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石渡清元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石渡清元
いしわた きよはる
生年月日 1940年 12月9日
出生地 日本の旗 日本 神奈川県 横浜市 南区
没年月日 (2014年01月20日) 2014年 1月20日(73歳没)
死没地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
出身校 慶應義塾大学商学部卒業
所属政党 自由民主党
称号 従四位
旭日重光章

選挙区 神奈川県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1989年 7月23日 - 2001年 7月22日

在任期間 1985年 5月 - 1986年5月

神奈川県の旗 神奈川県議会議員
選挙区 横浜市南区選挙区
当選回数 5回
在任期間 1971年 - 1989年
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石渡 清元(いしわた きよはる、1940年 12月9日 [1] - 2014年 1月20日 [2] )は、日本政治家。元参議院議員(2期)。位階従四位

経歴

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横浜市 南区生まれ[3] 。小学校卒業後、栄光学園中学・高校で学ぶ[3] 1963年慶應義塾大学商学部を卒業し、病院に入職、その後理事長となる[4] 1971年統一地方選挙で横浜市南区選出県議に当選[注釈 1] 1985年に県議会議長に就任[6] 1987年の県議選5度目の当選を果たす。

1988年11月12日、自民党神奈川県連は、翌年の第15回参議院議員通常選挙 神奈川県選挙区(改選数2)の候補者に関し第4回選考委員会を開き、党公認候補に石渡を選んだ。同選挙区は改選期を迎えた杉元恒雄が病気療養のため出馬を辞退。前年11月の補選で当選した佐藤謙一郎も衆院選転身を望み、不出馬を表明していた。候補には8人が名乗りをあげたが、党県連会長の小此木彦三郎の絞り込み調整で一本化が図られた[7] [要ページ番号 ]

1989年の参院選神奈川県選挙区に自民党公認・中曽根派新人候補として出馬し参院初当選。1991年自民党総裁選では渡辺美智雄を全面的に支援。1992年夏に労働 政務次官就任[8] 1995年第17回参議院議員通常選挙で再選[9]

1999年3月、志帥会旗揚げに参加。2001年第19回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退した。

2011年、秋の叙勲で旭日重光章を受章[2] 。2014年1月20日13時13分、心不全のため横浜市の病院で死去した[2] 。73歳没。歿日付で従四位

出典

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注釈

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  1. ^ 1973年(昭和48年)9月現在の情報で南区選出となっている[5]

脚注

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  1. ^ [選挙の記録 平成元年 20コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c 石渡清元氏死去(元自民党参院議員) at the Wayback Machine (archived 2014年02月25日)
  3. ^ a b [選挙の記録 平成元年 55コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑 134コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 神奈川年鑑 昭和49年版 183コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 神奈川県. "神奈川県議会 県議会の歴史 歴代議長・副議長一覧". 神奈川県. 2021年4月30日閲覧。
  7. ^ 朝日新聞1988年11月13日、神奈川。
  8. ^ 月刊官界 18(11)(205) 13コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 選挙時報 44(9) 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
議会
先代
松谷蒼一郎
日本の旗 参議院国土・環境委員長
1999年 - 2000年
次代
溝手顕正
日本の旗 参議院国土・環境委員長 (1999年 - 2000年)
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
定数3
第18回
第20回
第22回
定数4
第24回
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
定数3
第17回
第19回
第21回
定数4
第23回
第25回
↓:途中辞職・失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選、x:補欠選挙なし。
官選
県会議長
公選
県議会議長

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