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織田信明

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(2019年6月)
 
織田信明
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文2年(1662年)
死没 元文元年9月20日(1736年 10月24日)
改名 信秋(初名)→信明→退翁(号)
別名 通称:仙千代、式部
官位 従四位下侍従讃岐守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 織田氏(長政流高家)
父母 父:織田長政、母:松平英親養女
兄弟 信明信清長喬遠山友春継室
正室:松浦鎮信養女・マル
信客生駒親猶正室
養子:信栄
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織田 信明(おだ のぶあきら)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本通称は仙千代、式部。官位従四位下侍従讃岐守

生涯

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交代寄合織田長政の長男として誕生した。生母は松平英親の養女。初名は信秋。

元禄3年(1690年)12月12日、家督を相続する。同日、父・長政の遺言により、弟・信清に300石を分与した。その結果、所領は2700石となった。

元禄14年(1701年)9月21日高家旗本となる。宝永2年(1705年)1月21日、高家職に就任、従五位下・侍従・讃岐守に叙任する。後に従四位下に昇進する。享保8年(1723年)2月18日、高家職を辞任、7月23日、隠居する。長男の信客は早世しており、養子に迎えた甥の信栄に家督を譲る。以後、退翁と号する。

元文元年(1736年)9月20日、死去。享年75。

系譜

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子女は1男1女。

織田木瓜紋 長政流高家織田家当主(1690年 - 1723年)
織田氏 (平姓)

尾張国守護代家

伊勢守家
大和守家
因幡守家
藤左衛門家
弾正忠家

弾正忠家の分家・支流

信長流
信長
信忠流
信忠 - 秀信 - 絶家
信雄流
信雄
信良流
高長流
高長
長政
高家
高家分家
勝長流
勝長
津田家
信高流
信貞流
信貞 - 貞置
高家
貞則流
貞輝流
信勝流
信勝 - 信澄
昌澄流
昌澄 - 信高
信包流
信包
信当流
信治流
信治
柘植家
長益流
長益
長孝流
長政流
尚長流

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