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銭取駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
銭取駅
ぜにとり
Zenitori
住吉 (0.4 km)
(0.9 km) 幸町
地図
所在地 静岡県 浜松市住吉町(現・中央区住吉三丁目)
所属事業者 遠州鉄道
所属路線 奥山線
キロ程 4.0 km(遠鉄浜松起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1914年(大正3年)11月30日
廃止年月日 1964年(昭和39年)11月1日
備考 奥山線廃線に伴い廃駅
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銭取駅(ぜにとりえき)は、静岡県 浜松市住吉町(開業時は旧・浜名郡 曳馬町高林[1] 、現・浜松市中央区住吉三丁目)にあった遠州鉄道 奥山線(廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年(昭和39年)11月1日に廃駅となった。

歴史

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年表

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駅名の由来

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当駅の所在する地名より。地名は、三方ヶ原の戦いの際、徳川家康小豆餅附近の茶屋で小豆餅を食べた時に敵の襲撃に遭い、餅代を払わずに逃げ出した所、茶店の婆さんに追いかけられ、当地附近で取り立てにあった、という故事(史実ではなく後世の創作である可能性が高いとみられている)に由来する[6] 。他に、かつてこの付近は辺鄙で山賊(追いはぎ)が出没し、よく銭を取られたことに由来するとの説もある。

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[4]

列車交換設備を有さない無人駅となっていた[7]

駅周辺

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駅跡

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2010年(平成22年)時点では、民家の軒先に「奥山線 銭取駅跡」と記載された碑が建てられていた[8]

また、1997年(平成9年)時点では、広沢駅跡附近から当駅跡附近までの線路跡は歩行者専用道路として整備されていた[9] 。歩行者専用道路は当駅跡附近まで、合計約3 kmに渡り続いている[9] 。2007年(平成19年)8月時点[10] 、2010年(平成22年)時点でも同様であった[8]

当駅跡から奥山方の線路跡は、1997年(平成9年)時点では都田口駅跡附近までは拡幅され、自動車も通れる大きな市道 [5] に転用され、痕跡は無くなっていた[9] 2007年(平成19年)8月時点[10] 2010年(平成22年)時点でも同様であった[8]

隣の駅

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遠州鉄道
奥山線
住吉駅 - 銭取駅 - 幸町駅

脚注

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  1. ^ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在 国立国会図書館デジタルコレクション 2019年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年 4月発行)216ページより。
  3. ^ a b c 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介新潮社2008年 11月発行)35ページより。
  4. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年 5月発行)71ページより。
  5. ^ a b c 書籍『今は昔 しずおか懐かし鉄道』(編:静岡新聞社静新新書2006年 6月発行)85-87ページより。
  6. ^ a b 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング2000年 5月発行)8ページより。
  7. ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
  8. ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年 4月発行)128ページより。
  9. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング1997年 5月発行)92ページより。
  10. ^ a b 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年 5月発行)76ページより。

関連項目

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