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野川保晶

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野川 保晶(のがわ やすあき、1949年 4月11日 -[1] )は、日本の外交官。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部大使、外務省研修所所長を経て、駐ニュージーランド 特命全権大使

人物・経歴

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東京都出身。東京都立日比谷高等学校を経て、1973年一橋大学法学部を卒業し、外務省入省。

フランス語研修(フランス留学)、外務本省での勤務(広報、国連など担当)[2] 、経済協力局経済協力第二課長補佐[1] 、在イタリア大使館一等書記官、在ザイール(現コンゴ民主共和国)大使館一等書記官[1] 、大臣官房総務課長補佐、大臣官房在外公館課首席事務官を経て[1]

1989年10月中近東アフリカ局アフリカ第一課長、1992年1月在連合王国(英国)日本国大使館参事官、1993年1月在フランス日本国大使館参事官[1] 、1996年7月在インド大使館参事官、公使、1998年8月大臣官房通信課長、1999年8月中近東アフリカ局外務参事官[1] 、2000年9月大臣官房審議官中近東アフリカ局審議官、2001年5月ジュネーヴ国際機関日本政府代表部次席大使兼ジュネーヴ総領事を歴任[1]

2003年からシドニー総領事を務め、2005年外務省を退職。現役出向のかたちで、独立行政法人農畜産業振興機構野菜部担当理事に就任。

2007年9月から駐ミャンマー特命全権大使[3] 2007年ミャンマー反政府デモを取材中にジャーナリストの長井健司が軍兵士に至近距離から銃撃され死亡した事件では、極めて遺憾であるとの抗議並びに、真相究明及びビデオカメラ等の返還を求めた[4] 。2009年には、5億8100万円を限度とする無償資金協力「サイクロン『ナルギス』被災地小学校兼サイクロンシェルター建設計画」を締結した[5]

査察担当大使を経て、2011年から外務省研修所所長。2012年10月9日、駐ニュージーランド 特命全権大使 [6] 。同年11月13日、兼駐サモア特命全権大使[7] 。同年11月30日、兼駐クック諸島特命全権大使[8] 。2015年三井住友海上火災保険顧問[9]

2023年、瑞宝中綬章受章[10]

同期

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論文等

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  • 「2005年の世界情勢と日本」(世界経済評論49(4)(通号596)、2005年4月)
  • 「総領事館ほっとライン(7)(サンフランシスコ)日系人社会にエールを送る」(世界週報84(48)(通号4127)、2003年12月23日 )

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『全国官公界名鑑 2003年』同盟通信社
  2. ^ "野川大使、信任状を捧呈". 在ミャンマー日本国大使館. 2021年5月14日閲覧。
  3. ^ 「野川保晶・元シドニー日本国総領事壮行会-チェルト東京」
  4. ^ 「平成十九年十一月九日受領答弁第一七六号」衆議院
  5. ^ 無償資金協力「サイクロン「ナルギス」被災地小学校兼サイクロンシェルター建設計画」に関する書簡の交換在ミャンマー日本国大使館
  6. ^ 「ニュージーランド大使に野川氏起用 」日本経済新聞2012年10月9日、「ニュージーランド大使に野川外務省研修所長=政府」時事通信2012年10月09日
  7. ^ 人事、外務省: 日本経済新聞
  8. ^ 人事、外務省 :日本経済新聞
  9. ^ 平成27年4月1日〜平成28年3月31日内閣官房
  10. ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
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日本の旗 在クック諸島日本大使 (2012年-2015年) クック諸島の旗
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日本の旗 在ミャンマー日本大使 (2007年-2010年) ミャンマーの旗
在ビルマ日本帝国大使
在ラングーン在外事務所長
  • 日本政府在外事務所開設1951
  • 服部比左治1951-1952
  • 総領事館に昇格1952
在ラングーン日本国総領事
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