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荻原満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荻原 満
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県 仙台市 青葉区
生年月日 (1965年12月19日) 1965年 12月19日(58歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト外
初出場 1992年8月1日
最終出場 1992年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

コーチ歴

この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

荻原 満(おぎわら みつる、1965年昭和40年〉12月19日 - )は、宮城県 仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

来歴・人物

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仙台商業高時代はエースで6番を打ち、1983年(昭和58年)夏の甲子園に出場した[1] 。3回戦に進むが宇部商業高秋村謙宏に完封負けを喫する[2]

高校卒業後は、東海大学へ進学し硬式野球部に入部。佐藤真一と同期であった。首都大学野球リーグでは在学中3回優勝。1985年(昭和60年)秋季リーグでは最高殊勲選手、最優秀投手となる。リーグ通算48試合登板、28勝5敗、防御率1.61、ベストナイン2回受賞[1]

1987年(昭和62年)春に左肘を手術したこともあり、同年オフにドラフト外読売ジャイアンツに入団[1]

1988年(昭和63年)は1A・マイアミ・マーリンズに野球留学した。1992年(平成4年)に初登板を果たすが、結果を残せず同年限りで現役を引退した[1]

引退後には打撃投手となり、2004年(平成16年)から一軍サブマネージャー2006年(平成18年)には大学の先輩である原辰徳監督の復帰に伴って監督付広報に就任する。

2023年から東北工業大学のコーチに就任[3]

妻は元水泳選手長崎宏子の姉。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1992 巨人 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 5 0 0 0 0 2 1 0 3 2 9.00 2.50
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 5 0 0 0 0 2 1 0 3 2 9.00 2.50

記録

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背番号

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  • 53 (1988年 - 1992年)
  • 120 (1993年 - 2003年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、125ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 巨人で選手&裏方20年 東北工業大・荻原満HC、最下位チームを変えた「一方通行ではない」指導 THE ANSWER 2023年8月28日

関連項目

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外部リンク

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