平維将
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明[注 1] |
氏族 | 桓武平氏 国香流 |
父母 | 父:平貞盛、平繁盛?[1] |
兄弟 | 維叙 [2] 、維将、維敏、維衡 [3] |
妻 | 藤原雅正娘[4] [5] [注 2] |
子 | 維時 [6] |
テンプレートを表示 |
平 維将(たいら の これまさ/これゆき[5] )は、平安時代中期の武将。
経歴
[編集 ]北条氏の遠祖に当たる人物[注 3] 。 天延元年(973年)右衛門尉から左衛門尉に転じ、相模介となり、正暦5年(994年)盗賊捜索の功により翌年肥前守に任じた[5] 。居宅は左京二条万里小路にあった[5] 。
維将の娘
[編集 ]角田文衞の説によれば、維将の娘は紫式部の親友である"筑紫へ行く人のむすめ"である[7] 。『紫式部集』によると二人は同時期に姉妹を亡くしており、お互いを「あね」「いもうと」と呼び合った。筑紫の女は父の任官で肥前国に移り住むことになり、別れの際には贈答歌を詠んでいる。筑紫の女が維将の娘とする根拠としては、父の赴任の時期が重なるのに加え、紫式部と維将の娘は従姉妹だからである(維将の妻は式部の伯母)。また、筑紫の女は紫式部と再会することなく肥前で亡くなった。
系譜
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
注釈
[編集 ]出典
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 藤原公定 撰『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 11』吉川弘文館〈故実叢書 第3輯〉、1904年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991593 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。
- 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617。
- 上原作和『紫の上 第六巻』、勉誠出版、2005年。