稗田敏男
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| 稗田敏男 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本の旗 日本 |
| 出身地 |
北海道 札幌郡 琴似村 (後の琴似町、現・札幌市 西区) |
| 生年月日 | (1918年10月15日) 1918年 10月15日 |
| 死没 | (2006年08月31日) 2006年 8月31日(87歳没) |
| 初免許年 | 1948年 |
| 引退日 | 1995年 |
| 経歴 | |
| 所属 | 中山競馬場→美浦トレーニングセンター |
| 主な管理馬 | ガーネツト、ホマレボシ、コクサイプリンス |
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稗田 敏男(ひえだ としお、1918年 10月15日 - 2006年 8月31日)は、日本の調教師。同じくJRA調教師である稗田研二は息子。
人物
[編集 ]1918年 10月15日、北海道 札幌郡 琴似村(現在の札幌市 西区 琴似)にて誕生。父は札幌競馬倶楽部の騎手・調教師として知られた稗田虎伊である。
第二次世界大戦前に騎手としてデビューしたとされるが、詳細な記録は残っていない。
1948年に調教師免許を取得し、厩舎を開業。初重賞勝利は1951年5月20日の中山記念(中山競馬場)を制覇したトサホマレである[1] 。
調教師としては1959年に史上初となる牝馬の天皇賞(秋)、有馬記念連覇を果たしたガーネツト、1961年に安田記念 [2] 、有馬記念を制覇したホマレボシ、小野定夫とのコンビで重賞3勝を挙げたヒシマサヒデ、1975年の菊花賞を制覇したコクサイプリンスなどの活躍馬をターフに送り出した。
1995年2月に定年により調教師を引退。最終出走は2月25日の第2回中山競馬初日第12競走(4歳500万下)のコウギョウダイナ(4着入線)である[3] 。
2006年8月31日、病気により逝去[4] 。87歳没。
主な管理馬
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ 第24回 中山記念(春) 優駿達の蹄跡
- ^ なお、当時の安田記念はGI競走ではなく、距離も1,800mであった。
- ^ 12R 4歳上500万下 Netkeiba 1995年02月25日のレース結果
- ^ ●くろまる●くろまる訃報●くろまる●くろまる?稗田敏男元調教師死去 ラジオNIKKEI競馬実況web 2006年9月1日付
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