武田熊蔵
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武田 熊蔵(たけだ くまぞう、1865年 8月27日〈慶応元年7月7日 [1] 〉 - 1943年〈昭和18年〉2月8日 [1] )は、明治から昭和時代戦前の政治家。埼玉県 川越市長。
経歴
[編集 ]武田鉚助の長男[2] として忍町(現行田市)に生まれる[1] 。1882年(明治15年)埼玉県巡査を振り出しに1899年(明治32年)深谷警察署長、ついで越谷、川越、浦和など県内の主要な警察署長を歴任[1] 。1910年(明治43年)北葛飾郡長に就任したのち、秩父、大里、北足立郡各郡長を経て、1923年(大正12年)川越市長に就任した[1] 。
市長在任中は、産婆看護婦学校(現川越看護専門学校)や市立商業学校・実科高等女学校を開設し、1927年(昭和2年)下水道1期工事を完成させるなど草創期の市政発展に尽力した[1] 。
脚注
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参考文献
[編集 ]- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 。
- 『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。