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竹腰友正

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竹腰 友正(たけのこし ともまさ、延宝元年(1673年) - 宝永3年4月19日(1706年 5月30日))は、尾張藩附家老美濃国 今尾藩の第3代当主。官位は従五位下、筑後守。2代当主・竹腰正晴の長男。

延宝5年(1677年)1月19日、父・正晴が死去したため、同年2月10日に5歳で跡を継いだ。正晴の従兄弟にあたる尾張 藩主徳川光友より偏諱を賜って友正と名乗る。元禄2年(1689年)に初めて将軍の徳川綱吉に拝謁、12月に従五位下筑後守に叙任、友正には嗣子がなかったために従弟の正映を養子とした[1] 宝永3年(1706年)4月19日に死去し、跡を養子の正映が継いだ。法号は友正院殿賢誉皓哲居士。墓所は愛知県 名古屋市の相応寺。

系譜

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父母

養子

脚注

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  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X
竹腰家 今尾領(今尾藩)3代領主(藩主/藩知事)(1677年 - 1706年)
市橋家
竹腰家

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