福田貴代子
ふくだ きよこ 福田 貴代子 | |
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2008年7月7日撮影 | |
生誕 |
嶺 貴代子 (1944年01月13日) 1944年 1月13日(80歳) 日本の旗 日本 東京都 |
国籍 | 日本の旗 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学文学部 |
職務 | 日本の旗 内閣総理大臣夫人 |
配偶者 | 福田康夫(1966年 - 現在) |
子供 | 福田達夫 |
親 | 嶺駒夫(父) |
親戚 |
櫻内幸雄(祖父) 櫻内義雄(おじ) 櫻内乾雄(おじ) |
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福田 貴代子(ふくだ きよこ、旧姓:嶺、1944年 1月13日 [1] - )は、第91代内閣総理大臣 福田康夫の妻、実業家の嶺駒夫の娘、自民党議員の福田達夫の母。政治家の櫻内幸雄の孫、政治家の櫻内義雄と実業家の櫻内乾雄の姪にあたる[2] 。茶名(裏千家)は福田 宗貴。慶応義塾大学文学部卒[3]
来歴
[編集 ]東京都出身[2] 。東京学芸大学附属高等学校から慶應義塾大学文学部に進学[4] 。慶應義塾大学では心理学を専攻し、康夫に卒業論文の面倒を見てもらっていた[2] 。在学中に毎日新聞の福田番記者だった義兄を介し福田赳夫元首相に就職の相談に訪れたところで、福田赳夫夫人の三枝に見初められた[5] [2] 。赳夫も結婚する気があるか尋ねるほど、貴代子を気に入ったという[6] 。日本航空の客室乗務員に就職が内定した後、ロサンゼルスから帰国した康夫に「君を政治家の女房にしない」と諦めるようプロポーズされ、1966年に結婚した[5] [7] 。
初出馬の衆議院選挙で支持者の前に立つのを嫌がる康夫に、「みんな、あなたを待っています。期待に応えなければいけません。」と話していた[6] 。康夫の官房長官時代には、地元に戻れないに夫に代わって1人で選挙区を守った[5] 。
2002年のジョージ・W・ブッシュ 大統領の来日の際、小泉純一郎首相が独身であるために、ファーストレディの代役を務め、ローラ・ブッシュ夫人と茶道で持て成すなどして親交を深めた[5] [8] 。また、ブッシュ夫妻の夜の外出地を、西麻布の居酒屋・権八に決めたのも彼女であった[6] 。
ファーストレディ
[編集 ]2007年 11月、康夫のシンガポールでのASEAN関連首脳会議への出席と共に、ファーストレディとして外交デビューした。貴代子は、シンガポール国立大学病院を訪れた際に、「父(義父・赳夫)が昔、アジアの諸国とは心と心を通じ合う『ハート・トゥー・ハート』という言葉を申し上げたことがある。あなたと私も『ハート・トゥー・ハート』です」と、福田ドクトリンのフレーズも含んだ言葉を述べた[9] [10] 。12月の中国訪問では老人ホームや北京日本人学校、日中青少年アニメ・漫画展を視察した[11] [12] 。
2008年 2月の訪韓では、李明博新大統領の夫人・金潤玉の最初の外交相手となり、金夫人は貴代子に「ファーストレディの先輩として『内助の功』を学びたい」と話した。2人は少子化などについて語り合った[13] [14] 。3月28日には、群馬県出身の4人の首相(福田康夫・赳夫、中曽根康弘、小渕恵三)の功績をたたえる「上州人宰相記念室」のオープニングセレモニーに訪れた。貴代子は「県民のお力添えで4人の首相が誕生した」、「ほかの3人は功績を残したが、夫は国民・県民に心配をかけている。政権に固執せず先人に少しでも近づきたい」とあいさつで述べた[15] [16] 。5月28日に、アフリカ開発会議で来日中のアフリカのファーストレディに、母子健康手帳をアフリカで普及させることを訴えた[17] 。29日にも三渓園で高村正彦外務大臣夫人の治子らと首脳夫人らを茶道でもてなした[18] 。6月の欧州歴訪では、1日にベルリンの壁とベルリンの壁博物館を見学し、館長に自作の折鶴を手渡した[19] 。6月5日に、東京で行われたフランス料理のイベントで、中尾彬と共に「アペリティフ親善大使」に任命された[20] 。
7月5日に洞爺湖サミットの出席のため来日したサラ・ブラウン英首相夫人と英国大使館大使公邸で、妊産婦の健康について講演を行った[21] 。貴代子は母子手帳が日本の妊産婦死亡率の減少に役目を果たしたことを話した[22] 。7日にはザ・ウィンザーホテル洞爺で6人の首脳の夫人を茶でもてなした[23] 。サミットで昭恵前首相夫人を念頭に準備されていた首脳の配偶者らの視察内容は、貴代子夫人に合わせた内容に再検討されていた[24] 。
人物
[編集 ]身長は康夫より1cm低い170cmと背が高く、大学在学中はバレーボールをしていた[8] [6] 。好物は康夫と同じでステーキ [8] 。料理の腕前は、結婚当初は貴代子が炊いた飯を食べた康夫が「えっ」と言うほどだった[25] 。しかし、これがきっかけとなって貴代子は独学で料理の腕を磨き、貴代子の作る料理は好評を博するようになった[25] 。
30年以上茶道をしており、英語が得意なためによく外国人を持てなしていた。千宗室の姉の櫻井宗養に師事して裏千家茶道の稽古をしており、1985年に宗貴の茶名を得た。茶道中に安倍晋三首相辞職のニュースが伝えられた際も、貴代子は全く動ぜず、茶道に集中し続けたという[26] [6] 。
清和会議員夫人組合の中心人物で、安倍昭恵が代表であった時も、実質は貴代子が組合を運営していた[6] 。
康夫は「かあちゃんには頭が上がらない」と発言している[25] 。また、内閣のメールマガジンで、自分にとっては「時には敬妻、時には恐妻、また時には愛妻で、時にはけんか相手」であるとインタビューに答えた[27] 。
衆議院議員 田中真紀子は、貴代子の髪型について「頭の大きいご夫人」と形容した[28] 。
脚注
[編集 ]- ^ 人事興信録45版ふ35
- ^ a b c d "次期ファーストレディは...いずれ劣らぬ"あげまん"" ZAKZAK: 2007年9月21日. 2007年10月16日閲覧.
- ^ 人事興信録45版ふ35
- ^ "天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田康夫・貴代子元夫人(上) (2018年7月23日)". エキサイトニュース. 2021年11月14日閲覧。
- ^ a b c d "貴代子さんに"首相夫人"代役の過去" スポニチ: 2007年9月24日. 2007年10月13日閲覧.
- ^ a b c d e f "First lady Kiyoko Fukuda is 'superwoman'" ジャパントゥデイ : 2007年10月4日. 2007年12月28日閲覧.
- ^ "「政治家」嫌った2世 福田氏、父の首相就任が転機に" 中国新聞: 2007年9月23日. 2007年10月13日閲覧.
- ^ a b c "好物はステーキ、福田首相の貴代子夫人" スポニチ: 2007年9月24日. 2007年10月13日閲覧.
- ^ "福田首相:貴代子夫人がシンガポールで外交デビュー" 毎日新聞: 2007年11月20日. 2007年12月28日閲覧.
- ^ "貴代子夫人が外交デビュー" 日テレNEWS24: 2007年11月21日. 2007年12月28日閲覧.
- ^ "老人ホーム、漫画展訪問 首相夫人も活発外交" 中日新聞: 2007年12月28日. 2007年12月28日閲覧.
- ^ "福田首相夫人が北京でアニメ視察" 産経新聞: 2007年12月28日. 2007年12月28日閲覧.
- ^ "韓国:ファーストレディー外交 福田首相夫人と大統領夫人" 毎日新聞: 2008年2月25日. 2008年3月10日閲覧.
- ^ "金潤玉さん、ファーストレディーとしての初日は..." 中央日報: 2008年2月26日. 2008年3月10日閲覧.
- ^ "上州人宰相記念室:きょうオープン 親族ら招きセレモニー /群馬" 毎日新聞: 2008年4月29日. 2008年5月24日閲覧.
- ^ "「上州人宰相」記念室をお披露目" 産経新聞: 2008年4月2日. 2008年5月24日閲覧.
- ^ "アフリカにも母子手帳を=貴代子夫人" 時事通信: 2008年5月28日. 2008年6月12日閲覧.
- ^ "アフリカのファーストレディーが茶道味わう/三渓園" 神奈川新聞: 2008年5月29日. 2008年6月12日閲覧.
- ^ "首相同行の貴代子夫人、ベルリンの壁視察" 日刊スポーツ: 2008年6月2日. 2008年6月12日閲覧.
- ^ "中尾彬、アペリティフ親善大使に" 読売新聞: 2008年6月6日. 2008年6月12日閲覧.
- ^ "【洞爺湖サミット】日英首相夫人が講演" 産経新聞: 2008年7月5日. 2008年12月31日閲覧.
- ^ "7月5日(土):日本でのG8サミットに先立ち、福田首相、ブラウン首相夫人らから妊産婦のヘルスケアについて学ぶ" ONE Japan: 2008年7月5日. 2008年12月31日閲覧.
- ^ "首脳夫人ら茶でもてなし/十二単着付けも見学" 四国新聞: 2008年7月7日. 2008年12月31日閲覧.
- ^ "ファーストレディーが交代 道、首脳夫人の視察内容の再検討開始" 北海道新聞: 2007年10月8日. 2007年10月13日閲覧.
- ^ a b c "ファーストレディーはどっち?夫と「正反対キャラ」の妻たち" J-CASTニュース : 2007年9月20日. 2007年10月13日閲覧.
- ^ "ローラ・ブッシュ米国大統領夫人に呈茶" 裏千家ホームページ: 2007年10月13日閲覧.
- ^ "福田内閣メールマガジン 第6号" 福田内閣メールマガジン: 2007年11月15日. 2007年11月19日閲覧.
- ^ "父同士の因縁!?真紀子氏が"福斬り"「すぐ投げ出すでしょう」" 産経スポーツ: 2007年9月26日. 2007年10月13日閲覧.