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江上家種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
江上家種
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 文禄2年2月2日(1593年 3月4日)[1]
改名 又四郎(幼名)、家種
別名 権兵衛尉(通称)
墓所 種福寺(佐賀県神埼市)[2]
官位 武蔵守
氏族 龍造寺氏江上氏
父母 父:龍造寺隆信、母:龍造寺家門
養父:江上武種
兄弟 龍造寺政家龍造寺隆平家種
後藤家信、玉鶴姫
大村純忠
智子、佐野茂義勝種
養子:鍋島勝茂
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江上 家種(えがみ いえたね)は、安土桃山時代武将

生涯

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龍造寺隆信の次男として誕生。江上武種の養子となって江上氏の家督を継ぎ、父から肥前国 神埼郡 勢福寺城主に任じられた。父の命令で各地を転戦し、天正12年(1584年)の沖田畷の戦いにも参加している。

天正17年(1589年)、鍋島直茂佐賀城に移ったため、代わって蓮池城主となる。なお、このときに鍋島直茂の嫡男・勝茂を養子として迎えている(のち解消)。

豊臣秀吉文禄の役にも参加して渡海したが、釜山で病没した。

威風堂々とした体格で、特に武勇に優れていたといわれており、兄弟の中で最も父、隆信の才を受け継いでいた事が窺える。

佐賀県 神埼市神埼町の種福寺に夫妻の墓が現存する[2]

系譜

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家種の死後、子たちは江上姓を捨て、長子・茂美(佐野右京亮)は佐野氏を名乗り、次子・勝種(勝山大蔵)は勝山姓を名乗った。茂美の子孫は佐賀藩士佐野氏の祖となった。勝種は龍造寺伯庵を擁して幕府に龍造寺家の復興を訴えるも敗訴。正保元年(1644年)に会津藩保科家預かりとなり、江上氏に復姓した。慶安元年(1648年)に会津藩に召し抱えられ、子孫は会津藩士として続いた。

脚注

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  1. ^ 山本常朝葉隠』中(三教書院、1937年)167頁
  2. ^ a b c "かんざきを歩こう No6「勢福寺城跡と城下町遺跡コース」". 神埼デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」. 2025年1月1日閲覧。
  3. ^ 栗原荒野 編『校注葉隠』1975年、618-619頁。doi:10.11501/12225203 https://dl.ndl.go.jp/pid/12225203/1/376  

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