで事故死したため、本レースが最後のF1世界選手権における出走となった。
- ^ "Italy 1962 - Race entrants". statsf1.com. 2018年8月12日閲覧。
- ^ a b "Italy 1962 - Qualifications". statsf1.com. 2018年8月11日閲覧。
- ^ "1962 Italian Grand Prix". formula1.com. 2 December 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。20 September 2015閲覧。
- ^ "Italy 1962 - Laps led". statsf1.com. 2018年8月15日閲覧。
参照文献
[編集 ]- en:1962 Italian Grand Prix(2018年7月13日 23:25:44(UTC))を翻訳
- 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0。