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神里和毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神里 和毅
横浜DeNAベイスターズ #8
2018年5月27日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県 島尻郡 南風原町
生年月日 (1994年01月17日) 1994年 1月17日(30歳)
身長
体重
179 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2017年 ドラフト2位
初出場 2018年3月30日
年俸 3800万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

神里 和毅(かみざと かずき、1994年 1月17日 - )は、沖縄県 島尻郡 南風原町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。

経歴

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プロ入り前

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いわゆる「スポーツ一家」の第二子(長男)として出生した。小学校3年時まで、軟式野球陸上競技を掛け持ちをしていた。自身の意思で、小学校4年時から野球に専念[2] 。南星中学校在学中のポジションは内野手であった。

沖縄県立糸満高等学校への入学後に硬式野球部で外野手へ転向すると、2年秋からレギュラーに定着した。3年夏の第93回全国高等学校野球選手権大会でチームを史上初の全国大会出場へ導いたが、初戦(1回戦)の英明高戦に1-4で敗戦。「1番・中堅手」として出場した神里も、松本竜也から無安打に抑えられた[3] 。硬式野球部の1学年先輩に宮國椋丞がいる[4]

2014年4月29日

中央大学への進学後は、1年春からベンチ入りを果たすと、4年次に主将に就任[5] 東都大学野球では、4年の秋季リーグ戦で、外野手としてベストナインに選ばれた[6] 。在学中は、1部リーグ戦へ通算で91試合に出場した。307打数73安打(打率.238)、2本塁打、28打点、10盗塁を記録。当時からNPB球団のスカウトに注目されていたことを背景に、4年次だった2015年の秋にプロ志望届日本学生野球協会へ提出した。だが、この年のNPBドラフト会議でどの球団からも指名されなかった[7] ため、大学卒業後日本生命へ入社した。

日本生命では、1年目から1番打者として公式戦に出場する。2年目の2017年には、社会人野球日本代表として第28回BFAアジア選手権大会でチームの優勝へ貢献するとともに、ベストナインと打点王のタイトルを獲得した[8]

2017年10月26日に行われたドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから2位指名を受けて、契約金7500万円、年俸1250万円(金額は推定)の条件で入団[9] 。背番号は8。入団後には、外野手として社会人野球ベストナインに選ばれた[10]

DeNA時代

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2018年3月25日 横浜スタジアムにて

2018年 は、春季キャンプのスタートを一軍で迎えたが、キャンプ中に右腹斜筋の炎症を発症。一時は二軍に回った[11] ものの、一軍監督アレックス・ラミレスの方針で、キャンプ後のオープン戦へ積極的に起用された。オープン戦で好調だったことや、前年までの正右翼手・梶谷隆幸が出遅れていたことなどを背景に、公式戦の開幕を一軍でスタート。3月30日に行われた東京ヤクルトスワローズとの開幕戦(横浜スタジアム)では、「7番・右翼手」としてスタメンに起用された[注 1] 。第3戦(4月1日)で公式戦初盗塁を記録したことを皮切りに、盗塁数で一時セ・リーグのトップに立つほどの俊足で、チームの開幕ダッシュに貢献[13] 。4月12日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、公式戦初本塁打を大竹寛からの初回先頭打者本塁打で記録した[14] 。NPB球団の新人選手が一軍公式戦の初本塁打を初回先頭打者本塁打で記録した事例は史上11人目[注 2] だが、同リーグの発足(1950年)後に巨人が関与する公式戦では初めてである[15] 。しかし、その後は打撃の調子が下降。梶谷に加えて、内野手登録のネフタリ・ソトが外野を守る前提で一軍に昇格した5月中旬以降は、一軍に帯同しつつもスタメンから外れる試合が続いた[16] 。それでも、6月には1番打者としてスタメンに復帰すると、セ・リーグ打者部門の月間MVP候補に挙げられるほどにまで打撃が復調[17] 。しかし、8月12日の対阪神タイガース戦(横浜)2回裏の打席で、自身と同じ新人の馬場皐輔から右足甲の外側に死球を受けた。そのまま代走を送られると、翌13日に出場選手登録を抹消。抹消後に右足甲の骨折が判明した[18] ため、実戦へ復帰できずにシーズンを終えた。最終的に、一軍公式戦には、通算で86試合に出場。打率.251、5本塁打、21打点、15盗塁という成績を残した。

2019年 は、前述した故障が癒えたことを背景に、一軍公式戦の開幕から「1番・中堅手」として再びレギュラーに定着。セ・パ交流戦では、最終規定打席へ到達するとともに、チームトップ(全体22位)の打率.303を記録した[19] 。このような活躍を背景に、オールスターゲームにもセ・リーグの監督推薦選手として初出場を果たした[20] 。レギュラーシーズンの後半戦は不調で、中堅手として梶谷、乙坂智桑原将志の後塵を拝する機会が増えたが、一軍公式戦全体では123試合の出場で打率.279、6本塁打、15盗塁を記録。チームがシーズン2位で進出したクライマックスシリーズ(CS)では、阪神とのファーストステージ全試合に「1番・中堅手」としてスタメンに起用されると、通算打率.429、OPS.929と奮闘した。

2020年 は、オープン戦で打率が.182と振るわず[21] 、入団後初めて、レギュラーシーズンを二軍でスタート。開幕して2週間後の7月5日から一軍へ復帰した[22] が、開幕から梶谷が「1番・中堅手」として好調なことから、復帰当初の公式戦には主に代打や守備要員として起用されていた。8月上旬からは、「1番・右翼手」に回った梶谷とのコンビで、「2番・中堅手」として出場。11月14日の巨人戦(横浜)では、田口麗斗から逆転サヨナラ打を放ち、アレックス・ラミレス監督の最後の試合を勝利で見届けた。一軍公式戦全体では80試合の出場で3本塁打、7盗塁にとどまりながらも、打率(.308)、出塁率(.370)、長打率(.420)、OPS(.790)はいずれも入団後最高だった。

2021年 は、巨人に移籍した梶谷の後釜として「1番・中堅手」のポジション定着を期待されるも、開幕から打撃不振に陥った上、6月1日の福岡ソフトバンクホークス戦(横浜)の守備で捕球を試みた際に左足首の骨挫傷を起こし途中交代、翌日に一軍登録を抹消された[23] 。後半戦に一軍昇格を果たしたものの、中堅手のレギュラーは桑原将志が勝ち取ったため、代打・代走での起用が殆どだった。最終的に88試合、打率.191、4本塁打、15打点、4盗塁の成績でシーズンを終えた。打席数、打率、打点、盗塁、OPSはキャリアワーストだった。

2022年 は、開幕から一軍に登録されていたが、4月7日にチーム内で新型コロナウィルスの感染者が相次ぎ、神里も陽性判定を受け登録抹消[24] 。4月28日に一軍に復帰[25] 。途中出場した5月6日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)では延長11回に勝ち越しの適時三塁打を放ち、開幕から続いていた広島戦の連敗を阻止[26] 、同じく途中出場した6月19日の阪神戦(甲子園)では、同点で迎えた8回に決勝打となる適時三塁打を放ち、開幕から続いていたチームの日曜日の連敗を9で阻止[27] 阪神タイガース青柳晃洋が相手先発の時に限り、好相性を買われてスタメンで起用され、結果を残す[28] など、要所で存在感を見せつけた。最終的に81試合に出場したが、打率.189、1本塁打と前年に続いて打撃に課題を残す形に終始。結局、契約更改ではダウン提示を受け、推定年俸4500万円で契約を更改した[29]

2023年 は、相手先発の青柳晃洋との相性を買われ、開幕戦に3番・中堅手で出場も[30] 無安打に終わった[31] 。前年同様代走・守備固めの起用が続いていたが、7月31日に登録抹消された[32] 。8月は二軍で5本塁打を記録していたが8月17日を最後に試合出場はなく[33] 、8月29日に横浜市内の病院で右肘のクリーニング手術を受け[32] 、その後は公式戦への出場は無かった。最終的に64試合の出場で打率.163、3打点、プロ入り後初めて本塁打と盗塁が無かった[32] 。11月10日には700万円減の推定年俸3800万円で契約更改した[34]

2024年 は、コンディション不良で開幕から出遅れるが、4月20日の二軍戦で実戦復帰し、4月29日の中日ドラゴンズ戦で一軍合流した[35] 代走での起用が中心ながら、5月10日の青柳先発の阪神戦では1番・中堅手でスタメン起用され、3打数1安打を記録した。しかし、その後が続かず、6月10日に登録を抹消された[36] 。以降は二軍での調整を続け、二軍戦47試合で打率.297、1本塁打、16打点の成績を残すと、青柳が予告先発である阪神戦に合わせ、9月10日に一軍に合流した[37]

選手としての特徴

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走・攻・守3拍子揃った外野手[38] で、50メートル走で5秒8のタイムを手動計測で記録したほどの俊足の持ち主である。外野の守備では飛球を処理する能力が高く、DeNA2年目の2019年には、非公式記録ながら守備指標でNPB両リーグを通じてのベストナイン級のデータが計測されている[39] 。また、遠投105mの強肩も兼ね備える。[40]

家族

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実父の昌二は、沖縄県立豊見城高等学校の硬式野球部員(投手)として、2年時(1977年)の春から4季連続で甲子園球場の全国大会へ出場[41] [注 3] 。3年時(1978年)には、当時捕手だった石嶺和彦とバッテリーを組んでいた[3] 。卒業後の1979年から、同年に創設されたばかりのプリンスホテル硬式野球部でプレー。同部で現役を引退してからも、陸上競技のアマチュア選手として100メートル競走などで活躍している。マスターズ陸上金メダリストの譜久里武と交流を持ち、和毅は2023年1月オフの自主トレーニング期間中に、譜久里らから走り方の指導を受けた[42] [43]

実姉も陸上競技の選手で、高校時代に全国高等学校総合体育大会短距離種目へ出場した経験を持つ。和毅自身も、「犬に追い掛けられながらも逃げ切った」というエピソードがあるほど、幼少期から足が速い[44] 。父の昌二については、「陸上競技を強制されていなかったが、『野球に専念したい』との意向を伝えた時に、『(野球を)やるなら左打ちに取り組め』と言われた」という[2]

実弟の陸(りく)も右投両打の野球選手で、和毅と同じ南星中学校の出身。3年時(2017年)には、U-15日本代表内野手としてU-15アジア野球選手権大会に出場した[45] 。卒業後の2018年からは、神奈川県にある東海大相模高等学校に進学。2年時(2019年)の夏から捕手に転向している。3年時の2020年には、春に第92回選抜高等学校野球大会への出場が決まっていたが、年頭から新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で大会が中止。しかし、代替措置として8月中旬に開催の2020年甲子園高校野球交流試合へ招待されたことによって、「親子3代で別々の高校から甲子園球場の試合へ出場する」という快挙を成し遂げた[46] 。2021年4月からは、國學院大學へ進学し、硬式野球部の捕手としてプレーしている[47] [48]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2018 DeNA 86 273 247 31 62 14 3 5 97 21 15 9 4 0 19 1 3 68 4 .251 .312 .393 .705
2019 123 458 427 62 119 31 3 6 174 35 15 10 3 0 26 2 2 121 7 .279 .323 .407 .731
2020 80 190 169 38 52 8 1 3 71 17 7 1 1 2 15 0 3 42 3 .308 .370 .420 .790
2021 88 118 110 13 21 3 0 4 36 15 4 3 1 1 6 1 0 49 1 .191 .231 .327 .558
2022 81 107 95 12 18 4 3 1 31 10 6 3 1 0 8 0 3 26 1 .189 .274 .326 .600
2023 64 53 49 11 8 1 1 0 11 3 0 1 0 0 3 0 1 16 0 .163 .226 .224 .451
通算:6年 522 1199 1097 167 280 61 11 19 420 101 47 27 10 3 77 4 12 322 16 .255 .310 .383 .693
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

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外野












2018 DeNA 81 93 1 3 0 .969
2019 115 222 4 3 3 .987
2020 53 65 1 2 0 .971
2021 53 41 2 0 1 1.000
2022 68 62 0 0 0 1.000
2023 59 41 1 0 1 1.000
通算 429 524 9 8 5 .985
  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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初記録
その他の記録

背番号

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  • 8(2018年 - )

代表歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ DeNAの新人外野手が一軍公式戦で開幕スタメン起用されるのは、2009年松本啓二朗以来9年ぶり[12]
  2. ^ DeNAでは、横浜ベイスターズ時代の1994年波留敏夫が記録して以来2人目。
  3. ^ 出場当時の選手紹介では、「苗字(神里)が(本来の)『かみざと』では読みにくい」という理由で、苗字に「かんざと」という読み方を用いていた。

出典

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  1. ^ "DeNA - 契約更改". 日刊スポーツ. 2023年11月10日閲覧。
  2. ^ a b "注目! ドラフト/5 気になるあの選手 神里和毅(日本生命)". Yahoo!ニュース (2017年10月10日). 2020年9月7日閲覧。
  3. ^ a b "神里和毅(横浜DeNAベイスターズ)". 週刊ベースボールONLINE. 2021年8月8日閲覧。
  4. ^ "DeNA・神里と糸満高の1年先輩、巨人・宮国 突然やってくる対決に詰まっている物語". 糸満市 (2018年5月14日). 2022年6月25日閲覧。
  5. ^ "中大・神里始動にスカウト陣熱視線". デイリースポーツ (2015年1月15日). 2018年4月3日閲覧。
  6. ^ "DeNA神里 新世代スーパーカー宣言「開幕戦で1盗塁は決めたい」". スポニチ (2018年3月28日). 2021年8月8日閲覧。
  7. ^ "中大・神里 V二塁打 プロスカウトに指名を猛アピール". スポーツニッポン (2015年10月7日). 2018年4月3日閲覧。
  8. ^ "2017年ドラフト指名を受けた侍ジャパン戦士たち〜社会人代表編〜". 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2017年10月31日). 2021年8月8日閲覧。
  9. ^ "DeNAドラフト2位・神里が仮契約「糸井選手のような3拍子そろった選手に」". スポーツニッポン (2017年11月16日). 2020年9月7日閲覧。
  10. ^ "神里ベストナイン/日生外野手 日本選手権準V貢献". 沖縄タイムス (2017年12月8日). 2020年9月7日閲覧。
  11. ^ "【DeNA】ドラフト2位神里「右腹斜筋の炎症」で二軍キャンプへ". スポーツ報知 (2018年2月9日). 2021年8月8日閲覧。
  12. ^ "DeNA新人・神里、初のナイター練習 開幕スタメン準備". 中日スポーツ (2018年3月29日). 2018年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月4日閲覧。
  13. ^ "DeNAドラフト2位神里の神足 デビュー7試合で5盗塁". 日刊スポーツ (2018年4月8日). 2018年4月19日閲覧。
  14. ^ "DeNA神里プロ1号、同僚は「捕手マスク」で祝福". 日刊スポーツ (2018年4月12日). 2018年4月13日閲覧。
  15. ^ a b "DeNA神里、プロ初アーチが先頭弾 巨人戦は2リーグ制以降初". スポーツニッポン (2018年4月13日). 2018年4月19日閲覧。
  16. ^ "苦境を乗り越えて...生まれ変わった神里がDeNAの救世主になる!". BASEBALL KING (2018年6月15日). 2018年11月18日閲覧。
  17. ^ "2018年6月度「日本生命月間MVP賞」候補選手(セントラル・リーグ)". 日本野球機構 (2018年6月21日). 2018年11月18日閲覧。
  18. ^ "DeNA神里が今季絶望か、死球の右足甲骨折だった". 日刊スポーツ (2018年8月13日). 2018年4月13日閲覧。
  19. ^ "2019年度交流戦 個人打撃成績(規定打席以上)". 日本野球機構. 2021年8月8日閲覧。
  20. ^ "マイナビオールスターゲーム2019 出場者". 日本野球機構. 2021年8月8日閲覧。
  21. ^ "(輝け!ベイスターズ)開幕楽しみ 不振克服の神里". 朝日新聞 (2020年5月28日). 2020年9月7日閲覧。
  22. ^ "7月5日の公示 DeNA神里が今季初めて1軍昇格 巨人田口、中日吉見を抹消". Full-Count (2020年7月5日). 2020年9月7日閲覧。
  23. ^ "DeNA神里、左足首骨挫傷で登録抹消へ 1日捕球の際に痛める". 日刊スポーツ (2021年6月2日). 2022年2月20日閲覧。
  24. ^ "【DeNA】浜口遥大、神里和毅、スタッフ2人が新たに新型コロナ陽性判定". 日刊スポーツ (2022年4月7日). 2022年2月20日閲覧。
  25. ^ "【DeNA】神里和毅が1軍合流 コロナ陽性判定から復帰「持っているものを出して」三浦大輔監督". スポーツ報知 (2022年4月28日). 2022年5月8日閲覧。
  26. ^ "【DeNA】延長戦制し広島から今季初勝利 神里和毅が決勝打「本当に勝ててよかった」". 日刊スポーツ (2022年5月6日). 2022年5月8日閲覧。
  27. ^ "【DeNA】やっと勝った 日曜日の連敗9でストップ 神里和毅が8回決勝三塁打 継投で逃げ切る". スポーツ報知 (2022年6月19日). 2022年6月20日閲覧。
  28. ^ "【DeNA】「青柳キラー」神里和毅、今季1号3ラン本領発揮も空砲 今季初の単独最下位に転落". 日刊スポーツ (2022年6月17日). 2022年11月27日閲覧。
  29. ^ "【DeNA】阪神青柳キラー・神里和毅が280万円ダウン4500万円で契約更改". スポーツ報知 (2022年12月1日). 2022年12月1日閲覧。
  30. ^ "【DeNA】三浦監督 阪神青柳攻略に向け煙幕「また考えます」開幕戦では青柳キラー神里3番に". 日刊スポーツ (2023年4月13日). 2024年2月3日閲覧。
  31. ^ "【DeNA】昨季16勝9敗、お得意様阪神に痛恨の開幕3連敗 4日から横浜スタジアムで巨人戦". 日刊スポーツ (2023年4月3日). 2024年2月3日閲覧。
  32. ^ a b c "DeNA・神里和毅が右肘クリーニング手術で今季絶望 プロ6年目で初めて本塁打&盗塁なし". サンスポ (2023年8月29日). 2024年2月3日閲覧。
  33. ^ "「2軍で無双してたのに...」DeNA神里和毅が右肘クリーニング手術「パワーアップして戻ってきます!」 ファン「ここまで重傷だったのか」". 西スポWEB OTTO! (2023年8月29日). 2024年2月3日閲覧。
  34. ^ "DeNA・神里和毅が700万円減の3800万円でサイン 「僕自身まだまだできると思っている...見返したい」". サンスポ (2023年11月10日). 2024年2月3日閲覧。
  35. ^ "【DeNA】神里和毅、三嶋一輝、石田健大が1軍に今季初合流 三浦監督が明かす". 日刊スポーツ (2024年4月29日). 2025年4月30日閲覧。
  36. ^ DeNA 阪神との大一番に「青柳キラー」神里昇格の可能性浮上 10日からの甲子園3連戦」『Sponichi Annex』2024年9月10日。2024年9月10日閲覧。
  37. ^ 【DeNA】神里和毅を1軍登録 2軍の直近2試合でマルチ安打の活躍で打率.297 前日には関根大気が登録抹消」『日テレNEWS NNN』2024年9月10日。2024年9月10日閲覧。
  38. ^ "【DeNA】リードオフマン問題に結論? 2年目神里が放つ輝き". リアルライブ (2019年4月15日). 2021年8月8日閲覧。
  39. ^ "中日平田、DeNA神里、西武金子侑...データから最優秀守備賞を選出【外野手編】". Full-Count (2019年12月20日). 2020年2月25日閲覧。
  40. ^ "神里和毅[中大・外野手] 元甲子園球児の父へプロになって恩返しを | 野球コラム". 週刊ベースボールONLINE (2015年4月4日). 2023年3月21日閲覧。
  41. ^ "社会人野球:日本選手権 父の夢へ父と歩む ドラフト2位の日生・神里和毅外野手". 毎日新聞 (2017年11月11日). 2018年4月4日閲覧。
  42. ^ DeNA・神里 「遅咲きの短距離マスター」に弟子入り 走り方改革で定位置獲り目指す」『Sponichi Annex』2022年12月21日。2023年3月14日閲覧。
  43. ^ DeNA神里、世界マスターズ陸上金メダリストの譜久里さんに"弟子入り" 足武器に再起誓う」『HUB沖縄(つながる沖縄ニュースネット)』2023年1月21日。2023年3月14日閲覧。
  44. ^ "犬を振り切った男!DeNA神里、2盗塁で神足披露". 日刊スポーツ (2018年2月7日). 2020年9月7日閲覧。
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  46. ^ "兄はDeNA、東海大相模・神里が一時逆転の2点打". 日刊スポーツ (2020年8月17日). 2020年9月7日閲覧。
  47. ^ "国学院大入学の神里「雰囲気良かった」初練習で決意、兄はDeNA在籍". スポーツニッポン (2021年2月1日). 2021年2月1日閲覧。
  48. ^ "国学院大のルーキー・神里がリーグ戦初打席初安打 兄はDeNA外野手". デイリースポーツ online (2021年5月7日). 2021年8月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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