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槻木町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 槻木町」のその他の用法については「槻木町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
つきのきまち
槻木町
炭釜横穴古墳群
廃止日 1956年4月1日
廃止理由 新設合併
槻木町船岡町柴田町
現在の自治体 柴田町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
柴田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 41.13 km2
総人口 11,948
(『宮城県町村合併誌』、1956年3月31日)
隣接自治体 柴田郡:船岡町村田町
名取郡:岩沼町
亘理郡:亘理町
伊具郡:角田町
槻木町役場
所在地 宮城県柴田郡槻木町大字入間野字上町50[1]
座標 北緯38度04分39秒 東経140度48分37秒 / 北緯38.07753度 東経140.81028度 / 38.07753; 140.81028 座標: 北緯38度04分39秒 東経140度48分37秒 / 北緯38.07753度 東経140.81028度 / 38.07753; 140.81028
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槻木町(つきのきまち)は、昭和31年(1956年)まで宮城県 柴田郡の北東部にあった町。現在の柴田町北部(おおむね白石川北岸)にあたる。

地理

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沿革

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  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、入間野村・入間田村・海老穴村・上川名村・富沢村・成田村・小成田村・葉坂村・船迫村・四日市場村の計10か村が合併して槻木村が発足。村名は奥州街道の宿駅・槻木宿より命名。
  • 明治37年(1904年)4月1日 - 町制施行し、槻木町となる。
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 船岡町と合併し、柴田町 となる。

行政

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歴代村長

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氏名 就任 退任 備考
1 相原逸平 明治22年(1889年)4月22日 明治32年(1899年)12月9日
2 高橋市右ェ門 明治32年(1899年)12月27日 明治36年(1903年)8月21日
3 黒沢源 明治36年(1903年)10月12日 明治37年(1904年)3月31日

歴代町長

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氏名 就任 退任 備考
1 黒沢源 明治37年(1904年)4月1日 明治40年(1907年)10月11日 村長より留任
2 大沼源太郎 明治41年(1908年)4月18日 明治45年(1912年)4月17日
3 佐藤亀吉 明治45年(1912年)4月27日 大正5年(1916年)4月26日
4 小室源吾 大正5年(1916年)10月6日 昭和5年(1930年)5月16日
5 大沼理四郎 昭和5年(1930年)6月24日 昭和9年(1934年)6月23日
6 渡辺太蔵 昭和9年(1934年)6月24日 昭和13年(1938年)6月23日
7 北条伊平 昭和13年(1938年)6月24日 昭和17年(1942年)6月23日
8 小室源吾 昭和17年(1942年)6月24日 昭和18年(1943年)8月17日 再任
9 大沼理四郎 昭和18年(1943年)8月18日 昭和19年(1944年)11月30日 再任
10 桜井綱 昭和19年(1944年)12月7日 昭和21年(1946年)11月20日
11 加茂久治 昭和22年(1947年)4月8日 昭和26年(1951年)4月24日
12 加藤政之助 昭和26年(1951年)4月25日 昭和27年(1952年)4月8日
13 大沼金治 昭和27年(1952年)5月9日 昭和30年(1955年)5月20日
14 神谷重雄 昭和30年(1955年)6月14日 昭和31年(1956年)3月31日

交通

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鉄道

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道路

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脚注

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  1. ^ 宮城県統計総覧 昭和28年 (調査資料)』宮城県企画部調査課、1956年、7-10頁。doi:10.11501/9547189 https://dl.ndl.go.jp/pid/9547189 2023年7月18日閲覧 

参考文献

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  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)

関連項目

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