野府城
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(愛知県) | |
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開明小学校にある石碑と解説板 開明小学校にある石碑と解説板 | |
別名 | 野武城 |
城郭構造 | 平城 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 織田信治 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 石碑、説明板 |
指定文化財 | 一宮市指定史跡 [1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県遺跡番号073001[2] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度19分15.4秒 東経136度46分21.2秒 / 北緯35.320944度 東経136.772556度 / 35.320944; 136.772556 |
地図 |
野府城の位置(愛知県内) 野府城 野府城 |
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野府城(のぶじょう)は、愛知県 一宮市開明(尾張国 中島郡 野府村)にあった室町時代から江戸時代初期にかけての日本の城。野武城とも書く。1975年(昭和50年)2月11日付けで一宮市指定史跡 [1] 。
概要
[編集 ]一宮市立開明小学校付近にあり、同校の正門付近に城址碑がある。城主は織田信長の実弟織田信治が最も知られている。
築城時期は不明であるが、明応年間(1492年 - 1500年)にはすでに存在し、往時には二重の堀が廻らされ、『尾西市史』によると内堀で囲まれた範囲だけでも東西約300メートル、南北約200メートルの規模があったとされる。
近くの雲閑寺の山門は、城の門の一部を使用して建てられたといわれている。
歴代城主
[編集 ]織田信治→津田元嘉
脚注
[編集 ]- ^ a b 「一宮市内の文化財」一宮市公式HP
- ^ 「愛知県文化財マップ(埋蔵文化財・記念物)」(マップあいち)愛知県公式HP