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石岡諒太

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石岡 諒太
オリックス移籍後初出場試合
(2022年7月9日 ほっともっとフィールド神戸)
ユニフォームは清田文章ブルペン捕手のもの
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県 神戸市 北区
生年月日 (1992年05月25日) 1992年 5月25日(32歳)
身長
体重
188 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 2015年 ドラフト6位
初出場 2017年7月8日
最終出場 2022年9月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

獲得メダル
日本の旗 日本
男子野球
アジア競技大会
2014

石岡 諒太(いしおか りょうた、1992年 5月25日 - )は、兵庫県 神戸市 北区出身の元プロ野球選手(内野手外野手)。左投左打。

経歴

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プロ入り前

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神戸市立広陵小学校2年の時に広陵少年野球部で軟式野球を始める。神戸市立広陵中学校進学後は神戸skyドラゴンズに所属し、硬式野球に転向した。

神戸国際大学附属高等学校への進学後は、2年秋から1番一塁手に定着。3年春に選抜高等学校野球大会へ出場したが、2三振を喫し、チームも初戦で敗退した。在学中の2学年上に山本徹矢、同期生に岡本健、2学年下に宗接唯人がいた。

JR東日本硬式野球部時代(2014年6月3日)

高校卒業後はJR東日本へ入社。同期入社には阿知羅拓馬戸田亮がいる。入社1年目から公式戦に出場すると、第82回都市対抗野球大会ではチームの優勝に貢献し、若獅子賞を受賞した[1] 。翌年の第83回大会でも3番打者として準優勝に貢献。4年目には第17回アジア競技大会日本代表に選ばれた。

2015年10月22日に行われたドラフト会議では、中日ドラゴンズから6位指名を受け、契約金5000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件[2] で入団した。背番号は前年まで小笠原道大が着用していた36。阿知羅が2013年のドラフト会議で中日から指名を受け入団していたため、2016年から再度同じ球団に在籍することとなった。

中日時代

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中日時代

2016年 は、春季キャンプ前の新人合同自主トレーニング中に腰痛を発症。後の診断で椎間板ヘルニアが判明したため、1月28日に患部の手術を受けた[3] 。その影響で一軍公式戦への出場機会はなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも、26試合の出場で打率.289(76打数22安打)、2打点という成績にとどまった[4] 。シーズン終了後には、台湾アジアウインターベースボールリーグに派遣された。

2017年

2017年 は、入団後初めて春季キャンプを一軍で迎えた[5] 。キャンプ中には、本来のポジションである一塁に加えて、外野の守備も練習[6] 。キャンプ終了後も一軍へ帯同すると、オープン戦では本塁打を放った[7] 。開幕一軍は逃したが、7月8日に一軍初登録されると、同日の横浜DeNAベイスターズ戦でスタメンで一軍初出場を果たした。しかし、無安打のまま7月18日に登録抹消された。

2018年 は、一軍出場なしに終わった。

2019年 は、8月13日に右腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けた[8] 。この年も一軍出場なしに終わった。11月19日、次年度からは育成選手契約となることが発表され、規定により12月2日に自由契約公示された[9] 。育成選手としての背番号は205

2020年 は、ウエスタン・リーグで68試合に出場し、打率.275、2本塁打、20打点という成績を記録した[10]

2021年 は、8月26日までにウエスタン・リーグで打率.318、5本塁打、29打点、8盗塁の成績を収め、同27日に再び支配下登録された。背番号は00[11] 。 その後、10月12日に一軍昇格。翌13日の東京ヤクルトスワローズ戦で、「7番・左翼手」として4年ぶりの一軍出場を果たした。22日のDeNA戦では、フェルナンド・ロメロから6年目で待望の一軍初安打を放った。この年は6試合の出場で、11打数1安打、打率は.091だった。オフの契約更改では、前年から22万増の562万円で契約した。

2022年 4月にウエスタン・リーグで打率.378、28安打、7盗塁、出塁率.467を記録し(いずれもリーグトップ)同月の月間MVPを受賞した[12]

オリックス時代

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2022年7月8日、後藤駿太との交換トレードでオリックス・バファローズへの移籍が発表された[13] 。背番号は中日時代と同じく00。翌9日に入団会見が執り行われ[14] 、同日の千葉ロッテマリーンズ戦の8回裏に吉田正尚の代走で起用され、移籍後初出場を果たすが、ユニフォームが間に合わずブルペン捕手の清田文章の背番号112のユニフォームで出場。更に翌10日は「1番・レフト」で移籍後初先発出場。5打数2安打と期待に応え、試合も10-1と大勝した。この年は、ウエスタン・リーグでは打率.308を記録し、首位打者のタイトルを獲得した[15]

2023年は一軍での出場がなく、10月5日に戦力外通告を受けた[16] 。当初は現役続行を希望していたが、11月24日までに現役引退を決断した[16]

現役引退後

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現役引退後の2024年からはオリックスのフロント入りし、管理本部広報宣伝部広報グループに所属する[17]

選手としての特徴

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豪快なフルスイングから放たれる長打力と勝負強い打撃が武器[18] [19] 。50mを5秒9で走る俊足も兼備している[20] 。守備では本職の一塁の他、外野もこなす[19]

人物

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手足が長く、細長いボディーと走り方がエヴァンゲリオン初号機に似ていることから、愛称は「エヴァ[21] [22] 。それにちなんで、登場曲も主題歌である高橋洋子残酷な天使のテーゼを使用している[23]

中日時代の二軍監督だった小笠原道大の"愛弟子"という縁から、ピン芸人「小笠原ミニ大」ことパキオと仲が良い[21]

幼少期から大のオリックスファンであり、小学生のころから何度もほっともっとフィールド神戸で試合観戦をしたという[24]

アイドルグループ・AKB48のファンであり、推しのメンバーは島崎遥香 [25]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2017 中日 2 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2021 6 11 11 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 5 1 .091 .091 .091 .182
2022 11 29 25 1 9 0 0 0 9 1 0 0 2 0 1 0 1 6 1 .360 .407 .360 .767
オリックス 17 35 33 3 5 1 0 0 6 0 2 1 1 0 1 0 0 10 0 .152 .176 .182 .358
'22計 28 64 58 4 14 1 0 0 15 1 2 1 3 0 2 0 1 16 1 .241 .267 .259 .526
通算:3年 36 79 73 4 15 1 0 0 16 1 2 1 3 0 2 0 1 22 2 .205 .237 .219 .456

年度別守備成績

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一塁 外野
























2017 中日 1 9 0 0 2 1.000 -
2021 - 4 2 0 0 0 1.000
2022 7 46 9 0 0 1.000 1 3 0 0 0 1.000
オリックス 1 6 0 0 1 1.000 8 13 0 0 0 1.000
'22計 8 52 9 0 1 1.000 9 16 0 0 0 1.000
通算 9 63 9 0 3 1.000 13 18 0 0 0 1.000

記録

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初記録

背番号

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  • 36(2016年 - 2019年)
  • 205(2020年 - 2021年8月26日)
  • 00(2021年8月27日 - 2023年)

登場曲

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代表歴

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脚注

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  1. ^ 橋戸賞はJR東日本の松本/都市対抗日刊スポーツ 2011年11月1日配信
  2. ^ 中日ドラフト6位石岡、契約金5000万で仮契約日刊スポーツ 2015年11月25日配信
  3. ^ 中日ドラ6石岡「残念」腰の椎間板ヘルニア手術へ キャンプ不参加スポニチアネックス 2016年1月26日配信
  4. ^ 石岡 諒太 | Baseball ×ばつデータ 2017年1月25日閲覧
  5. ^ プロ野球12球団キャンプガイド/日程、場所など日刊スポーツ 2017年1月31日配信
  6. ^ 中日石岡プロ初の外野練習「一塁にはこだわりない」日刊スポーツ 2017年2月16日配信
  7. ^ 中日石岡が2ラン「しっかり振り切ることができた」日刊スポーツ 2017年3月7日配信
  8. ^ 中日・石岡 右腰椎椎間板ヘルニアの手術受ける 16年にも手術スポニチ 2019年8月13日
  9. ^ 自由契約選手 2019年度 NPB公式サイト
  10. ^ "2020年度 中日ドラゴンズ 個人打撃成績(ウエスタン・リーグ)". NPB.jp 日本野球機構. 2021年8月27日閲覧。
  11. ^ "中日・石岡が2年ぶり支配下復帰 「崖っぷちなのは変わらないので、1打席1打席アピール」". 中日スポーツ. (2021年8月27日). https://www.chunichi.co.jp/article/319153 2021年8月27日閲覧。 
  12. ^ "「スカパー!ファーム月間MVP賞」 楽天・宮森と中日・石岡が受賞". BASEBALL KING. 2022年5月16日閲覧。
  13. ^ "トレード成立のお知らせ". オリックス・バファローズ (2022年7月8日). 2022年7月8日閲覧。
  14. ^ "石岡諒太選手入団発表記者会見". オリックス・バファローズ (2022年7月9日). 2022年7月9日閲覧。
  15. ^ 2022年度 ファーム成績 NPB (2022年10月28日閲覧)
  16. ^ a b "悔しいはずの戦力外に「ホッとした」 妻の言葉に反省..."エヴァに感謝"の野球人生". Full-Count (2023年11月24日). 2023年11月24日閲覧。
  17. ^ "【オリックス】人事異動を発表 横田昭作球団本部長が退任 現役引退の佐野如一氏がアマスカウト、石岡諒太氏は球団広報に". スポーツ報知. (2023年12月28日). https://hochi.news/articles/20231228-OHT1T51142.html?page=1 2023年12月28日閲覧。 
  18. ^ "春季キャンプで発見した赤マル急上昇選手!セ・リーグ編". 週刊ベースボールONLINE. 2022年4月11日閲覧。
  19. ^ a b "【中日】育成の石岡諒太が再び支配下へ 2軍で打率3割超えの強打に期待". スポーツ報知 (2021年8月27日). 2022年4月11日閲覧。
  20. ^ "中日6位石岡 AKBぱるるのようにセンター目指す". nikkansports.com. 2022年4月11日閲覧。
  21. ^ a b "【中日】石岡諒太、プロ6年目で初安打!DeNAロメロから中前へ...竜の「エヴァンゲリオン初号機」". スポーツ報知 (2021年10月22日). 2022年7月9日閲覧。
  22. ^ "オリックス移籍の"エヴァ"石岡 入団会見からの駆けつけ背番号「112」で代走出場". スポニチ Sponichi Annex. 2022年7月9日閲覧。
  23. ^ "オリックス・石岡諒太 逆転優勝の力となるべく"エヴァ"発進!「ここに呼べてよかった」/後半戦のキーマン". 週刊ベースボールONLINE. 2023年4月13日閲覧。
  24. ^ "【オリックス】中日からトレード移籍の石岡諒太「優勝を目指すワンピースになる」背番号は中日時代と同じ「00」". 2022年7月9日閲覧。
  25. ^ "求めるのは癒しか、それとも気合か? 入寮にアイドルグッズを持ち込むプロ野球ルーキーたち". 週刊野球太郎. 2022年4月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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