祁答院町
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けどういんちょう 祁答院町 | |
---|---|
藺牟田池 | |
祁答院町旗
祁答院町章 1968年10月1日制定 | |
廃止日 | 2004年10月12日 |
廃止理由 |
新設合併 川内市、樋脇町、東郷町、入来町、祁答院町、上甑村、里村、鹿島村、下甑村 → 薩摩川内市 |
現在の自治体 | 薩摩川内市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 鹿児島県 |
郡 | 薩摩郡 |
市町村コード | 46387-6 |
面積 | 82.56 km2. |
総人口 |
4,711人 (2003年) |
隣接自治体 | 薩摩郡薩摩町、宮之城町、入来町、姶良郡 姶良町、蒲生町 |
町の木 | 梅 |
町の花 | アジサイ |
祁答院町役場 | |
所在地 |
〒895-1501 鹿児島県薩摩郡祁答院町下手67番地 祁答院町役場(現・薩摩川内市役所祁答院支所) |
外部リンク | 鹿児島県薩摩郡祁答院町 |
座標 | 北緯31度52分14秒 東経130度29分45秒 / 北緯31.87056度 東経130.49575度 / 31.87056; 130.49575 座標: 北緯31度52分14秒 東経130度29分45秒 / 北緯31.87056度 東経130.49575度 / 31.87056; 130.49575 |
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ウィキソースに川内市・樋脇町・入来町・東郷町・祁答院町・里村・上甑村・下甑村・鹿島村を廃し、薩摩川内市を置く件 の原文があります。
祁答院町(けどういんちょう)は、鹿児島県 薩摩郡にあった町。1955年に大村、黒木村、藺牟田村の三村が合併し成立した町で、2004年に薩摩川内市となり、自治体としては消滅した。
旧町域は現在の薩摩川内市 祁答院町藺牟田(旧・藺牟田村)、祁答院町上手、祁答院町下手(旧・大村)、祁答院町黒木(旧・黒木村)にあたる。
概要
[編集 ]鹿児島県のほぼ中央部に位置し、合併前は薩摩郡に所属していた。
北は薩摩町・宮之城町、南は姶良町・蒲生町・入来町(合併前)に隣接。
四方を山に囲まれ、街は主に瀬早川・久富木川・秋上川沿いの平野部にある。藺牟田池や藺牟田温泉など、自然や観光資源に恵まれ、「森と湖と温泉の町」をスローガンに町作りを行ってきた。
2004年(平成16年)10月11日、川内市等と合併して薩摩川内市となり、49年の歴史に幕を閉じた。合併から約1年後の2005年(平成17年)11月8日、藺牟田池がラムサール条約に登録された。
歴史
[編集 ]名称の「祁答院」は、紫尾山麓の祈祷院(きとういん)神興寺がのちに祁答院に転訛したという説があるが、中世には川内川中流域一帯の地域名で祁答院氏の所領であった[1] 。
- 1955年(昭和30年) - 大村・黒木村・藺牟田村の三村が合併し祁答院町が誕生
- 1959年(昭和34年) - 役場庁舎建設(鉄筋2階建)
- 1966年(昭和41年) - 国鉄バス開通 大村保育園開設
- 1968年(昭和43年) - 大村、黒木、藺牟田中が統合し祁答院中学校が発足
- 1978年(昭和53年) - 勤労者いこいの村本館完成「いこいの村いむた池」オープン
- 1981年(昭和56年) - 祁答院地区消防組合発足 祁答院町農村環境改善センター(現:祁答院公民館)完成
- 1983年(昭和58年) - 祁答院町商工会館完成 大村北部生活センター完成
- 1992年(平成4年) - 祁答院診療所開院
- 2004年(平成16年)2月20日 - 合併調印
- 2004年(平成16年)9月5日 - 閉町式
- 2004年(平成16年)10月9日 - 閉庁式
- 2004年(平成16年)10月12日 - 川内市・樋脇町・東郷町・入来町・祁答院町・上甑村・里村・鹿島村・下甑村の1市4町4村が合併、人口10万人規模の「薩摩川内市」誕生。
地域
[編集 ]教育
[編集 ]中学校
[編集 ]小学校
[編集 ]-
黒木小学校
-
上手小学校
-
藺牟田小学校
交通
[編集 ]道路
[編集 ]- 鹿児島県道42号川内加治木線(空港バイパス)
- 鹿児島県道51号宮之城加治木線
出身有名人
[編集 ]ゆかりのある著名人
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 祁答院(読み)けどういんコトバンク
- ^ 『アニゲラ!ディドゥーン!!!』文化放送、2014年 5月1日。
関連項目
[編集 ] スタブアイコン
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