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細川満経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川満経
時代 室町時代
生誕 不明
死没 不明
改名 経氏?→満経
別名 宝泉寺(号)
官位 従四位下・陸奥守
幕府 室町幕府 引付頭人
主君 足利義満義持義教
氏族 細川奥州家
父母 父:細川業氏
持経 顕経
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細川 満経(ほそかわ みつつね)は、室町時代中期の武士細川奥州家出身で官途は陸奥守

概要

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永享4年(1432年)11月26日には、高野山高祖院から訴訟を起こされている。同日付の文書によると、祖父に当たる細川顕氏が高祖院に寄進した和泉国 土生郷地頭職を横領したとされる。高祖院は、僧侶が貞和3年(1347年)の細川顕氏楠木正行討伐に従軍しており、細川満元宝篋印塔があるなど本来は細川氏と深い関係にあった。この横領事件に対して、幕府は高祖院の訴えを受け入れている[1]

脚注

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  1. ^ 木下浩良「新発見の細川満元宝篋印塔-細川氏と高祖院-[1]
宗家
京兆家(事実上の宗家)

分家・支流

典厩家
野州家
讃州家
和泉上守護家
長岡刑部家
細川興増男爵家
和泉下守護家
備中守護家
淡路守護家
遠州家
奥州家
肥後細川家
細川侯爵
長岡内膳家
細川忠穀男爵家
宇土細川家
高瀬細川家
谷田部細川家
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