細川氏久
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曖昧さ回避
この項目では、武将・守護大名について記述しています。阿波守護家の同名の人物については「細川氏久 (阿波守護家)」をご覧ください。
時代 | 室町時代中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 長禄4年(1460年)5月24日[1] |
別名 | 九郎 |
戒名 | 華光院 |
官位 | 上総介 |
幕府 | 室町幕府 備中 守護 |
氏族 | 細川備中守護家 |
父母 | 父:細川頼重 |
子 | 勝久 、政信 [1] |
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細川 氏久(ほそかわ うじひさ)は、室町時代中期の武将・守護大名。備中国 守護。官職は上総介を称した。細川備中守護家当主。足利義政の御供衆となったとする資料があるが詳細は不明[1] 。
概要
[編集 ]永享2年(1430年)に足利義教から伊予国の新居郡や西条荘島山郷などを安堵されている[2] 。
『建内記』嘉吉元年(1441年)7月28日条によれば、現在の岡山県 井原市にあった重玄寺の大旦那であった足利冬氏の子・足利義将を氏久の手勢が討ち取っている[3] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]