石栗建
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石栗 建
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名前 | |||
愛称 | グリさん[1] | ||
カタカナ | イシグリ タツル | ||
ラテン文字 | ISHIGURI Tatsuru | ||
基本情報 | |||
国籍 | 日本の旗 日本 | ||
生年月日 | (1971年10月16日) 1971年 10月16日(52歳) | ||
出身地 | 新潟県 新潟市 [2] | ||
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石栗 建(いしぐり たつる、1971年 10月16日 - )は、新潟県出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認B級ライセンスを有する。
経歴
[編集 ]新潟明訓高等学校を経て、一浪の末筑波大学へ進学。同大蹴球部でセンターバックとしてプレーし大槻毅と最終ラインを組む一方で、同大ゼミにてスポーツ医学を学び大学院に進学、卒業した。
当初教員を志していたが大学院在学中より指導者としてサッカーに携わりたいとの想いを強め、1998年にヴェルディ川崎のユースでフィジカルコーチとして指導者のキャリアをスタート。コンサドーレ札幌、東京ヴェルディ、清水エスパルスなどでフィジカルコーチを歴任した。
浦和レッドダイヤモンズの強化スタッフを務めてい大槻から「一緒に仕事をしないか」と熱心な誘いを受け、妻の実家が浦和にあり妻の家族が浦和レッズの熱烈なサポーターだった縁もあり、2013年に浦和レッドダイヤモンズユースでフィジカルコーチも兼ねたコーチに就任。2019年より同トップチームのフィジカルコーチを務める[1] [3] [4] 。
2018年度にはJFA公認S級ライセンスを取得した[3] 。
選手歴
[編集 ]指導歴
[編集 ]- 1998年 - 1999年 読売日本SCユース フィジカルコーチ
- 2000年 ヴェルディ川崎 フィジカルコーチ
- 2001年 ヴェルディユース フィジカルコーチ
- 2002年 コンサドーレ札幌 フィジカルコーチ
- 2003年 - 2008年 東京ヴェルディ1969/東京ヴェルディ フィジカルコーチ
- 2009年 - 2010年 コンサドーレ札幌 フィジカルコーチ
- 2011年 - 2012年 清水エスパルス フィジカルコーチ
- 2013年 - 2018年 浦和レッドダイヤモンズ ユースコーチ
- 2019年 - 浦和レッドダイヤモンズ フィジカルコーチ
出典
[編集 ]- ^ a b 飯尾篤史 (2019年9月6日). "石栗 建 フィジカルコーチ みなさんと共に喜びを分かち合いたい". 浦和レッズニュース. https://news.line.me/issue/oa-urawaredsnews/4891c506cb76 2022年4月16日閲覧。
- ^ 『2013シーズンの育成部門の体制』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2013年1月19日。http://www.urawa-reds.co.jp/clubinfo/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%93%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%82%B2%E6%88%90%E9%83%A8%E9%96%80%E3%81%AE%E4%BD%93%E5%88%B6/ 。
- ^ a b "浦和・石栗建フィジカルC 選手の体調管理は中断期間の「責任」". スポニチ Sponichi Annex. (2020年5月10日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2020/05/10/kiji/20200509s00002179372000c.html 2022年4月16日閲覧。
- ^ 石栗建(インタビュアー:星野浩司)「浦和・石栗コーチにインタビュー ACLへ連戦&暑熱対策を徹底「負荷の見極めがタイトル獲得へ重要」」『スポーツ報知』、2022年4月15日。https://hochi.news/articles/20220415-OHT1T51143.html?page=1 。2022年4月16日閲覧。
関連項目
[編集 ]浦和レッズ - 2024 | |||||||||
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