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藤原雅正

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曖昧さ回避 藤原理忠」とは別人です。
 
藤原雅正
時代 平安時代中期
生誕 未詳
死没 応和元年(961年)
官位 従五位下周防守
主君 村上天皇
氏族 藤原北家 良門流
父母 父:藤原兼輔、母:未詳
兄弟 雅正清正守正庶正公正桑子
藤原定方の娘
為頼為長為時平維将
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藤原 雅正(ふじわら の まさただ)は、平安時代中期の貴族歌人藤原北家 良門流中納言藤原兼輔の長男。官位従五位下周防守

経歴

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刑部大輔豊前守周防守などの受領を歴任したが、位階従五位下に留まった。村上朝応和元年(961年)周防守在任中に頓死したとされる。

父・兼輔とともに紀貫之との親交で知られている他、伊勢大輔とも交流があった。『後撰和歌集』に和歌作品が7首採録されている他[1] 藤原基俊撰集の『新撰朗詠集』にも採録されている。

官歴

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系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 紫式部は孫に当たる(藤原為時の娘)。
  2. ^ 維将は平将門を討伐した平貞盛の次男で、後に平清盛を輩出する伊勢平氏の祖となる平維衡の兄である。

出典

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  1. ^ 『勅撰作者部類』
  2. ^ 『尊卑分脈』
  3. ^ 『江家次第』

参考文献

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